Online塾DOORS③<2022.5~>

  Onlineシニア塾は開設2周年を迎えた2022年5月から名をOnline塾DOORS(略称OnDOORS)と改め、シニアの枠を取っ払い、さらに広範囲の塾に脱皮することになりました。塾の精神、これまでの授業など、ほとんど従来通りで、その趣旨は別稿のOnline塾DOORSへの招待、<ネットのオアシスを求めて>をご覧ください。「国境を越え、世代を超えて」がキャッチフレーズです。より多くの皆さんの参加を希望しています。
 なお従来の履歴はOnlineシニア塾①<2020.5~2021.4>、および②<2021.5~2022.4>でご覧いただけます。
 講義はしばらく
講座<若者に学ぶグローバル人生>
講座<気になることを聞く>
講座<とっておきの話>
講座<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>
講座<よりよいIT社会をめざして>
講座<超高齢社会を生きる>
講座<女性が拓いたネット新時代>
 の6講座で行う予定です。


講座<超高齢社会を生きる>

◎80回(2024.11.6)
 平秀子さん【80歳になってから高校の同窓会誌を創刊しました。共通の青春の思い出が、みんなを元気にしてくれています】

 尾道は「放浪記」の作家、林芙美子ゆかりの地である。大林宣彦監督の映画「尾道三部作」の舞台でもある。小津安二郎の映画「東京物語」の老夫婦も住んでいた。
 昭和37(1962)年に県立尾道東高校を卒業した同期生が昨年(2023年)、80歳になってから作り始めた同人誌『海』は、A4版、40ページ前後。美しくレイアウトしたページをカラー片面印刷して、ホッチキスで閉じ、背表紙もつけた完全な手づくり、最近第6号を上梓した堂々たる季刊である。誌面には尾道の文化的香りと昭和の風景があふれている。
 『海』発刊のいきさつと、そこに綴られたさまざまな思い出について、編集人の平秀子さんと3人の仲間に話を聞いた。なお、この回は森治郎氏主宰の『探見』と共催であ る。

 平(ひら)秀子さんは尾道東高校卒業後、短大を経て大阪で広告企画・編集の仕事に携わった。その後は東京中心に専門紙記者、フリーライター、ミニコミ誌編集者などを歴任、72才で故郷に戻り、3人姉妹(91、88、81歳。彼女が最年少)いっしょに、実家の一つ屋根で暮らしている。
 話は昨年6月、ほぼ60年ぶりに開かれた同窓会にさかのぼる。その後で平さんは、編集のプロの腕を生かして「ホームカミングの栞」というA4判12ページの小冊子50部をつくった。同窓会の様子、在学時のクラブ活動や修学旅行の思い出、現在の学校風景などを紹介したら大好評で、期せずして同窓会誌をつくることになった。幼なじみの桑木要子、参河静恵、吉光健次郎さん(写真左から、右端は平さん)などの助っ人も現れて、昔取った杵柄、パソコンを使った手づくりの同窓会誌作成に踏み切った。1号きりのつもりだったが、寄稿してくれる人も多く、好評にもこたえて、3カ月に1度は平さん宅の編集室に集まり、大忙しの日々を送りながら発行を続けている(写真は5号の表紙、仲間投稿の「下校時間」の風景)。
 内容は、当時の回想、想い出の歌、想い出の詩、旅行記、わが青春のシネマなど。映画では「シェーン」、「明日に向かって撃て」、「舞踏会の手帖」、歌ではピンキーとキラーズの「恋の季節」など、昭和30年代の名作、ヒット曲が並ぶ。尾道に当時たくさんあった映画館の懐かしい地図を再現した人もいる。同校自慢のベヒシュタインピアノの思い出も載っている。ちなみに林芙美子は県立尾道東高校の前身、尾道市立高等女学校を卒業している。
 同じ年代の仲間が、同じ空間を共有したからこその思い出の世界がそこにある。たとえば、「今日も暑うなるぞ」という「東京物語」の笠智衆の朴訥なセリフとともに、映画のシーン、幕間にパンやキャラメルを売りに来た売り子の声、映画館と周辺の街の佇まい、湿った路地、傾いた看板、急な坂と向こうに広がる尾道水道、といった風景が生々しく、そして甘い感傷ととともにこみあげる。しかし、時代を隔てた若い人にこういう話はほとんど通じないだろう。ともに語り合いながら、かつて共有した思い出を偲ぶ楽しみは、同じ場所に住み、同じ経験をした同い年の仲間だからこそで、そこに『海』の魅力がある。ほとんどが現役生活を終えてからの寄稿ゆえか、社会的しがらみからも自由なようだ。
 編集作業は平さんを中心に4人の共同作業である。かつてテレビの報道番組制作に携わっていた吉光さんは企画立案、桑木さんが原稿依頼や催促などの渉外、参河さんは庶務などと、それぞれ持ち味を生かしつつ、楽しみながら編集作業に打ち込んでいる。制作100部以上、毎回、カラープリンタで5000ページぐらい刷るので、プリンタが悲鳴を上げたりするらしい。雑誌は無料。編集、制作、配付(郵送)などすべてボランティアで、原稿料はもちろんない。印刷用インクのコストが一番高いとか。
 寄稿者はほとんど同期生だが、その仲間の紹介で周辺にも広がっている。カンパしてくれる仲間のおかげでまだ続けられそうだとか。原稿が集まらなくて困るということはない「羨ましい」編集長である。
 「80歳!最後の輝きを見せるべし」。平さんは『海』にかけた志をこう話してくれた。

なんと言っても、人生を楽しむためです。何かを発表し誰かに伝える楽しさ。思い出を共有する仲間だから、顔が見える雑誌だからの楽しみですね。そして、自分が参加する雑誌だから大切でもあります。

