メディアとディスコミュニケーション
朝日新聞は8月21日付朝刊二面と翌22日付の三面で、新党結成をめぐって「亀井静香・田中康夫両氏が長野県内で会った」とする記事を掲載したが、その記事は長野総局員の虚偽メモに基づくものだった。なぜジャーナリズムの根幹を揺るがすような事件が起こったのか。けさの朝日新聞が「検証 虚偽メモ問題」として3ページにわたって報告している。
報告は詳細で、かつ真摯な態度に貫かれているが、要は「メールだけのやりとりに終わり、取材現場での言葉によるコミュニケーション不足が虚報につながった最大の原因だと思えます」(「検証を終えて」)に尽きる。
電子メール恐るべし。
この点について思いつくことを記しておきたい。
<1>電子メールの軽さ
検証記事によると、亀井・田中両氏が会ったとの情報を確かめてくれとの本社政治部から長野総局への連絡は18日午後、メールで行われ、総局長から転送された長野総局員は、とくに急ぎの用件ともたいしたニュースとも思わず、ルーティンの仕事を優先した。夜勤業務で忙しかった20日夜、政治部から連絡を受けた総局長に「例の件はどうだったか」と口頭で聞かれ、田中知事に直接確認していないのに、「知事は亀井氏に会ったと言っていました」とうその返答をする。「それをメモして政治部に送ってくれ」と言われ、「会ったとの裏はほとんど政治部でとれているのだろう」と軽く考え、10分くらいで田中知事との一問一答方式のメモをでっち上げた。それを政治部に送ると同時に総局長にコピーを送った。
政治部がこの情報に飛びつき、電話でメモ内容を使っていいかと総局長に問い合わせるが、記事の詳しい説明はせず、総局長もメモ内容のどこをどう使うかを確認しないままに了解した(総局長がメールでメモ内容を見たのは、了解を与えた後である)。翌日、勤務についた総局次長(デスク)にこの間の引継ぎは行われておらず、夕方、政治部からメモ使用の了解を再度求められたデスクは、メモの存在を知らないままに、すでに話はついているものと了解の旨返事し、記者にはこのことを連絡しなかった。原稿の大刷り(最終ゲラ)がファクスで総局に届いたのは午後9時半、総局員は驚くが「頭が真っ白」になって、もはや虚偽メモだと自白する勇気がなく、成り行きにまかせる。その結果、誤報記事が掲載された。
問題は電子メールの便利さの裏にある「軽さ」である。
このメモが紙に書かれ、総局員に手渡されたら、両者の間でメモ内容をめぐる何らかの会話が行われたのは間違いない。メールは直接政治部に送られ、総局長がコピーを見たのはだいぶ後のことで、その際の会話も「知事、意外としゃべってるじゃないか」という程度で終わっている。政治部もメモの核心部分を記事にするにあたって、直接担当者に電話するなり、担当者を上京させるなどはしていない。
総局の一線が忙しく、一つひとつの取材に十分なエネルギーをかけらない状態が恒常化しているのは、検証記事からもよく伺われるが、たとえば、このメモが紙で書かれてデスク机に鋲ででも留めてあれば、デスクはごく自然にこのメモに目を通しただろう。しかしメモは電子メールで送られており、当然、デスクの目に届くようにはなっていなかった。
総局員は送られてきたゲラを見て初めて、ことの重大さに気づく。ファクスで送られてきたコピーではあっても、やはりゲラには威力があったということである。電子メールと紙に印刷された大刷りとの相違。電子メールのもつ「危うさ」を感じざるを得ない。
<デジタル情報の危うさ>
朝日新聞の3ページに及ぶこの検証記事は、米紙ニューヨークタイムズが2年ほど前に掲載した同じような検証記事を思い出させる。実際には現場に行っていないのに、他紙の談話を盗用したり、他のカメラマンが撮った現場写真から推察したりして、臨場感あふれる記事を仕立て、あるいは単なる電話取材を直接インタビューと偽って出稿していた27歳の記者が解雇された事件で、同紙は2003年5月、4ページの特集記事で前年10月以降に執筆した同記者の記事36本で大量の捏造やデータ盗用などが見つかったとして謝罪した。
その少し前には、同じアメリカのロサンゼルスタイムズ紙で、1面に掲載されたイラク戦争の現場写真が合成であることがわかって、カメラマンがやはり解雇されている。ニューヨークタイムズの記事捏造の道具はケータイとノートパソコンであり、記者はケータイを使って、現場に急行中だとデスクに思わせる” アリバイ工作”もしていた。ロサンゼルスタイムズ紙の場合は、カメラマンが現場で簡単に写真を合成できる環境が、その種の安易な誤報を生んだといえる。
電子メールに限らず、デジタル情報の類まれな長所が、かえって情報のあいまいさを生み出していることをあらためて考えるべきだろう。
私が朝日新聞社でパソコン情報誌『ASAHIパソコン』の創刊準備をしていたころ、友人の一人が「お前は農薬の普及雑誌みたいなものを作るのか」と詰問してきたことがある。会社が記事のワープロ出稿を強力に推進していたころで、ワープロ出稿率を高めることが奨励され、支局長によっては支局員のワープロ習熟率を上げるのにやっきで、記者は外回りの取材をするよりも支局でワープロをいじるのに忙しかった。それを彼は怒り、農薬は農業を破壊したが、パソコンは記者活動を破壊するだろうと“予言”したわけだ。
要は、技術を賢く使う知恵が社会全体に求められているということだが、デジタル技術万能の世が見えないところでメディア産業のみならず、社会全般を”汚染”しているとすれば、「パソコンは農薬だ」と言った彼の直観は当たらずといえども遠からずと言えよう。
なお、雑誌『情報処理』に掲載したコラム、「情報化社会におけるディスコミュニケーション体系について」をスクラップ欄にアップしたので、興味のある方は参照していただければと思う。
投稿者: Naoaki Yano | 2005年09月15日 14:15