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2013年02月01日

強力な情報ツールを使う作法が不可欠(2012年9)

 滋賀県大津市で起こったいじめによると見られる中学2年生の自殺事件は、夏休み中の8月15日に、いじめに対する市教育委員会の対応を不満とする関東の大学生が沢村憲次教育長を襲撃するなど波紋を広げている。自殺した生徒の家族が2月に「自殺はいじめが原因」として3人の生徒と学校、市教育委員会などを相手に起こした損害賠償請求訴訟は大津市裁で口頭弁論が続いているし、やはり遺族の告発を受けた滋賀県警の捜査も進行中である。

 子どもの世界のいじめは今に始まったことではなく、これまでも何度か断続的に大きな社会問題になっているが、最近のいじめ事件にはインターネットが大きな影を落としているのは確かである。ここでは大津市の事件と神奈川県相模原市のやはり中学生によるいじめ画像投稿の2つの事例を取り上げよう。

大津市のいじめとコミュニティ

 すでに承知の人が多いと思うが、大津市の事件の概略は以下の通りである。
 昨年10月中旬に大津市の市立中学2年生が自宅マンションから飛び降り自殺し、それがいじめによるものであると、遺族が学校や市教育委員会などを訴えた。これが多くのメディアで報じられ、インターネット上の掲示板などで、いじめた中学生や学校当局、あるいは市教育委員会に強い抗議が寄せられ、今度はいじめた生徒2人が京都の学校に転校した。その延長線上に教育長への暴行事件が起こった。

 各種の報道によると、中学生3人は被害者に対して自殺の練習を強要するなど、執拗ないじめを繰り返していたらしい。その中の1人の母親は当時同校PTA会長で、事件後の学校集会でも自分の息子をかばうばかりか、被害生徒の落ち度を追求するような発言をしたり、反論のビラをまいたりした。学校や市教育委員会は早々と「いじめはあったが自殺の原因ではない」との調査結果を発表、自殺直後に生徒を対象に行ったアンケート結果も公表しなかった。

 被害生徒の父親は「もしかしたら息子は学校に見殺しにされたのではないか」との感慨を漏らしているが、ここから推察できるのは、地域コミュニティのヒエラルキー構造がまだ強固に残っているということである。いま強固にと言ったけれど、これはすでに「形骸化」しているのだけれど、それだけにかえって、骨組として強固に残っていると言い換えた方がいいかもしれない。地域コミュニティがきちんと機能していれば、いじめ行為に対する周辺の目はもう少し行きわたったものになっただろうし、いじめ生徒の母親などの非常識な行動に対する批判も、内部から醸成されたはずだからである。

 地域コミュニティは内実において崩壊しているにもかかわらず、ヒエラルキー秩序だけが残っている。それは同地域特有の問題ではなく、日本の全地域、いや教育現場、企業組織、官僚機構、さらには政治の場にまで共通する現代社会の病いである。

プラスとマイナス

 一方で事件が公になった後の、インターネットを舞台とした加害者側への攻撃は激しかった。いじめ学生の本名、顔写真、自宅住所や写真、転校先の学校名、親の会社名などが公開され、電凸(抗議のための電話突撃)作戦が進められた。有名タレントが実名でこの動きに呼応した例もあるが、多くは匿名のもとに行われた。首謀格の父親の会社はウエブも閉鎖し、仕事そのものが立ち行かなくなったようである。

 そのあげく、いじめをした生徒2人は自らの地域コミュニティから退散、京都の学校に転校した。越直美大津市長は7月25日、市役所で自殺した生徒の父親に初めて会い、「これまでの調査は不十分だった。第三者委員会を設置して再調査する」と謝罪している。

 インターネットが地域の「横暴」を暴いた面があるのはたしかだが、一方で、地域コミュニティそのものを完膚なきまでに崩壊させたようにも見える。プラスもあるが、加害者少年のプライバシー暴露などのマイナス面も少なからず、大津事件の根は深い、と言えよう。

ツールが果たす役割

 相模原中学生の事件は、きわめて単純である。

 中学3年生3人が「何か動画をとって投稿しよう」と相談、たまたま通りがかった小学生にいいがかりをつけ、その一部始終をケータイで撮影、それをそのまま画像投稿サイト「ユーチューブ」にアップした。

 この画像がユーザーの関心を呼び、動画の中身から中学校が割り出され、3人の学生も特定された。学校および市教委はこの対応に大騒ぎとなり、生徒も事件に巻き込まれた。津久井署は7月25日、1人を暴行と軽犯罪法違反で横浜地検相模原支部に書類送検、撮影した1人を軽犯罪法違反で家裁に送致している。

 ここではケータイという道具について考えておこう。

 まず安易に映像が撮影できるケータイがなければいじめそのものが計画されなかっただろうし、それが簡単に投稿サイトにアップされなければ、騒ぎにもならなかったということである。

 この事件が報道されたとき、私はこのケータイはスマートフォンではないかと思ったが、どの新聞やウエブの記事を見ても「ケータイ」としか書いてなかった。相模原市教委に問い合わせてそれがアイフォンだとわかったが、関係者は従来のケータイとスマートフォンの区別には無頓着だった。

 しかし、実際は大違いなのである。パソコン並みの強力な機能をもつスマートフォンでは、動画を撮影するのも、投稿サイトにアップするのもほとんどワンタッチでできる。情報ツールとしての能力が格段に違う。このような強力ツールをすでに中学生が持つようになっていることに、学校現場も報道関係者も、もっと関心を持つべきだろう。

 ツイッターの安易なつぶやきにも言えることだが、強力で便利な情報ツールをどう使うのかという情報教育を社会全体が考えるべきである。

投稿者: Naoaki Yano | 2013年02月01日 13:42

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