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2014年04月28日

ベビーシッター事件に潜むマッチングの危うさ(2014/4)

 ネットのサイトを介してベビーシッターを頼んだら、幼児は死亡、ベビーシッターが死体遺棄で逮捕されるというショッキングな事件が3月中旬に起こった。インターネットの便利な点は、頼みごとをしたい人と、それに応じようという人とを結びつけてくれるマッチング機能にあるが、今回の事件は便利なマッチングの危うい側面を見せつけたと言えよう。

 事件は3月18日、埼玉県富士見市でベビーシッター、M(26)が預かった子どもを死なせ、神奈川県警に死体遺棄の疑いで逮捕されたことに始まる。頼んだのは横浜市の母親(22)で、ネットのベビーシッター紹介サイトを通して14日夜、幼児2人(2歳の長男と生後8か月の次男)を、名前も住所、電話番号も確かめないままMに預けた。メールで連絡を取りあっていたが、引き取り予定の16日に連絡がつかないので母親が神奈川県警に届け、捜査官が東京をまたいだ埼玉のMのマンションで長男の死体を見つけた。

 考えさせられることの多い事件である。

 母親の側から見てみよう。彼女はシングルマザーである。家族関係は不明だが、自分の親や親族、あるいは友人に預かってもらうことができなかったのか、最初から身近なつながりを当てにしていないのか、ネット経由で言わばフリーのベビーシッターに子ども預けた。

 ネットでコンタクトをとったMは偽名を使っていた。実はこの母親は以前にもMに子どもを預けトラブルになっていたのだが、子どもの引き渡し場所にやってきたのは、Mに一時的に業務を依頼された別のベビーシッターだった。その男性には以前に子どもを預けていた経緯もあり、安心して引き取りを依頼した。Mに関しては名前も、住所もきちんと確認していない。「山本」という偽名とケータイのメールアドレスだけでMとつながっていた。その結果、子どもは横浜から埼玉まで連れていかれ、そこで死んだ。

 ベビーシッターの方は、保育施設でパートで働いたことはあったらしいが、保育士の資格をもっているわけでも、特別の知識があるわけでもなかったらしい。ただ生計を得る手段としてベビーシッターを選び、ベビーシッターのネットに登録していた。

 一方に、子どもを預かってほしい母親がおり、他方に、しっかりした組織と看板を掲げたベビーシッター業者よりも安価に、しかも融通をきかせて預かってくれるフリー(単独営業の)ベビーシッターがいる。この両者がうまくマッチングでき、しかも善意の取引が成立すれば、これはインターネットのマッチングのありがたさである。

善意も悪意も増幅するネット

 しかし、インターネットにはいろんな罠がある。母親はインターネットを使った時点で、本人確認などの作業が疎かになり、ちょっと信じられないような安易さでわが子を他人に委ねてしまった。Mはインターネットの匿名性を悪用して、いわば母親を欺くかたちで子どもを預かり、仕事にありついた。小さなこどもを預かることの重要さについての覚悟もなかったように思われる。

 もちろんMが偽名を使わなければ、母親はMに子どもを預けなかっただろうが、彼女がネットを使った瞬間、そういう罠にはまりこむ危険性は否定できない。ちょっとした偶然、あるいは小さな作為が積み重なり、大事に至ったといえるだろう。インターネットという便利な道具は、善意も悪意も増幅してしまう。

 事件の背景には、働くシングルマザーへの支援態勢が不十分だという事情がある。しかし私が強調したいのは、インターネットを介した双方の側にある「軽さ」である。幼児をネットだけで結びついた他人に預けることにすっかり無警戒になっている母親と、簡単な収入源として子どもを預かることを思いついたM。個人のベビーシッターには何の法的制約もなければ、彼を教育指導する第三者もいない。ここにインターネットで結びついたつながりの危うさがある。

 シングルマザーで働きながら子どもを育てている女性は多い(今回の事件が保育所のあり方を考え直す契機になればそれは歓迎すべきでもある)。急な事情で、しかも安い費用でベビーシッターを引き受けてくれるネットサイトが便利なのは確かだが、災害の時に典型的なように、ネットで一時的につながった関係からは、顔見知りで、気心も知れ、無理を聞いてもらえるといった生身の人間関係が持つ信頼は生じにくい。

 ここはやはり、何もかもをネットで調達する 生き方そのものを考え直すべき時ではないだろうか。すでに半ば忘れられ、半ば諦められ、放棄されてもいる、家族、地域、職場など身近な人びとの関係をふだんから密にしておく努力を積み上げる生き方が大事だと思われる。これは、さあ事件が起きたから、行政に乗り出して解決策を考えてもらおうという発想とは違う。他人任せ(行政任せ)ではない私たちの自律的な生き方が問われていると言ってもいい。

現実世界に軸足を置く

 私は、2005年に書いた『サイバー生活手帖』(日本評論社)で、「いま必要なのは、現実世界とはまるで違うサイバー空間の特性を理解したうえで、これからの私たちの生き方を抜本的に考え直すべき」だとして、今後の生き方を考えるとき、とくに考慮すべき4点を上げた。

 ①現実世界にしっかりと軸足を置く
 ②どのようなサイバー空間を築き上げるか
 ③コンピュータにまかせない領域の確保
 ④すべてを「個」レベルから捉えなおす

 
 私たちはサイバー空間と現実世界の相互交流するIT社会に住んでいるが、それは現実世界をより豊かに、そして快適なものにするために、便利なサイバー空間を利用するということであって、サイバー空間に振り回されることであってはならない。

投稿者: Naoaki Yano | 2014年04月28日 10:06

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