情報通信学会にて
6月30日の土曜日に、懐かしい慶應三田キャンパス(私は7年間勤務しました)で、情報通信学会の春季大会兼国際コミュニケーション・フォーラムが開催され、後者の基調講演として「情報社会(情報法)の主体と客体」と題して講演しました。併せて、翌日7月1日(日)の個別報告では、「情報の公正で適切な取扱いに関する考察―『情報の生理学』の構築に向けてー」というテーマの報告をし、続けて森田英夫さんの「情報デジタル化による社会的便益向上に関するオントロジー的考察」という報告の、討論者を勤めました。延べでは2日ですが、実質は6時間ほどの間に3つの役目をこなしたので、高齢者には酷でしたが、その苦労を上回る成果がありました。
・国領講演に共鳴
私は意外にずぼらで、講演(口頭報告)の良さはそのアドリブ性にあると思い込み、これまではあまり準備時間をかけませんでした。しかし、恐らくこれが最後の基調講演になると思うと、今回ばかりは何度も練習し、基調講演にしては短い30分でどこまで聴衆に訴求できるか、シミュレーションをして臨みました。
加えて、この連載では「その日その日」を事後的に振り返って感想を述べてきたのですが、折角このような機会があるなら、今回ばかりは予習に使ってみることにしました。読者は既にお見通しだったかもしれませんが、前2回の投稿は今回の発表用に書いたものです。その投稿にあるように、最も重点的に説明したのは「主体と客体と、その両者の関係」と「有体物の法と情報法とで、関係性にどのような差があるか」という2点でした。
午後3時開始で、眠気を感じる時間帯ではなかったことに加え、最初の講演であったためか、聴衆(50名強だったと思います)は熱心に聞いてくれました。発表内容は、拙著『情報法のリーガル・マインド』に書いたことを、手を変え品を変えて説明したに過ぎないのですが、意外に反応は良かったように思いました(それだけ、著書が売れていない証拠かもしれません)。
しかし、もっと嬉しかったのは、次の基調講演者である国領二郎さんの「情報の価値とビジネスモデルの進化」と題する発表の中に、私の指摘と交差する指摘を多数見出すことができたことです。彼の主張を私なりに要約すると、① 技術変化に伴う社会予測は間違うことが多い(自身も「コンピュータ導入でサプライ・チェーン全体の在庫は最小化される」「情報化で生産者と消費者が直結し、卸は中抜きされる」の2つの予測で大間違いをした)、② 変化の方向を決定づけるのは技術そのものではなくボトルネックが何処にあるかである、③ 近代社会のボトルネックは「信頼の創出と維持」であり、その具現化としての「所有権と貨幣による交換経済」である、④ しかし追跡可能性(traceability)が進展すれば、それも不要になりシェアリング・エコノミーなど新しいパラダイムが始まるかもしれない。
国領さんの主張のうち ③ のボトルネックが「有体物の法」に対応するもので、④ の変化が「情報法」の必要性を(間接的に)述べたものだとすれば、私の指摘と符合する部分が多いことになります。しかし、経営学者である国領さんは ③ から ④ へとワープする企業が伸びると言えるかもしれませんが、保守性と継続性を重んずる法学者である私は、そこまで大胆にはなれません。
・斉藤報告は法学者の立場を代弁
また国領講演は、シェアリング・エコノミーの可能性を紹介してくれる一方で、GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)と呼ばれるような大企業が、競って個人データ(特に購買履歴などの属性データ)の収集に血道を上げている理由をも、説明してくれます。しかし法学者としては、この点についてEUが極めて慎重で、GDPR(General Data Protection Regulation)という、指令(directive)よりも強く加盟国の国内法を許さない規則(regulation)を制定して、域外にも適用しようとしているのは何故かを考えねばなりません。
