林「情報法」(27)

Intel v. Hamidi 事件再論

 前回軽く触れるにとどめた Intel v. Hamidi 判決には、① 動産侵害(Trespass to Chattel、以下TTCと略す)には実害の発生が必要かという論点に加え、② 被害者に自力救済の能力と資力があれば自力救済も認められるのか、という論点の2つが含まれています。今回は、この2点について敷衍するため、ケースをかなり詳細に検討します。

・事案の背景と概要

 Hamidiはインテル社の自動車部門のエンジニアでしたが、1990年に社命による出張から帰宅する際、自動車事故で負傷しました。彼はその後18か月間勤務しましたが、病状が悪化したため1992年1月にインテル社の産業医の勧めで病気休職に入り、1995年4月まで休職しても仕事に復帰できなかったため、解雇されました(公的な補償も受けられませんでした)。

 雇用契約解除後、Hamidiは支援仲間の従業員とともにFormer And Current Employees of Intel (FACE-Intel)という組織を作り、ウェブ・サイトを開設するとともに、インテルの社内ネットワークを介して、21か月間に6回にわたり最大3万5千通のeメールを送信しました。内容は、インテルの雇用慣行を批判しFACE-Intelへの加入を促すものでした。ただし、すべてのeメールには、受信者が望まない旨の通知をすればメーリング・リストから削除することが示され、実際Hamidiは要請に応えて削除していました。

 インテルは内部フィルターを設置したので、ある程度のeメールはブロックされましたが、Hamidiは送信コンピュータを変えるなどしてフィルターを回避しました。インテルは1998年3月にHamidiとFACE-Intelに送信を止めるよう要請しましたが、Hamidiは同年9月にも送信しました。

 そこでインテルはHamidiとFACE-Intelを相手取って、TTCによる将来の侵害を防止するため差止命令を請求しました(当初はnuisanceによる損害賠償も訴えていましたが、途中で取り下げたため、差止だけが争点となりました)。第1審裁判所は、インテルが求めた略式命令を認め、HamidiとFACE-Intelにeメール送信の永久的差止を命じました。

 Hamidiは控訴しましたが、控訴裁判所も1名の反対を除き、「インテルのpropertyを使って業務に損害を与えたのだから、TTCの法理により差止めが認められる」として、請求を斥けました。ところが、上告を受けたカリフォルニア州最高裁は、4対3という僅差でこれらの判決を覆し、Hamidiの行為はTTCに当たらないと判断しました。この判決は、「実害が生じていないのに、コンピュータの文脈にTTCの法理を拡大して適用するには、消極的である」ことを示したものとして、広く知られるようになりました。

・カリフォルニア州最高裁の判断

 判決の要点は、以下の通りです。

 ① Hamidiは、インテルの社員と交信するに当たって、セキュリティ上のバリアを迂回していないし、メーリング・リストから削除して欲しいという受信者の要請にも応えている。大量のスパム・メール(unsolicited e-mails in bulk)を送信したのは事実だが、それによってインテルのコンピュータ・システムのどの部分にも損害を与えていないし、同社のコンピュータの利用権を奪取してもいない。
 ② 権限のないコンピュータ・アクセスがTTCに当たるか否かを、カリフォルニア州法に基づいて判断すれば、当該コンピュータ・システムに損害も機能の低下も与えないような電子通信には適用されないし、されるべきでもない(この点に関する判決文は以下のとおりIntel’s claim fails not because e-mail transmitted through the Internet enjoys unique immunity, but because the trespass to chattels tort–may not, in California, be proved without evidence of an injury to the plaintiff’s personal property or legal interest therein.)
 ③ このケースにおいて主張され得る損害は、eメールの内容が受信者に与える困惑や動揺であって、個人の資産の保有や価値から生ずるものでも、それに直接的に影響を与えるものでもない。
 ④ インテルは、管理者や従業員がeメールを読み対応することも、内部フィルターをセット・アップするのも生産性を下げるというが、不愉快な手紙を読んで苦痛を感じたり、望まない電話でプライバシーが失われるのと同程度である。
  ⑤ こう述べたからと言って、電子通信だけが特別の免責を受けるという訳ではなく、他の通信手段と同様eメールによっても受信者に損害が発生し、コモン・ローや制定法によって裁判を起こすことが出来るケースが生ずる。インテルの主張が通らないのは、(上述 ② のとおり)カリフォルニアでのTTC法理は、原告のpropertyかそれから生ずる法的利益に損害が生じたという証明がない限り適用されない点にある。もし異常な量か、それに発展し得る量のeメールが送信され、コンピュータの機能に障害が生ずれば、損害の発生が認定されるだろう。

