新サイバー閑話(20) ホモ・デウス⑪

文明の成長と衰退

 今回は読後感よもやま話である。 

 ハラリの大作に触れて、昔読んだ歴史家、アーノルド・トインビーの『歴史の研究』を思い出した。1934年から61年に書かれた超大作だが、私が読んだのは3巻本の縮刷版だった。トインビーは古代から現代(執筆時)に至る人類の歴史を、地域的に21の文明圏に分けた。5000年から6000年程度の歴史的差異は無視できる(それらの文明は共時性がある)との立場から、すべての文明に共通する原則として「成長」と「衰退」のあり方を考察した。

 文明は発生し、そして成長し、衰退し、最後に解体する。

 トインビーは個々の文明を横断的(空間的)に俯瞰して共通の原則を導きだしたが、ハラリはサピエンス史を縦に(時間的に)串裂きにして、動物→サピエンス→ホモ・デウスとして定式化した。

 サピエンス史をトインビー的に見ると、今ではひとくくりで考えられる人類文明は、すでに衰退期に向かっていることになるだろうか。興味深いのは、トインビーが成長と衰退、挑戦と応戦といった概念のほかに、「引退」と「復帰」にも言及していることである。たとえば、ルネッサンス期のフィレンツェの政治家、ニッコロ・マキュアベリは一時要職も務めた政界から放逐され、歴史からの引退を余儀なくされたが、蟄居して森の中で思索を積み、有名な『君主論』を書いて歴史に復帰したというふうな。

 だから、かじ取りを間違えなければ、サピエンスは引退することなく、うまく「おだやかな」ホモ・デウスへと変身して、歴史に復帰できる可能性もあるのではないだろうか。もちろんやり方を間違えて、いよいよ滅びていく危険を避けられればだが……。

 その点、ハラリが「振り返ってみると、ファラオの失墜や神の死は、どちらも好ましい展開だった。人間至上主義の破綻もまた、有益かもしれない。人がたいてい変化を怖がるのは、未知のものを恐れるからだ。だが、歴史には一定不変の大原則が一つある。そなわち、万物はうつろう、ということだ」と書いているのは興味深い。

・バリでつらつら考える

宿の外に広がる田園風景

 私はこの「ホモ・デウス」に関する連載を避寒と療養のために長期滞在しているバリで書いている。大きな繁華街以外には高層ビルは皆無で、伝統的な割れ門の中に平屋の住宅がひっそりとたたずむ姿は美しい。門の両脇にはさまざまなヒンドゥー教の守護神が祀られている。

 街は緑に覆われ、道路は車というよりバイクであふれている。人々はほとんどスマートフォンを持っている。定期的に通うジムへの往復はタクシーではなくバイクを利用する。インターネットを使ったバイク便サービスが発達しており、アプリを使って探せば、5分以内に門前まで迎えに来てくれる。ヘルメットをかぶって後ろにしがみつくように乗る。いくら交通渋滞でも車の左右かまわずどんどん先に進むから、タクシーなら30分もかかる渋滞でも5分で着く。料金は日本円で100円しない。

 信心深いヒンドゥー教徒は3月7日、バリ歴による正月(ニュピ)を迎えた。当日は煮炊きの火も使わず、外出は禁止。ラジオもテレビもWIFIも強制的に切断される。空港も閉鎖する。前日は神輿や山車が道路を練り歩きにぎやかだが、当日はみんな静かに自宅で祈りを捧げる。朝、試みにテレビをつけてみたら、ニュピのお知らせ休業の画面が出た。インターネットも同じである。

 この日は珍しいほどの悪天候で、日本の梅雨を思わせるどんよりとした雲に覆われ、ときおり激しい雨も降ったが、車やバイクの騒音はなく、隣家のざわめきも聞えず、ニワトリや犬もおとなしい。人の気配はまるでなく、ときおり雨や風の音、小鳥のさえずりが聞こえるばかりである。夜は島内のあらゆる灯が消された。昨年がそうだったが、天気が良ければ静まり返った空に無数の星が、まるで深山か離島にいるように美しく輝く。

 窓からあたりの景色を眺めていると、バリの人びとののどかな生活と「ホモ・デウス誕生」がどう関係してくるのかなどと考える。

 思い浮かぶのは、西洋人が15世紀から19世紀にかけて率先して行った「地理上の発見」とその後の世界制覇(植民地支配)である。

 ハラリはこの点を『サピエンス全史』で詳述しているが、西洋人だけが世界征服に乗り出し、アジアを始め他の諸国がその流れに逆らえなかったのは何故なのか。西洋人はいち早く科学革命や資本主義革命を推進すると同時に、「世界地図に空白がある」ことに気づき、それを征服することに強い意欲をもった。

