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2010年10月27日

ハーバード白熱教室とIT社会の「倫理と法」(10/10)

 アメリカの名門、ハーバード大学でマイケル・サンデル教授が長年続けている政治哲学講義は、大教室に1000人の学生が集まる人気なのだという。このため大学は授業を学外にも公開、これをNHK教育テレビが日本語字幕つきで放送したら、これもけっこうな人気となった。この夏にはサンデル教授が来日、東大などで臨時講義も行った。

 難しい政治哲学の講義に人気が集まっているのは、ひとえにサンデル教授の講義のうまさと言っていい。周到な準備のもとに、さまざまな具体的事例を取り上げて、学生たちに自分の意見を述べさせる。それを丁寧に汲み上げながら、背景に潜む哲学的思想を解説していく。学生たちは、知らず知らずのうちに、ベンサムの功利主義、カントの義務論、個人至上主義とも言えるリバタリアニズム、さらには彼自身の見解でもあるコミュニタリアニズム(共同体主義)などについて理解を深めていくように工夫されている。

刺激を受けセミナー開催

 講義をもとにした著作の翻訳『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房、2010)も30万部のベストセラーになった。
 
 実は私は長年、IT社会の基本素養として「サイバーリテラシー」を提唱しており、あわせてこれからは「情報倫理」の確立が大切だと訴えてきた。勤務するサイバー大学の授業では学生にかなりの関心を呼んでいるが、一般の反応はきわめて低い。情報セキュリティ大学院大学の林紘一郎学長との共著、『倫理と法─情報社会のリテラシー』(産業図書、2008)は、2000部にも満たない初版部数がいまだにさばけない状態である。

 IT技術を使って手軽に儲ける方法とか、これを知っていないと困るといった実用情報を提供する本でなければ売れないのだと考えていたのは、こちらの力量不足を棚に上げた、とんでもない思い違いだったらしい。

 そこで私と林紘一郎さんの2人は、情報セキュリティ大学院大学の授業とは別に、セミナーを開いて、自分たちの考えをより世間に語りかける活動を始めることにした。とりあえずこの秋から冬にかけて横浜で、倫理を教える高校教員を対象に、「情報社会における倫理と法」セミナー(NPO教育かなわがフォーラム、NPO情報セキュリティフォーラム共催)を開く。いささか我田引水だけれども、このセミナーを紹介しながら、あらためてIT社会における「情報倫理」の大切さに注意を喚起したい。

ケース・メソッドという手法

 セミナーは各2時間で、全4回。タイトルと日程は以下の通りである。

 第1回(10月30日)「情報窃盗」という概念と倫理性(ケース・メソッドによる学習)
 第2回(11月27日)子どものインターネットアクセス(ケース・メソッドによる学習)
 第3回(12月4日)ケース・メソッドによる教育手法について
 第4回(12月11日)ケース・メソッドを用いた授業用の教材を作成する上でのポイント

 いずれも土曜日で午前10時から12時まで。場所はJR横浜駅近くの相鉄岩崎学園ビルである。

 ケース・メソッドというのは、もともとハーバード・ロースクールが行っていたケース・スタディを同ビジネススクールが改変したものだといわれている。具体的なケースごとに、それに関連する基礎知識を提供しつつ、どのような考え方や行動が可能なのか、複数の選択肢を提示しながら、受講者といっしょに考えようとするものである。

 サンデル教授は、路面電車のブレーキ故障で暴走している運転士が、前方の線路上に5人の作業員を見つける。近くに待避線があり、そちらには1人の作業員しかいない。さて、あなたならそのまま5人の作業員がいる本線に突っ込むか、1人しか作業員がいない待避線に切り換えるか、というケースを紹介しながら(この事例はすっかり有名になった)、「犠牲者として5人より1人の方を選ぼうとする考えには、どういう哲学的意味があるのか」と追究する。

 私たちがやっているのも、実は同じ手法である。

 第1回では、情報を盗むということの意味を考える。車内で隣の人の新聞をのぞき見することからはじめて、ファイル交換ソフトを使った楽曲の無断やりとりまで、さまざまなケースを取り上げながら、情報を盗むことをどう考えるか、それを法で取り締まるとどういう結果を生むか、といったことを検討する。

 第2回の子どもとインターネットアクセスでは、これまでは親や兄弟、親戚、地域、学校といった対面的な現実世界の環境のなかでいろんな常識を学んでいった子どもたちが、ケータイやインターネットを通じていきなりサイバー空間に接触することでどのような影響を受けるだろうか、これについて親はどう考え、どう対応していけばいいのかなどを話題にする。

社会的合意形成をめざす

 私が考える「情報倫理」は倫理全般とはちょっと違い、インターネット上のサイバー空間の出現で変容を迫られる現実世界の、新しい倫理的課題を探ろうというものである。

 サンデル教授が言うように、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の促進といった「正義」をめぐる議論もまた大きな関心事ではあるが、私が注目するのは、現代IT社会における、かつては当たり前だと思われていた人間の生き方(倫理)に生じる「指針の空白」である。ここに新たな規範を加えるため、一定の社会的合意が形成できればと思っている。

 いまはまだ世間の関心は低いけれども、いずれは大事な問題になるのだから、ささやかな努力を続けようと決意を新たにしているわけだが、これも我田引水的に言えば、今夏のサンデル・ブームの一つの副作用と言っていいかもしれない。

投稿者: Naoaki Yano | 2010年10月27日 21:41

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