住基ネット判決と「サイバー空間に風穴をあける」覚悟
住基ネットから離脱したいと望む住民に対して改正住民基本台帳法の条文を適用することはプライバシーの保護を保障した憲法13条に違反する、との判決が5月30日、金沢地方裁判所で出され、石川県の住民28人が起こしていた住基ネットから個人情報を削除してほしいとの訴えが認められた(損害賠償請求については棄却)。
判決本文はまだ目にしていないが、新聞報道によれば、「住基ネットの便益とプライバシーのどちらを優先させるかは、個人が自らの意思で決定すべきで、行政が住民に押しつけることはできない」と指摘している。日本経済新聞は「住基ネットに違憲性」との見出しを掲げていた。
これは画期的なことである。
サイバーリテラシー的な言い方をすれば、サイバー空間の完全性を追求するよりも、現実世界に住む私たち一人ひとりの基本的人権を守るべきだという、きわめてまっとうな考えが、裁判所の判断として示されたからである。
住基ネットの効率性を重視すれば、そこに国民全員が参加することが理想的である。だが、サイバースペースがいよいよ現実世界をすっぽりと覆うようになるとき、完全なサイバースペースの成立はむしろ全人類の災いとなる恐れが強い。大事なのは、私たちが快適で豊かな生活を送ることでなくてはならない。
私はかねがね「住基ネットは社会に投じられた劇薬であり」、「住基ネットがもたらす便宜を受けられなくても、住基ネットに参加したくない人の権利を保障するシステムの確立」が必要だと考えてきたし(『インターネット術語集Ⅱ』、2002年)、近著の『サイバー生活手帖』(2005年)では、「サイバー空間に風穴をあける」覚悟についてもふれている。
そう望む人にとっては、サイバースペースの捕捉の目から逃れる「聖域」の存在が不可欠だと思うからである。
投稿者: Naoaki Yano | 2005年06月03日 17:14