名和「後期高齢者」(24)

【悼辞】吉岡斉に

 この1月14日は吉岡斉の1周忌になります。昨年の9月末に「偲ぶ会」がありました。私は自身の体調不良のために参加できませんでしたが、下記の悼辞を寄せました。

 吉岡斉の名前を私が知ったのは1981年です。『朝日ジャーナル』の特集号「新コンピュータ・ショック」で、吉岡さんは総論を、私は各論を書いたのです。このときに吉岡さんは28歳、私は50歳でした。こんなに年齢差があるのに、その後、かれは私との対話を楽しんでくれたようです。もちろん私もかれとの対話を楽しみました。

 二人は公的、私的の研究会や科学ジャーナルの特集号で、繰り返し、互いの意見を交換するようになりました。かれは体制外の研究者であり、私は体制内の実務家であり、互いの立場は異なっておりましたが、デュアル・ユース・テクノロジー(民生・軍事のどちらにも利用できる先端技術―編集部注)には意見を同じくしておりました。

 その総決算が2015年にみすず書房から刊行した対話篇です。その本のタイトル『技術システムの神話と現実』は、吉岡さんの選んだものです。ボードリヤールの名著にあやかった、とかれは言っていました。

 この対話のために、吉岡さんはゴミ屋敷のような拙宅まで、数回、足を運んでくれました。超多忙なかれが退役ボケ老人の健康を慮ってくれたのです。私が重力場のなかで、思うように自分の身体を動かせなくなったためです。

 思いがけないメールを吉岡さんからもらったのは、2017年9月のことでした。そのメールは、自分の病状を俯瞰的に冷静に語るものでした。それは「復活の見通しは定かではありませんが、少なくとも数カ月は静養して、回復につとめたいと思っています」という言葉で結ばれていました。

 吉岡さんは、悠々自適の境地に達したときに、世間話の相手としての席を私に用意してくれていたと思うのですが、超多忙のなかに倒れてしまいました。年齢は私のほうが上であるのに。

吉岡斉・名和小太郎『技術システムの神話と現実 原子力から情報技術まで』みすず書房 (2015)
技術システムの神話と現実――原子力から情報技術まで