偏った情報に囲まれていても気づかない(2012年/8)
Web2.0、ソーシャルメディアの発達と、大いに躍進してきたインターネットは今、さらに大きな変革期にあるようである。私たちは、インターネットの大海を自由に泳いでいると思いながら、実は偏った情報に取り囲まれ、しかもそれに気づかない恐れがある。
インターネットの発達と現状を「メディアとしてのインターネット」という観点で整理すると、以下の4つのイメージに類型化できるだろう。
4つのイメージ
① インターネットにはあらゆる情報があふれている。インターネットは情報の宝庫である。
② カスタマゼーションで自分の好みにあった情報を取捨選択、あるいは編集して閲覧でき、たいへん便利である。
③ ユーザーが自分の利便のために行っているフィルタリング(カスタマゼーション、パーソナライゼーション)は、一定の考えを補強する方向に働きがちで、このため社会の分極化を促進している。
④ インターネットが自動的にフィルタリングすることで、私たちは知らないうちに自分だけの情報宇宙に包まれてしまう。
これら4つのイメージは、インターネットの歴史的発展とともに顕在化したとも言えるが、同時に、現在もインターネットがもっているいくつかの側面でもある。
順を追って説明しよう。
①はきわめて牧歌的で、まさにインターネット初期のイメージだが、オンライン百科事典のウィキペディアに象徴されるように、現代においても、インターネットのメリットとして多くの人が享受しているものでもある。
②もインターネットの長所を謳歌したもので、本誌4月号で紹介した雑誌「ザイト(Zite)」が典型である。
③、④ともに、インターネットが情報を個別化、分極化することに警鐘を鳴らしているが、③がユーザーが自ら行う、いわば手作業によるフィルタリングの弊害であるのに対し、④は同じような作業を、ユーザーが知らないうちにシステム(コンピュータ、インターネット)が自動的に行っているところが大きく違う。
③はアメリカの政治学者、キャス・サンスティーン『インターネットは民主主義の敵か』(1)に代表される見解で、④はイーライ・パリサー『閉じこもるインターネット』(2)が強調した現下のインターネットの姿である。
10年間の驚くべき変化
サンスティーンは、個人の自由な行動が結局は情報の一定方向への集中を促すことを警告した。彼は「インターネットを含む新テクノロジーは、同じ考え方の孤立した人たちの意見を拾いやすくするが、競合する意見には耳を貸さなくてもすむ文化を生む。だから新テクノロジーは、分極化の温床といえるだけでなく、民主主義と社会秩序にとって潜在的に危険なものになる」(P82)と書いている。
ところがパリサーは、それらのパーソナライゼーションがコンピュータのアーキテクチャーによって自動的に行われるようになった点を取り上げ、「フィルターをインターネットにしかけ、あなたが好んでいるらしいもの──あなたが実際にしたことやあなたのような人が好きなこと─を観察し、それをもとに推測する。……、このようなエンジンに囲まれると、我々はひとりずつ、自分だけの情報宇宙に包まれることになる。わたしはこれをフィルターバブルと呼ぶが、その登場により、我々がアイデアや情報と遭遇する形は根底から変化した」(P19)と指摘した。
サンスティーンの本は2001年、パリサーの方は2011年の発行である。この10年の間に、インターネットはここまで進化したとも言えよう。
あらゆる情報に開かれていると思われたインターネットだが、どうも自分とよく似た意見ばかり探しがちだと自省している段階からさらに進んで、自分では客観的に情報を集めていると思っているのに、実は偏った情報しか見えなくなっている状況へと進んできた。
サンスティーンは、「完全な『個人化(パーソナリゼーション)』というユートピアンのビジョンに代表される消費者主権の理想は、民主制度への大きなリスクとなる可能性がある」とも述べ、その対策として、反対意見にウエブリンクを張ることを義務化することも提案している。「党派性の強いウェブサイトを対象に、反対意見のサイトの考え方も学んでもらうようにする」わけである。
「フィルターバブル」の恐怖
今から考えると、サンスティーンの指摘もまた牧歌的な印象を受ける。前々回にふれた行動ターゲティング広告というのは、ユーザーのブログやSNS、ツイッターなどでの発言内容、ウエブサーフィンで閲覧した履歴、検索に使ったキーワードなど、あらゆる行動の履歴を統一的に把握し、そのことでユーザー像を割り出す。
それに適合した広告を流すのが目的だから、ユーザーがふだんは触れないような情報を提供してやろうなどという、“お節介”なことはしない。彼は「パーソナライズされた環境は自分が抱いている疑問の解答を探すには便利だが、視野にはいってもいない疑問や課題を提示してはくれない」とも述べている。
ふだんウエブをよく利用する人は、そこに掲載される広告が、つい最近の自分の行動を反映していることに気づいたはずである。
ここにインターネットの、従来のメディアとは違う大きな特徴があると言えるだろう。マスメディアは編集メディアだから、そこには編集者が重要だと思う情報が、それなりの価値判断のもとに並べられ、記事のタテマエは公正である。扱う対象は広く、事実は正確を求められ、なるべく賛否両論が併記される。そして、記事は広告とは一線を画されていたわけである(インターネットにおいては、記事と広告は不可分に結びついている)。
<注>
(1)キャス・サンスティーン『インターネットは民主主義の敵か』毎日新聞社、原著2001、”〝Republic.com〝
(2)イーライ・パリサー『閉じこもるインターネット』早川書房、原著2011、“The Filter Bubble : What the Internet Is Hiding from You ”>
投稿者: Naoaki Yano | 2013年01月29日 12:38