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2009年01月31日

情報通信法(仮)構想と「表現の自由」(2009/1)

 メディア企業から見ても、情報の受発信者であるユーザーから見ても、「表現の自由」や「ジャーナリズム」の影が薄くなりつつあると書いてきた。そういう状況下でメディア環境の大改革をめざして進められている「情報通信法(仮)」の構想は、いよいよ「表現の自由」を窒息させる恐れがある。

 総務省の「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」(座長・堀部政男一橋大学名誉教授)は、2007年12月に、今後のメディア法の骨格ともなる報告書を公表した。まずその骨子を紹介しよう。
 
縦割りから横割りへ

 報告書は、通信・放送の両サービスが「1つの情報通信ネットワーク」で提供されるようになっている状況を受けて、法体系も、テレビはテレビ、通信は通信といった従来の「縦割り型」から、コンテンツ層、伝送インフラ層、プラットホーム層という3層の「横割り型」構造へ転換しなくてはならないと提言、その上で、コンテンツを次の4つに類型化している。

  ①特別メディアサービス
  ②一般メディアサービス
  ③オープンメディアコンテンツ
  ④従来の通信

 従来の放送的なものから通信的なものへ、上から段階的に並べたものと言っていいが、少し説明が必要だろう。コンテンツを、まず「公然性を有するもの」と「公然性を有しないもの」に二分した上で、前者を「特別な社会的影響力を有するもの」と、そうでないものに二分、さらに前者を影響力の程度に応じて二分して、4類型が導き出されている。「公然性を有しないもの」が従来の通信である。

 「特別メディアサービス」には従来の地上波テレビ放送を、「一般メディアサービス」にはCS放送やインターネットを利用したコンテンツ配信などを想定しており、「オープンメディアコンテンツ」はウエブやブログなど、「不特定の者によって受信されることを目的とする電気通信の送信」である。そして「特別メディアサービス」には、社会的影響力と特別な公共的役割から、現在の地上波テレビに対する規律を原則維持、「一般メディアサービス」には、原則として現行の放送規制を緩和、「オープンメディアコンテンツ」に関しては、むしろ違法な情報やいわゆる有害な情報(公序良俗に反するもの、青少年にとって有害なもの)への規制を検討すべきであるとしている。公然性を有するコンテンツには「表現の自由」を、公然性を有しないコンテンツには「通信の秘密」を保障する。 

 私たちが慣れ親しんできた通信と放送という言葉を捨てたところがまずわかりにくいが、さらに最初の二分法が「公然性を有するもの」、「公然性を有しないもの」というきわめて抽象的な概念によっている。ウエブやその上の掲示板は通信と言っても、公開を原則としているから「公然性がある」として、やはり堀部教授が座長となってまとめた郵政省(当時)報告書(1994年)が「公然性を有する通信」という概念を提案、その後一般にも用いられるようになったが、今回も、その考え方が踏襲されている。「公然性を有する通信」という概念は、通信内容規制を念頭に置いたものだとの批判が当時からあった。

2011年には法成立

 この報告書が、通信と放送の融合を受けて、メディア法体系を抜本的に改革しようという意欲的な提言であることはたしかである。報告書成立までにパブリックコメントを募集したり、関係者からの意見を聞いたりしているが、これらの意見については、ウエブでも公開されているから、そちらを見ていただきたい(1)。詳しい説明は省かざるを得ないが、気になる点だけ指摘しておく。
 
 まず、情報通信ネットワークが、通信、放送という単一のサービスインフラから、「コンテンツ配信・商取引・公的サービス提供基盤」へと機能を拡大しつつあるのを受けて、従来、放送と通信に別個に適用されてきた「表現の自由」および「通信の秘密」の適用範囲を新たに切り分けようとしているが、「オープンメディアコンテンツ」に関しては、「違法情報」、「有害情報」への対策が全面に出ており、これはむしろ「表現の自由」の制約をめざしている。

 次に、報告書全体の姿勢だが、情報を実用重視、効率本位で取り扱おうとしている。換言すれば、インターネットを「表現のメディア」というよりも「ビジネスのツール」として考える傾向が強い。最終報告書では「表現の自由」の保障が追記されたが、衣の裾から鎧がのぞくではないが、中間取りまとめではこの部分が手薄だったこと自体が、関係者の重点の置き所を示しているとも言えよう。

 既存マスメディアが曲がりなりにも果たしてきたジャーナリズム機能を、「総メディア社会」にどのように組み込んでいけるかという点に関して言えば、報告書が描く未来の青写真からは、「表現の自由」を担う主体の姿は見えてこない。IT企業の関心はおそらくそこにはないだろうし、既存マスメディアはむしろ弱体化しそうである。そして、パーソナルメディアを担う個人一人ひとりにそれを求めるのはたいへん難しい。

 歴史的に見れば、「表現の自由」獲得には、欧米を中心として、それを担おうとした報道機関など多くの人びとの努力があったが、新法制策定の過程でそれが骨抜きにされる恐れがある。情報通信法は2002年の成立をめざして、現在、情報通信審議会「通信・放送の総合的な法体系に関する検討委員会」(主査・長谷部恭男・東京大学法学部教授)で議論されているが、個人情報保護法成立の経緯をふり返るまでもなく、今後は官僚の意向がより強く反映されるだろう。

 情報通信法をめぐる問題は、放送と通信業界だけではなく、新聞、出版という既存メディアにとっても、さらには私たち一人ひとり人にとっても、きわめて重要と言えるだろう。

 (1)たとえば放送関係者の報告書批判としては、日本民間放送連盟(民放連)の「中間取りまとめに対する意見」参照。

投稿者: Naoaki Yano | 2009年01月31日 15:41

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