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2005年12月13日

IT技術は日本人にとって「パンドラの箱」?

私はときどき、日本人にとってIT技術は「パンドラの箱」ではないかと思うことがある。

たとえばこういうことである。

シェイクスピアの「リア王」で、エドモンド(グロスターの庶子)が父を裏切り、コーンウオル公に忠義だてするときに、以下のようなセリフをはく(斎藤勇訳)。

忠義の道を一と筋に進む覚悟でございます。たとい忠と孝の争いが苦しゅうございましても。

中学か高校のころ、このセリフを読んだとき、この思い切りの良さに驚き、感服したことを思い出す。これが日本人だと、

忠ならんとすれば孝ならず、孝ならんとすれば忠ならず。進退これ窮まれり。

といった具合になるからである(平重盛が父清盛の暴挙を諌めたときの言葉(「平家物語」)。

乱暴に言ってしまえば、二者択一の事態に直面したとき、欧米人は自分の責任でそのどちらかを選択し、いったん決めた道は無理でも突き抜け、結果には自らの命も含めて責任をとる、というところがある。

この白か黒かの決着のつけ方は、1か0かのデジタル思考ときわめて相性がいい。だからこそ彼らはコンピュータを発明したのだろうし、その使い方もうまい。対立する考え方を暴力的に排除もするが、対立する意見、あるいは世界があること自体はつねに意識している。カウンターカルチャーが一方で大きな力をもつし、道具を手段として相対化して使おうともする。

日本の場合は、二者択一の場面で「進退これ窮まれり」と立ち止まってしまい、(重盛とは違って)実際そこで判断停止することが多い。あとは「野となれ、山となれ」と言うと言いすぎだろうが、その場の空気とか、状況に埋没し、流されてしまう。あるいは行動で状況を変えるようなことをせず、むしろ自らの命を絶つ。

これが良かれ悪しかれ、日本人の支配的行動パターンだった。それは「なんとなくの戦争突入」という惨劇を呼んだが、つねに悪い結果をもたらしたわけでもない。狭い「世間」内でのつきあいとしては、いい面も多かったのである。

ところが世はコンピュータ全盛時代、情報のデジタル化が加速度的に進んでいる。それは、白か黒かの二社択一の世界でもある。欧米人にとっては、コンピュータを使いこなすことはさほど難しくないだろうが、日本人の場合は、なれない思考方法にいやおうなく直面させられるわけで、それが、さまざまに深刻な事態を引き起こしている。

「ほどほど」、「灰色」といった、二者択一的ではない処理がむつかしいコンピュータに親しむ若者たちも、それを毛嫌いする年長者も、ともにコンピュータに全面降伏している風情である。

先日、グローコムで東浩紀主幹研究員が主宰し若手の研究者、実務家たちが議論する「倫理研究会」にオブザーバーとして参加させてもらったが、そこでの「ネットにおける顕名と匿名」をめぐる議論を聞きながら、以上のようなことをあらためて考えさせられた。

現実世界においては顕名と匿名は、そうはっきり分けられるものではない。街の雑踏では顔をさらしていても匿名的な存在だし、内部告発する場合も完全に匿名であることは少なく、たとえば通報した新聞社の記者たちは告発者を知っており、だからこそ「取材源秘匿」が報道機関の倫理でもあった。

ところがネット上の匿名はほぼ完全に自分を隠せるので、それをいいことに他人の誹謗中傷などを書き散らす者も出てくる。コンピュータは彼らにとっても強力な武器で、だからこそ被害は大きい。「非常識な発言をする者が、素性がばれると恥ずかしい思いをする程度の制裁を与えられるほどの顕名」を保持したいという小倉秀夫弁護士の意見はもっともだと思われた。

だから顕名でしか発言できないようなネットワークをつくろうという動きが、これは世界的にあるわけだが、それだと今度はすべてを完全にさらすことになりがちで、匿名だからこそ可能なコミュニケーションが封殺される恐れもあり、技術的にはともかく、現実には導入するのがなかなか難しい。

会場では、日本人と「空気」のことも話題になったが、私にはコンピュータは日本人にとって「空気拡大装置」として働きかねないように思われる。これは日本人と「世間」をめぐる問題でもあるのだが、どちらにしろ、いまは、とくに日本人にとっては、IT社会を生きるためのリテラシー(私が主張する「サイバーリテラシー」)を身につけることが必要だと思われる。しかし、この問題に関する日本人の意識は驚くほど低い。

最後に発言する機会があったとき、以上の趣旨のことをしゃべり、司会者に「それでどうすればいいんですか」と聞かれたとき、思わず「日本人はなるべくITを使わないほうがいい」と言ってしまったのだが、逆に言えば、リテラシーの不可欠さを強調したかったわけである。それは、「情報倫理」の構築という大問題でもある。

投稿者: Naoaki Yano | 2005年12月13日 14:52

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