林「情報法」(32)

基幹統計よ、お前もか!

  トランプが得意とするfake に慣らされつつある私たち日本人も、まさか自国政府の基幹統計で、「偽装」とまではいかなくても、数多くの不正が行なわれていたとは思いませんでした。これは、2005年に発生した耐震強度の偽装から始まった、一連の「品質表示の偽装」の根源に横たわる、「情報を都合よく操作するのは良くないが微罪に過ぎない」という意識の究極の姿で、「メルトダウン日本」を象徴する事件だと考えるべきでしょう。

「メルトダウン日本」を象徴する事案

 事件の発端は2018年末に、「毎月勤労統計」(厚生労働省所管)は全数調査であるべきところ、東京都の大企業については3分の1の抽出調査になっており、しかも統計的な補正も行なわれていないことが発覚したことでした。ところが、通常国会の再開を控えて急いで基幹統計56種を再点検したところ、「賃金構造基本統計」(同じく厚労省所管)や「小売物価統計調査」(総務省所管)など20以上で、担当部門の恣意的な決定だけで不正が繰り返されてきたことが分かってきました。

 しかも毎月勤労統計は、雇用保険や労災保険の支払額を決める基礎となっているため、これらが過少給付となっており、影響は延べ約2千万人、費用は約800億円(システム対応費を含む)の巨額になると推定されました。慌てた政府は、昨年12月21日に閣議決定していた2019年度予算案を1月18日に修正決定し、国会に提出しました。

 問題はそれで終わりませんでした。毎月勤労統計を所管する厚労省で「第三者調査」と称する特別監査委員会が、わずか1週間で「中間報告」を発表し、「組織的な隠ぺいではない」と断定したのです。ところが、委員がすべて厚労省に関係していただけでなく、会合に厚労省のナンバー2やナンバー3が同席し、個別ヒアリングも大半は身内が行なっていたことが判明し、事態を収拾するどころか「火に油を注ぐ」結果になってしまいました。

 そして賃金構造基本統計にも不正があったことから、安倍政権の看板である俗称「アベノミクス」で、賃金が上がったことにしたかったのではないか、という憶測まで生まれました。実際は不正の根はもっと深く、毎月勤労統計では15年も前から行なわれていたというのですから事態はもっと深刻で、「近隣の某国の経済成長率は疑わしい」などと、他国を非難できない状況です。

 統計が嘘に傾きやすいことは、昔から知られていました。インターネットには「偉人名言」というサイトがあって、その中に英国のディズレーリ首相(1804-1881)が言ったとされる「世の中には嘘は3つある。嘘、大嘘、そして統計だ」(There are three kinds of lies: lies, damned lies, and statistics.)という箴言が載っています。

・組織性逸脱行為

 そんな歴史に学んだからでしょうか。統計法には、次のような規定があります。

「第60条 次の各号のいずれかに該当する者は、6月以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。
  一 第13条に規定する基幹統計調査の報告を求められた者の報告を妨げた者
  二 基幹統計の作成に従事する者で基幹統計をして真実に反するものたらしめる行為をした者」

 今回の事件は、明らかにこの第2号に該当します。ですから「不適切な処理」という表現は「不適切」で、「不正」と言うしかないのです。

 なぜ15年も前から不正が継続していたのでしょうか? 日銀で統計を扱い現在はシンクタンク経営の鈴木卓実氏や、旧通産省出身のテレビ・コメンテータの岸博幸氏は、いずれも悲観的です。

 http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1901/17/news026.html
 https://diamond.jp/articles/-/192628

 両者の議論に共通の要因として、① 統計は主流の仕事ではなく専門知識も要るのでノン・キャリアに任せきり、② 企画・立案・立法化などは華やかでキャリアが行きたがるが統計は地味で魅力に乏しい、③ 予算抑制や定員削減があると真っ先に統計が狙われる、といった点が挙げられています。

 そして実際、今回の事件は、2018年9月12日付の西日本新聞でネット配信されたのにあまり話題にならず、また鈴木氏は2018年12月に松本健太郎氏との対談で、いずれ大事件になるであろうと予見していたというのです。

 https://note.mu/jyaga0716/n/n0aa7362ae7b7?creator_urlname=jyaga0716

 セキュリティを心理学(組織心理学)の面から研究している人の間では、「組織性逸脱」という概念が共有されています。社会的に広く認められた規範から外れる「逸脱行為」のうち、個々人の思考や資質が原因ではなく、組織風土が主因となって生ずるものに付けられた名前です。今回の不正行為はまさにこの概念にぴったりで、それだから評者のほとんどが「原因の究明は不可能だろう」と感じているのでしょう。

・統計法制定の初心に帰れ

 となると、厚生労働省という「組織」の問題点を洗い出さねばなりません。確かに、グリーンピア事業など年金保険料の無駄使い(2004年)、いわゆる「消えた年金」というデータ・ベースの管理不全(2007年)、年金個人情報の漏えい(2015年)、働き方改革の際の不適切な労働時間調査(2018年)、そして今回の不正と、同省の組織的病理は枚挙に暇がありません。所管業務の幅の広さ、重要度の向上、巨額な予算、中央省庁と自治体との関係など、組織として見直すべき点は多いかもしれません。

 しかし、「適切な情報管理」という視点から、「情報法の一側面」としてこの問題を捉える私の立場からすれば、厚労省に固有の問題点を指摘し改善するだけでは、根本的な解決にならないと思います。なぜなら、財務省における公文書改ざんは、もっと悪質な行為と言わざるを得ませんし、基幹統計の不正は多数の官庁に広がっているのですから、病理は厚労省だけとは言えないからです。

 ここで歴史を振り返る必要があります。昭和22年に制定された旧統計法(現在の統計法は2007年に全面改訂されたものです)は、第2次大戦の廃墟から、わが国の復興を成し遂げるためには、英国流の統計(evidence)に基づいた意思決定が必要だと考えた、吉田茂首相(元駐英大使)の肝いりで制定されたと言われています。

「失われた20年」あるいは「第2の敗戦」を経て、やっと「Society 5.0」を目指そうという元気回復気運にある今こそ、この精神を取り戻すチャンスではないでしょうか。その際、企画段階だけでなく、監査にも統計を生かすことが大切だと思います。

PDCACもエビデンスに基づいて実行せよ

 旧統計法の精神は、PDCAサイクル(Plan-Do-Check-Act)の最初に出てくる「企画」(Plan)段階でevidenceを生かすことでした。しかし時代が変わった現代では、同時に「監査」(Check)の段階にもevidenceを活用することが重要かと思います。セキュリティを研究している私が見る限り、PDCAサイクルを繰り返し実行している組織は稀で、通常はP-Dで止まり、社長が代わったからとか環境が劇変したからという事情で、改めてP-D を始めている組織が多いのが実態です。つまり、CとAは、ほとんど実行されていません。

 環境が激変していることは事実ですから、それ自体を頭越しに責めることはできないかもしれませんが、鈴木氏や岸氏の指摘にあるように、エリートほどPに拘り、地道なCを軽視していることも否定できないと思います。しかし、組織改革というと勇ましいのですが、その実態は地道で労を惜しまぬ「見直し」と「繰り返し」です。統計や監査のような影の力に支えられてこそ、戦略が生きてくることを忘れてはなりません。