このような法学者のdilemmaを紹介してくれた報告が、翌日の私の個別報告の直前になされた、斉藤邦史さん(慶應義塾大学)の「信認関係に基づく消費者プライバシーの保護」という発表だったと思います。斉藤報告は、わが国のプライバシー侵害訴訟を丹念に調査し、「プライバシーに属する情報」と「プライバシーに係る情報」の語が明確に使い分けられていること。これに対応して前者(プライバシー固有情報)については「人格的な権利利益」としての救済が、後者(プライバシー外延情報)については「情報の適切な管理についての合理的な期待」の保護が図られてきたとします。
そして米国の近時の議論は、少なくとも後者については、英米法(英国由来)の「信認(Fiduciary)」理論の発展形として処理すべきだ、という主張が勢いを増していることを紹介し、法制の違うわが国においても参考にすべきではないかという紹介をしてくれました。この点は拙著でも主張してきたことなので、「わが意を得たり」の感がありましたが、またまた勉強すべきテーマが現れたという、一種の焦りも感じました。
という訳で、その直後に行なった私の個別報告「情報の公正で適切な取扱いに関する考察―『情報の生理学』の構築に向けてー」は、斉藤報告のようなインパクトが無いので、ここでは以下の4点のみ摘記します。① 「情報の公正で適切な取扱い」はプライバシー保護のための手続的保証という側面のみならず、およそ「情報はこう扱うべきだ」という基本原則である、② わが国においては手続法よりも実体法が重視されがちだが、intangibleなものを扱う情報法では、due process こそ大切である、③ 情報セキュリティは、それが破られたときに問題になるので、病理学的側面が際立つが、そろそろ生理学としての「情報の公正で適切な取扱い」の構築を考える時期に来ている、④ そのためには知財的情報と同時に、秘密的情報の扱いをもっと学ぶ必要がある(わが国の研究者は少なすぎる)。
このような私の主張に対して、討論者の林秀弥さん(名古屋大学)が、個別の手続きと同時に「疫学的対応も必要」との指摘をしてくれました。考えて見ればコンピュータ・ウイルスという喩えは、病気をもたらすウイルスとの共通性を示しており、また最近ではcyber hygieneという言葉もあるので、その点にも気を配るべきことを教示していただいたものと、感謝しています。
・森田報告へのコメント
そして最後は、森田英夫さんの「情報デジタル化による社会的便益向上に関するオントロジー的考察」という報告です。この発表の討論者を依頼されたとき、私はかなり怖気づきました。私の知っているオントロジーは哲学用語で、情報科学のオントロジーについては全くと言って良いほど無知だったからです。しかし調べていくほどに、semantic webなどでは実装されている考えで、私の主張である「情報法の主体にはロボットなども含まれる」という仮説が成り立つためには、何らかの関係があると思うようになりました。また若い会員に討論者を依頼するのも酷なので、年長の私がお受けすることにしました。
しかし何と言っても「泥縄」の準備であることは否めません。そこで、以下のような質問とコメントをしました。① シャノンの情報理論は、意味を捨象して構文にのみ着目することで発展したが、これからはコンピュータに意味を分からせることが大切になる。その面でオントロジーが必須であると理解して良いか、② 私は「情報法の主体」として、これまでの自然人と法人のほか、ロボットやAIなども含まれると理解している。その際、「主体性」の検証手段として、「オントロジー的な閾値」を設定して判断することが可能になる、と理解して良いか、③ この概念が役立ちそうなことは漠然と分かったが、特に文系の研究者にも理解してもらえるよう、説明方法を工夫されることを期待する。
これら3点とも、森田さんからは同意の回答があったように思いますが、コメントした側に、ある種の「後ろめたさ」が残ったのも事実です。討論者はテーマをもっと掘り下げて、議論の核心を突いた質問なりコメントをすべきで、私のものは「無知の欠陥を発表者に転嫁する」ものではないかという自責の念です。学際的学会には良さもありますが、その運営は難しいものだということを痛感しました。