サイバーリテラシーってなんやねん?
こんにちは。最近サイバーリテラシーに目覚めて、子どもたちの未来が心配になってきたkikです。心配すぎて夜もオチオチ寝ていられないので、夜は飲み歩いて昼間寝ています(主に仕事中)。いやあ、心配だなあ(財布が)。
さて、皆さんは『サイバーリテラシー』と聞いて、その内容をイメージできますか?
そもそもサイバーとか、リテラシーとかいう言葉自体、なんじゃそれ?じゃないですか?
まず、「リテラシー」というのは、「情報や知識の活用能力」のことです。うーん、これもカタい言葉ですね…。
もっと単純化すると、「リテラシー」とは、「教養」です(たぶん)。「情報リテラシー」や「環境リテラシー」という言葉を知っている、聞いた事がある、という方も少なくないでしょう。あんな感じですね。
一方、「サイバー」という言葉は、IT(情報技術)やSFに関心がない方にとっては、縁遠い言葉かもしれません。「関心のある人には有名だけど、そうでない人にはまったく知られていない、または理解されていない言葉」の代表みたいな言葉です。
「サイバー」とは、「サイバネティクス」(自動制御学や人工頭脳研究)という言葉が語源で、最近では、「コンピュータやインターネット、あるいは仮想空間に関する…」 といったニュアンスでも用いられます。
ここではあまり深く考えず、「コンピュータやインターネット、あるいは仮想空間に関する…」という長ったらしい枕言葉を、「サイバー」のひと言で表現できる 便利な言葉 くらいに理解しておきましょう。
ただ、『サイバーリテラシー』が、「コンピュータやインターネット、あるいは仮想空間に関する情報や知識の活用能力」(やはり長いな…)と分かったとしても、サイバーリテラシー の具体的内容については、いまいち分かりませんよね。
というか、文字通りに読むと、パソコンの使い方の話?と誤解されそうな気もするし…。
一応、きちんとした定義は、当サイトの『サイバーリテラシーとは』というコーナーに書かれています。詳しく知りたい方は、そちらをじっくり読んでみてください。それで内容を理解できるのであれば、以下は読む必要ありません。
お。ここから先を読んでいるということは、『サイバーリテラシーとは』だけでは、いまいち意味が分からなかった、ということでしょうか?
安心して下さい。筆者も、今でこそ当サイトで(縁あって)駄文を披露させて頂いていますが、最初にアレを読んだ時は、さっぱり意味が分かりませんでしたから。まあ、今でも完全に理解しているかと訊かれたら、口笛を吹いてごまかします。ようこそ、初心者の世界へ!
とは言え、『サイバーリテラシー』にもいろいろレベルがありまして、初心者レベルは一種の基礎教養みたいなものなので、ポイントさえ分かってしまえば、内容自体は決して難しくはないです。難しいのは、それをひと言で(簡潔に)説明しようとした時だけでして…(なかなか普及しない最大の理由ですね)。
なので、これからちょっと長文になりますが、できるだけ簡単に(というか、筆者の力量では簡単にしかできませんが)、説明してみたいと思います。
長文と言っても、ゆっくり読んで10分程度だと思うんで、しばしお付き合い下さい。
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オトンとオカンのサイバーリテラシー
まず、『サイバーリテラシー』は、実は私たちにとって、非常に身近な話なんです。
『サイバーリテラシー』が扱うのは、何だかよく分からないコンピューターやIT技術の話ではなく、ITだらけの現代社会や、その社会の中で生きる人間のほうです。社会や人間を考えるということは、私たちの生活そのものを考えるということですからね。
たとえば、今の時代、子育て一つとっても、コンピュータやインターネット、つまりパソコンやスマホ(ケータイ)やゲーム端末など(のIT技術=テクノロジー)と、無縁ではいられません。
最近は授業でパソコンを使ったり、クラスの連絡網をメールで送ったりするのが当たり前になっていますし、家の中でも、子どもたちはゲームに夢中ですよね(筆者含む)。
