米国における「通信の秘密」の歴史
前回までに、これまでの法体系は「物」つまり有体物を念頭においたもので、それには「所有権」という排他的権利を設定することが、有効だという点を見てきました。今回からは、「情報」という無体財を扱う際に、有体物アナロジーを用いることが「どこまで有効で、どこからは無効か」を見極める努力をしていきましょう。最初に取り上げる事例は、「通信の秘密」を基礎づける理論が、米国でどのような変遷を遂げたかです。なお今回分の説明は拙著『情報メディア法』(東大出版会、2005年、pp. 138-143)を要約したもので、情報の圧縮度が高いため理解が難しい場合は、拙著を直接参照してください。
・「住居侵入が許されない」のと「電話の盗聴が許されない」理由は同じ
米国憲法は独立宣言(1776年)に続いて、翌年にまず統治機構を定めた部分が制定され、1779年にその補正(amendment)として基本的人権を定めた部分が付け加えられた、という歴史を持っています。その補正第4条は、以下のように定めています。
The right of the people to be secure in their persons, houses, papers, and effects, against unreasonable searches and seizures, shall not be violated, and no warrants shall issue, but upon probable cause, supported by oath or affirmation, and particularly describing the place to be searched, and the persons or things to be seized.
この条文のうち後段の捜査令状に関する部分は、わが国の憲法と似ており、あまり問題はないと思います。しかし前段の「不合理な捜索及び逮捕押収に対し、身体、住居、書類及び所有物の安全を保障される人民の権利は、これを侵害してはならない。」という部分は、「身体——–」の部分が制限列挙だとすると、「これ以外のものは保護されないのか」という疑問を生じさせます。
19世紀半ばに電信が、次いで同世紀末に電話が発明され実用化された直後から、通信の当事者以外の者が通信回線に機器を接続し、無断で傍受するという例が現れました。幾つかの州では早くも19世紀中に、傍受を規制する法律を作りましたが、その重点は通信回線などへの物理的接触を禁止することにより、通信事業者の資産や通信サービスの提供を保護するという点におかれました。つまり「住居侵入」が違法であるのと同じ意味で、「盗聴」は財産権の侵害の一種とされたのです。
20世紀に入ると通信自体の保護が主眼となり、通信の不正な傍受や傍受された通信内容の漏洩、使用が禁止されるようになりましたが、「法執行機関などによる傍受にも及ぶか否か」は必ずしも明確ではなく、実際にその違反により起訴・処罰がなされることはありませんでした。しかし電話などの傍受によって得られた情報が、刑事事件で証拠として使われるようになると、そのような手段による証拠の収集が、憲法の適正手続の保障に照らして許されるものであるか否かが(違法収集証拠という論点で)争われるようになり、連邦最高裁は1928年のオルムステッド事件の判決で初めて判断を示しました。
事案は禁酒法違反の捜査の過程で、連邦の捜査官が被疑者らの住所や事務所の屋外や地下の電話線に、傍受装置を接続するという方法(wiretapping)で通信の内容を傍受し、速記で記録したというものでした。最高裁は、当該証拠は聴覚により捕捉されたにとどまり、「書類や有体物の押収」も「押収を目的にした住居(など)への現実の物理的侵入(actual physical invasion)」もなかった以上、不合理な捜査・押収の禁止と、令状要件を定めた憲法補正4条に違反するものではない、と判示しました。つまり保護すべきは「通信の内容」ではなく「住居や書類などの財産」だというのです。
・立法化から「プライバシーの合理的期待」へ
ただオルムステッド判決も、電話による通信の秘密を保護するため、傍受された通信内容の証拠としての採用を、議会が立法によって否定することは可能であると示唆していました。そこで1934年に連邦議会が、通信規律の一元化を目的として「連邦通信法(Communications Act of 1934)」を制定した際「いかなる者も、(送信者の許可を得ずに)通信を傍受し、かつ傍受された通信の存在、内容、実質、趣旨、効果または意味を、漏洩しまたは公表してはならない」という規定をおきました 。
もっとも、この規定は、文言上「傍受するだけでなく漏洩する」ことを禁ずるものであったことから、実務上は、傍受だけにとどまる限り同法の違反にはならないものと解釈され、電話傍受はその後も実施され続けました。時おりしも、第2次世界大戦に突入したこともあり、防諜活動にも拡張されたといいます。
