物やサービスのシェアこそ「かっこいい」(2011/12)
物を自分だけで所有、あるいは消費する時代から、物やサービスを共同で利用する(消費する)時代へ。物を持っている人、サービスを提供する人とそれを利用したい人がインターネットによって簡単に出会えるようになって、私たちの生活スタイルも変わってきた。
何万人、いや何十万人に一人という難病に取りつかれた人が、インターネットを通して同じような病に悩む仲間を見つけることは不可能ではない。きわめてユニークなサービスを考え出した人が、その顧客を探すのもそれほど難しいことではなくなった。
「マッチング」の威力
両者を結びつけるのは、大企業でもなければ、専門家集団でもなければ、ましてやマスメディアでもない。個人同士が直接結びつく。しかも、そのネットワークは国境を越えて広がっている。まさに「マッチング」の威力である。ソーシャルメディアはそういう時代を切り開いた。
だからこそ、物やサービスを「所有(占有)」するのではなく、さまざまなかたちで仲間と「シェア」する生活スタイルが広がりつつある。シェアとは共有(共用)の意味だが、マンションの一室を友だちと共同で借りるといった、特定の仲間が一定期間いっしょに住むといったやり方より、はるかに流動的、徹底的で、仲間は不特定、期間もさまざまである。
2010年暮れに出版された『シェア』という本(原題はWHAT’S MINE IS YOURS、私のものはあなたのもの)(1)では、こういうスタイルを「共同消費(Collaborative Consumption)」と呼んでいる。
たしかにインターネットを多くの人が利用することで、さまざまなニーズを世界規模でマッチングできるようになると、物をいちいち買うよりは、お互いに融通しあう(利用しあう)方が合理的になるだろう。この本は物の所有から物やサービスの共同利用へと動きつつある時代の側面をうまく切り取っている(シェアの成功事例に共通する4つの原則は、①クリティカル・マス、②余剰キャパシティ、③共有資源の尊重、④他者への信頼、だという)。
「ハイパー消費」との決別
マイカー(私の車)という言葉には、自分も車を持てたという喜びの語感があったけれど、いまやほとんどの人が車を持っている。その結果として交通は渋滞し、排気ガスもたまる。しかし、四六時中車を運転している人は少ないし、車庫に長い間眠っている車もある。この空き時間をうまく利用して、車を他人に貸したり、貸してもらったり(カー・シェアリング)、あるいは都心への通勤で相乗りできれば(ライド・シェアリング)、ずいぶん効率的である。いまやカー・シェアは「かわいそう」ではなく、「かっこいい」。
アメリカなどでは、車、駐車場、マンションなどを自由に貸し借り、あるいはシェアするソーシャル・レンディング市場が形成されつつある。レンタカーとか相乗りタクシーを個人の側から組織したものと言えるが、こういうボランティアともビジネスとも言える新しい試みを始めた人の多くは主婦や学生、あるいはふつうのサラリーマンである。
『シェア』にはそれらの例が山ほど紹介されているが、その中にこんな一節がある。「ミレニアム世代は……親のベビーブーマー世代に共通する現代的な価値観から離れて、祖父母の世代、つまり戦争世代の価値観により近づこうとしている」。
ミレニアム世代とは、生まれた時からインターネットに接している世代のことで、デジタルネイティブと同じような意味だが、孫の世代の価値観が親の世代を飛び越えて祖父母の世代に先祖帰りしているという指摘はおもしろい。
アメリカに住む若者がヨーロッパの地方都市に旅するために、インターネットで、宿泊用にソファ(部屋ではない)を提供してくれる仲間を求める。要望に応えてくれる人がちゃんと見つかり、彼はそこに泊まり、提供者と仲良く食事をして、場合によっては都市を案内してもらう。有料の場合も無料の場合もあるようだが、提供者もめずらしい旅行者とともに過ごす経験は得難いものだろう。
さて、若者がこの話を両親にしたところ、「きちんとホテルに泊まりなさい」と諭された。しかし祖父は驚きもせず、「若いころは知り合いのところに泊めてもらいながら旅したもんだ」と語った、という話である(祖父の時代の知り合いは、ネットでつながった他人に変わったけれど)。
両親の世代こそ、物やサービスの消費(物質文明)に翻弄されていたと言える。著者たちはこれを「ハイパー消費」と呼び、無駄な消費をあおり、結局は、地球全体をごみの山にしてきたのだと糾弾している。
離島の美しい海岸線を覆う漂流物の堆積に心を痛めた人は多いだろうが、本書によれば、日本とハワイの間の太平洋に、日本全土の3.7倍もの広さ、深さ30メートルにわたる巨大なゴミベルト地帯があり、世界中のあらゆる場所から流れ着いたペットボトル、おもちゃ、靴、ポリ容器などの主としてプラスティック製品350トンが巨大な渦を巻いているという。
地球の悲鳴が聞こえそうな話だが、新しいライフスタイルは環境にもやさしい。著者たちは、共同消費のいちばんおもしろい点は「イデオロギーに縛られず、社会主義と資本主義の両極端な期待を同時に満たすことができるところだ」とも書いている。レンディング市場は日本にも波及しつつあるようだが、「自分の物」へのこだわりの強い日本人にこの動きがどこまで広がるかは、まだよくわからない。
サナギ段階を経てチョウへ
このような社会変化の大潮流は、すでに「エイズ・オブ・アクセス」(ジェレミー・リフキン)とか、「リンク(新ネットワーク思考)」(アルバート=ラズロ・バラバシ)とか、「グランズウェル(大きなうねり)」(シャーリーン・リー&ジョシュ・バーノフ)とか、「フリー」(クリス・アンダーソン)といった書物で言及されており(2)、「コラボラティブ・コンサンプション(共同消費=シェア)」もまたその延長線上にある。
サイバーリテラシー的に言えば、いよいよこの社会もサナギ化段階を終えてチョウが誕生する段階に到達しつつある予感がする(3)。
<注>
(1)レイチェル・ボッツマン/ルー・ロジャース『シェア』NHK出版、2011。原題はWhat’s Mine Is Yours : The Rise of Collaborative Consumption。タイトルには「share」という言葉は使われていない。フェイスブックを利用している人にとっては、なじみのある言葉だろう。
(2)「この新しい時代には市場はネットワークに道を譲り、『所有』は着々と『アクセス』に取って代わられつつある」(『エイジ・オブ・アクセス』)、「グランズウェルとは社会動向であり、人々がテクノロジーを使って、自分が必要としているものを企業などの伝統的組織ではなく、お互いから調達するようになっていることを指す」(『グランズウェル』)。
(3)「サイバーリテラシーの提唱」http://www.cyber-literacy.com/ja/advocacy/index.html
投稿者: Naoaki Yano | 2012年02月09日 15:18