メディアとしてのスマートフォン(2016/6)
前回の「サイバーリテラシー再説」を受けて、インターネットの現在とそれがはらむ新たな難点を、以後数回にわたって見てみよう。あわせてその対応策も考える。最初に強調したいのはスマートフォン(以下スマホ)がパソコンとはまた別の道具で、その影響も異なっていることである。書き込みは書き言葉というより話し言葉であり、刹那的、短絡的、一面的で、礼儀を軽んじる傾向がある。
書き込みは刹那的、一面的になりがち
フリーMLという無料のサービスがある。私もサイバーリテラシー研究所の仲間との意見交換や趣味の気功教室の事務連絡などで使わせていただいているが、たいへん便利で、まことにありがたいツールである。
そのパソコン用の画面には、トップにメール、スケジュール、フォト共有、ファイル共有などのメニューが並んでいる。私は気功教室の意見交換の際、このメールのページを、①教室運営、②事務・日程など、③雑談室、といったトピックスに分け、それぞれの意見は、そのトピックスの中で行うこと、書き込む際、元のメールを残したままだとメッセージが重複して煩雑になるので消去し、自分のメッセージだけを表記する、などの内々のルールを作っていた。
こうすると会議室のツリー状構造がはっきりし、ほかのトピックスが紛れ込むこともなく、あとで一覧するときにわかりやすい。特定トピックスの内容だけをプリントアウトすることもできる。またメッセージを書き込んだあと「この内容で確認」というボタンを押すと、メッセージを見直して、誤字ばかりでなく、言葉遣い、改行などの体裁も変更できる。要は推敲で、だから文章としても、わりと整ったものができあがる。
実際に始めてみると、以前のメールが添付されたままで見にくかったり、他トピックスのメッセージが紛れ込んだりすることが結構あった。しかも文章表現の点でも不十分なものが混じっていた。私はパソコンの画面を見ながら、ルールを説明していたのだが、そのうちこれはスマホ画面を使っているためだと気づいた。
スマホはパソコンに比べて画面が小さいので仕様も異なり、パソコンのようにMLの全体構成を見ることができないし、トピックスごとにまとめて一覧できる仕組みもない。投稿メッセージが時系列に並んでいるだけである。書いた原稿を再チェックする機能もない。ふつうのメールを書くのと同じように、表示されたメッセージに返信するようになっている。閲覧用の専用アプリもあるけれど、これはまさに時系列にメールが表示される。いったんログインすれば、もはやログイン手続きも不要である。これらは、ツールを意識した便利な仕掛けと言ってもいい。
「書く」という行為の変化
スマホ画面を下にスクロールしていくと、ブラウザーをスマホ用、パソコン用と切り替えることができるし、いまやたいていのウエブはパソコンでもスマホでも読めるから、これは相対的な違いとも言えるが、スマホに来て、私たちの「書く」という行為は「読むように書く」から「話すように書く」方向に大きくシフトした。
それは自分の意見をあらかじめ整理して、読みやすく書くというよりも、ふと浮かんだことや他人の受け売りを書きなぐる感じである。だから文章の体裁はあまり考えられていないし、言葉遣いも乱暴である。そのときどきの感情にまかせて書くから、見当違いの発言や誹謗中傷も多い。
紙のメディアからパソコン(デジタル)へ、パソコンからスマートフォンへ。私たちが使う道具が変わるにつれて、書く行為や思考も大きく変化しているが、後者の移行の方がはるかにドラスティックではないだろうか。
MLの議論にしても、あるいは掲示板の書き込みにしても、パソコンを使っているときの方が全体を俯瞰する視野を持ちやすいが、細かい画面に前のめりになって書きつけるスマホだと、どうしても刹那的、一面的、粗野になるように思われる。
この傾向は140文字に制限されたツイッターや最近話題のラインでより徹底した。地震の安否情報など実用的な情報交換にはそれで十分とも言えるが、理論的な、あるいは情感豊かな感じの文章は非常に少ない(もちろん使い方によっては、いろんな工夫が可能であり、実際そういう例もある)。
小田嶋隆の「より深い失望」
コラムニストの小田嶋隆が『日経ビジネスオンライン』に連載している「ア・ピース・オブ・警句」を私は愛読しているが、人気の音楽グループ、スマップ(SMAP)の謝罪記者会見を扱った回で、彼はこんなことを書いていた。
「その『謝罪パフォーマンス』は、それを放送したテレビ局はもちろん、謝罪映像を引用することになる他局やスポーツ新聞および芸能欄を持つ雑誌を含むすべてのメディアが相乗りした形の、業界総がかりの処刑イベントとして、衆人環視の中で刊行された」
彼はそのことに「静かに落胆」していたのだが、その辺の事情をツイッターで書き込んだところ、「今更何いってんの?今ごろ分かったの?オジサンバカなの?」というリプライ(返信)が帰ってきた。そのことにふれ、彼は「私としては、芸能界が闇を含んでいることそのもの以上に、芸能界の闇を指摘する『オジサン』を嘲笑する若者の存在に、より深い失望を感じた次第だ」と感慨を述べている。
前回取り上げた「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログに寄せられたコメントを見ても、全体に言葉遣いが乱暴である。関係者が実情の一端を説明して理解を求めようとする投稿もあるにはあるが、ほとんどが「じゃあ保育園に入れる地域に引っ越せば? 仕事? パートくらいならんじゃね?」といった乱暴な意見の中に埋もれている。
未消化で乱暴な声がインターネット上にあふれている、その「量的ボリューム」はもはや無視できないと言っていい。
投稿者: Naoaki Yano | 2016年07月16日 17:22