 また「敗戦直前に生まれ、戦後の復興期に青春を迎え、大学紛争、バブル、サラ金、コロナ‣‣‣、そういう時代を生きた庶民としての証人。それをどこかで書き残し、伝えていくことができればと思います。日本史は地方史、地方史は家族史から成り立っている、そういうことが読者の頭にチラッとかすめてくれれば」とも。
 なお参加したメンバーの牟田慎一郎さん(本シリーズ、5回目のスピーカー)も母校の福岡・明善高校の同窓会誌を発行しているといい、その報告をしてくれた。平さんではないが、「青春の思い出はみんなを元気にしてくれる」ということだろう。
 一時は終刊期日を決めようかと思ったこともあるそうだが、健康でパソコンが健在な限りまだ続けるつもりという。たしかに「多くの人が、さまざまなことを終えようとする歳になって、逆に雑誌を始めたのがすごい」(『探見』主宰の森治郎氏の感慨)と言えよう。
 『海』のさらなる長寿をお祈りしたい。

講座<よりよいIT社会をめざして>

◎第79回(2024.9.30)
<情報通信講釈師による精通者発掘ガイド⑧>【新型コロナパンデミックは意図的に計画された「プランデミック」だという見方が強まっています。レプリコン・ワクチンも含めmRNAワクチンは打たないのが自分や周りの人を守る道です】

 唐澤豊さんのコロナワクチンをめぐる話の続報です。
 唐澤さんがオンライン上の各種情報を収集して得た結果は、10月から日本で接種が始まるレプリコン・ワクチンの危険性を警告する声が強まっていると同時に、そもそも今回のコロナパンデミックは自然発生したものと言うより、意図的に計画された「プランデミック」であるという、当初から陰に陽に指摘されてきた見方が、いよいよ声高に叫ばれ、かつ急速に広まっているという「真夏の怪談」を通り越した「秋の悪夢」を思わせる報告になった。
  ネット上の、と言うより、その底深くに散在するコロナワクチンへの警鐘を丹念に掘り起こした「情報通信講釈師」の成果である。当初予定していたコロナワクチン対処法でもあるデトックス(身体の中に蓄積した老廃物や有害物の排出を促す健康法)に関する具体的処方箋は、後に参加者にメールで知らせてもらうことになった。
 結論的に言えば、私たちは自分や周りの人びとの健康と命を守るために、政府発表やマスメディアの報道を鵜呑みにせず、自分たちで情報を集め、よく考え、自分の責任で対処する必要があるということである。話題の深刻さに鑑み、あらかじめ知人や友人の参加を呼びかけたので、今回はゲスト参加してくれた人も多かった。

 骨子を紹介すると、最初に日本人の超過死亡者数(人口統計的に予測される死亡者数に比べて増加した死亡者数)が2021年以来増えているのはコロナワクチン接種の影響があるのではないかという背景説明があり、自らもコロナワクチン接種を機に血液ガンになった経験を持つ立憲民主党の衆院議員、原口一博氏が書いた『プランデミック戦争』の紹介があった。「計画されたパンデミック」という意味の「プランデミック」(和製英語)は秀逸であり、彼は「現政府は国民の命を守りません。われわれの命は我々で守るしかないのです」と訴えている。
 またプランデミックを引き起こしている背景として、一部の欧米支配層に根強い「世界人口は多すぎるので削減しなくてはいけない」という考えがあるとして、こういう主張をする医師のビデオも紹介された。世界でもコロナワクチンの危険を警告する声は強く、mRNAワクチンは人間の遺伝子には影響を与えないという当初の主張にも疑義が投げかけられているうえ、10月から日本で世界に先駆けて投与が始まるレプリコン・ワクチンは、変異したスパイク蛋白を体内で増殖させるものだけに、いよいよ危険だとされている。増殖したスパイク蛋白が唾液、汗などから周囲の人に伝播(シェディング)する恐れもある。mRNAの仕組みを発明したフランスの医師の「mRNAワクチンは危険だ」という指摘や、とくにレプリコン・ワクチンの感染危険性について警告する日本の医師のビデオの紹介があった(レプリコン・ワクチンの危険性については77回も参照)。日本看護倫理学会も8月に緊急声明を出して、性急にレプリコン・ワクチンを導入することへの深刻な懸念を表明している。「mRNAワクチン中止を求める国民連合」副代表をつとめる村上康文・東京理科大学名誉教授はレプリコン・ワクチンの危険性を強調しつつ、「このままワクチンを打ち続けていると、日本だけが恒常的にパンデミックに陥る可能性がある」と警告している。
 このワクチンの製造元である明治製菓ファルマの社員たちが、仲間の1人がmRNAワクチン接種で死亡したのをきっかけに内部告発の本『私たちは売りたくない! 〝危ないワクチン〟販売を命じられた製薬会社現役社員の慟哭』(方丈社)を10月に発売するという衝撃的なニュースもあった(キンドル版は9月18日発売でベストセラーになっている)。
 厚労省のコロナワクチン被害救済予算が大幅に増額されていることや、製薬企業と大学関係者の癒着の実態の一部も紹介された。
 持病などでどうしてもワクチンを打ちたい人はせめて従来型の不活化ワクチンにした方がいいとの具体的指針や、さらに詳しい情報を知りたい方へのガイドなども丁寧に付け加えられた。
 
 深刻で、また対応が難しい問題だけに後半の質疑討論もにぎやかだった。なぜ日本が率先して危険だと言われているレプリコン・ワクチンを接種しようとしているのかについては「日本はアメリカの言いなりではないか」、「製薬企業と大学の医療関係者の癒着のせいではないか」などの意見があった。「かかりつけの医者に聞いたら『打ってもいいんじゃないですか』と言われたので、『先生は打ちますか』と重ねて尋ねたら『打たない』との回答だった。大きな病院では上からの意向を無視できないのかもしれない」と医療関係者自身が揺れている一端の報告もあった。「レプリコン・ワクチンも現段階で危険が証明されたわけではなく、きちんとした検証が必要である。現段階では、各自が自分で判断していくしかない」という人もいた。現実には、さまざまな異論を抱えながらレプリコン・ワクチンの接種計画が進んでいる。講義後に唐澤さんから寄せられた最新情報では、今回からはどのメーカーのワクチンを打つかを選択できないらしく、有無を言わさずレプリコン・ワクチンを接種される可能性もありそうである。

