新サイバー閑話(12) ホモ・デウス④

カーツワイルとシンギュラリティ

「ホモ・デウス(Homo Deus)」とよく似たイメージとして「ポスト・ヒューマン(Post Human)」という言葉がある。その考えはレイ・カーツワイルの『ポスト・ヒューマン誕生(原著‘The Singularity is Near : When Humans Transcend Biology’)』によく表れている。カーツワイルのあまりにあっけらかんと、しかも自信に満ちた主張について、ハラリは正面からは論じていないが、上巻と下巻で各1回、カーツワイルへの言及がある。

 最初は不死の研究者としての紹介であり、「昨今はもっと率直に意見を述べ、現代科学の最重要事業は死を打ち負かし、永遠の若さを人間に授けることである、と明言する科学者が、まだ少数派ながら増えている。その最たる例が、老年学者のオーブリー・デグレイと、博学の発明家レイ・カーツワイル(アメリカ国家技術賞の1999年の受賞者)だ。カーツワイルは2012年に、グーグルのエンジニアリング部門ディレクターに任命され、グーグルはその1年後、『死を解決すること』を使命として表明するキャリコという子会社を設立した」と書いている。

 カーツワイルは、コンピュータの知能が人間を上回る「特異点(singularity)」は2045年だと預言している。サイボーグ、あるいはアンドロイドの全面肯定であり、さまざまな限界をもつ人間の現状にとらわれる必要はないと言う。

 彼は遺伝子工学(G)、ナノテクノロジー(N)、ロボット工学(R)の3分野で相互補完的に急速な(指数関数的な)変化が生じ、生物と非生物(コンピュータ)が共生する時代が来る、そのときはナノテクノロジーで作り出された小さなコンピュータが、体内の血管や脳のシナプスの中を動き回り、内臓の欠陥を修復したり、脳の記憶容量を拡大したりするという。「21世紀の前半には、怪物のような機械の知性が、機械の生みの親である人間の知能と区別がつかないほどになる」、「われわれには自分自身の知能を理解して―その気さえあれば自分自身のソースコードにアクセスして―それを改良し拡大する能力がある」。

 コンピュータは人間と共生し、人間のために働くというイメージだが、そのとき、コンピュータの知能はすでに人間を上回っている。

 彼によれば、「テクノロジーが急速に変化し、……、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうような、来るべき未来」が特異点であり、「特異点を理解して、自分自身の人生になにがもたらされるのかを考え抜いた人を特異点論者(singularian)と呼ぼう」と宣言している。

・人間と機械の区別はなくなる

 特異点という考えは、数学や物理学の世界で使用され、「特異点は、ある基準 (regulation) の下、その基準が適用できない (singular な) 点」とウィキペディアにある。

「本書では、これから数十年のうちに、情報テクノロジーが、人間の知識や技量を全て包含し、ついには、人間の脳に備わった、パターン認識力や、問題解決能力や、感情や道徳に関わる知能すらも取り込むようになると論じていく」、「特異点とは、われわれの生物としての思考と存在が、みずからの作りだしたテクノロジーと融合する臨界点であり、その世界は、依然として人間的ではあっても、生物としての基礎を超越している。特異点以後の世界では、人間と機械、物理的な現実とバーチャル・リアリティとの間には、区別が存在しない」、「特異点―人間の能力が根底から覆り変容するとき―は、2045年に到来すると私は考えている」。

 1948年生まれのカーツワイルは2045年には100歳近いが、そのときまで生き抜く覚悟のようである。

 GNRは同時進行する3つの革命であり、「ナノテクノロジーを用いてナノボットを設計することができる。ナノボットとは、分子レベルで設計された、大きさがミクロン単位のロボットで……、人体の中で無数の役割を果たすことになる。たとえば加齢を逆行させるなど」、「ナノボットは、生体のニューロンと相互作用して、神経系の内部からバーチャル・リアリティを作りだし、人間の体験を大幅に広げる」、「脳の毛細血管に数十億個のナノボットを送り込み、人間の知能を大幅に高める」、「GとNとRの革命が絡み合って進むことにより、バージョン1.0の虚弱な人体は、はるかに丈夫で有能なバージョン2.0へと変化するだろう。何十億ものナノボットが血流に乗って体内や脳内をかけめぐるようになる。体内で、それらは病原体を破壊し、DNAエラーを修復し、毒素を排除し、他にも健康増進につながる多くの仕事をやってのける。その結果、われわれは老化することなく永遠に生きられるようになるはずだ」など、勇ましい言葉が続く。

・「ミクロの決死圏」の世界

「ひとたびこの道を進み始めれば、テクノロジー恐怖症の人が『ここまではいいが、ここから先に行ってはいけない』ともっともらしく言えるような停止点はどこにもない」といった他の研究者の発言も紹介されているが、本コラム第2回で概観したように、かつて強いAIが喧伝された時、やはり肉体こそが必要だという意見が多く、私自身もそう考えていた。しかし、いま進みつつあるコンピュータと人間との共生が、まったく新しい時点に到達しつつある。「コンピュータには肉体がない」という次元の話でないことは確かである。ふたたび映画のたとえで言えば、これは「ミクロの決死圏」の世界である(こちらも1966年公開とずいぶん古い)。

 本書によれば、先に言及したロドニー・ブルックスは、「AIは1980年代に衰退したと主張する人々は今も存在するが、それは、インターネットは2000年代初頭のネットバブルととともに破綻したと言い張るようなものだ」と言っているらしい。

 さて、ハラリ本人だが、下巻でカーツワイルのいかにも予言者めいた語り口にふれて、「実際、シリコンヴァレーではデータ至上主義の予言者は、救世主を想起させる伝統的な言葉を意識的に使っている。たとえばレイ・カーツワイルの予言の著書のタイトル『シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき』(邦訳『ポスト・ヒューマン誕生』のこと)は、『天の国は近づいた』という洗礼者ヨハネの叫びを真似ている」と書いているが、ここにはハラリの、『ホモ・デウス』は歴史的予測の書であり、政治的なマニフェストではないという歴史家としての目がある。

 ちなみに「特異点」に関しては、『サピエンス全史』下巻に以下の記述がある。「物理学者はビッグバンを特異点としている。それは、既知の自然法則がいっさい存在していなかった時点だ。時間も存在しなかった。したがって、何であれビッグバンの『前』に存在していたと言うのは意味がない。私たちは新たな特異点に急速に近づいているのかもしれない。その時点では、私、あなた、男性、女性、愛、憎しみといた、私たちの世界に意義を与えているもののいっさいが、意味を持たなくなる」。

 老年学者、オーブリー・デグレイにも少しふれておこう。

 アメリカのピュリッツァー賞受賞科学記者が長命科学の最先端をルポした『寿命1000年』によると、老化は生物に避けられない「宿命」ではなく、ただの「病気」だという。病気なら直せるわけで、本書に主役級で登場するオーブリー・デグレイは、「老化は基本的には体の細胞にゴミがたまることで起きる。だからそのゴミを除去することができれば、969歳まで生きたとされる旧約聖書メトセラの夢を実現できる」と言っている。

 ミトコンドリアが大きなカギを握っているらしいが、彼はコンピュータ科学の出身である。

レイ・カーツワイル『ポスト・ヒューマン誕生』(NHK出版、2007。原著‘The Singularity is Near : When Humans Transcend Biology’2005)
ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき
ジョナサン・ワイナリー『寿命1000年』(早川書房、2012、原著2010)
寿命1000年―長命科学の最先端
リチャード・フライシャー監督「ミクロの決死圏」(公開1966)
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