パソコンと言えば98の時代があった(2016/11)
かつて日本製パソコンの代表的機種だった日本電気(NEC)のPC-9801が9月、独立行政法人国立科学博物館により「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」に登録された。実は、私は『ASAHIパソコン』を創刊する前に『おもいっきりPC-98』というムックをつくっており、その好調な売れ行きが雑誌立ち上げに結びついた。今回は98およびムックに関する思い出話である。
国立科学博物館は、2008年以来、科学技術(産業技術を含む)の発達史上重要な成果を上げたり、国民生活、経済、社会、文化のあり方に顕著な影響を与えたりしたものを年に20件前後選んで登録する作業を続けている。
PC-9801の選定理由は「グラフィックディスプレイコントローラで高速化した640×400ドットのディス プレイと16ビット外部バスをもち、オプションのJIS第一水準漢字ROMの搭載で漢字処理に対応した16ビットパーソナルコンピュータ。980年代後半から10年以上にわたり事実上の日本の標準機として普及するとともに工業用として多くの生産現場を支えた『98シリー ズ』の初代機」となっている。
未来技術遺産には、日本最初の電卓とか、ポケベル、ロボット、電気洗濯機、発動機、ロケット、液晶デジタルカメラなどさまざまなジャンルのものが選ばれ、前年にはCPU(中央演算処理装置)が8ビットの8801シリーズやシャープのMZ-80Kなども選ばれている。
ムック『おもいっきりPC-98』
さて、パソコンと言えば98(キュウハチ)と呼ばれた時代があったのである。ディスプレイは活字しか映し出せなかったし、もちろんマウスもなかった。メディア(記憶装置)はフロッピーディスクで、ワープロや表計算、データベースなどのプログラムを作業のたびにドライブに差し込んで使っていたが、それでもパーソナル・コンピュータがホビーマシンやビジネスツールから誰もが使える文房具になりつつある節目の時代に登場、同時にその趨勢を大きくリードした往年の名機だった。シャープ、東芝、富士通などもほぼ時を同じくして、それぞれのパソコンを世に送り出したけれど、98はそのソフトの豊富さで群を抜き、国民的機種としての地位を築いた。最盛期には国内シェア9割以上を占めた。
PC-98011シリーズは1982年10月に発売され、価格29万8000円だった。メディアは8インチのフロッピーディスクでハードディスクは内蔵されていなかった。85年のVM2が普及機として有名で、日本語ワープロの一太郎はこのころ出ている。86年5月に発売されたUV2からメディアが3.5インチのフロッピーディスクになった。
私は同僚の三浦賢一君(故人)と2人でムックのASAHIパソコン・シリーズの編集に取り組んだが、その第1号が『おもいっきりPC-98』だった。プロジェクト室の一角にVM2とUV2の2機種を置いた。まだパソコンが文章を書いたり編集したりする道具だとの認識が会社になく、会計など「事務合理化のツール」という名義で予算請求したのが懐かしい。フロッピーディスクで市販されていたワープロ、表計算、データベースなどのアプリケーション・ソフトをいちいちディスクドライブに差し込んで作業した。98シリーズが累計販売台数100万台の大台に達したのは87年3月だった。ムック発売は同年5月、98の人気のおかげでほどなくして完売、ムックとしては異例の増刷までした。
群小メーカーのソフトがいっぱい
ムックおよびその後の雑誌『ASAHIパソコン』のコンセプトは「これからはだれもが鉛筆や万年筆のような文豪具としてパソコンを使うようになる。そのやさしい使いこなしガイドブック」というもので、ムックにもたくさんの実用情報を詰め込んだ。
目次には「フレッシュマンもOLもエグゼクティブも今日からPCライフ」という巻頭カラー、98利用者を訪ねた「988の現場」、当時のOSのガイド「MS-DOSこれで十分」などが並んでいるが、力を入れたのがアプリケーション・ソフトのガイド、「失敗しないソフト選び」だった。いまふりかえって興味深いのはその品ぞろえの多彩さである。
ワープロと表計算ソフトのリストのみ列記してみると、
【ワープロ】一太郎、The Word、オーロラエース、創文、ユーカラart、松86、デスクup、テラⅢ世、QUEEN-Ⅱ、小次郎98/武蔵98、美文、しのぶれど、HuWORD、弘法Ⅱ、TWINSTAR2(表にリストアップしたものは他にもある)。
【表計算】Lotus1-2-3、Microsoft Multiplan、SuperCalc3R2、HuCAL16、The File
いまのスマートフォン・ユーザーには何の感慨もないだろうが、当時を知る人にとってはけっこう懐かしい名前ではないだろうか。ソフトメーカーは、ジャストシステム、アスキー、大塚商会、エー・アイ・ソフト、管理工学研究所、ダイナウェア、日本マイコン販売、ビー・エス・シー、ロータス ディベロップメント、マイクロソフト、ハドソンなど、これもなつかしい名前が並ぶ。ソフトウエアの世界はまだ寡占が出現せず、小さな会社が特色あるソフトを競い合って出していた。基本的には1MBのフロッピーディスクに収容して市販されるというまことに牧歌的な時代だった(ちなみにアイフォンの容量は16GBとか32GBである(1)。
パソコンからスマートフォンへ
パソコンはその後、IBMPCと互換性のあるDOSVマシンの時代となり、NEC、富士通、シャープなどが競い合っていた日本のパソコンはグローバル化の波に取り残されていく。デザインの世界などでは早くからアップルのマック(マッキントッシュ)の人気が高く、絵も活字と同じように扱えるビットマップディスプレイ、画面上のアイコン、マウスなどの体裁が整い、DOSVマシンもマイクロソフトが1955年にウィンドウズ95を発売するにともない、ユーザーにやさしいインターフェースの時代が花開く。1995年はインターネット元年でもある。2000年ごろからウェブ2.0が喧伝されるようになるが、その時期がパソコンの黄金期だったと言える。
いまやパソコンからスマートフォンの時代となり、パソコン業界はいずれも不振である。IBMはとっくの昔にパソコン事業を中国のレノボに売り渡しているし、NECはそのレノボとパソコン合弁会社をつくり、つい最近は富士通もパソコン分野をレノボに移すというニュースがあった。パソコンの時代は終わりつつあるいま、98は歴史として保存されることになったわけである。
<注>
①1GB=1024MBである。
投稿者: Naoaki Yano | 2016年11月20日 12:43