 疑わしきは罰す 今に始まる話ではないが、自分の身は自分で守る覚悟がいよいよ必要になってきた。新しく接種が始まるレプリコン・ワクチンは接種した人から周囲の人にスパイク蛋白が伝播する恐れがあり、自分、あるいは家族はワクチンを打たないと自衛しても安心できない。個人の才覚だけでは防ぎ切れない災難が身に降りかかりつつあると言えよう。
 しかもこれらワクチンは人間本来の免疫系を破壊すると言われ、重症化しない予防としてワクチンを打ったことでかえってコロナにかかるケースも出ているらしい。その影響は十年、二十年というレンジを経ないとはっきりしない面もあり、まずかったと分かったときは、子孫の健康も含め、もはや手遅れという事態も十分考えられる。
 議論の中で、アメリカ人は政府も信用していないから自分を守る武器として銃の所有に拘るのだという話が出たが、「お上(権力者)」の言うことにあまり逆らわない日本人の気風が禍になる恐れもたいへん強い。原子爆弾は別にしても、原子力発電、遺伝子操作と「核」の世界に踏み込んだ人類の「夢」の技術が大きな代償を求めているのかもしれない。巷間、喧伝される国際的な「闇の政府」の一環とも言うべき国際経済フォーラム(ダボス会議)周辺からは、新自由主義の嵐に乗って、1%支配層の金儲けのためには残る99%の犠牲を厭わないとか、世界の人口減のために災厄をむしろ歓迎する思惑も見え隠れしている。
 かつての大航海時代、ローマ教皇は1494年にポルトガルとスペインの紛争を解決するために、西経46度37分の子午線を境に東側をポルトガル、西側はスペインの領土とする取り決めを勝手に出した。恐れ入った話である。だからポルトガル人のバスコ・ダ・ガマは東に向かい、一方でスペイン国王のもとでクリストファー・コロンブスは西へと向かって西インド諸島に到達した。アジア、アフリカ、そしてアメリカ大陸も含めて、被征服地域、国家は銃や大砲によって無残に滅ぼされ、平和的交易の実績も破壊された。「プランデミック」という発想の背後には、かつての銃に代わるものが生物兵器としてのワクチンだという恐怖が反映していると想像される。
 話が大きくなりすぎた。国内に目を移そう。最近静岡地裁で元死刑囚、袴田巌さんの再審無罪判決が出た。犯罪処罰の場合は「疑わしきは罰せず」という刑事訴訟法の原則を守るべきだが、一方で、私たちの生命や健康をめぐる安全対策の場合は、逆に「疑わしきは罰す(手を出さない)」という原則を守るべきではないだろうか。
 今の日本の為政者には長期の歴史を見通した上で責任を取ろうとする気概はまるでなさそうだし、マスメディア上でそういう議論を見ることも少なく、既成事実に流されるように、あれよあれよと事態が進んでいく。ここはじっくり考えるべき時のように思われる(Y)

講座<超高齢社会を生きる>

◎第78回(2024.9.13)
 伊藤佑子さん【すべての人が自分らしく人生をまっとうし、最期を迎えられるように。家族も含めてだれにも後悔が残らないように。そのためのお手伝いをしています】

 老いは降りつもる。深夜、山里にしんしんと降る雪のように。また老いは忍び寄る。突然、気づいてあわてることも多い。超高齢社会を生きる私たちにとって、老いはすぐ隣にあるが、元気な老人にとって、それはなお遠い存在でもある。しかし、いざというときにあわてないための準備が必要なのもまた明らかだろう。
 伊藤佑子さんが事務局長をつとめる「最期までよい人生をめざす会・相模原」は、代表の神経内科医、荻野美惠子さんの呼びかけで「日本の医療が抱える問題の共通認識を広める草の根運動」として2012年にスタートした。医師・看護師・保健師・薬剤師・理学療法士・作業療法士・介護スタッフ・ケアマネジャー・ソーシャルワーカー・行政関係者・僧侶・教員・一般市民・学生など現役、退職者問わず、この分野における多様性と専門性に富んだメンバー30人以上が参加している。伊藤さんの経歴も華やかで、北里大学衛生学部を出たあと、慶応義塾大学医学部で医学博士号を取得、極限環境微生物学の研究者だった。
 行政とは一線を画して、「老年期の健康教育」と「これからの(終末期に向けた)準備教育」を高齢者の集まりで行おうという試みで、その広報手段として、自作自演の「寸劇」を演じているのがまことにユニークである。

 さて、お立合い。
 寸劇はたとえば、以下の設定で幕が開く。
  4年前の7月、72歳の寿福吉さんは突然脳梗塞になってしまいました。入院後、治療やリハビリが行われましたが、言葉がしゃべりにくくなり、軽度の認知症と、右半身を動かしづらいという後遺症が残りました。なんとか杖や歩行器を使った歩行ができていましたので、介護保険を申請し、デイサービスに通いながら家で生活していました。一ヶ月ほど前のある朝、福吉さんは再び脳梗塞になってしまったようです。

 登場人物は、寿福吉、妻幸子、娘あるいは息子、医者、ナレーターで、娘あるいは息子家族は共稼ぎで、寿さん宅から離れた場所に住み、中学3年生の子どもがいて転居ができないという設定。仲間が適宜出演するので、都合によって息子になったり、娘になったりする。ナレーターはセリフに出てきた用語解説や話の進行を担当。セリフを覚える暇がない時は台本片手の演技らしい。ワンシーン終わるごとに、医師、看護師、ケースワーカーなどの専門家が解説をする。
 具体的なケースを通して、だれにでも起こる可能性のある老人問題への理解を深め、その解決策を探す。
 その中で「胃瘻(いろう)」という言葉も紹介されていた。「口からでは十分に栄養がとれないので、管を使って胃に直接栄養をいれる経管栄養」のことで、その解説もあったが、一方で、「胃が食べ物を受け付けなくなってもなぜ生きようとするのか」、「それは正しい老後のあり方なのだろうか」という医療技術に向き合う私たち(老人と家族)の姿勢も考察対象に含まれているようだった。
 相模原周辺に老人問題に関心を持つ医療関係者が多く集まっているという特殊事情もあるかも。脚本づくりは荻野代表がもっぱら担当しているようだが、ならば、近隣市町村への出張公演というのもよさそうに思われた。
 ドンドンドン、相模原座の公演でござ~い。

