林「情報法」(62)

未だに「空気」を読んで「竹槍」で戦うのか?

 COVID-19 の問題は、第57回で速報的に扱いましたが、部分的に修正する必要はあるものの(例として「若い世代は罹患しない」とは言い切れない、「通常の死亡率は2~3%だが感染爆発が起きた時の死亡率はSARSの10%に近い」等)、大筋は間違っていなかったようです。そこで、その後緊急事態宣言を経て、その解除が議論されている現状に照らして、忘れてはならない教訓を再び備忘録として記しておきましょう。

・PCR検査が受けられない三流国

 OECDが去る3月28日(現地時間)に公開した、国別の「新型コロナ検査」関連報告書によると、加盟36か国の平均的なPCR検査件数は、「人口1000人当たり22.9人」でしたが、日本は「1.8人」で36か国中の35位となっています。また、OECDの2019年の報告書によると、日本の人口1000人当たりの医師数は2.4人で、OECD平均の3.5人を下回り32位になっています(https://www.jmari.med.or.jp/download/RE077.pdf)。

 PCR検査の少なさは、COVID-19の発生当初から懸念が表明されていました。しかし、a) SARS/MERSの被害が少なかったことに安住して十分な体制を整備しなかった。それどころか、b) 保健所の数は1991年~92年の852か所がピークで、現在は469か所と55%減になりコロナ・ウィルスと戦える布陣になっていなかった、という事情に加え、c)  4月に迫っていた習近平中国国家主席の来日と、7月に予定していた東京五輪という政治ファクターに配慮しすぎて初動対策が遅れた、ことが災いしたと思われます。

 それを知っていた政府と専門家会議は、検査を受ける人を重症患者(と予備軍)に絞らないと、検査と治療の両面で破綻することが心配されたため、「37.5度以上が4日以上続く」など「入り口を絞る」作戦に出たものと思われます。厚労相は「目安のはずが基準になってしまった」と弁解しましたが、国民の多くは「門前払い」と受け取ったでしょう。

 この作戦は、クラスターの発見と追跡の面ではある程度成功しましたが、その間検査を受けられないまま死亡に至るケースも散見されて非難を浴びました。そして何よりも、クラスターを追いかけるだけでは対応できない市中感染が広まったため、他の諸国と同様「幅広いPCR検査(代替方法を含む)」が必要になりました。それは、ⅰ) 医療従事者自身を守るための隔離基準であり、ⅱ) (他の症例での)入院患者が隔離を要するか否かの判断基準でもあり、ⅲ) 市中感染者全体を推計する根拠にもなるからです。

 最後の点は特に重要です。外出や営業の自粛を要請するには、そして更にその解除を決定するには、十分な証拠(evidence)がなければなりません。その指標として「国民の何%が感染していると見たら良いのか」が決め手になります。検査を受けた人のうち陽性者の割合(陽性率)が7%未満なら、外出や営業の自粛を続ければ一時的にせよ「封じ込める」ことができ、逆に感染が広まって国民の60%~70%が感染すれば「集団免疫」ができて、それ以上の感染は他の病気に対すると同様の方法で対応可能と言われています。問題は、この中間にある場合に、どのような対策を取るかです。

 一般論としては、このような推計が可能になるためには、十分な量の検体を採取し、迅速に判定できる体制を作らねばなりません。この点で、残念ながらわが国は、世界の「三流国」と呼ばれても仕方のない状況です。ご自身が医師でもある山梨大学の島田真路学長は、「日本の恥」とまで言っています。

・「目詰まり」はどこにあるのか

 専門家会議は、当初から問題の所在を知っていたと思われますが、5月4日になったやっと尾身茂副座長が、PCR検査が拡充されない理由として、① 保健所の業務過多、② 入院先を確保する仕組みの機能不全、③ 地方衛生研究所の人員削減等による検体検査者不足(臨床検査技師は6.7万人程度)、④ マスク・防護服など資材の不足、⑤医療機関と都道府県の契約の必要性、⑥民間検査会社への輸送機材不足を挙げましたが、多くの国民には「言い訳」にしか聞こえなかったでしょう。一国の首相が、しかも緊急事態宣言下で「1日2万件まで拡充する」と約束したにもかかわらず、その半分にも達せず「目詰まりがある」と認めざるを得ない理由が、これだけとは思えないからです。