ところが最高裁は1950年以降、捜査官が被疑者の住居に侵入して盗聴器を設置したことを、「有体物の押収」を目的にした侵入ではなかったにもかかわらず、補正4条違反としました。また捜査官が、細長いマイクを被疑者宅の暖房用ダクトに接着させて、そのダクトを伝わってくる屋内の会話を傍受するとか、同じようなマイクを壁に僅かに差し込んだにとどまるような場合にも、補正4条の適用を認めるなど、オルムステッド判決の基準を緩和する形で、規制の下に取り込んでいきました。
このような流れの末に連邦最高裁は、1967年の有名なカッツ事件判決(Katz v. United States, 389 U.S. 347 (1967))で、プライバシー権の観念に立脚する新たな考え方を基準に、「物理的侵入」を一切伴わない形での会話の傍受についても、補正4条の適用があることを認めるに至りました。ここで採用された概念はその後「プライバシーの合理的な期待」(reasonable expectation of privacy)として広く採用され、わが国でも早稲田大学江沢民講演会事件の判決(最判2003年9月12日)に影響を与えています。
カッツ事件は、賭博に関連してFBIの捜査官が公衆電話ボックスの外側に盗聴器を設置し、被疑者の発信を傍受・録音したというものです。従来の基準の下では、公衆電話ボックス内部への物理的侵入はなかったのですから、補正4条の適用は否定されていたはずです。ところが最高裁は、被疑者の発した言葉を電子機器を用いて聴取し録音したのは、被疑者が公衆電話ボックスを利用している間確保されているものと「正当に信頼していた(justifiably relied)プライバシー」を侵害するもので、従って補正4条にいう「捜索・押収」に当たると判示したのです。
同判決を受けて制定されたのが、「1968年包括的犯罪防止および街路安全法」の第3編「Wiretapping and Electronic Surveillance」で、口頭による会話または有線通信による会話の傍受によって入手された内容と、それを手掛かりにして入手された証拠を、連邦・州・州の下部組織の、立法・行政・司法のいずれの手続においても証拠として採用することを禁止し、また傍受内容の開示を違法としました。また連邦議会は、「1986年電子通信プライバシー法」で、68年法に ① Electronic Communicationを追加する、② 無線通信も加える、③ 個人的な通信にも保護を与えるという修正を加えました。
このようにして、当初は「財産権侵害」の1類型とされていた「通信の秘密の侵害」が、「プライバシー侵害」の類型に組み替えられたのは、時代の流れというべきでしょう。しかし、それですべてがスッキリした訳ではありません。次回以降に紹介しますが、「財産権侵害」という確立された法理は、コモン・ローという判例法の中に「所有権信奉」としてしっかりと根付いており、実利的にもこれに乗った方が楽で、裁判で勝てる確率が高いのも否定できないからです。
その意味では、ここで注目すべきは、むしろ1928年のオルムステッド判決から1967年のカッツ判決までに40年ほどを要したことの方かもしれません。さらに言えば、プライバシーの権利を初めて主張したWarren & Brandeis論文の公表が1890年ですから、「学者の主張が(どれほど優れたものであっても)現実に生かされるには1世紀近くかかる」という教訓を、読み取るべきかもしれません。
・法人の通信も守られるのか
しかし、なお論点は残っています。「通信の秘密」を「プライバシー保護」の観点から理論づけるのは、今日の憲法学では通説となっています。しかし私のようなビジネス出身で、かつ「つむじ曲がり」から見れば、「法人の通信の秘密をプライバシーで根拠づけられるのか」という疑問を提起したくなるからです。
「法人にも自然人と同じような権利がある」という主張はあり得ますし、私もFloridiのInforg(Information Organism)の概念は自然人よりも法人にふさわしい、と考えています。事実、八幡製鉄事件判決(最大判1970年6月24日)は法人に、政治献金の自由を認めています。しかし「法人にもプライバシーがある」という議論は、共通番号に関する激しい議論の中でも聞いたことがありません。
仮に「法人にはプライバシーがない」とすると、「通信の秘密」は個人対個人の交信(e-commerceでは C2Cと呼んでいます)だけが保護の対象で、B2Cは(Cの側しか)保護されず、B2Bの通信は全く保護されないのでしょうか。とすると、全体の通信料のうち何パーセントが保護されていることになるのでしょうか(実は、この種の統計が公表されなくなって久しいので、断定的なことは言えませんが、保護対非保護の比率は半々程度ではないでしょうか)。
「財産権の保護」から「プライバシーの保護」へと発想の転換を図っても、なお残る課題がありそうです。