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2015年11月16日

中学生男女殺害事件と防犯カメラ&ライン(2015/10)

 夏休み中の8月、深夜の街を徘徊した末、相次いで遺体となって見つかった大阪の中学生男女を〝見つめていた〟のは、街の至る所に設置された防犯カメラだった。また彼らのコミュニケーションをとりもったのは、友人とのラインである。先月号でラインの普及ぶりについて書いたばかりだが、この事件は防犯カメラとラインというIT機器に囲まれた現代のうすら寒い光景を映し出している。

見つめていたのは防犯カメラ

 大阪府寝屋川市の男子中学1年生は「友人の女子中学生のところに行く」と言って12日夜9時ごろ家を出た。直後に近くのコンビニエンスストアでカップラーメンを食べている2人を同じ中学に通う男子生徒らが目撃している。翌13日午前1時過ぎ、コンビニから約1キロ離れた京阪寝屋川市駅近くの商店街の防犯カメラが2人の姿をとらえている。

 商店街の別のカメラには午前5時ごろ、いったん通りすぎた後バックして停車したワゴン車とそちらに向かって歩いていく2人が映っていた。他の防犯カメラはワゴン車が立ち去っていくのをより鮮明に映していた。

 少女の遺体が高槻市の駐車場で見つかったのが同日午後11時半ごろ。駐車場の防犯カメラによれば、遺体発見の約1時間前に不審な車が駐車場に出入りしていた。

 大阪府警は防犯カメラに映ったワゴン車を手がかりに21日、寝屋川市の契約社員、山田浩二容疑者(45)を死体遺棄の疑いで逮捕した。少年の遺体は同日、寝屋川市中心部から20キロ以上南の柏原市の竹林で見つかった。容疑者に似た人物が枚方市のガソリンスタンドで給油するところも防犯カメラに映っていた。犯人は完全黙秘を貫いているが、同府警は殺人の疑いで再逮捕している。

 街の至る所に設置された防犯カメラは、いまや捜査の重要な決め手で、凶悪事件が起こるたびに犯人割り出しなどで威力を発揮している。中古グッズを扱う店からブリキ製人形を万引きした犯人の防犯カメラの映像を、当の店がモザイクをつけて〝公開〟したこともあった。

 防犯カメラはもともと繁華街での犯罪監視のために警察当局によって導入された。カメラで見られているという意識が犯罪を抑止すると考えられたわけだが、今では抑止効果より犯人逮捕への貢献の方が大きい。また当初は一般人のプライバシーを侵す「監視カメラ」への警戒感も強かったが、いまではそういう意識も薄れ、「防犯カメラ」は万引き防止、店内監視、従業員の勤務状態チェックなどさまざまな用途で導入が進められている。

 犯罪が頻発する地域では、住民や商店街が警察当局に設置を要請するほどである。機器も安くなり、銀行のATM、パチンコ店、コンビニ、公園、商店街、さらには一般家庭まで、防犯カメラのオンパレードで、もはや防犯カメラの目を避けて行動することは非常に難しい(かつてタクシーは「動く密室」で、客は隔離された空間でくつろぎを感じていたけれど、今ではタクシーにも防犯カメラがついている。深夜の酔客と言えども、自分の映像が映っているとなると、あまり安心してはいられない)。

深夜の行動をとがめぬ大人

 そんなわけで、防犯カメラに目くじらを立てることはもはや難しいが、それでも防犯カメラの映像が外に漏れる心配は残る。データは厳重に管理され、目的外で利用されない保証があるのか、というととても安心できない。ことし3月に朝日新聞が調査したところ、インターネットに接続できるウエブカメラの3割が、セキュリティ対策が不十分(パスワード設定忘れ)なために、第三者がネットで映像を見たり、音声を聞いたりできたという(3月16日朝刊)。
 
 しかし、今回の事件で注目したいのは、防犯カメラ氾濫社会の別の側面である。たとえ夏休みであろうと、中学生の男女が深夜に街を徘徊するのはやはり異常である。しかし2人の行動をとがめたり、早く家に帰るように促したりした大人はいなかったように思われる。(コンビニには店員もいたはずだが、おそらく深夜アルバイトの若者で、他人の行動には無関心だっただろう)。

 少女の母親が深夜まで働いていたという事情もあって、家族のブレーキも効かなかったようだが、それだけではなく、若者や社会的弱者に対する社会全体の暖かいまなざしが希薄になっている。前回もふれたIT機器の「手ごたえのなさ」になれてくると、人びとの感情のひだも薄れ、あるいは劣化してくるようである。防犯カメラさえ設置しておけば安心だ、という気持ちがどこかに働いているからだろう。

 もちろん深夜だから人通りは少なかっただろうが、2人の行動を見つめていたのはもの言わぬ防犯カメラであり、関心を示したのは残忍な犯人だけだったわけである。

ライン交流は友人とのみ

 彼らがまったく孤立していたかというと、そうでもない。ラインという便利なアプリを使って、何度か連絡を取り合っている。しかし、それは友だち同士であり、親や家族、あるいは他の大人ではなかった。

 男子の方は深夜に同級生の女性に「女子生徒といっしょに泊まりに行っていいか」と聞いて断られているし、女生徒は姉の友人との間で「はよかえらんと」、「野宿しようと思う」などと会話している。午前6時ごろには別の友人に「今から2人で京都に行く」と連絡もしていた。いずれもきわめて事務的な対話(メール)で、お互いの心に響くようなコミュニケーションはない。2人の生前、家族のだれかが連絡をとった形跡もないようである。

 女生徒の母親は午前1時ごろ深夜の職場から帰宅して、娘がいないのに気づいている。男子生徒が以前にも家を出たことがあったのが災いしてか、警察への届け出は遅れた。2人の親が子どもの行動に無関心だったことはなさそうだが、にもかかわらず、一瞬の隙を突かれたように、2人が残酷な罠に陥ることを防ぐことはできなかった。

投稿者: Naoaki Yano | 2015年11月16日 17:11

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