 冒頭、伊藤さんから超高齢社会の各種データの紹介があったが、すでに紹介したものもあるので、最後に「65歳以上の一人暮らし世帯の推移」と「死亡場所の推移」グラフだけ上げておく。後者では「病院、診療所」の比率が下がり「自宅」の比率が増えている。1975年頃を境に病院での死亡が自宅での死亡を上回るようになり、2010年代の80% をピークに、2020年代になっても65%程度を保っている。病院のキャパシティーはすでに満杯と言えるようで、自宅と介護施設で亡くなる方の割合が増え始めている、のだとか。

講座<よりよいIT社会をめざして>

◎第77回(2024.7.31)
<情報通信講釈師による精通者発掘ガイド⑦>【酷暑の夏の背筋も凍る「怪談」―秋から提供されるコロナワクチンは絶対に「打ってはいけない」】

 唐澤さんのコロナをめぐるお話は今回が3度目で、前2回の記録は以下の通りです。

◎第56回(2023.3.22)
<情報通信講釈師による精通者発掘ガイド>【あふれる情報に流されず、適格な答えを引き出すには努力が必要だが、才覚さえあれば、正しい答えは引き出せる】
◎第59回(2023.5.8)
<情報通信講釈師による精通者発掘ガイド>【コロナ騒動をめぐる1つの仮説は、「新種ウイルスはすべて生物兵器として開発された」というものである】

 唐澤さんは一貫してコロナよりもコロナワクチンの危険性に警鐘を鳴らしてきたが、今回はとくに日本で秋から提供される国産の新しいワクチンは、今までのワクチン以上に健康を蝕む恐れがあるから「絶対に打ってはいけない」という結論になった。

 ワクチンの危険性については前2回の報告をご覧ください。
 唐澤さんはこれまでの経過を振り返りつつ、「ワクチン導入後、世界の死亡者数が毎年7000万人から1.1億人に増加している」、「ワクチンも新型コロナウイルスもなかったときは、統計的に平均を上回る超過死亡はなかった」、「ワクチンを打つことができなかったアフリカがコロナに一番強かった」、「ワクチンなしでコロナに感染した子どもは自然免疫を獲得していた」といった事実を示してくれた。
 元ファイザー従業員の日本人女性が「ワクチンを打ってしまったらDNAが変る。女性が打った場合は畑が、男性の場合は種がダメになり、古来とは異なった人類が生まれてしまう。中学生以上になった子どもたちには、『ワクチンを打った人とは恋愛してはいけない。打っている相手だったら、それ以上、自分は進まないという選択をしないとダメ』と教えざるを得ない時代になった。ワクチンを打った人を血縁関係に入れてはいけない」と、今更ながらにワクチンの恐ろしさを告発している動画も見せてくれた。
 いま、国連組織のWHO(世界保健機構)が進めているパンデミック対策に世界中で反対運動が起こっているという。日本でも5月31日に東京・日比谷公園大音楽堂で「WHOから命をまもる国民運動大決起集会」が開かれ、約1万5千人が参加した。折りしもスイスで開かれていたWHO総会では、感染症の世界的大流行の予防や対応を定めた「パンデミック条約」の創設が議論されたが、これに対しては「加盟国の手足を縛り、ワクチンの強制接種をもくろんでいる」、「各国の主権が侵害され、保健政策がWHOの管理下に置かれる」などと警戒する声も強く、条約は継続審議となった。日本政府はこの条約を推進する側に入っている。

 さて新型ワクチンは「レプリコン・ワクチン」と言われ、国産とは言え、海外からの技術供与を受けている。自己増殖型で、注射された人の体内で勝手に増殖するので少量の注射でいいとされるが、逆に言うと、体内で勝手にどんどん増えることで、危険もまた増大する。
 結論のPPTファイルにあるように、以前にも紹介してくれた内海聡医師(最近の都知事選に立候補)は、「レプリコン・ワクチンを打った人から新しいRNAが移る可能性があるので、そういう人とは接触しない方がいい」とさえ言っている。まことに恐ろしい事態が起こりつつある。参加者が後に知らせてくれた情報によると、「当病院かかりつけの患者様は新型コロナワクチンを絶対に打たないように」との張り紙をした病院が既にあるそうだ。
 唐澤さんはコロナ対処法についても説明してくれたが、「身体の中に蓄積した老廃物の排出を促す健康法」であるデトックス(detox)の具体策については、秋以降に改めて話してくれることになった。乞う、ご期待!

