スーザン・ボイルの奇跡(2009/6)
スーザン・ボイルという女性の名をご存知の方は、どれくらいおられるだろうか。イギリスの47歳の教会ボランティアが素人登竜門のテレビ番組で歌を披露したら、その妙なる美声とすばらしい歌唱力に、3人の審査員も、満員の聴衆も、まず唖然、ついで万雷の拍手が起こった。その一部始終を動画配信サイト、ユーチューブで見ることができる。
この話は日本のテレビ(バラエティ番組)でも紹介されているけれど、元の動画をぜひご覧になることをおすすめする。
中年女性の美声に酔う
どちらかというと風采の上がらない、猫と暮らしているという中年の独身女性が舞台に上がったとき、聴衆はうんざりした様子だった。彼女が「エレイン・ペイジのようなプロ歌手になりたい」と答えると、審査員は「この歳までなれなかったのはなぜしょう」と冷ややかに言い、映し出された聴衆の顔にはあざけりが浮かぶ。
しかし、いったん彼女がミュージカル「レ・ミゼラブル」の中の「夢やぶれて」を歌いだすと、会場の空気は一変。審査員も、聴衆も驚き、ついで感嘆と拍手が起こった。3人の審査員の表情の変化は、人は感動したときにはかくも美しい顔をするのかということさえ思わせる。歌い終わったとき、最初に発言した審査員は、「あなたがエレイン・ペイジが目標だと言ったとき、みんなさげすみの表情を見せましたが、いまそう思う人はいません。3年間、この審査をしているが、こんなに驚いたことはない」と述べ、途中から立ち上がって拍手を送っていた女性審査員も、最後の審査員も、異口同音に彼女をほめそやした。
放映されている番組はまだ予選段階で、これから本格的なコンテストが始まるのだが、すでに彼女は全世界で話題になり、自宅前は取材陣で連日大賑わいらしい。CDを出すことも決まったと言われている。ユーチューブにはその一部始終、日本語字幕をつけたもの、彼女のその後のテレビ・インタビュー、さらにはどこから探してきたのか、彼女が22歳のころ舞台で歌っている動画など、60本ちかくの作品がアップされ、それぞれが数万回から数十万回、さらには数百万回も閲覧されている。
ユーチューブの底力
これは驚くべきことである。ユーチューブは世界同時公開で、気に入れば何度でも見られる。日本語字幕をつけるなどの工夫も可能だし、自分のコメントを書き込むこともできる。私がやっているように、URLを他人に知らせて見るように薦めることもできる。
テレビだとこうはいかない。放映エリアや時間は限られているし、何度も見るためには録画しなくてはいけないし、録画しようとしても間に合わないことも多い。いますぐこれを見るように、と他人に薦めることもできない。
テレビはもはやインターネットに飲み込まれつつあると言えるだろう。もっとも、テレビ番組のアップは著作権上の問題をはらんでいるが、これだけ世界に配信されれば、テレビ局としても問題はないだろうと思わされる。
以前、やはりユーチューブで公開されたカーネギーメロン大学のコンピュータ科学者(バーチャル・リアリティ専攻)、ランディ・パウシュ教授の「最後の授業」が評判になったことがある。がんにおかされた彼は、5歳、2歳、1歳の子どもたちのためにもと考えてこの授業を引き受けたのだが、公開された授業は、多くの聴衆に、そして成長した後の子どもたちに、夢を持つことの大切さを教えた。
総メディア社会の進展
こういう番組が世界同時に配信され、何度も見られている。これこそが、総メディア社会のすばらしい一面であることは間違いない。もっとも、素人が作り上げた作品と、プロのテレビ会社が多くの人員と時間と、そして費用をかけた作品が同列に論じられないのはもちろんである。
この総メディア社会が新たな問題をはらんでいることは何度もふれてきたが、今回は最近出版した『総メディア社会とジャーナリズム』(知泉書館)の表紙を飾った、総メディア社会の進展図を紹介しておこう。
中央にある卵型の楕円の上は「巨大メディア企業」、下は「パーソナルメディア」と一応分けているが、この2つの楕円が全体としてインターネットを構成している。すなわち現在は、インターネット上の電子メディアが主流であり、かつてメディア地図全体を覆っていたマスメディアはもはやその一部でしかない。そのマスメディアの活動も、一部はインターネット上に乗っている。残る外に出ている部分が、従来の新聞であり、書籍であり、テレビである。
また、ユーチューブ以外にも「ニコニコ動画」など、いろんな動画サイトが登場し、メディアの中心は文字から映像へと移りつつあるのも総メディア社会の一面である。
投稿者: Naoaki Yano | 2009年06月29日 16:23