・実害主義と差止の是非

 前回述べたように、TTCの法理は不動産の不法侵入(trespass)から派生したものですが、trespassそのものとは違い、損害の発生を要件とするというのが通説です。カリフォルニア州最高裁の判断は、それに従ったものに過ぎませんが、このケースで争点になったのが有体物であるサーバーというよりは、社内メール・システムという目に見えない(intangible)な存在であったため、その意味するところは意外に広いと考えられます。私個人は、「有体物のpropertyに関する法理を安易に無体財に適用してはならない」という点に配慮して、「情報法」という新しい領域を検討すべきだと考えていますので、判決に賛成です。そのような理解は、広く支持されているかと思います。

 ところが、米国のpropertyの概念は(判例法で形成されてきたので当然とも言えますが)幅の広いもので、かつては奴隷も含まれ現代でも長期リースが含まれるなど、わが国の「所有権」に比べれば内包や外延がはっきりしません。そこで発生源であるtrespassと同様、「損害の発生を要しない」と解釈すべきだという説も強力に主張されています。ここに、前回のテーマであった「資本主義とproperty信仰」の強い結びつきを感ずるのは、私だけではないでしょう。

 その代表的論者の1人に、Richard Epsteinがいます。彼はこの裁判においてインテルのために参考意見(amicus curiae)を書いたほどで、シカゴ学派の論客です。同派の多くはシカゴ大学の経済学部や法科大学院に属し、資本主義の原点はproperty(つまり排他的利用権)を重視することであり、それは有体物にとどまらず無形の資産にも及ぶべきだと主張します。

 ここで、法的には「propertyか否か」と「差止が認められるか否か」が、ほぼ互換的に主張されている点に注意が必要です。本来、この2つの概念は同義ではありませんが、propertyのような強い権利には差止請求権が付随すべきだというのが、一般的になっているからです。Intel v. Hamidiも、最終的には差止の是非が争われた訳です。

・サイバー攻撃に対する自力救済

 ところで、この判決が注目される点として、もう1点「自力救済がどこまで認められるか」という「影の論点」があります。近代国家においては、刑事罰はもとより民事の強制処分も国家に独占され、私人が自身で執行すること(自力救済)は認められていません。しかし、インターネットが時に「新しいwild westだ」と非難されるのは、国家にそのような権限を付与し実行する仕組みが出来上がっていないからです。

 この点で、Epstein は判決が「インテルは自己のネットワークをHamidiに使わせないようにする技術も資金もあるのだから、自己解決せよ」といているのは許せないとして、以下のような議論を展開しているのが注目されます。

 図表(図表自体は著者が作図したもの)は、縦軸に国家による法的救済の有無を、横軸に自力救済が認められるか否かを取って、マトリクスにしたものです。(a) における両立は近代法においては回避され、(d) における救済の不在は、被害者に「泣き寝入り」を強いるので許されません。残るのは (b) か(c) ですが、これこそ「法的救済と自力救済のバランス論」になります。

ところがEpsteinはIntel判決のように「『自力救済があるので、法的手段は認めない』

という判決は聞いたことがない」と言います。それは図表において、(c)の命題とは逆になるからです。そこで彼は「これではインターネットのもたらす問題として、『権利あるところに救済あり』の格言が通用しないかもしれないという不安・不信を醸成してしまう」と批判しています。

図表  Epsteinの議論
 私はIntel v. Hamidiの判決自体は支持するので、結論部分においてEpsteinとは違う見解の持ち主ですが、上記の指摘には無視できない要素が入っていることを認めざるを得ません。それは、「国家が権利侵害を救済するのでなければ、インターネットは無法地帯になりかねない」という警告ですが、この点はまだまだ論ずべきことが多いので、次回に続きます。