 困難な時代を生き抜く知恵を共有するために 参加者の1人が「WHOというのはみんなの健康を守るための国際機関だと思っていたのに…」と戸惑いがちに感慨を述べたが、私たちの健康を守り病気を治すものだったはずの医療が、今では技術だけが肥大化して発展、一部大企業とその大株主たちが儲けるために、そしてそれらの国の政府が国民をコントロールするために、新しい病気を〝発明〟し、それを〝予防〟する薬を売ることに逆転しているようだ。「医は算術」などと軽蔑されていた次元の話ではない。農産物も大企業が遺伝子操作で作った種を売るために、自然や農作物をむしろ破壊している。
 陰に陽に進む、このような恐ろしい事態を背景にして、ディープステイト(deep state)の「神話」が生まれたのだと思う。それは「事実」でもあるだろう。
 アントニオ・ネグリとマイケル・ハートは2000年に<帝国Empire>という本を書いた。以下はその抜粋である。「それゆえ、私たちの基本的な前提はこうなる。すなわち、主権が新たな形態をとるようになったということ。‣‣‣。この新しいグローバルな主権形態こそ、私たちが<帝国>と呼ぶものにほかならない」、「<帝国>という概念は、基本的に境界を欠くものとして特徴づけられる。<帝国>の支配には限界というものが存在しない」、「何よりもまず来るべき<帝国>はアメリカではないし、アメリカ合衆国はその中心ではない。本書でずっと描いてきた<帝国>の根本原理は、<帝国>の権力は特定地域に局所化可能な現実的な地勢も中心ももってはいない、ということである。<帝国>の権力は、流動的でかつ節合された管理の仕組みをとおしてネットワーク状に配分されている」。
 ディープステイトは、ウイキペディアでは「闇の政府。アメリカ合衆国連邦政府の一部が金融・産業界の上層部と協力して秘密のネットワークを組織しており、選挙で選ばれた正当な米国政府と一緒に、あるいはその内部で権力を行使する隠れた政府として機能しているとする陰謀論である」と説明しているが、ディープステイトの本質こそ<帝国>と呼んでいいだろう。<帝国>はふつうには見えにくいけれど、確実に存在しており、それに対抗するために著者2人は、「人民」とか「国民」とは区別して、「グローバリゼーションに抗して立ち上がる能動的役割を担う運動体」として「マルチチュード」の考えを提案した。
 その伝で言うと、Online塾DOORSも小さな、小さなマルチチュードではないだろうか。ガンジーの言葉に「あなたはそれをしなくてはならない。それは社会を変えるためではなく、社会によって自分が変えられないためである」というのがあるけれど、〝狂気〟に対抗して〝正気〟を保つためには仲間が必要である。また、唐澤さんの情報通信講釈師の出番でもあるだろう(Y)

講座<超高齢社会を生きる>

◎第76回(2024.6.24)
 瀬川英二さん【<旅に病んで夢は枯野をかけ廻る>。野垂れ死んでも本望と、還暦後に世界漫遊の旅に出て20年、約100カ国を放浪してきました】

 1946年信州生まれ、現在78歳。大学では「ちょっぴり山好き、ちょっぴり文学好き」のサークル活動にのめりこんだが、無事に数学科を卒業してソフトウエア会社に就職した。コンピュータ黎明期で、まだ不安定だった業界を4社ほど渡り歩き42歳で起業、その会社も61歳で「卒業」し、直後の2007年と2009年にピース・ボートで世界一周の旅に出た。
 個人では行き難いスエズ運河、パナマ運河、喜望峰、イースター島、マゼラン海峡、南極にも行けたが、港中心で内陸まではなかなか足をのばせない。1つの国に最低1カ月は滞在して内側からその国を知りたいと、2009年秋から個人旅行を始めた。「1年のうち半年までなら海外放浪してもいい」と鷹揚な奥さんに感謝しつつ、これまで約100国を回ったという。その制覇図は以下の通り。

 左の表は「過去の放浪一覧」。訪問した国、滞在日時、期間、かかった費用が几帳面に記録されている。瀬川さんは旅行記をフェイスブックで公開しており、そのページ数も記載されている。表によると、訪問国96、期間は2009年から2024年まで、訪問日数の合計は2,220日。15年のうち6年は旅をしていたことになる。団体旅行も含めると、訪ねた国は110に上る。いろいろ工夫して格安の旅を組んでいるので、かかった費用は全部で2,363万円。「1年当たり158万円で、年金の範囲内です」との計算だった。うーん、数学者ですねえ。いや、関係ないかな(^o^)。
 当日は講座<超高齢社会を生きる>の一環として、瀬川さんの還暦一人旅のあらましを聞いたが(『探見』との共催)、瀬川さんによると、この旅もいくつかにグループ分けできるらしい。

①英会話研修を兼ねたもの:初期のオーストラリアやフィリピン。
②興味をもっている仏教中心の旅:ネパールに釈迦の生涯を辿り、イスラエル、ヨルダンでイエス・キリストの生涯もたどる。
③大河を見る旅。ドナウ川とガンジス川を源流から河口まで辿り、アマゾン川とシベリアのレナ川では下流まで船下りした。黄河源流も訪ねた。
④人類起源の場所である東アフリカの大地溝帯めぐり。
⑤人びとがあまり行かない国々(北朝鮮、イラク、グリーンランド)。

 瀬川さんは用意した80枚の写真を提示しながら、めずらしい体験と折々の感慨を話してくれた。それはたいへん興味深いものだったが、参加しなかった人に全容をお伝えするのは難しい。
 以下、いくつか興味深い点を勝手に選んで写真とともに報告しておく。
 ①もっとも長く滞在したオーストラリア:有機農法をしている農家に5カ月滞在、農作業を手伝いながら英語の勉強。農作業はきつくてほとんど勉強にならず、フィリピン、セブ島に転じる。写真は原住民のアポリジニーと瀬川さん。
 ②万里の長城と土楼:日本仏教の開祖である最澄・栄西・道元が学んだ天台の寺や中国五岳の一つ、泰山を訪ねる。西北部の銀川市の近郊で「万里の長城」を見る。よく見る北京近郊の八達嶺長城(はったつれい)とは違う素朴なリアリティに感激した。黄河の源流も訪ね、福建省山間地にある「客家の土楼」も見た。
 ③シャカ生誕地とガンジス川:シャカ生誕の地、ブッダガヤを訪問、ガンジス川ではヒンドゥー教の火葬を見る。燃え残った木材や死体は全てガンジス川に流してしまい墓は作らない。
 ④イエス生誕地:「イエス・キリストと釈迦は似ている」と瀬川さんは思っているという。厳しい山岳修行をしていること、当時の絶対的宗教(釈迦はバラモン教、イエスはユダヤ教)の堕落に抗して新宗教を始めたこと、売春婦(釈迦は遊女アンバパーリ、イエスはマグダラのマリア)を差別しないで更生させたことなど。「ローマ帝国に伝わった以降の世界宗教になったキリスト教を良しとしませんが、イエスは好きです」。
 エルサレム市内のオリーブ園「ゲッセマネの園」も訪ねた。イエスは「最後の晩餐」を終えた後、このオリーブ園で最後の祈りをした後、ユダの通報でやってきたローマ兵に捕縛された。
 ⑤世界最古の人類「ルーシー」発掘現場:320万年前と言われる人類の化石はエチオピアの標高630mの火山灰台地の中の窪地で見つかった。1974年の発見当時、発掘現場ではビートルズの”Lucy In the Sky With Diamonds”という歌のレコードが流れていたことから、この化石はルーシーと名づけられた。写真は発見現場と、記念の銘盤の周囲で万歳する瀬川さん。
 ⑥グリーンランドのオーロラ:最大の都市、ヌーク滞在最終日、夜9時半ころからホテル庭でオーロラを見た。人家近くで見たところが値打ちだとか。

