小説投稿サイトから将来、傑作は生まれるだろうか
インターネット上で小説を投稿できるサイト「小説投稿サイト」で発表され、読まれている作品はウエブ小説、ネット小説などと呼ばれている。2007年にブームになった「ケータイ小説」の系譜を引くもので、題材は恋愛、異世界、ファンタジー、魔界転生、ゲーム、宇宙など多岐にわたるが、どちらかというとライトノベル系のものが多いようである。
読むのも投稿するのも無料だが、人気のある作品は、書籍化、ゲーム化、ドラマ化への道も開かれており、一部で有名になったものもある。
その代表的サイトが「小説家になろう」で、運営開始は2004年というから結構な〝歴史〟である。小説掲載数60万点を超え、小説を読みたい人、アマチュア作家、プロ作家、出版社の編集者など登録者数は137万人に及ぶという。このサイトから「なろう小説」という言葉も生まれている。ほかにも大手出版社であるKADOKAWAとインターネットサービス、はてなが共同で運営している「カクヨム」など多数のサイトがある。
人びとはウエブ上で(スマートフォンから)これらの無料小説を読んでいる。いわゆる文芸誌(「文学界」、「新潮」、「群像」、「すばる」など)は、出版不況を反映して、いずれも実売1万部を切る中で、ワンクリックも計算のうちとは言え、この閲覧部数は脅威的である。
読者の中に出版社の編集者が含まれているのも興味深い。かつての編集者はさまざまなアンテナを張り巡らして新人を発掘、その新人を一人前の小説家に育て上げた。いまは投稿サイトに目配りして、そこから大魚を釣り上げようとしている。
『読者の心をつかむ WEB小説ヒットの方程式』といった指南書も売られているが、手っ取り早くアクセス数を稼ぐためのノウハウで、「小説とは何か」、「何を書くのか」といった〝純文学〟的な問いかけは、当然ながらない。
これとは性格がだいぶ違うが、かつて<いまIT社会で>の「今様メディア百鬼夜行」で取り上げたDeNAによるキュレーションサイト閉鎖事件(2016年暮れ)を思い出す。あそこには、ものを書き一般に提供するとはどういう意味を持つのかといった表現行為に対する思い入れは一切なく、かつてメディアというものが漠然とながら持っていた文化的な営みとのイメージは完全に消えていた。
ここには、ユーチューブなどの動画投稿、インスタグラムなどの写真投稿ともならぶ、いわゆる「投稿サイト」としての新しい潮流が生まれていると言えるだろう。かつて書くことが、あるいは井戸端会議的な話題がそのまま「金稼ぎ」に結びつくことはなかった。いまはそれらの投稿がビジネスになる。表現する行為の意味がすっかり変わった。
ところで、将来、小説投稿サイトから大作、名作、傑作が生まれる時代が来るのだろうか。もちろん可能性はゼロとは言えないし、多数の人がそこに押しかければ、量が質に転嫁することは起こり得るけれど、ウエブ小説は直接的、短期的な読者の関心を引こうとするものである。傑作が生まれる可能性は低いと私には思われる。