古藤「自然農10年」(4)

自然農の環境はあまりに過酷

 松尾靖子さんが遺した自然農の営農を継いだ山﨑雅弘さん(35、糸島市在住)は年中休みがない。月、木の出荷日はとくに忙しく早朝から畑へ。冬へ向かう今の季節は間引き菜が中心でカブや白菜、ダイコン、ニンジンなど。風味豊かで喜ばれるが摘むのに2、3時間かかる。自宅に持ち帰って納屋で形を整え、計量して郵パックにする。秤は小から大まで5種類。午後3時までには郵便局に持ち込まねばならない。

 包装に使うのは朝日の古新聞、親戚の販売店からもらう。梱包もスーパーの空箱、食品や飲料水用を使い、匂いが心配な洗剤や薬系の箱は避ける。お客が負担する送料も上がった。縦横高さの長さ合計が80センチの段ボール箱にして最も安い荷造りにする。段ボール紙の手書き名札を苗用ケースに入れて床に並べ、顧客ごとの仕分けするやり方などすべて靖子さんを踏襲している。

 毎週2,000円、2,500円の箱詰めを送るお客が中心。店頭野菜の倍近い値決めだが、月80箱を出荷した最盛時でも年間売り上げは200万円を超える程度。品質に自信と誇りを持つ自然農だが、多品種でも少量で、農協ともつながらない零細な経営だ。

 山﨑家では、がんと分かった一人暮らしの義母の世話と半年後の死別、まだ4歳の次男の育児に加えて、7歳の長男が入学直後から学校に馴染めず不登校になる状況も重なって十分な出荷が出来ず、この2年間は売上額が半分近くに落ちてしまった。今、契約する顧客数は20余人である。

 雅弘さんと妻のエリカさんは高校生からの同級生。自然な流れで一緒になった。雅弘さんがデザイン会社で毎日、広告やポスターをパソコンで作る生活に行き詰まりを感じ、取材で訪ねた靖子さんの輝く笑顔と自然農の世界に惹かれて研修生になった。服飾の仕事とノルマで同じように疲れていたエリカさんも抵抗なく180度の人生転換を共に選んだ。

 種まきから苗づくり、出荷まで靖子さんのすべての作業を1年間、働きながら学んだ研修。週1日の休日だけで、無給である。2人とも実家は農家ではないから、畑や家の基盤もゼロ。自立に必要な納屋付きの農家を購入する資金はすべて雅弘さんの両親に頼った。そして靖子さんの死で畑7反(2,100坪)の半分を受け継ぐことになったわけだ。

 靖子さんの夫、重明さんは、自然農がまだ奇人扱いされた頃、靖子さんと集落との間で苦労したせいか、今も自然農には近づかず、別の田んぼで無農薬の米づくりだけを続けている。しかし、靖子さんの葬式後、遺された畑と顧客への出荷を山﨑さんらに引き継がせるためすぐに動いた。地代は無料、希望する間は使ってよいという無償提供だった。

 28歳でゼロからの農業を学び、7年目にはいった雅弘さん。現実は厳しいが畑に立つ生活は生きている実感と喜びがあり、永続可能な農業はこれしかないという誇りがある。顧客からのメールにある感謝の言葉を喜び、月数万円の実質収入は楽ではないが、暮らし方に不満はない。農薬や機械を使う農業に変えるくらいなら農業をやめて勤め人になった方がまだよい、と話した。

畑の山﨑雅弘さん。冬前の苗植えは少しも遅らせられない

 もう一人、靖子さんの畑を継いで自然農の営農をする元研修生は2度の取材に応じてくれたが、その後、今回は記事にすることをやめてほしいと電話で伝えてきた。丁寧な言葉づかいと敬語を省かない、いつも通りの話し方であった。両親の支えもあり、生活保護の受給にも満たない実質収入で営農を続けているが、改善するめども立たない今を紹介されるのは断りたい、続けないこともありうるからということであった。

 フランス、イタリアなど西欧諸国は高い自給率を保ち、人の命を支える農業が尊重されている。割高でも無農薬や品質の良い農産物を選ぶ客の映像を目にすることも多い。ひるがえって日本はどうか。効率優先と利益を追求する市場経済が農業にも押し寄せ、農産物の価格は農業者の事情にお構いなく相場が決める。

 山﨑さんは農業者と認定されていない。靖子さんの営農の畑が昔、ミカン畑を開墾したもので書類上の地目が林野のままであるという理由だ。農業者でない山﨑さんは、だから1坪の農地を購入することもできない。私が最良と信じる自然農を取り巻く環境はあまりに過酷である。