住基ネットに関する金沢地裁判決を読んで
先に住基ネットをめぐる金沢地裁判決について書いたけれど、その直後に名古屋地裁で出された、まったく逆の意見の判決も、ネット上で読めるようになった。
「社会的責任を考えるコンピュータ専門家の会(CPSR=Computer Professionals for Social Responsibility)」日本支部とJCA-NETが「コンピュータ技術をめぐる訴訟について意見交換の場をオンライン上に設けるプロジェクト」として「オープンロー」を立ち上げたからである(金沢地裁判決文の全文公開はじまる)。
同プロジェクトではまず、全国各地で行われている住基ネット指し止め訴訟の判決や訴訟資料をスキャンし、個人情報や自治体のセキュリティホールを暴露するような情報は消去した上で公開している。これこそインターネットの長所を生かしたすばらしいプロジェクトだと思うが、ここでは先の投稿で述べた趣旨にそって、金沢地裁判決をきわめて大雑把に整理しておこう。
①プライバシーの権利は憲法13条(「すべて国民は個人として尊重される」)によって国民に保障されている。
②現下のプライバシーの権利には自己情報コントロール権が重要な内容として含まれ、住基ネットの本人確認情報は自己情報コントロール権の対象になる。
③本人確認情報を使ってさまざまな個人情報がマッチングされる(一同に集められる)と、住民は行政機関の前で、言わば丸裸の状態になる危険がある。
④「行政事務の効率化」自体は正当な行政目的だが、住基ネットに住民のプライバシーの権利を犠牲にしてまで達成すべき高度の必要性があるとまでは言えない。
⑤原告らは住基ネット全体の運用の停止を求めているのではなく、住基ネットからの離脱を求めているにすぎない。原告らのプライバシーの権利と比較考量すべきなのは、住民基本台帳に記録されている者全員を強制的に参加させるものとしての住基ネットでなくてはならない。
⑥自己のプライバシーの権利を放棄せず、住基ネットからの離脱を求めている原告らに対して適用する限りにおいて、改正法の住基ネットに関する各条文は憲法13条に違反する。
これからの社会を真に豊かで実りあるものにするためには、デジタル技術によって成立するサイバー空間の特徴をよく理解した上で、従来の発想を超えた、根源的という本来の意味で、まさにラディカルな発想が必要だと私は思っている。
そういう観点からしても、金沢地裁判決はIT社会のあり方をきちんと見据えたすばらしいものだと思われる(これに対して名古屋地裁判決は、被告の県や国の考え方を”すなおに”反映した、きわめて実務的なものである。読み比べてみてほしい)。
この判決のポイントは、住基ネットに率先して参加したい人、そうでなくても参加に異存のない人にとってまで住基ネットの効用を否定しているわけでないことだ。私が先に「サイバー空間に風穴をあける」覚悟と言ったのと同じ考えがここには含まれている。
以下のようなくだりもあった。
「住民の便益」と「行政事務の効率化」とプライバシーの権利は、いずれも個人的利益であり、そのどちらの利益を優先させて選択するかは、各個人が自らの意思で決定するべきものであり、行政において、プライバシーの権利よりも便益の方が価値が高いとして、これを住民に推しつけることはできないというべきである。すなわち、便益は、これを享受することを拒否し、これよりもプライバシーの権利を優先させ、住基ネットからの離脱を求めている原告らとの関係では、正当な行政目的ではあり得ないといわざるを得ない。
先走った心配をすれば、サイバー空間から離脱しようとする人びとにとっての便益の幅が、知らぬうちに狭まれる危険もあるだろう。それは、「給与振込みに応じなければ給与は払わない」という方向に事態が進展することである。私自身、元いた会社の給与振込みにはいち早く応じ、それが便利でもあったが、給与は直接手渡してほしいという人の権利、と言わずとも、思いを大事にしたいと思っている。
投稿者: Naoaki Yano | 2005年06月13日 13:36