福知山線の事故とモラルハザード
ゴールデンウイークの期間中、新聞やテレビを騒がせたJR西日本福知山線の大事故で思うのは、やはり事故を起こした運転手の23歳という若さと11カ月という訓練期間の短さである。
多くをコンピュータで自動化された現在の列車を運転する技術(スキル)そのものは11カ月もあればマスターできるだろうし、必ずしも運転手に年齢の下限を設けるべきだというわけでもない。しかしこの若さで経験日数も少ない運転手がたった一人で何十人、何百人の命を預かっている現代の輸送システムそのものについては、やはり強い違和感を覚える。
たとえば映画にもなった「鉄道員」(ぽっぽや)の主人公は、父親と同じ機関士に憧れて鉄道屋になったが、機関士が学ぶべきことは多い。蒸気を沸かす石炭をくべる作業一つにしても、釜に石炭をまんべんなくばらまけるようになるまでには長い修行期間が必要だったろうし、もちろん蒸気機関車を運転する作業が一人の機関士でできるわけでもなかった。それらの技術を先輩から体で学び、あるいは同僚と切磋琢磨しながら、徐々に一人前の機関士になっていったわけである。
その間には、多くの乗客や仲間たちとの出会いがあり、血の通ったコミュニケーションが積み重ねられたはずである。彼は、そういう長いオンザジョブ・トレーニングの過程を通して、鉄道屋の仕事の苦労や誇りを徐々に学んでいった。それは意図して作り上げられたシステムではなく、物理的にやむを得ない制約だったが、そういった現実世界の「制約」が、鉄道屋という一つの職業を、その責任と誇りを生み出していったと言える。
コンピュータで自動化されたシステムでは運転技術そのものは、現場以前に各種のシミュレータを使って簡単に学べるが、それで運転手という仕事の責任や誇りを実感することは難しい。また、安全を確保するために新たな安全装置をとりつけることは、それはそれで必要なことだとしても、より一層、運転手の緊張を薄れさせることになる。
この事故を通してJR西日本のモラルの失墜がさまざまに指摘されているが、現代社会の便利なシステムには、より大きなモラルハザードを生み出す構造が潜んでいる。現代の私たちは、このような不安定なシステムに寄りかかって生活しているということでもある。
投稿者: Naoaki Yano | 2005年05月15日 11:46