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2012年02月09日

2011年回顧とIT社会の将来(2012/1)

 2011年最大の出来事は、未曾有の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故だった。3.11はちょうど10年前の9.11(アメリカ同時多発テロ)とともに、人類史上の大きな節目になった。話をIT関連に絞れば、ソーシャルメディア発達の年だったと言っていい。アップル元CEO、スティーブ・ジョブズの死も加えて、2011年を回顧しつつ、新たな年に思いをはせたい。

『メルシュトレームの大渦』と『一週間』

 激動の社会を生きる知恵について考えるとき、私がよく引用する話にエドガー・アラン・ポオの『メルシュトレームの大渦』という短編小説がある。

 こういう筋である。

 北欧のノルウェイ沖に、漁師たちに「メルシュトレームの大渦」と恐れられている海域がある。恰好の漁場にもかかわらず、だれも近づかないが、勇敢な兄弟漁師3人だけは命を賭けて出漁、大渦が発生する間隙をぬって多くの漁獲を得ていた。ある日、漁に出た後に台風がやってくる。70トンほどの2本マストの漁船は台風に翻弄され、一番下の弟がマストもろとも海に放り出される。直後に漁船は、折り悪く発生した大渦に巻き込まれてしまう。

 渦の中で旋回する漁船の上で、弟の方の漁師は、絶望的な恐怖にとらわれながら、周囲を冷静に観察、小さな破片ほど、円筒形をしたものほど、海底めがけて沈んでいくスピードが遅いことに気づく。そこで彼は漁船を捨て、積荷の水樽に体を巻きつけて海に飛び込んだ。兄を乗せた漁船は樽より早いスピードで渦に巻き込まれ、1時間後に海底に消えていくが、樽に乗り移った弟は、渦がおさまった海峡から無事に生還する(1)。

危機における冷静な目

 危機における冷静な観察が弟を救ったわけだが、これからのIT社会を快適で豊かなものにするためには、未曾有の激動期を冷静に観察する目と、それを乗り切る才覚、勇気が求められる。

 小説つながりで言えば、井上ひさしの遺作となった『一週間』にこういう一節がある。「われわれ人間が生きて行くためには、世界がどんなふうにできているかという世界観と、世界がそんなふうにできているならこう生きようという処世訓が必要」。

 これを借用すると、私が連載でずっと言及してきた「サイバーリテラシー」は、現代IT社会の構造を明らかにしようとする一つの「世界観」である。「サイバーリテラシー3原則」や「総メディア社会」はその見取り図であり、すぐ後でふれる「サイバー空間と現実世界の交流史」は、それを主として時系列で見ようとする試みである。

 そして「情報倫理」は、この社会をどう生きるかを示す「処世訓」と言っていい。IT社会を生きる知恵をみんなで工夫し、一定の社会的合意を作り上げることが大事である。これは伝統的な倫理だけでは対応できない「指針の空白」を埋めるものだと私は考えている。

 現代においては、強制力をもった法や一定のルールを整備する前に、これまでの常識を覆すような事態が起こるからこそ、自立的な倫理の役割がいよいよ大きくなる。危機、あるいはトラブルに直面したときとっさに正しい判断をくだせるためには、ふだんの心がけが大切だということでもある。この点をあらためて強調しておきたい。

①東日本大震災と原発事故

 震災から半年余たった10月に東北を旅し、被災地の宮古市と山田町を訪ねた。なお無残な傷跡が広がる荒れ地の向こうから復興の槌音が聞こえるのは、やはり救いである。苦難の中を生き残った人も、ときに猛威をふるう自然も、時とともに確実にうつろいいく、いや、新たな生を刻むものだとの思いが強いが、福島では事態はこうはならない。

 原発は自然の摂理を無残に打ち砕いたわけで、核という技術は、やはり人間には手に余るものだとあらためて痛感させられる。原発に反対してきたにしろ、賛成してきたにしろ、事故が起これば、平等に死の灰が降ってくる。これが「リスク社会」、「再帰的社会」と言われる現代の姿である。

