名和「後期高齢者」(18)

「世代」ってなんだろう

 「世代」ってなんだろう、と考える機会が増えた。私は現役世代ではない。後期高齢者医療保険証を自分の身分証明のために使うことが多い。

 じゃあ、だれが現役世代か。アラフォー、イクメンなどいう流行語で指される人びとはあきらかに現役世代の核だろう。ただし世代という語は「性」には中立的に使われるだろう。『広辞苑』を引くと、

  「生年・成長時期がほぼ同じで、考え方や生活様式の共通した人々」

とあり、「ほぼ30年を1世代とする」と注記されている。

  私の語感では、「世代」にはやや排他的な意味を含む。そこで手元の『シソーラス』に当たってみた。多くの有名人が「世代」に言及している。そのいくつかを紹介しよう。

「それぞれの世代は、相対的な曖昧さのなかから、それぞれの使命を発見し、それを実行し、あるいはそれを裏切らければならない」

とある。フランツ・ファノンの言葉である。ああ、あの革命家の言葉か、と受けることのできる人は、自分の世代を発見したことになるのかも。

 ついで常識的な発言を紹介しよう。まず。リベラルな法律家オリバー・ウェンデル・ホームズ。

「世代とは、かれらの父がなしたと信じることを他者に期待する子供っぽさである」

 もう一つ、皮肉屋のサミュエル・ジョンソンの言葉。

「すべての老人は、・・・、新しい世代の不愉快さ、傲慢さに不満である」

 換言すれば、老人は、若い世代が新しい価値観を主張することが不愉快であり、かれら既成の価値観に無関心なことを傲慢と評する、ということだろう。本音ベースでいえば、現役世代には、じつは世代観などないのかもしれない。つまり、「世代」に関心をもつのは高齢世代のみ、ということかな。

 そうであれば、私はここで居直って、自分が現役世代だったときの関心事を列挙しても、それは許されるだろう。

 私の場合は、10代では浅草オペラとハイパーインフレと肺結核、20代では新制大学(蔑称だった)と「タイガー」(手回し計算器)と日曜娯楽版とLPレコード、30代では公害(当時は「ニューサンス」と呼んだ)と品質管理とカナモジカイ。『広辞苑』流にいえば、ここまでは子としての世代。

 ついで、40代では石油危機とバグ(ソフトウェアの)とアングラ、50代では知的所有権と公社民営化とローマ・クラブ、60代ではバブル経済とサリン事件と阪神大震災と、それからインターネットと。こちらが親としての世代。われながら雑然としているが、こうなるかな。

 ついでに私の脳裏に残っている著名人の名も順不同でメモしておこう。安部公房、梅棹忠夫、大西巨人、加藤周一、黒沢明、桑原武夫、越路吹雪、清水幾太郎、滝沢修、武谷三男、鶴見俊輔、西堀栄三郎、花森安治、松田道夫、三木鮎郎といったところか。いずれも昭和の名前ですね。外国人の名前がないのは、私が外国語を駆使できなくとも暮らすことができた時代に成長したということの反映である。

 話をもどして、ここに示したキーワードや人名が現高齢世代を特徴づける要素になるのか、私はにわかには判断できない。

 あれこれ言ったが、私たち退役世代の自己認識は、私たちは歩きスマホができない世代、つまりSNSに参加できない世代、という一点につきる。もう一つあった。それは原稿用紙を使った世代、ということ。ファノンのような強い世代観はもっていない。

 じつは、私は戦争に遭遇した世代がもつバイアスについて語るつもりであった。だが、それを果たすことはできなかった。私の文体では無理。

【参考資料】
Rhoda Thomas Tripp (compiled) “The International Thesaurus of Quotations”,  Penguin Books (引用文の編集物なので、著作権表示がきわめて複雑。そのために刊行年不明)