「タイガーテキスト」と情報の時効(10/5)
この春、ハワイに出かけたとき、友人が「タイガーテキスト」というアイフォン(アップルのモバイル端末)のアプリケーションを教えてくれた。このソフトを使って送ったメールは、一定期間後に自分の端末からも、相手の端末からも、自動的に消える。「タイガーテキスト」という名前の由来は、プロゴルファー、タイガー・ウッズにあるらしい。
ピンと来なかった人のために、早々と種明かしをしておくと、タイガー・ウッズは2009年秋に交通事故を起こしたのをきっかけに、次々と愛人を名乗る女性が登場して、一大スキャンダルに陥ったが、その際、彼が送ったいくつかのメールが、不倫の証拠として暴露された。「こういう場合も、タイガーテキストを使えば安全ですよ」ということである。
秀逸なネーミング
もっとも発売元は、秀逸なネーミングにもかかわらず(?)、タイガーウッズの不倫を念頭に開発したと言っているわけではない。ビジネスや一般のメールのやり取りでも、相手の端末からすぐ削除してもらいたいと思うことは多いはずで、サイバー空間に記録をとどめたくない場合には便利ですよ、と宣伝している。
ウエブからタイガーテキストをダウンロードして、メールを送ると、受け取った相手にタイガーテキストをダウンロードするようにとのメッセージが届く。タイガーテキストをインストールするとメールを読める(あらかじめ双方がタイガーウッズをダウンローとしていれば問題ない)。メールは特別のサーバーを経由してやりとりされるために、送信者が設定したメールの存続期間がたつと、自分のアイフォンからも、相手のアイフォンからも、そしてメールサーバーそのものからも、メールは完全に削除される。存続期間は送信者が設定できる。相手が読んだらすぐ消えるように設定すると、読了後1分後に削除される。
メッセージを読むのは無料だが、これを使ってメールを送るときには、メッセージ量に関係なく、年間20ドル程度かかるようだ(私がデモをみせてもらったときはまだ無料だった)。
ふだん私たちがやり取りしているメールは、送信者が削除しても、相手が保存しておけば存続するし、プロバイダーなどのメールサーバーには一定期間、保存されている。だから犯罪などにからんで捜査当局がサーバーを押収、証拠のメールのやりとりを読むことができる。
タイガー・ウッズではないが、著名人と特殊な関係になって受け取ったメールを、後に対価を得て暴露することもできるわけで、タイガーテキストを使えば、相手の端末からはもとより、サーバーからも消えるのがポイントである。
要は、サイバー空間から記録を完全に削除できる。いまはアイフォン(とアイタッチ)だけのサービスで、日本では使えないが、おもしろいソフトが登場したものである。
情報の「時効」という考え
私が、このソフトのデモを見せてもらいながら思ったのは、サイバー空間における「情報の時効」ということである。
サイバーリテラシー第2原則は、すでに読者もご承知のように、「サイバー空間は忘れない」である。現実世界でおしゃべりしたことはすぐに忘れられるし、たいして遠くまで伝わらない。保存するには不便で、メモをとるとか、録音するなどの努力が必要だが、それはそれで気楽でもある。「人のうわさも七十五日」、「旅の恥はかき捨て」でもあったわけだ。
その関係がサイバー空間では逆になる。何もかもが保存され、コピーされ、遠くまで運ばれる。それは大いなる利点なのだが、ある場合は欠点、あるいは難点ともなる。プライバシーが問題になったり、著作権が侵害されやすくなったりしている。
サイバーリテラシーの課題に、「サイバー空間の再構築と現実世界の復権」を上げているが、前半の意味は、サイバー空間は技術によって作られているから、技術によってどのようにも変えられる。そのコード、あるいはアーキテクチャーを変えればよく、私たちの住みやすいようにサイバー空間を再構築すべきだということである。
タイガーテキストはその一つの解決策ではないか、と私は思ったわけである。タイガーテキストで送られてきたメールはコピーしたり、転送したり、保存したりできない(工夫すれば、もちろん別に保存できるが、ふつうにタイガーテキストを使っていれば保存できないようになっている)
サイバー空間も「忘れる」
たとえば、昔、大掃除をしていて、畳の下に敷いた古い新聞の記事を思わず読んでしまうことがあった。そこに時効になった犯罪記事があり、それがたまたま知り合いだった、というようなことが起こると、これは推理小説のかっこうのテーマである。古い記事をあらためて読むことが、ふつうではあり得ないからである。
しかし、新聞記事データベースが完備すると、古い記事も検索できるから、意図的に何らかの犯罪に関係する記事を検索できるようになる。これだと個人情報保護上も問題だから、市販されたデータベースでは、そういう固有名詞を伏せ字にするなどの配慮も行われているけれど、それはアクセス権限による差別化で、もとのファイルにはもちろんデータがきちんと保存されている。そうではなく、過去の情報を完全に消し去るような方法はないものだろうか、というのが私の夢想だった。
もちろん、サイバー大学は忘れないのが原則だからこそ便利なのは事実だが、何もかもが記録されているのは息苦しくもある。後は野となれ、山となれ、というと無責任にすぎるが、サイバー空間も忘れるような仕組みがあってもいい。だから、タイガーテキストの発想が新鮮なものに思われたのである。
投稿者: Naoaki Yano | 2010年07月15日 22:19