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2016年01月20日

肉体を離れた技術と、出来るけれども「あえてやらない」決断(2016/1)

 昨年後半に話題になった東芝の不正経理、横浜の大規模マンション傾斜、フォルクスワーゲンの排ガス不正などの事件に共通するのは、当然守られていると考えられていた社会常識がいとも簡単に、しかも大々的に覆されていた事実である。2016年の年頭にあたり、ITと社会の問題をあらためて考えておこう。

フォルクスワーゲンの排ガス不正

 この点でもっとも衝撃的だったのは、ドイツの自動車メーカーの名門、フォルクスワーゲンの排ガス不正工作である。

 車の燃費を良くし、走行パワーもアップしようとすると排ガス(窒素酸化物)が発生しやすく、逆に排ガスを抑えようとすると燃費が悪くなり、走行パフォーマンスも低下する。こちら立てればあちらが立たずというトレードオフを解決するためにフォルクスワーゲンは、検査のときだけ排出を抑えるプログラム「ディフィート・デバイス(Defeat Device=無効化機能)」をエンジンに忍ばせた。
 
 排ガス検査は通常、屋内で車体が動かないように固定し、ローラーの上にタイヤを乗せた状態で行われる。タイヤが回ってもハンドル操作がない状態が続くと、プログラムは室内試験が行われていると認識し、大量の排ガスをシリンダーに戻し、窒素酸化物の排出を低減する。そうして検査をパスする。
 
 燃費や走行パフォーマンスはユーザーに実感できるが、窒素酸化物は無味無臭でユーザーにはよくわからない。だから屋外走行中は排ガスを〝まき散らして〟快適に走り、検査の時だけ〝おとなしく〟する見えない仕掛けだったが、アメリカの環境保護NPOが屋外での排ガステストを実施して工作が明るみに出た。

 不正はアメリカ向けディーゼル車開発を機に始められ、問題のディーゼルエンジンを積んだ車は、2008年以降にアメリカや欧州など世界で1100万台が売られたという(9月の事件発覚後、ただちに最高経営責任者は辞任した。同社は不正にかかわった疑いのある9人の幹部を停職処分したが、組織的関与は否定している)。

東芝不正経理とマンション傾斜

 わが国の総合電機メーカー、東芝で2008年度から14年度にかけて1500憶円余の収益操作が行われたことが明らかになった。半導体、パソコン、テレビなどの各部門で複数の年度にまたがる工事の損失を後回しにしたり、他社に生産を委託する際の部品価格を上乗せしたりして利益を計上していた。
 
 田中久雄社長(事件発生当時)を含めた歴代3社長が「社長月例」と呼ばれる会議で「チャレンジ」と呼ばれる高い目標を示し、部下に圧力をかけ、組織ぐるみで不正会計を行っていたことが分かっており、7月に3社長を含む取締役16人中8人が辞めた。
 
 12年9月の社内会議で当時の佐々木則夫社長がパソコン事業部の中間決算内容に怒り、「残り3日間で120憶円の利益改善」をするよう求めたとの話も伝わっている。決算が単なる机上の計算にな
っていた。

 横浜の大規模マンションが傾いた原因は、基礎工事の杭が固い地盤まで届いていないためだと報じられたのは9月である。マンションは4棟あり、地下に杭が500本近く打ち込まれているが、傾いた棟の6本の杭が固い地盤に最大で2ートル届かず、2本が打ち込み不十分だった。ほどなくして杭が強固な地盤に到達したことを記録するデータが偽装されていることもわかった。

 マンションの施主は三井不動産デジデンシャル、元受け企業は三井住友建設、杭打ちを担当したのは旭化成建材だった。当初、旭化成建材の堺正光取締役常務執行役員は、問題の杭打ちを担当した現場管理者は契約社員で、その印象について「物言いや振る舞いからルーズな人だと感じた」と話し、個人的問題として片付けようとした節が見受けられるが、その後、データ偽装は杭打ちを請け負った旭化成建材の全国の工事現場300近く、さらには他の業者の工事でも同じような偽装があることがわかった。

「等身大精神」の危機

 これら3つの事件で考えさせられるのは、便利なIT技術に流されて、ビジネスの基本が疎かになっているという実態である。フォルクスワーゲンの例で言えば、このようなたくみなからくりはコンピュータ(ソフトウエア)だからこそ可能である。東芝の不正経理が数字の辻褄合わせに堕した遠因もコンピュータの巨大な計算能力である。

 マンション傾斜問題であぶり出されたのは、個人の資質には還元できない、マンション建設システムの元受け、下請け、孫請けに及ぶ組織の肥大化と、現場作業の空洞化である。個々の作業員は、巨大システム故のディスコミュニケーション下で呻吟しているようにも、あるいは現状に過大に適応しているようにも見受けられる。すべての工程が文書とデータだけ管理されている現状の中で、ちょっとした手違いで失われた杭打ちデータを、「実際には固い地盤に到達しているのだから」と他のデータで偽装するのは、暗黙の了解でもあったようだ。

 マンションの売り主でもある三井不動産レジデンシャルが使ったキャッチコピーが「後になってわかるクオリティ」だったのも皮肉である。
 
 肉体の拡張として生まれた機械的道具も、それが巨大化すると多くの問題を生じてきた。たとえばかつてエコロジーの世界で、「等身大の技術」ということが言われた。大型船でマグロを一網打尽にするのではなく、食べるに必要な分だけ一本釣りしながら自然のおすそわけにあずかるという共生の知恵だったわけだが、コンピュータという精神機能拡張の道具は、いま私たちを途方もない世界につれて行っている。そこでは当たり前の人間の常識、言わば「等身大の精神」が危機に瀕していると言っていい。

 このような事態にどう対応すべきなのか。法順守、システム再点検、いずれも重要なことだが、IT社会に生きる一人ひとりが、何でも出来てしまうコンピュータへのブレーキを自らの内面に持てる(自律的精神を育てる)教育こそが大事であろう。それは、一言で言えば、「できることもあえてやらない」という戒めである。

投稿者: Naoaki Yano | 2016年01月20日 15:49

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