子どもたちは小さな頃からそうした機器に触れ、その存在が当たり前の時代を生きています。しかし、そうした機器(テクノロジー)は、子どもたちに楽しさと便利さを与える一方、(筆者世代が子どもだった頃には考えられなかったような)新たな問題も引き起こしています。
多くの大人は、子どもたちにそうした機器の「使い方」を教えることはできても、(たいていは子どものほうが先に覚えてしまいますが…)その機器に使われているテクノロジーにどんな問題があるのか、なぜ問題なのか、どう接するべきなのか、といったことを説明できずにいます。
テレビでインターネット関連の事件を見て、なんとなく不安な思いはするものの、それを上手に言葉に出来ない…といった経験を持つ親御さんは、少なくないのではないでしょうか。(やあ、ご同輩)
ひと昔前までは、親は「うちの子」や、「うちの子が通う学校」といった目に見える社会の中で、子どもの成長を考えていけば良かったんです。
ところが今は、「うちの子とつながった世界」あるいは「世界とつながったうちの子」といった目に見えない世界 (サイバー空間)についても考えなくてはなりません。
また、これまで親は、子どもの友だちについて、ある程度の情報を持っていました。特に中学生くらいまでは、子どもの友だちは、同じ地域の学校や塾で知り合った仲で、(相手の親も含めて)見知った相手が多かったはずです。
でも、今どきの「友だち」は、近所(同じ地域)の子どもたちだけとは限りません。
私たち大人も、見知らぬ人とSNSなどでつながることが増えましたが、それは子どもたちも同じです。子どもたちが楽しそうに連絡している相手は、親も当人も(直接的には)全く知らない、どこかの大人かもしれません。
社会経験に乏しい子どもたちが、小さなディスプレイを通じて、大きな世界とつながっています。
現実社会では、見るからに怪しげな繁華街へ(物理的に遠かったり、怖そうなオジサンがウロウロしていたりするので)行かない子どもたちも、サイバー空間ならどこでも行けてしまいます。むしろ、自宅にいながら怪しげなサイトに行けるので、警戒感ゼロです。興味津々です。
かくして、自宅にいても、彼らの心が遠く離れた人々とつながっている(場合によってはイジメられていたり、危険なことに誘われている)ことも、珍しいことではなくなってきています。面倒な時代になりましたね。
こんな時代、親が気を配るべきこと は何なんでしょう。
具体的に、“○○端末では、×××画面から、△△の機能を使って、セキュリティーの設定を…” といった話は、「情報リテラシー」とか「コンピューターセキュリティ」とかいった世界の話です。その手の話は、スマホを買い替える時に、店の人に聞くのが手っ取り早かったりします。
『サイバーリテラシー』では、そうした個々の技術については扱いません。
『サイバーリテラシー』が扱うのは、子どもたちがIT社会で直面する事態は、そもそも何が問題なの? という根本の部分です。親同士で、親子で、子ども同士で、そうした話をしたり、考えたりするための「基礎教養」だと思って下さい。
このように、『サイバーリテラシー』は、日常生活 に密着した問題を多く扱います。
実際、子どもたちだけではなく、私たちも親世代も、知らない内に日々様々なテクノロジーと接しています。って、そんなこと、普段から意識していますか? あんま考えたことないわって人が多いんじゃないかと思いますがどうでしょう(筆者とか)。
でもこれ、考え出すと、結構、他人事じゃないんですよ。サイバーリテラシーを考えるようになって知ったんですけど、なかなか興味深い問題がいっぱいあります。そして、それについてアレコレ考えていくのは(表現的にはアレですけど)なかなか面白いもんなんです。
てことで、もう少しこうした話を続けてもいいですか? そうですか。じゃあ、もうちょっと続けます。
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インターネットって本当に自由なの?
たとえば、社会のいたるところに設置された 監視カメラ。(安全!)
買い物の度にポイントがたまるクレジットカード 。(お得!)
知らない土地手も現在位置が分かるGPS。(安心!)
