古藤「自然農10年」(15) 命と死①

コロナ的非日常に駆り立てられて

 自然農に親しみ、川口由一さんの生き方に深く共感してきた10年だったが、コロナ禍をきっかけにあらゆる生物の命と死について考えることが多くなった。

 自然農の暮らしは日ごろから命と向き合うことを大事にする。種が育ち死へ運ばれる米や野菜の成長をつぶさに見て、命がすべて同じであることを悟り、わが身もまたその一部であることを実感する。そのことこそ、収穫より大切な自然農の恵みだと私には思われる。

 私は無農薬で農業をしたいと願って自然農に巡り合ったのだが、死を恐れる想念から川口さんの自然農に吸い寄せられた人もいる。自然農の実践や漢方の教えを受けている糸島の「松国自然農学びの場」の代表、村山直通さんがその人。彼が人の死にとらわれたのは小学6年生のときだという。自分という存在が消えてなくなることが理解できずただただ恐ろしかった。大人になっても解消できず精神世界、座禅や気功、自然や命を説く様々な教えを学ぶある日、その世界で「黄金体験」といわれる感覚を体験した。

 それは降ってきたような突然の感覚で、思い返して表現するのも難しいという。周りの人も生き物も万物がみな一体で、そこに包まれるやすらぎ。光に包まれたと表現する人もいるが(宗教者に多い)、彼はただ涙があふれて自分も周りもすべての命をいとおしいと感じる感動に包まれたらしい。

 村山さんが川口さんに初めて会ったのは、そんな体験から間もないころ。聴きに行った講演会でゲスト講演者だった川口さんの言葉に接して、自分の不思議な体験が大自然の真の姿を体感したことだと悟った。死の恐怖がいつの間にか消え安心と安らぎの心を得た。

 以来約30年、村山さんは川口自然農の誠実な実践者となり、その人生を人のために尽くす。指導する学びの田畑は福岡、山口両県の5か所に広がり、漢方治療で多くの人の相談を受け、ことし床屋へ行ったのは4月の1回きりと笑う。

自然農の指導をする村山直通さん

・悲惨な戦争とつながる現代

 さて、私である。このところすっかり生と死の問題にとらわれてしまった。本原稿のちょっとしたエピソードにしようと、大岡昇平と三島由紀夫の本を開いたのがきっかけである。

 60代で読んだ大岡の『レイテ戦記』で血も凍る恐怖を感じた場面が記憶にあった。自分で掘った蛸壺に潜み、迫ってくる戦車に立ち向かう若い兵士の姿である。彼は手榴弾だけを武器に自分の小さな地点死守を命じられ、じっと死を待った。わずか1、2行と思った文章を引用しようと戦記をざっと読みを始めたが、どこを探しても見つからない。

 どの断片でその映像を頭に焼き付けられたか分からず、二度三度と『レイテ戦記』を読み返すうちに、ずさんな作戦命令で死ぬ日本兵の無念さが私の中にマグマのように溜まってきた。

 三島由紀夫の文庫本『葉隠入門』もまた私を彼の死まで導いていった。三島は大岡の小説を微に入り細に入り賞賛、生涯の恩人とした川端康成を上回るほどの評価を与えている。時期的に考えて三島が『レイテ戦記』を読むことはなかったと思うが、2人は同じ時代を懸命に生きた同胞たちに強い哀惜の念を感じ、ともに豹変する戦後に対する激しい怒りを抱いていた。

 私の関心は、三島の人生と交錯しつつ、同じように自ら命を絶った太宰治と川端康成という2人の作家にも移っていった。幼少期における3者3様の不遇も知った。三島の父は、昭和の妖怪といわれた岸信介と東大法科から旧農商務省に入ったまさに同期である。三島の決起には遠因として岸の存在があり、その岸の孫が今、ウイルス禍で混乱する日本のかじを取る。

 まさに過去と現在はつながっている。

 旧日本軍は陸軍と海軍から成り(航空部隊は両軍それぞれに所属)、その両軍を戦時に統合し、その最高司令部として設置したのが大本営である。発せられる命令は天皇の意思であり絶対であったが、内実は陸、海軍の張り合いで情報や意思の疎通を欠き、大本営発表は、大戦末期には虚報発信の代名詞となった。

 ひるがえって現代の安倍政権は新型コロナ対応で混乱している。毎日新聞コラムニストは、民心はすでに政権を離れたと見て、「政府の『大本営発表』はいつからか」と皮肉り(2020年5月11日)、そこでも官僚の内輪もめによる目詰まりが指摘されている。

 以下に記そうとしているのは、ここ数十年の私の精神遍歴のようなものだが、自然農に取り組むかたわら、あらためていくつかの本を再度紐解いて、過去の記憶を思い起こし、整理しながら、この際、記録としてまとめておこうという気になった。これもやはり、コロナ禍という非日常のなせる業だろうか。

 最後は三島を哀惜する民衆と、父親の孤独な心情に涙しながら文章を書き終えた。何かが私を駆り立ててこの文章を書かせたようにも思われる。まるで戦前が続いているとも思える愚かで理不尽な現政権に対する怒りが後押ししたのも確かだろう。

 原稿を書き終えた翌々日、アベノマスクがわが家にも届いた。夫婦用セットの袋は貧弱な政治を象徴するように見えた。