 これまでの旅で病気をしたり、事故にあったりしなかったのかと、当然の質問が出たけれど、アザラシの生肉を食べても食中毒にかからず、標高5000メートルのチベット高地でも高山病にならず、旅行途中で荷物紛失とか強奪にもほとんどあわず、無難に切り抜けてきた。近年は地図が表示されるスマホに助けられたという。
 学業そっちのけで打ち込んだ山歩きの功徳か、頑健な肉体に恵まれたのか、周到な準備のたまものか、あるいは強運の旅人と言うべきか。
 瀬川さんの放浪の旅はコロナで少しペースが落ちたが、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という芭蕉の句を実感しつつ、まだ続けたいとなお意気軒高だった。奥さんも「亭主、元気で留守がいい」と思っているかどうかは知らず、「海外で野垂れ死にされると、迎えに行くのが大変」と言いつつ、ご本人もさまざまな家外活動に打ち込んでいるらしい。幸せな老後の一つの姿を見る思いがする。
 なお、この日は参加者の1人が孫の大学生を〝同伴〟してきた。秋から中国を経て南米に向かう世界旅行を計画しているとかで、祖父・孫そろって参加する微笑ましい情景にもまた幸せな老後が垣間見える。瀬川さんや他の旅好きの参加者も青年に暖かい声援を送っていたが、若い時は二度とやって来ない。旅の無事を祈りつつ、戻ったらぜひ当塾で青春の旅を報告してほしいと思ったのだった。

講座<よりよいIT社会をめざして>

◎第75回(2024.6.14)
 唐澤豊さん【AIをめぐる動きはまことに目まぐるしい。IT社会の激変に取り残されないためには、ふだんの学習が必要になっている】

 情報通信講釈師、唐澤豊さんにChatGPTの話を聞いたのは昨年2月のことだった。

 第54回(2023.2.13)【最近話題のChatGPTは何がすごいのか。急成長するAIに踊らされずに生き抜く覚悟が改めて必要になってきた】
 その報告のダイジェストをあらためて掲載すると、以下の通りである。
 11月に公開したばかりのAI(人工知能)サービス、ChatGPT(チャットジーピーティー)は、アメリカの人工知能の研究開発を行う非営利団体、OpenAIが開発したチャットサービスで、そこで質問をすると、まるで人間が書いたような自然な文章で回答してくれる。公開以後、瞬く間に1億人のレギュラーユーザーを獲得、「スタンフォード大学の学生レポートの17%がChatGPTを使って書かれている」、「マイクロソフトは自己の検索エンジンばかりかWordなどのアプリケーションソフトにもChatGPTを組み込むことを決めた」などという話題が世界を駆け巡った。