いろんな情報やサービスがタダで手に入る インターネット。(超便利!)
なにしろインターネットは匿名も可能だし、すっごく自由な空間 に見えますよね。
でも、そうしたテクノロジーは、私たちがいつ、どこへ行き、何を買ったか、どんな経済状況か、何に関心を抱き、どんな趣味・嗜好があるのかといった情報を、どこか(誰か)に提供しているということでもあります。
そう考えると、インターネット(サイバー)空間って、本当に自由なんですかね?
世界中から集まる情報は、いったい誰が、どのように管理しているのでしょう。
私たちは、それらの情報は厳格に管理され、悪用されることはないと思っています。そうした情報を元に、私たちの生活はもっと便利になると、漠然と信じこんでいます。特段の根拠もないのに。
実際、私たちが思う以上に、私たちの情報は収集されています。どれも商用目的だと思いがちですが(商用なら良いというわけじゃありませんが)、実は国家も、国民を監視するために、個人情報を収集しています。それらは主に、テロ対策 などの名目で集められていきます。
ポイントの一つが、そこにあります。そう、そこ。いや、もっと右。そう、そこです。
「テロ対策」のような、誰もが反対しにくい理由で、権力がサイバー空間(のためのテクノロジー)を利用するようになってきたのです。子どもたちが自由に遊んでいた空き地に、大人がビルを建てるからと言ってロープを張り始めたようなもんです。そこで遊ぶなら個人情報を渡さなければなりません。
サイバー空間は結局のところ、たくさんのコンピューターで構成されていますから、簡単に言ってしまえば、プログラムされた通りに機能します。これまで、インターネットに「誰もが自由に使える空間」といったイメージがあったのは、「誰もが自由に使えるようにプログラムされていたから」に過ぎません。
要するに、これまでは、サイバー空間(の技術)をテロ対策に利用しようとか、共謀罪の証拠にしようとか、大量の情報(ビッグデータ)自体を売り買いして儲けようとか、そういうことを考える人たちが、(金や権力にモノ言わせて)そのようにプログラミングしてこなかっただけとも言えるわけです。
大企業や国家による管理・監視社会が、我々のプライバシー(や思想・言論の自由)を脅かしている…なんて言うと、ネット上でよく見かける陰謀論のように聞こえるかもしれません。
でも、悪の独裁者が世界を支配するためにサイバー空間を利用している…なんていう、マンガみたいな話をしているわけじゃないですよ。いくら筆者が幼稚でも(ほっとけ)、権力者=悪なんて思ってないですから。
問題は、サイバー空間ならではの特性(=プログラム通りに機能すること)なんです。
「○○を実行しろ」とプログラムされたコンピューターは、ひたすらそれを実行します。たとえば人間の行動を監視するように作られたシステムは、この人は善い人だから監視しないでおこうとか、他人のメールを勝手に見ちゃダメだよねとか、おっと!これは男女の秘め事だから目を閉じておこう、といった配慮なんてしません。あなたの、あんな姿とか、あんな行為まで、こっそりどこかに収集されちゃうかもしれない…と考えると、なーんか気持ち悪くないですか? まあ、どういった動きをするかは、プログラム次第ですけど。
プログラムは、場合によっては権力者が想定した以上に「仕事」をしてしまいます。サイバー空間は国家という枠組みを超えているので、法律で規制するのも簡単じゃありません。あれこれ議論している間に、特定方向に動きだした技術はどんどん進化してしまい、規制が追いつかなくなることもあります。
結果として、サイバー空間そのものが、人々の自由を抑圧する装置になってしまうかもしれません。
(あ、でも、「やがてサイバー空間が人工知能となって人類を支配する」とか、「それを知った人類は最後の希望を賭けて過去にタイムトラベルする」とかいう話でもないですからね!)
