東山「禅密気功な日々」(3) 会報から③

朱剛先生直伝、これが禅密気功だ

 レポートを書くにあたって、あらためて朱剛先生の3部作、『気功生活のすすめ』(2004、清流出版=絶版)、『背骨ゆらゆら健康法』(2007、春風社)、『気功瞑想でホッとする』(2009、同)や『築基功 中国禅密気功基礎功法』(2000)などを読み返してみた。私が書いたことは、まことにつたないものだが、気功の心構えとしてはそれなりに意味のあることかもしれない。

 ご承知の方も多いだろうが、禅密気功は朱剛先生の師、中国の劉漢文師が代々、家伝として伝えられてきたものを1970年代末に公開したことに始まり、1986年に中国政府が認めた20大功法にも数えられている。朱剛先生は若いころから中国で武術、気功に親しみ、劉漢文氏からも直接指導を受け、1989年の来日以来、禅密気功の日本における普及に努められてきた。

 気功の功法にはさまざまな流派があり、禅密気功の中にも、20近い功法がある。そのうち私が履修したのは築基功、陰陽合気法(人部、天地部)、双雲功、吐納気法(1~5)、彗功、洗心法くらいである。また精神と肉体の健康を獲得、維持するのが気功だとすれば、中国には古来、仏教、道教、儒教などさまざまな教えがあり、それは部分的に気功にも取り入れられている。

背骨ゆらゆら健康法―自分でできるお手軽気功術

 朱剛先生が教室などでよく言われることだが、「山に登るにはいろんなルートがある。どのルートを登ろうが、頂上に到達できればいい。ルートの違いを論じたり、優劣を競ったりする必要はないのだ」と。立派な教えである。そして私はと言えば、気功という大きな山の麓あたりをなおうろうろしているに過ぎない。九州の九重登山で言えば、久住と大船(だいせん)という2つの山の間に広がる裾野、坊がつるを徘徊しながら、山小屋の白濁湯でのんびりしている風情か。明日はどちらかの頂上を目ざさねば。

 大船の鎌倉教室は会員の自主運営で、すでに20年近く続いている。元の松竹大船撮影所の一角に作られた鎌倉芸術館がフランチャイズだが、場所の抽選に漏れた時は他の会場に移ることもある。月に2回程度、土曜日の午前中に20人前後の人びとが集まり、練習に励んでいる。横浜教室に出かける前の朱剛先生を囲んでの昼食も楽しいひと時である。私も教室に通ってすでに十数年、精神的にはともかく、肉体的には健康を回復できた、あるいは回復しつつある気がする。老化が忍び寄りつつあるとは言え(^o^)。

気功瞑想でホッとする

 日本禅密気功研究所の江戸川橋本部教室は東京都新宿区山吹町にあり、そこで本部教室や各種功法の集中コース、瞑想会などが行われている。会員のほとんどの方が一度は訪れたことがあるだろう。

 教室の最寄り駅は東京メトロ有楽町線の江戸川橋である。近くに落ち着いた、昔懐かしい雰囲気が漂う、その名も地蔵通り商店街がある。集中コースのとき、薄皮でパリパリした、甘味の薄い餡子のたい焼きを食べたのが懐かしい。思い出と言えば、近くを神田川が流れている。三鷹市の井之頭公園に源を発し、都心をほぼ東に流れて両国橋あたりで隅田川にそそぐ。都心唯一の、どこにも暗渠のない一級河川で、南こうせつとかぐや姫がうたった「神田川」の舞台は下落合あたりとも西早稲田だとも聞いたけれど、詳しくは知らない。下落合は学生のころ下宿していた場所から遠からず、ときどき通っていた駅近くの喫茶店には、美人で気さくな若い女将がいた。彼女を慕って多くの常連が集まり、楽しいコミュニティを作っており、たしか野球チームなんかも出来ていたと思う。

 話がそれた。

 集中コースの昼食を近くの中華料理屋でとったあと、先生に案内されて神田川沿いを散策したことがある。6月だったから両岸の桜の葉がうっそうとした並木を作り、川はかなり深いところを静かに流れていた (春は有名な花見の名所である)。少し離れた椿山荘の裏門まで歩いた。芭蕉ゆかりの山荘には「古池やかわず飛び込む水の音」の無造作な立て札もあった。腹ごなしにはもってこいのコースである。

 先生の本を読み返してみると、私が考えてきたことはほとんどこれらの本に書かれている気がする。自説の根拠を見つけて嬉しい反面、これらの本はかつて読んだものだから、自分の考えはそこから導き出されたのかと、いささかがっかりした気持ちにもなった。以下、『気功生活のすすめ』の引用である。

