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2016年06月05日

広島・中3生徒の自殺と教育的配慮のない進路指導(2016/4)

 広島県下の中学校で、誤った万引き情報にもとづく進路指導のために3年生が自殺した事件は、教育的精神からほど遠い学校の現状を浮かび上がらせた。一方で、コンピュータ内に放置されていた誤データが、突如として進路指導の材料として引き出され、一人の生徒を死に追いやったことは、デジタル情報を扱うリテラシー(サイバーリテラシー)が教師の間に欠如していたこともうかがわせる。

 担任から「1年生のときに万引きしているから、志望の私立高校への学校長推薦はできない」と言われた広島県府中町立府中緑ケ丘中学3年の男子生徒が自殺したのは昨年12月8日である。残されたメモに自殺の理由について具体的な記載はなかったが、当日に予定されていた進路指導をめぐる担任・親・本人の三者面談を欠席していた。自殺の事実を町教育委員会が公表したのは3カ月後の3月8日だった。

 万引きの記録が誤り(ケアレスミス)だったのが痛々しい。別の生徒の行為だったのを教師が名字を間違えて記録、翌日の生徒指導会議で訂正されていたのに、会議資料として作成されたデジタルデータが校内サーバーに誤ったまま保存されていた。進路指導には使われないはずのものだったが、今年から推薦の選定基準を3年時の非行歴だけでなく1年時まで拡大するよう改められたことで、古い記録を収集する作業の過程で引き出され、担任に渡されたらしい。

 問題は担任の対応である。

 進路指導は生徒にとっては大問題のはずだが、担任は、自分でもおそらく初耳だっただろう教え子の万引き行為について、いつどこで万引きし、それは当時どのように処理されたのかを、本人や当時を知る教師、保護者に確認することもせず、「万引き行為があるから推薦できない」といきなり通告したように思われる。

 学校が公表した調査報告書によれば、会議室ではなく廊下で5回、その件について話したとされているが、報告書を読んだ多くの人たちから「なぜ生徒は自分がやっていないことを認めた形になっているのか」という疑問が出されていた。教育評論家の尾木ママ、こと尾木直樹氏も自身のブログで「(報告書は)彼がなくなったあと学校が一方的にまとめたもので、信憑性の保障はどこにもない。嘘ではなくても公平ではない発表を鵜呑みにした上での議論は意味がない」と書いているが、実際、後に報道された事実によれば、担任の教師は進路指導について何のメモも残しておらず、記憶による(むしろ自分に都合のいい)再現だったようだ。

 報告書には生徒が「どうせ言っても先生は聞いてくれない」という思いを保護者に話していたという記録もあるが、進路指導にあたる担任には、自分の生徒の万引き記録に驚くといった教師らしい態度は見られず、なるべくいい方向で教え子を高校に送り込もうという慈愛に満ちた精神も感じられず、ただ生徒を事務的に〝管理〟しようとしているように見受けられる。

 これはまたそのように管理されている教師そのものの姿かもしれない。身近な関係者の話でも、学校現場にはいよいよ文部科学省→教育委員会→校長→教頭といったヒエラルキーが貫徹し、教師はただひたすら上を向いて、減点主義で生きようとしているらしい。

 教育の基本は対話である。誤ったデータがあろうと、同僚に確認する作業さえあれば、悲劇は起こらなかったはずである。いまの学校現場には、教師間のごくふつうの対話もないらしい。

 万引きしたのは別の生徒で、しかも当時、学内では誤りが訂正されていた。にもかかわらず、校内サーバー上のデータだけが訂正されずに残った。それを、進路指導用のデータとして別の教諭が〝発掘〟し、担任に渡した。だれも進路指導には使われないと思っていたデータが復活、しかもその真偽を確かめるという作業が疎かになった。

誤ったデータはすぐ削除

 サイバーリテラシー第2原則は「サイバー空間は忘れない」である。コンピュータ上には真偽を問わずデータが積み重なる。ふだんあまり目にふれないから放置されているが、思わぬきっかけでゾンビのように復活するのはむしろよくあることである。だからこそ、誤ったデータに気づいた人は、その場できちんと訂正するなり、文書を削除するなりの処置を取らなくてはいけない。

 私の経験でも、新聞記者時代にPR会社に一度資料を送ってもらうように頼んだら、他のお知らせも送られてくるようになり、新聞社をやめたあともそれが続いて往生したことがある。何度も電話して手続きを止めてもらっても、なお復活した。その理由は、「削除フォルダ」に移しただけだったので、別人がそのフォルダのデータを利用して送信してきたからだった。

 デジタルデータは元から断たねば駄目である。しかし、削除したときにはすでに別のところにコピーされていることもまたよくある。これが、「忘れない」サイバー空間の怖さである。

重要なサイバーリテラシー

 今回の場合、入力時にチェック用に紙のノートに記録する手続きも省かれていたという。生徒指導会議のメモ用だからと、誤りがわかった後で訂正することもしなかった。それを後になって別の教師が引っ張りだしてきた。しかも真偽を確かめるという基本中の基本を怠った。みんなコンピュータを便利に使ったようだが、そこに大きな陥穽が待ち受けていることに無頓着だった。

 一方で、だからこそと手続きを厳格にしただけでは、現場はいよいよ事務手続きに忙殺されるようになり、教育現場で教育に割くエネルギーも、心がけもなくなっていく側面も無視できない。
こういうIT社会のなりたちをきちんと理解するサイバーリテラシーが不可欠である。

投稿者: Naoaki Yano | 2016年06月05日 17:17

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