待つ
大阪北部で地震が発生した。テレビで伝えられる映像は「待つ」人びとの姿であった。電車やバス、タクシーを待つ、路の空くのを待つ、消防車を待つ、給水を待つ、お手洗いを待つ、ゴミの収集を待つ、電力供給を待つ、ガスの供給を待つ、など。映像にはならなかったが、スマホの充電を待つ、エレベータからの脱出を待つ、もあったよし。ここだけをみれば、「いつやるか? 今でしょ!」ということになる。
いま「待つ」といったが、その姿は多様。上記の地震についても、公共空間で待つ場合(例、バス)もあれば、密室で待つ場合(例、エレベータ)もある。対応措置を的確にするために待つ場合(例、鉄道)もあれば、対応措置が不十分だったために待つ場合(例、水道)もある。(注:この地震による復旧の待ち時間は、通信は、まあ、なし。電力は2時間、鉄道は丸1日、水道は3日間、ガスは6日間、と報道されている)
自分がこのような「待ち」に巻き込まれていたらどうなる。高齢者となってしまった私は、つまり知力と筋力を失ってしまった私は、どれにも対応できない。路上に寝そべるしかない。戦中世代流にいえば「倒れてのち止む」の精神かな。私はかつて突然の体調不良に襲われたときに、救急車を呼んだ自分の取り乱した姿を思い出した。こんなことをしたら、渋滞を加速するのみ――これは理解しているのだが。
「トリアージ」(患者の重症度に基づいて治療の優先度を決定する)という医療処置にかんする選別法がある。私の場合はどうなるのか、そのフロー・チャートをたどってみた。結論は、カテゴリーⅢの保留群、つまり緑のタグを付けられて現場に放置される身、となった。
この「待つ」だが、この言葉は私たちの世代にとっては眩しい感触をもつ。戦争が終わり、海外から一挙に流入してきた新しい技術の一つに「オペレーションズ・リサーチ(作戦研究)」があり、その中心にあった手法が「待ち行列」であった。
もともと「待ち」は理系の人びとにとって、興味の対象であった。寺田寅彦には「電車の混雑について」、あるいは「断水について」といった小文がある。前者の趣旨は、「満員電車で急ぐか、空いた電車を待つか」は、その人の趣味と効用感覚による、というもの。後者の要旨は、第1にインフラの保守を忘れるな、第2に対応措置を分散化せよ(自家用の井戸を作れ)、というもの。つけ足せば、近年でも『渋滞学』などという本がベストセラーになった。
話をもどす。高齢者の避けて通れない「待ち」にはなにがあるか。それは病院の待ちである。まず、受付の待ち、ついで検査の待ち、ついで診察の待ち、ついで治療の待ち、ついで会計の待ち、ついで診療費支払いの待ち、さらには門前薬局での待ち。大病院だと、一日がかりとなる。冬だと、「星ヲイタダイテ出デ、月ヲ踏ンデ帰ル」という所業にあいなる。
病院の待たせ方も多様。予約時刻順、先入れ先出し(first in, first out)が原則というところがまあ標準である。だが、そこに初診を割り込ませるアルゴリズムは不明。それは担当医師の気分しだいなのかもしれない。とにかく上記のアルゴリズムはどんなものか。この探索は拘忌高齢者(㏍)にとって絶好の頭の体操になる。ということで、㏍は診察室への呼込用掲示板に示される番号を注視する。
そんな病院で、私はたまたま隣りの席に坐った人から問わず語りに聞いた。それはおよそ他人には予想もできない待ちに堪えることであった。その人はオーケストラの追っかけをしており、つい先日にはセルビアへ行ってきた、などとさらりと言ってのけた。その人の悩みというのは、演奏会において、ながい曲の終わりを待つのが、あるいは楽章のあいだの切れ目を待つのが苦しい、とのこと。喉をいためているので咳払いを我慢しているのが辛い、というのだ。これぞ㏍の究極の姿というべきか。そういえば私も寄席で中座をしてしまったことがある。突然、食中りの症状になったためであった。
最後に「待ち」を詠んだ句を一つ。
バスを待ち大路の春をうたがはず 波郷
この句についてだが、㏍には違和感がある。作者の若書きであり、くわえて当時には「後期高齢者」などという概念がなかったためだろう。
【参考文献】
寺田寅彦「電車の混雑に就て」、『万華鏡』、岩波書店、p.137-154 (1935)
吉村冬彦「断水の日」、『冬彦集:復刻版』、岩波書店, p.372-384 (1987)