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2016年09月22日

今起こっていることへの想像力を養う(2016/8)

 数回にわたってIT社会の現状を考察し、だからこそサイバーリテラシーの重要性が増しているのだという私見を述べてきた。サイバー空間と現実世界の境界がほとんど失われつつある今、私たちはどう生きるべきなのか。そのためには、見えにくくなっている現状を捉える確かな目と、将来を展望する想像力が不可欠なようである。

ネット社会の生き方

 私は折々にネット社会の生き方として、いくつかの提案を行ってきた。2005年に刊行した『サイバー生活手帖』(日本評論社)では、次の4点を上げている。

①現実世界にしっかりと軸足を置く。
②サイバー空間に風穴をあける。
③コンピュータにまかせない領域の確保。
④すべてを「個」レベルから捉えなおす。

 また2013年に刊行した『IT社会事件簿』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)では、IT社会の難点として、

①小さな行為が増幅され大事となるが、犯罪を追求すると責任が蒸発してしまう。
②IT技術が人間の弱点につけこみ、思わぬ犯罪を引き起こす。
③知らぬ間に犯罪の加害者となり、逮捕される恐れがある。
④インターネットはふつうには見えないものも見せてしまう。
⑤インターネットが情報を遮断し、新たな「タコツボ化」を促す。
⑥万人に道具をどう使うかの瞬時の判断が要請される。

の6項目を上げた。

 前者の②は、インターネットから分離された空間をつくっておくことが大事だという指摘だったが、7月から日本でも配信されたポケケモンGOのように、ゲームの世界でも現実世界とサイバー空間の融合が行われる時代にあって、もはやサイバー空間と離れて生きることはきわめて難しい。

 後者の⑤で指摘したのは、インターネットがユーザーのウエブ閲覧履歴、ショッピング実績、ブログなどの書き込みをビッグデータとして収集し、ユーザー好みの情報を選別して提供する(してくれる)ために、私たちはいつの間にか社会全体の仕組みが見えなくなり、自分だけの「タコツボ」に閉じ込められてしまうことへの警鐘だった。

「公」空間の急速な空洞化

 今やインターネットは社会(世界)変革のわき役から主役となり、「公」空間と「私」空間の境界を突き崩しつつある。

 ひと昔前まで、公空間は私空間とは区別され、そこでの活動を通して社会をより良くする、いわば民主主義社会の基盤だと考えられてきた。だからこそ公職につく人の社会的責任やモラルも重視されたし、公共の秩序確立への努力が積み重ねられてきたのである。また「公衆」という言葉がイメージするように、社会を支えている個人一人ひとりは、それなりの常識を持ち、政治的、経済的決定においては、合理的な判断をする(ができる)存在と想定されてきた。この社会の基本的枠組みが為政者の側からも、また一般大衆の側からも、すっかり崩れてきた。

 最近のトピックスをいくつか上げておこう。

 公職を棒に振ることになった舛添要一元東京都知事には、「公職者のモラル」という考えはまるでないようだったが、政治資金の野放図な利用実態などは、必ずしも彼だけの問題ではない。5月に公開されたいわゆるパナマ文書(パナマの法律事務所作成)では、世界数十カ国に及ぶ金融機関、大企業、公的機関のほかに、十カ国余の現旧指導者、公職者などがタックスヘイブン(租税回避地)を利用していることが明らかになった。

 自国の税制度での納入を避け、より税金の少ない国へ富を移転しようとするもので、これだけグローバルかつ大規模に行われると、一国の税制そのものにも影響が出てくる。貧富の差が指摘される昨今、金持ち企業(経営者)は海外で節税し、国民に重税を課す権力者が自らの税支払いは逃れるというような行為は、国の公的制度そのものを空洞化するものである。

 もっと大きく見れば、シリア、中南米諸国、アジアから、圧政を逃れて、あるいは貧困からの脱出を願って難民が急増している。シリア国内では大規模な反乱が起こり、それこそグローバルに公私を問わぬテロが頻発し、難民受け入れやテロ被害をめぐっては、ユーロ諸国も揺れている。なぜかくも急速に、かつ大規模な「国家」の溶融が起こっているのか。ここにITの影響を見ないわけにはいかないだろう。

 一方、先日イギリスで行われた国民投票でEU離脱派が勝利したことは、民主主義的決定手段としての国民投票のあり方にも波紋を投じた。国民一人ひとりに決定権を与えればものごとはうまく収まるのか、将来、電子投票が導入された場合、事態はどう展開するだろうか。日本で選挙の投票率が50%程度と低いのも、民意を汲み上げる公的な選挙というタテマエが崩れ、機能不全を起こしていることを示している。まことに危うい事態がグローバルに拡大していると言っていい。

新時代の倫理としての情報倫理

 私はこれからの社会を豊かに、そして快適なものにするためには、IT社会に対応した行動倫理(「情報倫理」)を築き上げなくてはいけないと言ってきたが、その重要性もいよいよ高まっている。新しいソーシャルキャピタル(社会関係資本)を、みんなで力をあわせて築き上げる努力が必要である(ネット上のショッピングサイトやマッチングサイトの口コミ・コミュニティのあり方を見ると、情報倫理のゆりかごがサイバー空間と現実世界が交差する地点であるという確信は変わらない。『サイバーリテラシー概論』知泉書簡)。

 しかし、そのためには現代社会がどのような歴史的時点にさしかかっているのかを捉える確かな目と、そこで何が行われようとしているのかを洞察する想像力が不可欠だと思われる。

投稿者: Naoaki Yano | 2016年09月22日 11:44

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