自分の名が中傷記事に結び付けられる(2012/7)
本誌3月号で「グーグルサジェスト」について紹介したが、そのサービスのために思わぬ被害を受けた人がいる。自分の名前のあとに犯罪がらみの事項が表示されることで、会社を辞めざるを得なくなり、転職にも障害が出たという。何に、あるいはだれに責任があるのだろうか。
グーグルサジェストは検索の便宜のためにつくられたサービスで、あるキーワードを打ち込むと、関連するキーワードが過去の入力データに基づいて予測される。たとえばグーグルと入力して一字分あけると、プルダウンメニューが開いて、「グーグル 地図」、「グーグル 翻訳」、「グーグル ストリートビュー」などの組み合わせが表示されるので、目当てのキーワード群を選択すれば、次の文字を入力する手間が省ける。
退職させられ転職もできず
事件を最初に報じた毎日新聞(3月25日付朝刊)の記事によれば、以下のような経緯である。
会社員A氏は数年前、思い当たる節がないのに勤務先を退職する羽目に追い込まれた。その後の転職活動でも、採用を断られたり、内定後に取り消されたりすることが相次いだ。調査会社に事情を調べてもらったところ、A氏が「あたかも犯罪に加担したかのような中傷記事がインターネット上に1万件以上掲載」され、それがサジェスト機能で表示されていることがわかった。
A氏は昨年10月、「プライバシーを侵害された」として、東京地裁にグーグル本社(アメリカ)を相手取って、サジェスト機能表示差し止めの仮処分を申請し、地裁は3月19日にそれを認める決定をした。
自分のあずかり知らぬ中傷記事がいつの間にかネットにあふれ、その「事実」がグーグルサジェストに反映され、簡単に中傷記事に行きつくようになっていたのである。事案を担当した弁護士は「本人が特定されるとさらに事態が悪化するので情報は出せない」と詳細を語らないが、考えさせられることは多い。
ネット上に中傷記事が蔓延
第一。この中傷記事はいかにしてネット上に蔓延するに至ったのか。
これについては、お笑いタレントK氏のブログに「殺す」などと書き込んでいた女性会社員(29)ら19人が脅迫や名誉棄損の疑いで摘発された事例が参考になる(本誌2009年3月号で紹介)。
彼らは20年も前に起きた都内の女子高生コンクリート詰め殺人事件にKさんが関与したと決めつけて、インターネットの掲示板やKさんのブログに「人殺し」、「犯人のくせに」などと悪質な中傷記事を書き込んでいた。K氏が自分のブログで「自分は犯人でもないし、犯人たちと面識もない。事件には何の関与もしていないし、それをお笑いのネタにしたこともない。すべて事実無根である」と書いても中傷記事は止まらず、K氏が警察に訴えた。
摘発されたのは、札幌市の女子高校生(17)から千葉県松戸市の会社員(35)、大阪府高槻市の国立大職員(45)まで、地域も年齢もさまざまな人びとである。お互いに面識もない彼らが、インターネット上の書き込みを安易に信じたばかりではなく、自分もいっしょになって書き込みをしていた。書類送検された女性会社員は「他の人の書き込みを信用した。反省している」と述べたらしい。
今回も、無責任な書き込みが徐々にネット上に蔓延していった可能性が高い。しかも検索エンジンの機能強化の「おかげ」で、固有名詞が事件と関連づけて検索窓に表示されてしまうほどになった。ここには、いつわが身に降りかかるかわからない怖さがある。
第二。システム的な解決策はあるのだろうか。
弁護士事務所を訪れた5月末段階で、グーグルは決定に対して何のアクションも起こしていないということだった。グーグルサジェストは、検索エンジンがインターネット上のすべての行動、あらゆる記事を集めた結果をアルゴリズムによって機械的、自動的に抽出、表示しているだけである。事実を忠実に再現しているわけだから、いまのサービスを続ける限り、個々の問題への対応は難しいと言えよう。
第三。会社はA氏の言い分よりネットの情報を信用したのだろうか。
会社がA氏本人よりもネット上の情報を信用したとすれば、A氏が会社を訴えることもあり得たと思うが、実際にはそういう行動に出なかった。この辺は微妙なところで、他にも事情があったかもしれない。しかし、目の前にいる人間の発言(行動)よりネット上の情報の方が会社の決定に影響を与えたのなら、現実世界における信頼関係はどうなってしまったのかという疑問がわく。
第四。今回の訴訟は事態を変える何らかの力になるのだろうか。
これがアメリカなら原告は名を明かし、裁判はA氏対グーグル事件というふうに明示され、情報ももっと公開されるだろうから、裁判を通じて広範な議論が起こるだろうが、せっかく訴訟を起こして、しかも勝訴しながら、なるべく事件に触れないですませようとするのでは幅広い議論は起こりにくい。ここに日本社会全体の問題があるのはたしかだろう。
個人の情報発信の責任
この事件は毎日新聞が報じことで弁護人が記者会見し、社会に知らされた。だから、無責任な書き込みをすることがどういう結果を生むかについて、それなりの警鐘を鳴らしたが、サイバーリテラシー的に言えば、もっと注目されていい出来事だと言えよう。
かつて「グーグル八分」が話題になったことがある。グーグルが特定のURLを検索表示結果から排除することで、サイトの存在がユーザーから見えにくくなってしまうとして、やはりグーグル相手の訴訟が起こされた。今回は逆で、むしろ無視してもらいたいサイバー空間上の情報が、グーグルによって渉猟され、目立たされてしまった。だからといって、これをアルゴリズムで排除することは難しい。検索エンジンより、IT社会に生きる私たち一人ひとりの情報発信の責任の問題と受け止めるべきではないだろうか。
投稿者: Naoaki Yano | 2012年08月02日 12:19