新サイバー閑話(8)

「情報法のリーガル・マインド」

 林紘一郎さんの連載コラム「情報法のリーガル・マインド その日その日」はすでに30回を超えるが、最近は日産・ゴーン事件、政府統計不正事件と、時局的な話題が登場することが多くなっている。最新の32回は「基幹統計よ、お前もか!」である。

  2017年はじめに刊行された『情報法のリーガル・マインド』で著者は、今後対応を迫られる大きなテーマとして「情報の品質保証」を上げているが、それがいま現実の社会的大問題として浮上してきたわけである。時代がようやく所説に追いついてきた(指摘していた問題が顕在化してきた)と喜ぶべきか、あるいはそのことを悲しむべきか。それよりも、持論が社会に真剣に受け止められず、とくに政治の分野ではほとんど一顧だにされてこなかった事態を嘆くべきなのか。著者の感慨もまた複雑だと思われる。

 なぜ厚労省で不正統計が長年続いてきたのか。コラムが指摘しているように、省庁内で統計部門が軽視されてきたとか、省内のコンプライアンスは崩壊寸前だとかいった現状があり、だから「頭から腐った組織」の抜本改革が必要だとも指摘されているようだが、一方で著者の言うように、これは厚労省だけの問題ではない。

 つい最近でも森友問題をめぐる財務相の大胆な改ざんがあった。以下はコラムとは関係ない私見だが、問題はむしろ、そういう事態に対して現政権が一向に毅然とした対応を取っていないことにある。今回の統計不正問題は、皮肉なことに昨年突然、統計のやり方を元に戻した結果として、賃金水準が上昇する結果となり、それが新聞紙上で指摘される形で浮上した。これについては、アベノミクスの効果を際立させるために「忖度」したのではないかと憶測もされている。

 まさに「組織はトップから腐る」。厚労省だけで見れば、統計部門の不正を長年にわたって放置してきた厚労省幹部の責任が問われるだろうが、役人全体を考えれば、彼らは常に自分たちの上、最終的には政権を見ている。だから責任も最終的には現政権を担う閣僚、さらにはその長たる首相その人に行きつかざるを得ない。「まことに遺憾。精査して責任者がわかれば厳正に処分する」などと言ってすまされるとはとても思えない。

 国の代表者たる人びとの道徳観念が目に見える形で失われれば、それは下部にどんどん伝染していく。常に上を見て仕事をする官僚の感染速度はきわめて速いが、長い目で見れば、その状況は、市井で日々まっとうな生活を営んでいる人びとにも徐々に浸透していく。いや現にそういう空気が蔓延しているとも言えよう。

 著者が紹介しているウエブ上のディズレーリの名言集を見ていたら、「いかなる政府も、手ごわい野党なくしては長く安定することはできない。No Government can be long secure without a formidable Opposition.」というものもあった。一強多弱の政治構造においては、「忖度」の対象はただ一点へと向かう。忖度でもそれが多元的な方向を持ち、お互いに牽制し合うような状況では事態が変わり、政治状況は「安定」するかもしれない。思わずそんなことを考えた。統計不正は現政権以前から行われていたとは言うものの……。