新サイバー閑話(11) ホモ・デウス③

人間を神にアップグレードする

 人類はこれまでの歴史で、①飢饉、②疫病と感染症、③戦争、という3つの大敵をほぼ克服してきた、という大胆な宣言から話は始まる。

 これは『サピエンス全史』の結論を踏襲するものだが、スタンリー・キューブリック監督のSF映画の古典、「2001年宇宙の旅」の冒頭シーンを思わせる迫力である。

 類人猿が敵との戦いのさなか、手にした木片を怒りにまかせて地面に激しく打ち付けた時、これを道具(武器)として使えることを発見する。そして、木片は空中高く舞い上がり、次の瞬間、それは宇宙船ディスカバリ―へと変貌する。リヒァルト・シュトラウスの「ツアラトゥストラはかく語りぬ」の壮大な音楽は、宇宙船登場と同時にヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」に変わった――。

 このわずかな冒頭シーンを検証したのが『サピエンス全史』全編と言ってもいい。著者は書いている。「飢饉と疾病と戦争はおそらく、この先何十年も膨大な数の犠牲者を出し続けることだろう。とはいえ、それらはもはや、無力な人類の理解と制御の及ばない不可避の悲劇ではない。すでに対処可能な課題になった」。

 そして、こう続ける。「成功は野心を生む。……。前例のない水準の繁栄と健康と平和を確保した人類は、過去の記録や現在の価値観を考えると、次に不死と幸福と神性を標的とする可能性が高い。飢餓と疾病と暴力による死を減らすことができたので、今度は老化と死そのものさえ克服することに狙いを定めるだろう。……。そして、今度は人間を神にアップグレードし、ホモ・サピエンスをホモ・デウスに変えることを目指すだろう」(33)。これが『ホモ・デウス』のテーマである。

「人間は至福と不死を追い求めることで、じつは自らを神にアップグレードしようとしている。それは、至福と不死が神の特性だからであるばかりでなく、人間は老化と悲惨な状態を克服するためにはまず、自らの生化学的な基盤を神のように制御できるようになる必要があるからでもある。……。これまでのところ、人間の力の増大は主に、外界の道具のアップグレードに頼ってきた。だが将来は、人の心と体のアップグレード、あるいは、道具との直接の一体化にもっと依存するようになるかもしれない」。

・生物工学、サイボーグ工学、非有機的生命工学

 その道具としてあげられているのが、生物工学、サイボーグ工学、非有機的生命工学である。順に、著者の言うところを聞こう。

 生物工学。「私たちは、アメーバから爬虫類、哺乳類、サピエンスへと進化した。とはいえ、サピエンスが終着点であると考える理由はない。遺伝子やホルモンやニューロンに比較的小さな変化が起こっただけで、……、ホモ・エレクトスが、宇宙船やコンピュータをつくるホモ・サピエンスへと変容した。それならば、私たちのDNAやホルモン系や脳構造にあといくつか変化が起これば、どんな結果になるか知れたものではない。生物工学は、自然選択が魔法のような手際を発揮するのを辛抱強く待っていたりしない。そうする代わりに、生物工学者は古いサピエンスの体に手を加え、意図的に遺伝子コードを書き換え、脳の回路を配線し直し、生化学的バランスを変え、完全に新しい手足を生えさせることすらするだろう。彼らはそれによって新しい神々を生み出す。そのような神々は、私たちがホモ・エレクトスと違うのと同じくらい、私たちサピエンスとは違っているかもしれない」。

 サイボーグ工学。「サイボーグ工学はさらに一歩先まで行き、有機的な体を、バイオニック・ハンドや人工の目、無数のナノロボットと一体化させる。そうしてできたサイボーグは、どんな有機的な体もはるかに凌ぐ能力を享受できるだろう」。

 非有機的生命工学(非有機的な生き物を生み出す工学)。「とはいえ、サイボーグ工学でさえ、有機的な脳が司令統制センターであり続けるという前提に立っているから、割に保守的だ。一方、有機的な部分をすべてなくし、完全に非有機的な生き物を作りだそうという、より大胆なアプローチがある。神経ネットワークは知的ソフトウェアにとって代わられ、そのソフトウェアは有機化学の制約を免れ、仮想世界と現実世界の両方を動き回れる」。

・ボーマン船長とレイチェル

 いわゆる改造人間のことを意味するサイボーグ(Cyborg)はCybernetic organismのことである。アンドロイド(Android)も、より人間に近づいたイメージとして使われるが、いまではグーグルのモバイルOSの名としても知られている。

 サイバー(Cyber)はアメリカの科学者、ノーバート・ウィーナーが提唱した「生物と機械における通信、制御、情報処理の問題を統一的に取り扱う総合科学=サイバネティクス(Cybernetics)」に由来する。その主著『サイバネティクス』(1948)はその後の情報理論およびコンピュータの発達に大きな影響を与えたが、事態はついにホモ・デウスを生み出すまでになった。ちなみに「サイバースペース(Cyberspace=サイバー空間)」はSF作家のウィリアム・ギブスンが1984年に発表した『ニューロマンサー』で流布させた言葉である。

 さて、著者はそのような最先端の研究をいろいろ紹介しているが、サイボーグに関しては、「サイボーグの医師は、オフィスを一歩も出ることなく、東京やシカゴや宇宙基地で緊急手術を行うことができる」、また非有機的生命の誕生に関しては、「有機体の領域を抜けだせば、生命はついに地球という惑星からも脱出できる」と書いている。

 映画「2001年宇宙の旅」のボーマン船長は、一人で木星に突入、時間と空間のねじれた試練の果てに、エネルギーとして宇宙を飛び回る「星の子(Star Child)」になった。この映画はもう50年前の公開だが、その卓越した発想(SF作家、アーサー・C・クラークとの共作)は、斬新な制作手法とともに、まさにSF映画の金字塔である。

 ところでもう一つ、私が好きなSF映画は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を原則にしたリドリー・スコット監督の「ブレードランナー」である。レイチェルは、この映画に登場する美しきアンドロイド(レプリカントと呼ばれていた)の名前だった。

スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」(公開1968)/リドリー・スコット「ブレードランナー」(公開1982)
2001年宇宙の旅 (字幕版) ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)

ノーバート・ウィーナー『サイバネティックス』(岩波書店,原著1948)
ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)

フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』(ハヤカワ文庫,原著1968)/ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』(ハヤカワ文庫,原著1984)
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229)) ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)