 日本のメディアがこの話題を取り上げたのはその後すぐだったが、それから1年半もたたない現在、ChatGPTに代表される生成AIの普及発展はまことに目まぐるしい。唐澤さんによると、「ChatGPTは事前訓練された生成的な変換器で、ある単語の次に出てくる単語を予測するモデル」で、厳密には人間のあらゆる知的作業を理解・学習・実行できる汎用人工頭脳(Artificial General Intelligence、略称: AGI)とは区別されるべきだという。しかし、この生成AIはすでに各種のブラウザ―などに搭載され、多くのユーザーがこれを利用している。今ではテキストだけでなく、画像、映像、音楽、音声なども生成できる。左の写真は「日本の棚田をゴッホ風に描いてください」と頼んだとき、ほんの2~3秒で描かれたものである。
 「AI最前線教養講座」の一端を3つの柱にそって紹介する。新しい動きに驚くこと必定である。
①AIパソコンとAIスマホ
 パソコンに CPU(従来の汎用プロセッサー)だけでなく、GPU(グラフィックス・ プロセッサー)、NPU(脳神経の動作を模したニューラル・プロセッサー)の3種類を搭載した「AIパソコン」が今年の第2四半期から売り出されており、来年末までに1億台を世界に出荷する計画だという。インテルはAI Everywhereという構想のもと、AIパソコンと開発者支援プログラムを提供している。
 生成AIはインターネット上にある様々なデータをかき集めて、文章や画像を構成するものだが、この高機能ノートパソコンだと、自分のパソコンやスマホ、タブレットなど、ネットワークに繋がれた機器のデータを利用して、生成AIに様々な指示を出して、作業を行える。過去の自分の文章・画像・映像などを題材に再構成して、新しいテーマの雑誌用レポートを作ったりできるわけである。
 これの何が凄いのか? 現在の生成AIサービスは巨大クラウドから提供されており、その投資コストと大電力使用料などの維持コストを、企業ユーザーやイノベーターへの課金だけで一般利用者には無料で提供し続けることが可能なのか?ということが既に疑問視されている。いずれはすべてが有料になり、またまた巨大資本だけが独占するクライアント・サーバー型のサービス形態になりそう、という現状だが、これからはパソコンやスマホのようなローカルの端末だけで、同様の生成AIサービスが利用可能になり、情報通信業界が大きく変わる可能性が出て来たということなのである。
 アップルは6月10日に開催した「世界開発者会議2024」で、独自AIのApple Intelligenceを発表した。iPhoneで生成AIを利用できるほか、通話録音を文字起こしして要約したり、音声アシスタント機能のSiriにiPhoneやiPad、あるいはMacを検索させて回答や提案をつくれる。
 私たちが日常使っている端末そのものが「知的能力」を持ち始めているのである。
GAFAMからNMM
 GAFAMはご存知の通り、現代IT業界の巨人、グーグル、アップル、フェイスブック(現メタ)、アマゾン、マイクロソフトである。NMMのMMはマイクロソフトとメタ(旧フェイスブック)である。さて、N とは。
 エヌビディア(NVIDIA Corporation)というGPU専門の半導体メーカーで、米国カリフォルニア州サンタクララにある。グラフィックに強いことから飛躍的に発展、2024年には時価総額でアップルを抜いた。左表のように、1位マイクロソフト、2位エヌビデイア、3位アップルである。
 遅れをとったグーグルは、テキスト、画像、動画、音声など、複数のデータを組み合わせて学習できるマルチモーダル大規模言語、Gemini(ジェミナイ)を開発してリベンジに乗り出しているし、アップルの追撃作戦は先に記したとおりである。アマゾンもアレクサで培った音声対話技術をもとに、生成AIを活用したオンラインショッピングに力を注ぎ始めている。
 米IT企業の攻防はすさまじい。これを象徴するのが「ユニコーン企業」という言葉である。「創業10年以内」、「評価額10億ドル以上」、「未上場」、「テクノロジー企業」の4条件を満たすスタートアップ企業を指し、IT業界は、誕生するユニコーン企業と退場するユニコーン企業によって激動している。創業何十年という伝統も、一部上場といった肩書も無用の、まさにドッグ・イート・ドッグ(dog-eat-dog)の骨肉相食む死闘である。 
 もちろん日本企業の姿はなく、かつて「電子立国」をめざした影はどこにもない(上図参照)。唐澤さんは最近ソフトバンク・グループが10兆円を投資すると発表していることにいささかの期待を表明していたけれど‣‣‣。
③身の回りで何が起こっているか
 生成AIをめぐっては、大学生のレポートが簡単に作れることが心配されたり、元のデータを提供している新聞記事などの著作権問題が話題になったりしているが、AIはそんな心配を尻目に私たちの周りにどんどん侵食してきている(その一端は「余談―1」参照)。
 現に私たちがオンライン塾用に使っているZoomにもAI Companionの機能が提供された。説明に「招待された人々はミーティングについて AI Companion に質問をすることができ、AI Companion はミーティング文字起こしに基づいて回答を提供します」とある。これまでZoomの内容はホストしか録画(録音)できなかったけれど、この機能をオンにすれば、録音内容を踏まえた回答を得ることができる。これを便利と思うか、心配するか、それは人によるだろうけれど、そういう思惑に関係なく、どんどん便利になっていくのが現実である。
 このAI攻勢に対しては、ユーザーの側が余程しっかりしていないと振り回されるが、ふつうの人は何も考えない内に便利な機能を利用することになるだろう。それは長い目で見ると大きな問題を提起しており、怖いところでもある。
 そこで日本、および私たちの現状だが、唐澤さんによると、新聞がいまだに「人事部が評価する大学ランキング」などという特集をしているようでは話にならない。米国、カナダ、東南アジアなどの高校・大学では教師が教材を使わず、生成AI活用の指導をしており、日本の塾でも簡単なAIを使った教材と端末を与えたら、偏差値がぐんと上がって合格率も上がったという話もあるという。「文科省にがんじがらめになっている学校ではなく、学習塾で生成AIの利用活用が始まれば、学校も変わるかもしれない」とのことだった。
 日本語LLM(large language model、大規模言語モデル)コンテストで高校生が世界1位となる時代である。大学地図、教育地図そのものが激変しているのに、日本の教育行政はまことにお寒いということらしい。
 唐澤さんはAIは人間の頭脳を凌駕するかという「シンギュラリティ」問題や、逆にAIによってプレアデス星のような理想的社会を実現できる可能性などについても話してくれたが、ここでは省略する。
(注)日本語LLMコンテストで世界1となった高校生の記事は以下にある:
https://ascii.jp/elem/000/004/198/4198012/
  この「AI最前線教養講座」は定期的に開催することになった。

番外<Online塾DOORS第1回オフ会&木愛ずるワークショップ>

 都心とは思えない新宿御苑のうっそうとした〝森〟に初夏の涼風が吹き抜ける。参加者は木肌を紙に写し取るフロッタージュを楽しんだり、大木の根の先あたりに立って、「魂ふり」の行に挑戦したり――陽光を受けつつ、地肌になお冷気も感じさせる草原に坐りながら、案内役の高橋由紀子さんから、木と対話する人生の豊かさについて話を聞きました。
 高橋さんにご登場いただいた4月19日の第73回講義のあと、唐澤豊さんのご提案で企画されたOnline塾DOORSオフ会兼「空の路地ワークショップ」でしたが、 だれの心がけがよかったのか、前日の風雨とは打って変わった好天にめぐまれ、時節良し、天候良し、場所良し、参加者良しと、まことにすばらしい会になりました。塾からは7人、唐澤さんや高橋さんの知り合いなどを含め約20名が参加、その後は近くの喫茶店で、これもなごやかなひとときを過ごしました。
 朋あり、遠方より来る、また楽しからずや。ふだんはZoom越しに会い、顔はよく知っていながらも、現実に相まみえるのはまた格別で、少し遅れたためにイベントにはほとんど出席できなかった人が、苑内をさんざん探し回ったあげく、最後の集会にやっと合流できるという微笑ましい風景もありました。
 コロナ禍をきっかけに、なかなか会えないデメリットを解消しようと始めたOnline塾DOORSですが、面と向かって会うオフ会はまたすばらしいと、多くの人がしみじみ感じた初夏のさわやかな1日でした。