 おそらく、⑦ 厚生労働省は「重篤者と死者を減らすことに注力し、それ以上の面倒なことはしたくない」と思っており、⑧ 保健所の医療分野での地位は高くなく、厚生労働省の方ばかり見て自治体を向いていない、⑨ (軍医経験者が少なく)検査に携わる医者や看護師も防護服が無い中では尻込みする、⑩ 大学病院などは「文部科学省から言われるまでは沈黙」を決め込んでいる、⑪ 国立感染症研究所・国立国際医療研究センター・日本医療研究開発機構・国立保健医療科学院という主要な4機関の情報共有と分担の不備、更にはCDC(全米疾病対策センター)のような臨戦体制の欠落、⑫ 安倍政権になってから強められた官邸主導も、医学(公衆衛生)の知識が不可欠の事態には対応できない、⑬ こられの欠陥を打破する政治力は誰も持っていない、といった諸事情が加味されていたと思われます。

・エビデンスなしの議論は「空気の支配」を許す

「日本政府の対策は太平洋戦争の敗因と共通するものがある」というのが、多くの人の共通認識になりつつあります。つまり、頭でっかちの官僚(かつては作戦参謀)がエビデンスもないまま机上で練った作戦で、現場は翻弄されて日々の業務をこなすだけで精一杯。皆が理論ではなく、恐怖心と同調圧力を伴う「空気」に支配され、PCR検査なしでひたすら医療従事者の献身に期待するのは「竹槍で戦うのと同じ」というのです。

 純理論で言えばウィルス対策には、ア)流行に任せ集団免疫が60%を超えるのを待つ、イ)ロックダウンにより都市を封鎖し短期間で(一時的にせよ)感染を抑える、という両極端の方法があり、第三の道としては後者の変形である、ウ)国民に自粛を求めロックダウンと同じ効果を狙う、という考えもあり得るところです。今回の日本の作戦が、ウ)を狙ったものなら意図は明確だし、そのように訴えるべきでした。なぜなら、そのような作戦を採る国はなく、わが国独自のものだからです。

 ここで大切なことは、新型コロナ対策は誰も経験したことのない事態ですから、誰もが間違う危険がある(現に、イ)を採ったスウェーデンは大量の死者を生み、当初それを目指したイギリスは早々に路線変更しました)ので、変更は許されるが、どの方針であるかは明確にする責任があることです。ところが、総理の記者会見では「生の声」を聞くことは少なく、プロンプターに映る「作文」を聞かされている感じが抜けません。更に、その根拠が数値化されていない(「他人との接触を8割減らす」は具体的指標ですが算出根拠は不明です)ので、一体自分たちが従うべき方針が、いつ達成されるのかも分かりません。これでは、仮にウ)を採っているにしても、真意が伝わることはないでしょう。

 『朝日新聞』2020年5月8日オンライン版に、生物学、生態学、地理学などの知見を駆使して人類の歴史を解き明かした著書『銃・病原菌・鉄』などで知られるジャレド・ダイアモンド氏のインタビュー記事が載っています。彼は新型コロナ・ウィルスの教訓として、第一は、国家が危機的な状況にあるという事実、それ自体を認めること。第二は、自ら行動する責任を受け入れること。第三は、他国の成功例を見習うこと。第四は他国からの援助を受けること。そして最も重要な第五のポイントは、このパンデミックを将来の危機に対処するためのモデルとすること、だと指摘しています。

 なお、三と四に関して、「私から安倍政権への助言は『韓国が嫌ならベトナムでもオーストラリアでも他の国でもいい。対策に成功している国を見習って、早期に完全なロックダウンを実行すべきだ』と言っており、彼が単なる理想主義者でない点が見て取れます。

