名和「後期高齢者」(3)

ワンボックスカーのなかで

 最近、私は筋力の「単調減少」(これは物理屋のジャーゴン)を避けるためにヨガ道場に通っている。往復はワンボックスカーに詰め込まれる。この椅子は3人掛けなので窮屈。多分、隣人とのあいだは30センチを超えないだろう。呆け老人であっても、こんな環境はこそばゆい。黙り込むか、ひたすら喋りまくるのか、どちらか。

 いや、ラッシュの通勤電車のなかでも同じではないか、という反論もあるかもしれない。だが、どうだろう。ワンボックスカーの場合には、安全ベルトで体を締め上げるという点が違う。体を動かすことができない。この椅子席のアフォーダンスは隣の人と呼吸や体温を伝えあう、という役割ももつことになる。

 ここでまた脇道に逸れる。上記の「30センチの距離」という表現をみて、「プロクセミックス」(proxemics)というジャーゴンを連想する人も少なくないだろう。それは、人間を取り巻く「なわばり」には4つの距離があるという理解であり、人類学者エドワード・T・ホールの説である。密接距離(intimate distance;45cm以内)、個人距離(personal distance;45~120cm)、 社会距離(social distance;120~360cm)、公共距離(public distance;360cm以上) がそれ。ここにいう密接距離は「ごく親しい人に許される空間」という意味をもち、ここには「プライバシー」という価値観がかかわる。孫引きになるが、T.S.エリオットに「鼻のまえ30インチのところ、私自身のさきがけが行く」という詩句のあることを、ホールが指摘している。

 とすれば、ワンボックスカー3人掛けの椅子は、アフォーダンスとプロクセミックスとがぶつかり合う場となる。拘忌コウレイシャ(KK)にとっては、いずれを優先することが望ましいか。自明とはいえない。

 もう一つ。それは医者と患者の椅子について。多くの場合、医者は背もたれ肘かけ付きの椅子に坐り、患者(こちらがクライアント)は背もたれ肘かけなしの丸椅子に坐らせられる。双方の椅子は非対称のアフォーダンスをもつはずだ。なぜか。

 憶測するに、医師は診察にあたり、患者とのあいだに生じるアフォーダンスの均衡を意図的に崩そうとしているのだろう。そうしなければ、プロクセミックスという呪文に阻まれて触診も問診もできない。(お医者さんについて語ることは、患者にとって遠慮があるので、ここまで。)

 ここでKKの本音を語るところにたどりついた。今日、世間のKKにたいする期待、あるいは掛け声は「歩け」「隣人をもて」というところだろう。だが私は、解はこれ一つではないと思っている。それがこの呟きの主題となる。シロウトの呟きなので、皆さま方には、とくに専門家諸氏には、自明のこと、あるいは間違っていることも多々あろう。そこはご教示ねがいたい。

【参考文献】
エドワード・ホール(日高敏隆、佐藤信之訳)『かくれた次元』
かくれた次元