ピコ太郎、わずか2カ月で世界を席巻(2016/12)
2016年はイギリスのEU離脱国民投票や暴言・失言王のドナルド・トランプ米大統領誕生など、まさか、まさかの連続だったが、その影で、大阪のおじさんふう芸人、ピコ太郎がユーチューブを舞台にわずか2カ月の間に世界のメディアを席巻した動画「ペンパイナッポーアッポーペン」(PPAP)もまた、グローバル時代ならではの「まさか」現象だった。
パンチパーマのかつら、小さくて薄いサングラス、細いちょび髭を書きつけた中年男のピコ太郎が、派手な衣服の上からヒョウ柄のロングマフラーをたらし、
アイハヴァーペン、アイハヴァーパイナップル、(合体する動作の後で)パイナッポーペン
などと奇妙でリズミカルな歌詞を電子的な音楽にあわせて歌い(唱え)踊る。ただそれだけの1分弱の動画である。
突然の世界的ブーム
彼がこのPPAPをユーチューブにアップしたのは2016年8月25日だった。これがたちまち人気になり、1か月後には動画投稿サイト、9GAGに掲載され、イギリスBBC放送などからツイッターでピコ太郎本人に直接問い合わせが来るほどになった。
9月28日に若者に人気の歌手、ジャスティン・ビーバーが「もっともお気に入りのビデオ」とツイートして話題沸騰、ユーチューブの音楽グローバルランキングで週間再生回数世界一となった。ギネス記録にも、米芸能メディア、ビルボードのHOT100にランキングした最も短い曲として認定されている。
この異常人気に日本のテレビでも取り上げられた。日本外国特派員協会で会見、実演までした。12月5日現在のユーチューブの再生回数は9467万回を超えている。製作費10万円たらずの動画がわずか2カ月で世界を駆けめぐったわけである。
ユーチューブでは、世界各地の若者たちがPPAPをまねて、あるいはそのパロディ版を作って歌い、踊っている。先日テレビを見ていたら、米大統領となったドナルド・トランプ氏の孫娘が、ベッドの上でPPAPを歌いながら踊っていた(もちろんユーチューブに投稿されている)。
PPAPは2016ユーキャン慎吾・流行語大賞トップ10に選ばれ、ピコ太郎本人は今年の紅白歌合戦出場もねらっているらしい。またユーチューブのコマーシャル料、テレビ出演、DVDやキャラクターグッズ売り上げなどで大金が転がりみそうである。ピコ太郎は関西で活躍する芸人、古坂大魔王と見られるが、本人はあくまでピコ太郎のマネージャーを名乗っている。
投稿動画、ビジネスになる
テレビが全盛だった50年ほど前の1969年、名物司会者の大橋巨泉が「みじかびのきゃぷりことればすぎちょびれすぎかぎすらのはっぱふみふみ」(だったかな)と意味不明の短歌(?)を口ずさみ、「わかるね!」と笑いかけるCMがあったが、これも当時大人気となり、当該万年筆は大きく売り上げを伸ばした。
両者とも極端に短いメッセージで、ここに日本文化の伝統が流れていると言えなくもない。ただしピコ太郎の場合はまったくの英語である(本人が会見で「後で気づいたんですが、歌詞が英語だったんですね」と述べていた)。
巨泉の場合は広告会社が製作したテレビCM、ピコ太郎の方は自作自演のユーチューブ投稿動画、前者はもっぱら国内だけの話、後者は完全にグローバルと、この間のメディア状況の変化が伺われて興味深い。
ピコ太郎現象で驚くのはそのスピードと広がりである。いまや世界134の国・地域で再生されているといい、それぞれの地域でPPAPを見た人が、自分たちも歌い、踊り、そのままユーチューブにアップしている。連鎖はまさにインタラクティブである。
ユーチューブの親会社であるグーグルが2011年より投稿動画に広告をつけるようにしたために、再生回数の多い動画をアップするとそれなりの収入が得られる。ユーチューブに動画をアップして、それで生計を立てようとする人は「ユーチューバー」と呼ばれており、動画投稿はビジネスにもなるのである。
ソーシャルメディア独歩の時代
ツイッター、フェイスブック、ユーチューブなどのソーシャルメディアが広がり始めたのは、日本では東日本大震災、世界的にはアラブの春が吹き荒れた2011年ころである。
同年5月には米歌手、レディー・ガガのツイッターのフォロアー数が1000万人を突破した。2位はジャスティン・ビーバー(970万人)、3位はオバマ大統領(802万人)だったが、たとえば既存メディアの新聞で発行部数1000万部の新聞などいまやない(ちなみにジャスティン・ビーバーその人がユーチューブでの投稿で才能を認められ、一躍人気歌手になった)。
メディア環境の変化は、それよりさらに10年以上前から起こっている。1999年、16歳の新人歌手、宇多田ヒカルのデビューアルバム「ファースト・ラブ」が発売後わずか2カ月半で600万枚も売れる出来事があった。売り上げ枚数、そのスピードぶりともにわが国音楽史上初の大記録だったが、当時、私は「ふだん接するのがマスメディアだけという比較的年長の一般社会人にとっては、彼女の登場と『偉業』は晴天の霹靂のように受け取られた」と書いている(『インターネット術語集』)。
彼女の音楽は、専門の音楽雑誌、FMラジオ、衛星放送、そしてインターネットと携帯電話で広がった。このころから若者を中心とする人びとのメディア環境は変わりつつあったが、2011年の「ソーシャルメディア元年」を経た先に、今回のピコ太郎現象がある。
ピコ太郎はマスメディアとほとんど無縁に、世界に大きく飛躍した。これをソーシャルメディアが自立したという意味で、「ソーシャルメディア独歩の時代」と言ってもいいだろう。
投稿者: Naoaki Yano | 2016年12月20日 13:50