和尚の慨嘆
だいぶ前だが、鎌倉・円覚寺の日曜説法会でのことである。
ある住職が白隠禅師の坐禅和讃について話をしたあと、質問はないかと問うたら、一女性が手をあげて「引きこもり状態でいっこうに外出しない身内がいるんですが……」と発言した。和尚は「今日の話とは直接関係ないですな」などと微笑みながら、それでも質問に耳を傾けた。「何かいい知恵はありませんか」と問われて、少し考え込む風情と見えたところに、前のほうに座っていた男性がさっと手をあげた。
男性が何を言ったのか、後ろのほうに座っていた私には聞きとれなかったが、和尚はちょっと驚いて、「えっ、あなた、この質問に答えられるんですか。おたく、何屋さん?」と冗談っぽく聞いた。その返事も私には聞きとれなかったが、和尚がそのあとに話したことが印象的だった。
坊主というものは、こういう具体的な悩みに答えられなくてはいけないと思っているのだが、当今はいろんな専門家が出てきて、坊主が答えようとする前に解決策とやらを出してしまう。だから坊主あがったりで、いまでは葬式仏教などと揶揄される始末である。死後の供養をすることは、それはそれで大事なことではあるんだが……。
彼は「人びとの煩悶は、とくにこの激動の時代にあっては、全人的に取り組むべきで、専門化した個々の知恵の積み重ねではなかなか解決できない」と言いたかったのだろう。飄々とした老和尚の対応に、手を上げた男性は少し気まずかったのではないだろうか。私自身、少し気恥ずかしい思いをした。
投稿者: Naoaki Yano | 2005年05月22日 14:27