東山「禅密気功な日々」(23)

マイナスからの出発

 以後しばらく、高齢者の筋肉トレーニングと禅密気功(とくに蠕動)について書くことにする。

 高齢になると、使っていない筋肉は確実に衰える。滓がたまっていくからである。軽い負荷でいいから、すべての筋肉をこまめに動かしてやる。精神を集中し丁寧に、ゆっくり、意念を細胞の一つひとつに行きわたらせる。これが高齢トレーニングの要諦である。歳をとればとるほど、実は筋肉トレーニングが大事になる。毎日、食べたり、寝たり、呼吸したりするのと同じように、トレーニングすることを心がけるのがいい。

 若いときに快適に動いていた体が凝り固まったところから始めるのだから、高齢トレーニングはマイナスからのスタートである。位置としてマイナスであるばかりか、ベクトルとしてもマイナスである。1日使わない筋肉は1日分衰える。逆に鍛えれば必ずプラスに反応する。1日トレーニングをして現状を維持できれば、1日の終わりに1日若返ったと考えてもいい。これを10年続ければ、10年若返る理屈である。肉体が日々衰えていくのに抗してトレーニングし、トレーニングによる効果が1日分の老化を上回れば、それは名実ともに若返りとなる。「健康を守り、老化を防ぎ、若返りもめざす」とはそういう意味である。

 使わない筋肉は衰える。逆に、鍛えれば必ず強くなる、というのは多くの専門家が指摘しているが、私の実感としてもそうである。筋肉のピークは25歳頃で、あとはどんどん衰える。だから、平均寿命の80歳まで生きるとして、後の55年間をただ衰えるにまかせているのは、どう考えても得策ではない。前にも書いたが、それは「迂闊」というものである。

・筋トレと禅密気功は健康維持の両輪

 大事なのは凝り(筋肉の滓)ほぐしである。滓がほぐれて邪気を発生するとも、滓が邪気になって体外に排出されるとも言えるが、その滓および邪気こそが「老いの素」である。それが高齢者の頭、首、肩、背、胸、腹、股間、下半身などあらゆるところに蓄積している。肩の凝り、膝の炎症、腹の贅肉、精力減退、顔の渋、いずれも原因は一つだと言ってもいい。

 筋肉トレーニングについて言えば、若いころと歳をとってからではやり方を変えなくてはいけない。若いころは激しい運動をすることでそれらの〝毒素〟を除去できるが、歳をとるともはや無理である。激しい運動ができないこともあるが、まず蠕動で滓をほぐしてからではないと、筋肉を鍛えられない。東洋医学(針灸)の虚実補寫(病邪の実を拭ったあとで正気の虚を補う)はそのことを言っている。

 若い時は意念が不足しても鍛えられるが、歳をとると、意念をともなわない運動はほとんど効果がない。逆に意念を強くすれば、歳をとっても、たくましい、そして弾力性のある筋肉をつくることができる。筋肉トレーニングと禅密気功(とくに蠕動)は、高齢者が健康を維持するための不可欠な両輪だというのが、私の高齢トレーニングに対する基本的な考えである。