 社会の根幹がすべてシステム化されてしまい、身の回りの生活世界が崩れ落ちていく現状を切実に考えざるをなくなったということでもあるだろう。ITをそのためにこそ使わなくてはいけない。

②2011年ソーシャルメディアの旅

 ソーシャルメディアはウエブ2.0の流れの上に築き上げられたと言えるが、その伝で言えば、あきらかにウエブ3.0と呼んでもいいほどの大きな動きだった。
 
 本連載ではソーシャルメディアを7回にわたって取り上げたが、そこでもふれたように、ソーシャルメディアはいくつかの点で大きく社会を変えつつある。

 ①マスメディアのような組織としてのメディアでなく、パーソナルメディアとも言うべきソーシャルメディアを使いこなす具体的な人、生身の人の役割が大きくなった。彼らはキュレーターとかソーシャルハブ、インフルエンサーなどと呼ばれている。
 ②サイバー空間においても、現実世界と同じアイデンティティで行動すべきだとの動きが強まった。実名主義を標榜するフェイスブックが象徴的だが、日本においても就職活動のために実名ブログを書く動きが広がりつつある。
 ③ツイッター、フェイスブック、ユーチューブ、さらにはウィキリークスといったソーシャルメディアなくして、アラブ革命を考えることは難しい。ソーシャルメディアはすでに政治の強力な道具である。

これからまさに正念場

 東日本大震災でも、多くの人がソーシャルメディアを安否確認や情報入手、ボランティア活動の組織化などに役立てた。サイバーリテラシーでは、こういった動きを「サイバー空間の再構築と現実世界の復権」として肯定的にとらえている。あらためて現段階における「サイバー空間と現実世界の関係図」を整理すると、このことがよくわかるのではないだろうか。
 
 ①は、インターネット黎明期で、サイバー空間がフロンティア、あるいはユーとビアとして成立したころ。インターネットはまだ一部専門家のものだった(1990年くらいまで)。②は、インターネットが次第に発達、多くの人がそれを利用するようになり、サイバー空間が全地球を覆う雲のように現実世界を取り囲むようになった。監視社会といった暗いイメージも語られるようになった(2000年くらいまで)。③は、サイバー空間と現実世界はすでに分かちがたく結ばれ、その境界があいまいになった。インターネットは操作すべき技術というより、所与の利用可能な環境になった(2005年くらいまで)。④は、現実世界がサイバー空間の上にすっぽり乗っかってしまい、現実世界がサイバー空間によってコントロールされる傾向を強めた。「世界のあらゆる情報をデジタル化してすべての人に提供する」ことをめざすグーグルの躍進が象徴的である(2010年ころまで)。
 
 そして⑤が、ソーシャルメディア以後の現代のイメージである。グーグルからフェイスブックへ。ここでは、現実世界に主導権が戻りつつある。図①と図⑤が、両者の距離を別にすれば、よく似た構図であることに注目してほしい。
 
 グローバル化が一層進む中で、かえって私たち1人ひとりの主体的な生き方が重要になるということでもある。まさに正念場だと言えよう。

③ジョブズの死とIT社会の将来
 
 2011年10月5日、30年余にわたりアップルを率い、パソコンからスマートフォンへと移るIT業界に尋常ならざる波紋を投げかけてきたカリスマ経営者、スティーブ・ジョブズが死んだ。パソコン黎明期の二大天才ともいうべきマイクロソフトのビル・ゲイツはすでに引退、いまは慈善事業にいそしんでおり、ジョブズの死がIT社会史の大きな節目であることは間違いない。彼が8月に現役を引退したとき、それを伝えるCNNの見出しは「大学の落ちこぼれから技術の夢想家へ(From college dropout to tech visionary)」だった。