 他文明の中には15世紀においてヨーロッパよりはるかに強大な統治力を持ち、技術力もあった国が存在したが、彼らは陸続きの隣国を征服し領土を拡大することに専念はしたが、海を隔てた遠い場所に他の人種が住んでいることも、世界地図に空白があることも真剣には考えなかった。「特異なのは近代前期のヨーロッパ人が熱に浮かされ、異質な文化があふれている遠方のまったく未知の土地へ航海し、その海岸へ一歩足を踏み下ろすが早いか、『これらの土地はすべて我々の王のものだ』と宣言したいという意欲に駆られたことだった」。

 他の文明は、そもそも外部世界への関心も知識もなく、その結果、手痛い仕打ちを受けることになったわけである。

ホモ・デウスによる第2の世界制覇?

 2015年にメキシコを旅したことがある。主にユカタン半島のリゾート地、カンクンに滞在、マヤ文明の遺跡、チチェンイッツァなどを訪ねたが、帰りにメキシコシティでアステカ帝国の遺跡も見た。

 現在のメキシコの首都はテスココという大きな湖を埋め立ててつくられた。この湖の中にアステカ帝国の牙城があったのだが、1519年、都を見下ろす山の上にスペインのエルナン・コルテスがわずかな軍勢だけで現れたとき、アステカの王はこれを「神の使者」と勘違いし、丁重な礼を持って迎えている。自分たちを征服するなど夢想もしなかったわけである。その結果、内部対立、隣国との抗争などもあって、当時最盛期にあったアステカ帝国はあっけなく滅んだ。

 アメリカ大陸の他の文明もよく似た運命をたどり、徹底的な虐待と持ち込まれた伝染病の蔓延により、本書によれば、「20年のうちに、カリブ海先住民のほぼ全員が命を落とした。スペイン人入植者はその穴を埋めるために、アフリカの奴隷を輸入し始めた」という経過をとった。

 メキシコシティの壮大なカトリック寺院はアステカ帝国の宮殿を潰した上に立てられており、埋もれた遺跡の一部をいま見学できるが、恐れ入った蛮行である(もっともスペイン自体、十字軍遠征の攻防でカトリック教会がイスラムのモスクになったり、イスラム施設に覆いかぶさるようにカトリック施設が建築されたりしている。アルハンブラ宮殿に象徴されるように、それがいまアンダルシア地方の観光資源である)。

 いずれホモ・デウスによる「第2の世界制覇」が行われるとして、それはどういうものなのだろうか。そこでも、「進歩意欲」、「改造意欲」、「征服欲」の強い西洋人が時代をリードするだろうか(ヒューマニズムが白人至上主義的傾向をもったことは否定できない)。たしかにいまIT社会をリードしているのはGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの頭文字)をはじめとするアメリカIT企業だが、そのメッカ、シリコンバレーには各国から優秀なエリートが集まっている。

 国で言えば、デジタル・レーニン主義を標榜する中国が一党支配をテコにIT業界でも覇権を築きつつあるし、名うてのロシアもいる。既存のカースト制がなお厳しいインドでは、脱カーストをIT産業に求める若者も多いと聞く。ホモ・デウスは西洋人を中心に地域や国、人種を離れた新しいエリートとして誕生するのだろうか。

 抗争は地上よりもサイバー空間を通して展開されるだろうが、今はのどかなバリでさえ静観していられないことは確かである。

 本コラムで環境問題に触れて社会学者、ウルリッヒベックの「海面上昇は、不平等の新たな景観を生み出しつつある。従来の国家間に引かれた境界線ではなく、海抜何メートルかを示す線が重要になる新たな世界地図を描き出しつつあるのだ。それによって、世界を概念化する方法も、その中で私たちが生き残る可能性も、これまでとはまったく異なるものになる」という言を紹介したことがあるが、いずれもう一つ、新たな世界地図が作り上げられる可能性があるということだろうか。

 そういうことを考えながら過ごしたニュピの一日だった。8日午前6時に灯火規制は解除され、インターネットもつながった。結局、今年は星空は見えなかった。

アーノルド・トインビー『歴史の研究』(縮刷版、社会思想社、1975)
歴史の研究 1