「私空間」に侵略される「公空間」の変質(2017/8号)
前回、インターネット上に咲いた仇花、キュレーション・サイトにふれたが、それに添えられたイラストが秀逸だった。「今様メディア百鬼夜行」と言えば、このところインターネット上の私的メディアの跳梁が激しい。女優、松居一代のユーチューブ、米トランプ大統領のツイッターなどなど。今回は、私的空間が公的空間に浸透することで加速する「社会の空洞化」に目を向けてみよう。
今様メディア百鬼夜行
インターネット黎明期から、個人の情報発信のあり方が話題になった例は多い。
早いところは1999年の東芝アフターサービス事件で、サイトに張り付けられた苦情相談窓口の乱暴な音声が話題になった。前年の米クリントン大統領をめぐるセックス・スキャンダルでは、告発側の女性が自分のウエブを開設して闘争資金を募ったりしている。東日本大震災をきっかけとするSNS時代の到来で、まさに私的メディアは花盛りである。
つい最近のコラム「ピコ太郎」で「SNS独歩の時代がやってきた」と書いたけれど、それは、もはやマスメディアの力を借りることなく、SNSだけで世界的ブームを起こせることを指していた。最近の特徴は、SNS独歩どころか、SNSと既存マスメディアが同じ次元で、お互いに論争(喧嘩)し合っていることである。
松居一代の例だが、夫・船越英一郎との離婚騒動そのものはまさに私的な、興味のない人は無視しておけばいい話である。しかし、彼女のブログやユーチューブの発信にいくつかの週刊誌が絡み、それを新聞も紹介するという騒ぎになっている。
一方、トランプ大統領が選挙戦の最中からツイッターで発言を繰り返し、その激しさが既存メディアの新聞やテレビの前評判を覆して、大統領の座を射止めさせたことは万人承知の事実である。彼はその後もツイッターやユーチューブで自説を発信し、メディアや政敵への批判を繰り返しているが、そのやり方は、ホワイトハウスや米議会といった既存の政治過程を無視するほどの乱暴さである。最近では、政敵と言わんばかりにメディアのCNNをプロレスの場外リングで殴りつけるコラージュ動画を公開し、またまた話題を提供した。
トランプ大統領の支持率は依然として30%台にとどまるのに、無視された側の既存秩序に大統領の行為をとがめたり、修正させたりする力があまりないように見えるのが奇妙である。ここにこそ「社会全体の空洞化」が反映しているのではないだろうか。
松居一代の場合は、私的個人だから何をしてもいいとも言えるが、それでも一応は女優として活躍し、テレビにも出ていた人である。半ば公的な存在である人が、あからさまに私的事情を公開することに対する自制心の欠如の裏には、やはり同種の事情が反映しているだろう。
社会全体の空洞化(形骸化)
社会の空洞化(形骸化、劣化)で私が言いたいのは、こういうことである。
インターネットは社会をフラット化して既存秩序を崩壊させるが、それは従来の社会を成り立たせていた原理、タテマエの崩壊となって表れる。秩序から解放された人びとは自由を謳歌できるが、それはときに行きすぎる。奥ゆかしさとか恥じらい、何気ない行為ににじむ佇まいといった見えない価値が損なわれる。同時にばらばらになった個人は孤独から逃れようと、ある種の権威にすがりたくもなる。
しかし、より深刻なのは、社会のヒエラルキー秩序がゆるむことで組織を維持してきたタテマエというか原理も崩れてしまうことである。企業の度重なる不祥事にもそれは明らかだが、既存秩序を支配している層が社会的責任をあっさり放棄してしまう。
それは、「私的空間」が肥大化し「公的空間」に大量になだれ込むことで、「公的空間」のタテマエが崩れ、変容している姿とも言えよう。松居一代とトランプの例をあげたけれど、組織の長たる人の社会的責任の放棄として注目すべきは、先日の都議選の応援演説で、安倍首相が「辞めろ」という聴衆のコールに対して声を荒げ「こんな人に負けるわけにはいかない」と言ったことである。「こんな人」も国民である以上、一国の首相が対等の次元で怒鳴り返すのはおかしい。
ジャーナリストの江川紹子はこのことに異を唱えつつ、俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーが、カリフォルニア州知事選の運動中に演説会場で反対派から生卵をぶつけられた事件にふれている。この肉体派俳優は後の記者会見でそうした行為も「表現の自由」の一環だと述べ、「ついでにベーコンもくれよ」と笑い飛ばしたという。これが政治家というものだろう(トランプ大統領にもこういうことは期待できそうにないが……)。
演説に対して自民党元都連会長がさかんに拍手を送ったり、管官房長官が記者会見で「きわめて常識的な発言だ」と述べたりしたことにも、首をかしげざるを得ない。
たしなめる者の不在
ヒエラルキー秩序のタガが緩んだとき、秩序から本来の目的は失われ、ヒエラルキーの骨格だけが異常に強固になる。本来の官僚制が機能不全に陥り、あるいは暴走する。
安倍政権が一強体制を築き上げ、議論の多い法案を十分な審議もせずに強行採決できること自体が、国会における野党の非力、権力チェックの点で極めて不十分なメディア、一強体制を支持する国民などの反映でもある。ここに「社会の空洞化」を見るのは私だけではないだろうが、ITがこの形骸化を促進している面を否定できない。
ところで、なぜトランプなり、松居一代なり、安倍晋三なりの周辺に、過激であるのみならず、後に顧みれば恥ずかしいような行動をたしなめる(叱る)人が出てこないのだろうか。これぞ、まさに社会の劣化ではないだろうか(敬称略)。
投稿者: Naoaki Yano | 2017年08月28日 12:46