責任論に戻って:損害賠償(民事責任)と刑事罰
本題に戻ります。第11回から第15回までは品質表示の偽装を巡って、情報法的に見てなぜそれが大切なのか、責任(民事責任)は誰が負うべきか、ISMSなどの認証と手続きを守っていれば責任は軽減されるのか、といった論点を議論してきました。そこでこの流れの最後に、民事責任(≒損害賠償責任)ではなく、刑事責任はどうなるのか、コンプライアンス・プログラムの遵守が免責事由になるのか、といって点を2回に分けて議論しましょう。
・法人の民事責任は「監督責任」だが、一次的な訴訟当事者でもある
まず確認しておきたいことは、伝統的な法学(特に大陸法系)においては、法律的な効果が生ずる行為(法律行為)の主体は、原則として自然人であり、法人にはその「監督責任」という形で責任が生ずる、という2段階構成になることです。
この点を、わが国の民法において見れば、違法行為の主体は自然人であり(民法709条)、その自然人を使用して事業を執行する者は「監督責任」を負いますが(同715条第1項)、「使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったとき」は免責されます(同項但し書き)。従って、ISMSを守っていれば責任が軽減されるか否かは、「監督責任」に係る議論だったのです。
もっとも実際の訴訟においては、被害者は行為者を訴えることも、その者が雇われている会社を訴えることもできますが、法人の方が金持ちなので、法人を相手に訴訟を起こすのが普通です(法人が賠償額を支払えば、行為者に対する求償権が生じます。民法715条3項)。その結果、民事法の分野では、責任の主体が誰であるかの論議は、さほど厳格に考えられていません。
・刑事責任はより厳格で「両罰」が一般的
一方、公害や品質表示の偽装などは、いわゆる「会社ぐるみ」で行なわれるので、庶民感情としては「会社が加害者」です。「会社自身の非違行為」に対しては、被害者が裁判を起こさねばならず時間と費用がかかる民事事案としてではなく、刑事事件として処理して欲しい、という見方が強いと思われます。現に相次ぐ公害事件を経て、「公害(犯)罪法」(正式の名称は「人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律」1970年法律第142号)が制定されましたが、そこでは以下のように規定されており、行為主体が自然人であるという原則は貫かれています。
(故意犯)
第2条 工場又は事業場における事業活動に伴つて人の健康を害する物質(カッコ内略)を排出し、公衆の生命又は身体に危険を生じさせた者は、3年以下の懲役又は300 万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪を犯し、よつて人を死傷させた者は、7年以下の懲役又は500万円以下の罰金に処する。
(過失犯)
第3条 業務上必要な注意を怠り、工場又は事業場における事業活動に伴つて人の健康を害する物質を排出し、公衆の生命又は身体に危険を生じさせた者は、2年以下の懲役若しくは禁錮こ又は200万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪を犯し、よつて人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮こ又は300万円以下の罰金に処する。
(両罰)
第4条 法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関して前2条の罪を犯したときは、行為者を罰するほか、その法人又は人に対して各本条の罰金刑を科する。
このように、刑を科されるべき者は実際に生きている人間、いわゆる自然人であることを前提としつつも、違反行為によって実際に利益を得るのは法人ですから、法人自身を別に処罰する旨の規定(「両罰規定」と呼んでいます)を置くことがあり、行政刑法と呼ばれる行政規則違反行為の面では多くなっています。
両罰規定の中には、公害罪法4条のような規定の後に、「ただし、法人又は人の代理人、使用人その他の従業者の当該違反行為を防止するため、当該業務に対し相当の注意及び監督が尽くされたことの証明があったときは、その法人又は人については、この限りでない。」という但し書きのあるものがあります。立法技術的には、現在はこの但し書きは付けないことになっているので、判例に従えば、但し書きがなくても同様に解釈されることになります。
・法人処罰に関する考え方
このように「法人の犯罪行為」を直接認めず、自然人の犯罪行為が認められることを前提に「両罰的」に認めることには、違和感を覚える読者もおられるかもしれません。しかし、それには以下のような理由があると考えられます。
① 法概念に厳格な大陸法系、特にドイツ法においては、法人実在説と法人擬制説が激しく争った歴史があり、法人実在説が通説となったとは言い難い状況にある。
② どちらの説に拠ったとしても、法人自身に「意思」があるとは言い切れず、会社にあっても取締役やその集合体である取締役会などが、実際の意思決定を行なっている。
③ 法人に刑罰を科すとしても、懲役や禁錮などの自由刑はあり得ず、罰金刑しか考えられない。
④ 私人間の紛争を法的に処理する民事法と、国家権力によって個人や社会全体の利益を保護する刑事法は、目的が異なることから、裁判も全く違った仕組みを取っている(「民事と刑事の峻別」という)。
⑤ 民事法と違って刑事法は刑罰という不利益を強制的に科す以上、法の適用にはより慎重であらねばならない(「法の謙抑性」と呼ぶ)。
しかし実際には、法人の社会的存在意義が大きくなるに連れて、法人に対して刑事罰を科すための要件を緩和したり、罰金類似のサンクションを科すことが、特にプラグマティックな英米法を中心に顕著で、以下のような例があります。
a) 法人内の意思決定や指揮命令過程は外からは分からないので、結果の発生を以って因果関係の証明があったものとするなど、要件を緩和している(先の公害罪法5条も、「工場又は事業場における事業活動に伴い、当該排出のみによつても公衆の生命又は身体に危険が生じうる程度に人の健康を害する物質を排出した者がある場合において、その排出によりそのような危険が生じうる地域内に同種の物質による公衆の生命又は身体の危険が生じているときは、その危険は、その者の排出した物質によつて生じたものと推定する。」との推定規定を置いている)。
b) 独立行政委員会(わが国の公正取引委員会のモデルとされるアメリカのFTC = Federal Trade Commission など)が規則等に違反する行為を行なった企業等に課す課徴金は、刑事罰ではないとされるが、実効的には罰金と変わらない機能を果たしている。
c) しかも、違反行為の発覚前に自主的に申告した企業には、刑事・民事の免責を予め制度に組み込むなどして、刑事罰の適用よりも実効性を上げる工夫をしている(なお、この減免制度 = leniency は、わが国の独禁法にも導入され、談合の自主申告などで効果を発揮している)。
d) 同一の事案が民事でも刑事でも裁判になった場合に、両者で証拠を共有することが認められている(わが国でも交通事故の裁判などで、この点が認められるようになっている)。
しかし、アメリカでは更に進んで、法人の刑事責任を厳しく追求する仕組みが検討されています。この点は、次回まとめて紹介しましょう。