細胞と和気あいあい
だいぶ前だが、『奇跡の脳』(ジル・ボルト・テイラー著、竹内薫訳、新潮社、2009)という本が話題になった。脳卒中で左脳の活動が止まってしまった脳科学者が、左脳の回復までの過程で、むしろ右脳のすばらしい機能に目覚めていく体験を記したものである。8年の苦闘の末に咲いた幸せの記録でもある。
左脳が壊れた彼女は、自分がこれまでとは違う穏やかな性格に変わったことに気づき、それをすごく魅力的だと思う。そして、左脳が回復する過程で右脳の素晴らしさがまた失われていくのを恐れた。彼女は、脳卒中という不慮の事故を通して、理知的で冷たい左脳とは違う、感情的で穏やかな右脳の働きを自ら体験、そのうえで脳科学者らしく、両者をバランスよくコントロール技術を身につけたわけである。
「脳卒中を体験する前のわたしは、左脳の細胞が右脳の細胞を支配していました。左脳が司る判断や分析といった特性が、私の人格を支配していたのです」、「脳卒中によってひらめいたこと。それは、右脳の意識の中核には、心の奥深くにある、静かで豊かな感覚と直接結びつく性質が存在しているんだ、という思い。右脳は世界に対して、平和、愛、喜び、そして同情をけなげに表現し続けているのです」、「回復するまでのわたしの目標は、二つの大脳半球が持っている機能の健全なバランスを見つけることだけでなく、ある瞬間において、どちらの性格に主導権を握らせるべきか、コントロールすることでした」。
ここには左脳的な人間が、左脳的に考えながら、右脳の働きを取り入れて人生を豊かにしていこうという、いかにも西欧人的な対処法が示されているが、著者が気づいたことは、ひとことでいえば、瞑想のすばらしさだろう。「瞑想の発見」だったと言ってもいい。
彼女は書いている。「左脳マインドを失った経験から、深い内なる安らぎは、右脳にある神経学上の回路から生じるものだと心の底から信じるようになりました。この回路はいつでも機能しており、いつでもつなげることができます。安らぎの感覚は、現在の瞬間におきる何かです。……。内なる安らぎを体験するための第一歩は、まさに『いま、ここに』いる、という気になること」、「私の意識は、自分自身を個体として感じることをやめ、流体として認知する(宇宙とひとつになったと感じる)ようになったのです」。
瞑想の極意とは、まさに「宇宙と一つになる」感覚だろう。「いま、ここにいる」感覚は、朱剛先生が教室でよく言う「気持ちのいい感覚に意識を集中する」を思わせる。
後半で彼女は、自分の「新しい」人生について、「脳の細胞との会話に多くの時間を費やすのに加えて、わたしはからだをつくっている50兆もの細胞という天才たちと、和気藹々とした関係を結んでいます。細胞たちが元気で完全に調和しながら働いていることに、感謝しています」とも書いている。
この「細胞と和気あいあい」という表現がまた興味深い。これこそ蠕動の極意でもある。全身を動かす時、頭、肩、背、腕、胸、腹、股間、脚と意念を動かしながら、それぞれの細胞と和気あいあいの関係を維持する。以前書いた「気を動かす=細胞を共鳴させる」というのも同じである。
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会報『禅密気功』第111号(2021.9)で朱剛先生がたまたま「活在当下」(かつざいとうげ)という言葉について紹介し、「それは『今ここを生きる』という意味で、『今ここ』とも言います」と書いておられる。テイラーの「いま、ここに」の原語が何かわからないが、表現が一致しているのはやはり興味深い(10.3追記)。