アナトール・フランスとイサベラ・ダンカン
固い話が続いた。ちょっとひと息。
本書にこんな逸話が挿入されている。1923年にノーベル賞受賞者のアナトール・フランスと才能に恵まれた美しいダンサー、イサドラ・ダンカンが出会った。当時人気のあった優生学運動について論じていたダンカンが、「私の美貌とあなたの頭脳を兼ね備えた子どもが生まれたらどんなに素晴らしいでしょう」と言うと、フランスが「ごもっとも。だが私の容貌とあなたの頭脳をもった子供を想像してみてください」と応じた。
著者も「有名だが出所の怪しい」話として紹介しているのだが、このバリエーションはいろいろある。私が最初に知った話は、コリン・ウイルソンの本だった気がするが、登場人物はバーナード・ショーとマリリン・モンローだった。さもありなん。
フランス、ショーともノーベル賞受賞者で、女性はいずれ劣らぬ魅力的なスターである。男性にアルベルト・アインシュタイン、女性にサラ・ベルナールを配し、それぞれがそれらしいセリフを発するいろんなバージョンがあるが、日本版はなさそうである。女性役の起用が難しいが(この種のタイプはいるのだろうか)、男性役は夏目漱石を置いてほかにないだろう。
夏目漱石にはこんな逸話がある。
一高で教えていたころ、教室の前方で片腕をポケットに突っこんだまま聞いている学生がいた。その日は朝から気分がよくなかったのか、漱石は「腕を出して聞くように」注意した。本人は黙っていたが、近くの学生が「彼は先ごろの戦争で腕をなくしました」と言った。そのとき漱石先生、少しも騒がず、こう応じたという。「僕もない知恵を絞って授業をしているのだから、君もない腕を出して聞き給え」。
閑話休題。
著者は「有性生殖は籤引きに等しい」例証として、この挿話に言及した。しかし、これからはただ運命の選択に身をゆだねている必要はなくなる。美貌と知性の組み合わせが採用され、そうでないものは排除される運命にあるかもしれないと。