「東洋医学では、病気の原因は、体内の気の流れが悪くなったことにあると考え、まず体内に気を十分取り入れ、気がスムーズに流れるようにすることから治療を始めます」(9)、「自己の免疫力や治癒力、調整力を向上させ、健康になることを目指すのです」(12)、「気功はまずリラックスすることによって細胞や毛細血管を活性化させ、そこからエネルギーを盛り上がらせるのです」(14)、「気功には人間の免疫機能を高める効果があることが、さまざまな実験で実証されているのです」(35)、「全身の力を抜いて、特に肩から首筋を柔らかくするような感じで、背骨を真っ直ぐにして座ってみましょう。……。いろいろな想念、感情、記憶などが沸き起こってきますが、これも流れに任せます」(65)、「気はもともと人間の体内を流れています。ただ、健康を阻害する方向に流れていたり、ストレスなどによって悪いエネルギーとして流れている場合もあります。気功の練習を通して気を正常に働かせ、全身のエネルギーを活性化させると、五臓が元気になります」(85)。

廬山煙雨浙江潮  廬山(ろざん)は煙雨、浙江(せっこう)は潮(うしお)
未到千般恨不消      未だ到らざれば千般恨み消せず
到得還來無別事      到り得て帰り来たれば別事無し
廬山煙雨浙江潮      廬山は煙雨、浙江は潮 
蘇東坡

 建長寺だか円覚寺だかの早朝座禅会の法話でこの漢詩を知った。廬山も浙江も名勝の地である。「別事なし」とはどういう意味か。自然はいつもと変わらないけれど、見る方の心に変化が起こったということらしい。冒頭と最後の句の間に、一種の悟り、心境の変化があったわけである。

 報国寺の座禅会では和尚から以下の教えを受けた。

 いいと思うことを心を込めてくりかえす

 名言の引用を、白隠禅師の有名な坐禅和讃の一節で締めよう。以上すべて自戒のためなのだが……。

 無相の相を相として  行くも帰るも余所ならず
 無念の念を念として  謡うも舞ふも法の声
 三昧無碍の空ひろく  四智円明の月さえん

桐一葉、落ちて天下の秋を知る

 悟りは突然やってくる。まあ、悟りと言うほどではないけれど、今までやってきたことが突然違って見えるということはよくある。これもまた、

待て 而して希望せよ

 2018年9月の総務省調査によると、70歳以上が総人口の20.7%を占め、5人に1人が70歳以上となった。また65歳以上の高齢者は28%近くを占め、そのうち75歳以上のいわゆる後期高齢者が65歳~74歳の高齢者の数を上回っている。日本社会の他国に例をみないほどの超高齢化は由々しき大問題ではあるが、高齢者も後期高齢者も、生きている間は元気で過ごしたいものである。

 先にふれた『寿命1000年』に、老化というのは子孫を繁栄させるために長く生きすぎないようにする「進化の知恵」であるという説も紹介されていた。子孫のためには、高齢者は率先して世を去るべきかもしれない。しかし、いますぐにではなく(^o^)。

 となると、やはり健康でいたいものである。そのために気功がいかにすぐれているかを述べてきたわけだけれど、丼を持とうとして手首を痛めたとか、石につまずいたわけでもないのに踵をくじいたとか、日常生活を送るうえでの具体的支障が出る腰、脚、踵、腕、手首など個々の筋肉の衰えや、気になる皴を防ぐには、筋肉トレーニングもした方がいい。

 私は1986年から約20年、ジョー・ウイダーの雑誌 ”Muscle & Fitness” を定期購読していた(雑誌が身売りされて購読を中止した)。ジョー・ウイダーはボディビルディングを立派なスポーツ、さらには文化へと発展させた人で、そこからアーノルド・シュワルツェネッガーやコーリン・エバーソンなどのスターが生まれ、ボディビルはあらゆる運動の基礎ともなった。1990年にはすでに両スターは現役を退いていたけれど、それでも私の好きだったフランク・ゼーン、モニカ・ブラントなどとともに同誌のグラビアを飾っていた。雑誌にはときどき「Longevity(長生き)」の特集があり、そこでは70歳を過ぎたボディビルダーの、老いてなお若々しく美しい肉体写真やノウハウ記事が載っていた。

 プロビルダーがよく言うのは「必要なことはすべて自分の肉体が教えてくれる」ということである。私はスポーツクラブにも通っていたが、前半は多忙な仕事のために、後半は度重なるがん手術のために、十分なトレーニングは出来なかった。しかし、高齢者トレーニングに必要な知識は十分に身につけたと思う。

 いずれは『若返リアス(若返りイリアス)』としてまとめようかとも思っているが、気功、とくに蠕動と簡単な筋肉トレーンングは、老化防止、さらには若返りのための悪くない取り合わせである。そのミソを先回りして記せば、筋トレだけではかえって逆効果になることもあり、それを防ぐためには丹念な蠕動が不可欠だということである。