・緊急事態に関する誤解

 そして、この渦中で気が付いたことは、安倍総理を含めてほとんどの当事者が、「緊急事態」という言葉を誤解していることでした。典型的な例は「疾病対策と経済の両立」という問題の立て方で、これはウィルスの流行がなだらかなとき、つまり「平時」にだけ成り立つ考えです。「緊急事態」とは、その両立が不可能で、「まずは疾病対策を最優先せざるを得ない」状態のことですから、「両立」を考えること自体が論理矛盾なのですが、このことが分かっている人はいないかのようでした。

 私も、この分野の専門家ではありませんが、幸か不幸か東日本大震災の直後に緊急事態を泥縄で勉強して、同僚の湯淺墾道教授と共著で「『災害緊急事態』の概念とスムーズな適用」という論文を書いたことがある(http://www.iisec.ac.jp/proc/vol0003.html)ので、誤解だけは解いておきたいと思います。この論文は、地震という自然災害の緊急事態を論じたものですが、「緊急事態」には「平常時とは全く違った対応が必要」という共通項があります。

「災害緊急事態」は、非常災害が発生し異常かつ激甚なものである場合において、災害応急対策を推進し、国の経済の秩序を維持し、その他当該災害に係る重要な課題に対応するため特別の必要があると認めるときに、内閣総理大臣が閣議にかけて、関係地域の全部又は一部について災害緊急事態の布告を発することができる(第105条第1項) ものです。

 災害緊急事態の布告があった場合の効果の主なものは以下の通りで、新型コロナ対策と共通点があることがお分かりでしょう。

・緊急災害対策本部 (第28条の2)の設置義務 (第107条)
・対処基本方針の制定 (第108条)
・当該災害に関する情報の公表義務 (第108条の2)
・「重要物資をみだりに購入しない」こと求める権限と国民の努力義務 (第108条の3)
・避難所等の特例 (第86条の2)、臨時の医療施設の特例 (第86条の3)、埋葬及び火葬の特例 (第86条の4)、廃棄物処理の特例 (第86条の5、第108条の4)
・行政上の権利利益に係る満了日の延長 (特定非常災害特別措置法3条)、行政・刑事上の義務の履行期限の延期 (特定非常災害法4条)、債務超過を理由とする法人の破産手続開始の決定の延期 (特定非常災害法5条)、相続承認・放棄の期限の延期 (特定非常災害法6条)の適用

 加えて、国会が閉会中又は衆議院が解散中であり、かつ、臨時会の召集を決定し、又は参議院の緊急集会を求めてその措置を待つ暇がないときは、内閣は、以下の事項について必要な措置をとるため、政令を制定することができます (第109条1項) 。

・供給が特に不足している生活必需物資の配給・譲渡・引渡しの制限・禁止
・災害応急対策・災害復旧又は国民生活の安定のため必要な物の価格等の最高額の決定
・金銭債務の支払延期及び権利の保存期間の延長

 このように緊急災害事態は、「緊急事態」の典型となるものですが、上記のように(国会の閉会中に限るとはいえ)法律の代わりに政令で定める権限を付与するなど「伝家の宝刀」としての劇薬性を持っているため、それを布告するのは慎重にならざるを得ません。事実、あの東日本大震災に際しても、「東北地方太平洋沖地震緊急災害対策本部」は設置されましたが、災害緊急事態の布告は発出しませんでした。ただし、より重大な福島第一原子力発電所事故により、「原子力非常事態」が宣言され「災害対策本部」が設置されましたが、こちらも史上初のことでした。

 このように緊急事態は、「法治国家であることを放棄してまで目前の対応を迫られる事態」なのですから、命がけの対応が求められます。現在「新型コロナ特措法ではロックダウンはできない」「私権を制限するには憲法に緊急事態条項を設けるしかない」といった他人事のような発言が繰り返されていますが、その前に「責任をもって緊急事態を抑え、一時も早く緊急から逃れる」覚悟と責任感があるのかどうか、疑わしくなってしまいます。