ユヴァル・ノア・ハラリというイスラエルの歴史学者が書いた『ホモ・デウス(HOMO DEUS : A Brief History of Tomorrow)』という世界的ベストセラーの日本語版が2018年に刊行され、けっこう話題になった。原著は2015年の出版だからいささか〝古い〟けれど、同じ著者が先に世に問うた『サピエンス全史(SAPIENS : A Brief History of Humankind)』を受けて「テクノロジーとサピエンスの未来」(日本版サブタイトル)を概観した「大作」である。
私がサイバーリテラシーの教科書として推奨する書物はローレンス・レッシグ『CODE』などいくつかあるけれど、この著もまたその一つに違いなく、長い歴史的視野のもとに将来の人類のあり方を予測した興味深い内容である。
本コラムで折々に『ホモ・デウス』にからむ話題を取り上げ、近未来の世界を探訪していきたい。
ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』㊤㊦『サピエンス全史』㊤㊦(ともに河出書房新社、2018、2016)
ゲームとバーチャル・リアリティ
「アサシンクリード」というプレイステーション用の「潜入アクションゲーム」がある。フランスに本拠を置くユービーアイソフトが12世紀末のエルサレムを舞台とした第1作を2007年に発売以来、現在まで、中国、アメリカ、フランスなどを舞台に十数本を制作している。
その最近作である、プトレマイオス朝エジプトを舞台にした「アサシンクリードオリジンズ」を見る機会があった。ゲームはそれぞれの地域を舞台に戦闘や冒険が繰り広げられるのだが、その舞台の再現ぶりが驚異的である。
ゲームには、「ディスカバリーツアー」というプレイとは無関係に、古代エジプトの景観や建物、その内部、人びとの様子などを体験できるソフトがついている。アレクサンドリア、メンフィス、ナイルデルタ、ギザのピラミッドなどを歴史専門家やさまざまなジャンルの学者の協力を得て復元しており、まさに当時の世界そのものを探訪できるようになっている。
たとえばクレオパトラで有名なアレクサンドリア大図書館の中に入ってみると、パピリスの巻物(古文書)が棚に収めてあるのだが、その巻物に心棒がはいっているのと、入っていないものがあり、その比率が研究で明らかになっている事実とほぼ合致するらしい。庭に生えている草花まで時代検証に耐えるという。ピラミッド内部も探険できる
ゲームのバーチャル・リアリティがここまで進んだと思うと感無量である(最新作はギリシャをテーマとする「アサシンクリードオデッセイ」)。ゲームを楽しみながら、現実にあった(と想像される)歴史的舞台を探訪できるから、これは立派な教材でもある。ユーザーはゲームをするばかりでなく、それらの景観をカメラに収めたり、ユーザー同士で会話したりもできる。
映画全盛の時代は、たとえばハリウッドのセシル・B・デミルといった大プロデューサーが、莫大な資金と人材(人物)を投じ、大きなセットを築き上げて「クレオパトラ」、「十戒」などの映画を作ったが、今や大金がゲームの世界に投じられているようだ。
・バーチャル・タイムマシン
かつて「セカンドライフ」というバーチャル空間が話題になったことがある。
アメリカのリンデンラボ社が2003年に開設したもので、オンラインゲームとも言えるが、決まった目的やシナリオはなく、自分の分身であるアバターを作ってそこに参加、町で買い物をしたり、楽器を演奏したり、店を開いて物を売ったり、友人とおしゃべりしたりと、まさにオンライン上で「第2の人生」を送ろうというのがコンセプトだった。リンデンドルという通貨は実際に米ドルと換金可能だったから、セカンドライフ内でビジネスを始める大手企業も出てきて、日本でも2006年ころには大きなブームになった。
2010年以降はほとんど話題にならなくなったが、今でも活動は続いており、参加者もかなりいるようだ。セカンドライフは自分で土地を買い、ビルを建て、不動産業を営めるようになっていたが、今度のゲームの方は舞台があらかじめ精巧、かつ正確に作り込まれているところが違う。そこにバーチャル・リアリティ技術の進歩が大きく影響しているだろう。バーチャルな世界は現実世界と離れた「第2の空間」であるという発想自体がすでに過去のものかもしれない。
かつて司馬遼太郎の歴史小説を愛読していたころ、この作家の頭には幕末のある時、勤王の志士や新選組の連中が東海道をどのように行き来していたかがはっきりイメージされているのではないかと思った。とすれば、2人の歴史上の人物が大井川の渡しですれちがったのでないかとの発想が生まれ、そこから新たな物語も生まれたのだろう。いまや、その気になりさえすれば、幕末の東海道を再現するのも可能で、まさにバーチャル・タイムマシンの時代である。
・現実世界とサイバー空間のかけ橋
バーチャル・リアリティ(VR=Virtual Reality)というのは、コンピュータの中に現実そっくりの仮想世界をつくりあげる技術である。サイバー空間と現実世界に橋をかける技術は、一般にミックスト・リアリティ(MR)と呼ばれ、それには現実世界を電子的に補強、増強する技術も含まれる。
バーチャル・リアリティが脚光を浴びたのは1980年代だが、当初は、頭にかぶるメガネ(HMD)や電極を埋め込んだ手袋やスーツなど、大がかりな道具を身につけてコンピュータ世界に「没入」することを目指していた。そういう大研究所の現場を取材したことがあるが、今や昔、今では同じようなヘッドマウントディスプレイのおもちゃさえある。
ハラリの「ホモ・デウス(神の人)」というのは、われわれ「ホモ・サピエンス(賢い人)」が生物工学、サイボーグ工学、非有機的生命工学といった最新技術によって、自らの生物学的限界を乗り越えて、新しい種(人間種)を作り上げる可能性について考察したものだが、最新ゲームの世界をのぞくだけで、私たちがいまどういう時点にいるのかがよくわかる。
若い友人から聞いたのだが、ネット上では自分の死を体験するアトラクションも話題らしく、その体験談も掲載されている。件の友人は「VRの普及により『意識とは何か』という深淵な問題が、一般人にとっても身近な問いかけになっていくように思います」と述べている。