 インド放浪から戻ったジョブズは1975年に友人の天才プログラマー、スティーブ・ウオズニアックといっしょに自宅ガレージでアップルを作った。パーソナル・コンピュータの父とも言われる、これまた天才的コンピュータ科学者、アラン・ケイがゼロックス・パロアルト研究所で試作したアルトを見て、画期的なGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)に驚いたジョブズは、ただちに「電話帳の上に乗る大きさの」マッキントッシュを開発。東部エスタブリッシュメント企業、ペプシコーラの社長、ジョン・スカリーを、「あなたは人生の残りの日々を、ただ砂糖水を売って過ごすんですか。世界を変えようというチャンスに賭ける気はないんですか」という殺し文句で口説いてCEOに迎えながら、スカリーその人によってアップルを追われたりもしている。後にCEOに返り咲き、すぐさましゃれたデザインのパソコン、iMacを開発、アップル再建を軌道に乗せた。そして2001年にモバイル端末のアイポッドを発売、音楽流通に革命を起こすと同時に、アイフォン、アイパッドへと続くモバイル端末の投入で、アップルをIT業界の最先端にして最優良企業へと導いた。

将来の「ビジョナリー」に期待

 まさにビジョナリーであり続けた36年だった。ジョブズに続いてIT舞台にはなばなしく登場したアマゾンのジェフ・ペゾス、グーグルのラリー・ペイジ、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ、そして大いに物議をかもしたウィキリークスのジュリアン・アサンジ、みな大いなるビジョナリーであり、彼らはコンピュータ、あるいはインターネットという精神機能を拡張する道具によって、自らの才能を大きく開花させた。

 私は、ジョブズがCEOを退いたとき、サイバー大学ウエブのコラムに「IT社会の将来を『幻視』する」と題するコラムを書いた。そこで「日本という社会システムの影響もあるけれど、日本人はIT発達史に大きな足跡を残すには至っていない。しかし、日本も世界も激動の渦中にある今こそ、日本の若者の中から世界を変えるビジョナリーが誕生してほしい」との期待を述べた。
 
 それをここでも繰り返しておきたい。
 
 ちなみに12月26日のCNN.comは2011年の技術関連十大ニュースの3位までを、①スティーブ・ジョブズの死、②アラブ革命などで果たした抗議ツールとしてのソーシャルメディア、③ハッカーズ(アノニマスなどのサイバー攻撃)、としている。また末尾に紹介したジョブズの伝記は、彼の死後半月後の発売にもかかわらず、アマゾンの2011年度売り上げベストワンになった。

<注>
(1)『サイバーリテラシー概論』(P120、知泉書館、2007)。なおこの話はマーシャル・マクルーハンのお気に入りで、『メディア論』などいくつかの本で言及されている。

<正月休み読書案内>2011年の話題に関係する書籍をいくつか上げておきます。新年休暇に1冊ぐらい読んでみてはいかがですか(表紙写真略)。

①雑誌『世界』増刊「破局の後を生きる」(岩波書店、2012.1.1発行)
 東日本大震災・原発被害特集。多くの被災者の手記が掲載されている。

②デビッド・カークパトリック『フェイスブック 若き天才の野望』(日経BP社、2011)
 フェイスブックの創立者(現CEO)ザッカーバーグが何を考えているかがよくわかる。フェイスブックはすでに全世界で8億人の会員を擁する”第三の大国”である。

③ガーディアン特命取材チーム『ウィキリークス アサンジの戦争』(講談社、2011)
 マルセル・ローゼンバッハ/ボルガー・シュタルク『全貌ウィキリークス』(早川書房、2011)。
 前者は英紙ガーディアン、後者はドイツの週刊誌シュピーゲルの記者(編集者)によるもの。ウィキリークスという内部告発サイトが既存メディアにどのような影響を与えたかを知るにはかっこうの書物。

④ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズⅠⅡ』(講談社、2011)
 ジョブズの死直後に満を持して世界同時に発売された伝記。

投稿者: Naoaki Yano | 2012年02月09日 15:44

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