なので、先の陰謀論めいた話も、実は急速に現実味を帯びてきているんです。というか、既に世界中の識者が、真剣に考えている問題なんですよ。いやほんと。マジで。
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サイバーリテラシーという名のジレンマ
インターネット(を中心としたテクノロジー)は人間社会に、とてつもない革新をもたらしました。
パソコン、スマホ、タブレット、ゲーム機器はもちろん、冷蔵庫やエアコンといった白物家電や、自動車、ホームセキュリティ、おもちゃ等々、あらゆるものがネットワークに接続されています。私たちの周囲には常に情報が溢れていて、それらを自由に使うことが出来ます。めちゃくちゃ 便利 な世の中です。
しかし、便利さと危険は、常に表裏一体です。コインの表と裏です。長所と短所、天使と悪魔、秩序と混沌、美女と野獣、英語で言うとジョン&パンチです(最後のは噓)。
要するに、「公害」という言葉は、工業テクノロジーの発達によって生まれたってことです。「温暖化」「環境破壊」といった言葉の裏にも、人々を便利にしたテクノロジーが存在するんです。
情報も同じことです。『サイバーリテラシー』では、IT(情報)社会がもたらした便利さが、私たちの生活にどう影響するか、ということを(も)考えます。それはすなわち、私たちの仕事や生活、子どもたちに、どう影響するのか を考えるということに他なりません。
コンピューターの使い方を学ぶのが従来の「○○リテラシー」であるとするなら、人々がコンピューターを使い始めたことで、またコンピューターに囲まれた社会の中で、「社会や人はどう変わったか」を探り、「真に豊かな社会って何だろう」と、考えるすべを学ぶのが、『サイバーリテラシー』です。
『サイバーリテラシー』は本来、社会学や倫理学、または哲学に近いテーマでした。でも、そこから発展して、「子どもにスマホを買い与える時期は?」 「メールやSNSやLineで注意すべきことは?」 「ネットいじめにあったらどうすれば良い?」といったような、ごく身近なテーマにも幅広く応用されています。
なぜなら、現代社会では、私たちが意識しようがしまいが、その生活の大部分で『サイバー』なことと無縁ではいられないからです。
そして、何も考えず、ただその便利さを享受していると、予想外のトラブルに巻き込まれるのも、現代のIT社会です。そうしたトラブルは、自分が巻き込まれるだけでなく、周囲の人々や、もっと大きな範囲に影響を与えてしまうことも少なくありません。
つまり、今の時代、私たちはITテクノロジーの傍観者ではいられなくなったのです。「機械音痴だから」とか、「ITなんてチンプンカンプン!」などと言い訳して関わらないようにしても、社会はますますIT化していきますから、必ずその結果は押しつけられます。逃げられません。
『サイバーリテラシー』は、その事実に関心の薄い人にこそ重要…というジレンマを抱えていますが、知らないで済ませられる時代は、もう、あまり長くないかもしれません。
ですから、そうした社会について、最低限の「扱い方/考え方/接し方」を学ぶのは、この時代を生きる上での「イロハのイ」=「最低限の常識」=「リテラシー」と考え、知らないより知っていた方がお得ね…と腹をくくっちゃうことをお勧めします。(もう、ここまで読んじゃったんだし)
『サイバーリテラシー』を学ぶために、特別な技術は必要はありません。お金も不要です。運動神経も、自動車免許も、宴会で披露できる特技も要りません。「勉強」という意識すら必要ないんです。当サイトにある様々なキーワードを元に、「ちょっと考えてみる」だけで始められます。というか、ここを読んでいる時点で、既にあなたはサイバーリテラシストです(そんな言葉があるのか知りませんが)。
いつも当たり前に接している世の中を、ちょっとだけ違う角度から見る、頭の体操をしてみましょう。ぶっちゃけ「正解」なんてないので、考えた内容は 身近な人と話し合ってみて下さい。サイバー空間に関する、あなたの意見や問題意識を、他の人はどう考えているでしょう。考えがまとまったら、当サイトに投稿してみると、更に別の反応があるかもしれません。
まずは、いろんな考え方を知りましょう。
それが、『サイバーリテラシー』 です!
…
たぶん。