同意する
ひょいと気づいたら、私は携帯で指示を受けながらATMを操作している老人そっくりの状態に置かれていた。ただし、私のまえにあったのは固定電話であり、PCであった。私はすでに同意ボタンをクリックし、数件の個人情報を入力していた。数年前のことであった。
相手は大手電話会社の代理店と名乗り、新しいサービスへの契約を代行したいと提案してきた。私はそのようなサービスが計画されていることを知っており、そのサービスに興味をもっていた。相手は丁寧に時間をかけてこちらの疑問に答えてくれ、気が付いたらすでに同意ボタンを押していた、ということ。しまったと思い、私は相手との通話を切った。
直後、私はグーグルで当の代理店の評判を検索した。そしてよくないコメントを少なからず見つけた。私はまず当の代行システムに再アクセスし、さらなる上書きによって先刻の入力を無効化し、つぎに区役所の消費者保護センターの手助け得て、当の契約を解消することができた。
ところで、この「同意する」だが、契約全文をキチンと読んでこれをクリックする人は何人いるのだろう。昔話だが、電電公社の時代、私はその約款が100ページを超えていたことを覚えている。時代が移り、サービスが多様化し、利害関係者が増大した現在、契約に関する文書は、より複雑になり、より増加していることは容易に推測できる。
だから、ユーザーのリテラシーは、とくに拘忌高齢者(㏍)のリテラシーが、サービスの多様化に追いつかない、ということになる。矢野さんがこのホームページを運用されているのも、このリスクを抑えたいためだろう。
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そういえば、かつて「シュリンクラップ」という契約方式があった。それはソフトを記録したCDの購入について、そのパッケージを破った時点で契約が成立するという商慣行であった。とすれば事業者は考えるだろう。「ブラウズラップ」あるいは「クリックラップ」があってもよいではないか、と。前者はユーザーがソフトをダウンロードした時点で、後者はユーザーが「同意する」をクリックした時点で、よしという方式となる。
調べてみたら、すでに米国の経済学者は「インフォームド・マイノリティ仮説」という概念を示していた。市場に敏感な買い手がいればそれで十分、という説。なぜならば、それで市場の競争は維持されるから、と理由を示した。だがオンライン取引の実情をみると、利用規約をクリックし、ここに1秒以上滞在したユーザーは0.12%にすぎない、という報告もあったりした。
いっぽう、米国の法廷は「平均的インターネットユーザー」という概念を示し、平均的ユーザーが認知できればよいという提案を認めたりしている。この概念を受け入れれば、大部分の人はスマホやPCをもっており、したがって「平均的インターネットユーザー」に入ってしまう。この理解は上記の「インフォームド・マイノリティ仮説」のそれと折り合うものではないが。
ということで「同意する」の理解には諸説あるようだ。当面は「存在するものは合理的である」という哲学にでも頼ることとしようか。その結果か、私は自動更新のサービスをいくつか、それも何年も、続けている。
たまたま昨日、手元に「アマゾン・エコー」がとどいた。そこで質問した。「アレクサ!“同意する”とはどんなこと?」。アレクサは答えた。「すみません。わかりません」。
【参考文献】
名和小太郎「ブラウズラップ、クリックラップ、スクロールラップ、あるいは?」『情報管理』 v.58, n.8, p.564-567 (2015)