あらためてサイバーリテラシーについて
『ホモ・デウス』が提起した問題はサピエンス全体の運命に関わっている。何よりもまずこのことを認識すべきだと思う。
先にも触れたように、いまやGAFA支配の時代である。日本ではようやく昨年になって、これらのIT企業を「プラットホーマー」(「社会経済に不可欠な基盤を提供」し「多数の消費者や事業者が参加する市場そのものを設計・運営・管理する」存在)と位置づけ、経済産業省が設置した有識者会議が中小企業などに与える影響への対策を検討し始めた(しかし、IT企業のサービスを利用する過程で「一方的に利用料を値上げされる」とか「手数料の負担が重い」などの対策を検討するという程度に過ぎない)。
国際的にもいろんな対策が講じられつつある。サイバー空間を経由して収益を上げているIT企業の税金をどう適正に徴収するかに関して、イギリス政府は2020年4月から、海外大手の英国内での売り上げに課税する「デジタル税」を導入する。グローバル企業の国境を越えた収入は、従来のように工場や営業拠点などを通して収益を計算し課税するやり方はではうまく把握できないからである。
それぞれ対応を迫られる具体的問題であることは間違いないが、そんな〝ささやかな〟問題ではなく、もっと大きく、深刻な問題が前途には横たわっているとハラリは警告しているのである。
国内外の『ホモ・デウス』をめぐる反響についてはよく調べていないので何とも言えないが、ハラリのこの問いかけへの「応戦」はどの程度なされているのだろうか。
・あぶり出される「個」の解体
私は2000年来、IT社会を生きる基本素養として「サイバーリテラシー」を提唱してきた。このことについては本サイバー燈台の「サイバーリテラシーについて」を参照していただきたいが、要はIT社会を現実世界とインターネット上に成立するサイバー空間の相互交流する姿と捉え、この社会を快適で豊かなものにする実践的知恵を探ろうとするものである。
ここではインターネット誕生以来のサイバー空間と現実世界の交流史を図示している。
細かい説明はウエブにまかせるとして、今は図6の状態で、サイバー空間と現実世界は渾然一体となっている。データ至上主義はインターネット上のサイバー空間でこそ猛威を振るうのであり、私はこの新しい情報空間に注目してきたわけである。
ただ「個」の外部に焦点を当てており、「個」内部に外部が否応なく浸透してきていることを今回、ハラリの本で教えられた。「21世紀には、個人は外から情け容赦なく打ち砕かれるのではなくむしろ、内から徐々に崩れていく可能性の方が高い」。
私はサイバーリテラシーの課題を以下の3つだと考えてきた(『サイバーリテラシー概論』参照)。
①デジタル技術でつくられたサイバー空間の特質を理解する。
②現実世界がサイバー空間との接触を通じてどのように変容しているかを探る。
③サイバー空間の再構築と現実世界の復権。
③がハラリの言う、いま検討すべき課題だと言っていいだろう。ついでだが、サイバー空間のアーキテクチャーとしてのサイバーリテラシー3原則は以下の通りである。
<サイバー空間には制約がない>
<サイバー空間は忘れない>
<サイバー空間は「個」をあぶり出す>
問題は「個」のあり方である。私の念頭にあったのは、個人が家族、地域、組織などのくびきから離れてバラバラになるということにすぎなかったけれど、今や「個」そのものが解体されて、個人のアイデンティティが喪失しかねないということである。文面を変える必要はないと思うが、より大きな含意を持つものになった。
・サイバーリテラシー協会
『サピエンス全史』で日本にふれて、「日本が例外的に19世紀末にはすでに西洋に首尾よく追いついていたのは、日本の軍事力や、特有のテクノロジーのおかげではない。むしろそれは、明治時代に日本が並外れた努力を重ね、西洋の機械や装置を採用するだけにとどまらず、社会と政治の多くの面を西洋を手本として作り直した事実を反映しているのだ」というくだりがある。
これもずいぶん前に書いたことだけれど(IT技術は日本人にとって「パンドラの箱」?讀賣新聞2006年2月7日夕刊文化欄)、日本人のITへの取り組みはきわめて甘い。こんなことでは、今度こそホモ・デウスの嵐にあっという間に呑み込まれてしまうだろう。
昨年暮れ、ある会合で高齢の婦人からこう言われてショックを受けた。彼女は「矢野さんはサイバーリテラシーをずいぶん昔から提唱しており、おっしゃることはよくわかる。ひと昔前はそれでよかったけれど、書いているようなことはすでに現実になっているのだから、これからどう行動すればいいかの対策が必要ではないのか」と。
まことに図星である。サイバーリテラシーを提唱してすでに20年近い。この間、警鐘を鳴らし続けたと個人的には思っているが、笛吹けども踊らず、世間的には微々たる関心しか呼ばなかったし、その間、私としても前にほとんど進めなかった。
一人の力で簡単に進める問題でないことも確かである。
だから私はITで潤っている企業、ITの行く末を案じている人びと、日々その恩恵を受けている人などが集まり、基金を作り、IT社会をまさに「快適で豊かなものにする」ための知恵を出し合うべきだと提唱してきた。エコロジーのようなグローバルな運動に育てたかったわけである。
これが「サイバーリテラシー協会」設立の呼びかけだが、この機会にあらためてその種の団体を立ち上げ、世界の関連団体と提携して、歴史の転換点における知恵を探る必要性を強調したいと思う。
そのときにはハラリを顧問に迎えたいものである(^o^)。