講座<超高齢社会を生きる>

◎第74回(2024.5.13)
 若宮正子さん【ただの知識ではなく、そこに大人の叡智が加わってこそAIと共存できます。まだまだ未熟な私ですが、これからも大いに学び、成長していきたいと思っています】

 若宮正子さんは戦前の1935年生まれ 、4月に89歳の誕生日を迎えた。81歳だった2017年にスマートフォンのゲームアプリ(hinadan)を公開して、米 アップル社のCEO、ティム・クック氏に開発者向けの国際会議(Worldwide Developers Conference)に特別招待されたことをきっかけに、「世界最高齢のプログラマー(アプリ開発者)」として一躍脚光を浴びた。
 その後は、国際連合で基調講演をしたり、政府委員会の有識者メンバーに選ばれたりと、若宮さんの人生は一変する。しかし、彼女の「前半生」の話を伺ってみると、そこには、彼女の人生そのものを貫く、謙虚ですなお、勉強好き、そしてちょっぴりおちゃめな1日本人女性のドラマが秘められている。それは、IT社会および超高齢社会の先頭を走り続け、さらに先のゴールへ向かってかろやかに疾走する姿でもある。
 NHK朝のテレビ小説ふうに言えば、「マーちゃん、インターネットの雲に乗る」。連続ドラマに十分耐える内容も詰まっている。『昨日までと違う自分になる』(KADOKAWA)、『88歳、しあわせデジタル生活』(中央公論新社)など多くの著書がある。近刊の予定もあるとか。

<第1部>私の歩んだ道

 私は戦前、戦中、戦後を生きてきました。太平洋戦争が始まったのは小学2年生の時で、子どものころはいつもおなかがすいていたのをよく覚えています。都内の高校を卒業して銀行に勤めました。そろばんが下手で、お札を数えるのも苦手、職場で小さくなっていたんですが、そのうちアメリカから計算機やお札を数える機械が入ってきました。会計学なんかを勉強していたのですが、時代の流れも幸して企画開発部門に配属され、これまでの劣等感から解放されて、のびのび仕事をできるようになりました。人生、何が起こるかわからない。まったくコンピュータ、機械のおかげで、テクノロジーには感謝しています。塾で英語の勉強もしました。当時、女性はみんな「女の子」で、管理職に就くことはなかったんですが、後半は管理職にまでしていただきました。
 その後関連会社に移って62歳で退職しましたが、高齢者こそITが必要だと思い、58歳からパソコンを始めました。「ITエバンジェリスト」という肩書を勝手につけて、勉強会に入ったり講演したりするようになりました。100歳まで生きた母の介護もやったけれど、自分のやりたいことに夢中になってお菓子の時間を忘れたり‣‣‣。アメリカに自分のアイデアを話すTEDという催しがありますが、2014年にその日本版ができて、初めて人前で話をしました。

私はインターネットから翼をもらいました。その翼は私をおばあちゃんの枕元という狭い世界から広い世界に連れて行ってくれました。

 最初、「若い男ばかりのところにおばあちゃんが出てくるとみんなしらけるんじゃないか。若宮さんが傷つくんじゃないか」と心配してくれる人もいたいたんですが、実際はそうではなく、若いお兄さんたちがワーッと拍手してくれました。
 スマホのゲームはシニアが楽しめない。若い人も入った会合で「だれか年寄りでもおもしろいと思えるゲームを作ってよ」と言うと、「年寄りが好きなゲームがどんなものか、わかりませんよ。若宮さん、自分が年寄りなんだから、自分で作ったらどうですか。新しもの好きだから、ちょうどいいじゃないですか」、「作り方がわからないのよ」、「僕らが手伝いますよ」というわけで、ひな壇アプリを作りました。
 どんなゲームでも年寄りは負ける。それは1分間にいくつコマを動かすと何点とか、時計が入っていてカチャカチャやるからです。時計を入れないゲームがあってもいいんじゃないかと思って、ひな壇にお雛さまを正しい順序に並べるだけのゲームを作りました。これだと、年寄りは並べ方を知っているから、手が震えていようと、目がかすんでいようとできます。
 半年ほどしたら、英語のメールが来ました。アップルの日本支社からで「私どものCEOがあなたを招待したいと言っています。いっしょにアメリカに行きましょう」。友だちにそのメールを見せたら、「何? マーちゃん(若宮さんの愛称)、そのメール開けちゃったの。ダメねえ。そういうメールが来たら潰して追い出しちゃうのよ。そうしないとやっかいなことが起こるんだから」。こういうメールはガセメールに決まってるんだけれど、ガセメールでも開けてしまう私です(^o^)。開けちゃって、書いてある番号に電話までしていたんです。そしてCEOにお会いして、お話する機会がありました。年寄りの立場からアイホンについての要望などもしたら、「あなたの言うことはよくわかった」と最後はハグしてくれました(上写真の左から2枚目)。
 海外で有名になったために、2018年に国連の社会開発委員会年次総会で基調講演をしてくれというメールがきました。そのときは手伝ってくれる人もいて、ニューヨークに行き、「シニアにとってICTリテラシーがいかに重要か」について話しました。「マーちゃん、よくやるね」って言われるけれど、日本語だって秋田弁もあるし、九州に行くと博多弁もある。マーちゃん弁の英語があってもいいと思ってやりましたが、みなさんわかっていただけたようです。
 日本に帰ってきましたら、今度は日本の内閣官房からメールが来て、「人生100年時代構想会議」の有識者メンバーになりなさいと言われました。「有識者」と言われたのにはさすがにびっくりして、「とんでもございません。私なんかが有識者なら日本人の8割は有識者でしょう」と申し上げたんですけれど、偉い人が「時代が変わると有識者の定義も変ります」とおっしゃって‣‣‣、私、もの好きですから、月に1度、首相官邸に行って、みんながどんな話をしているのか見に行くのも悪くないと出かけることにしました。そういう場所で話すと、話はとにかく聞いてもらえるので、その後は政府の委員もしています。
 昨日も秋田から帰ったばかりですが、去年は150回の講演をしました。おととしはデンマークに高齢者対策などを勉強に行っています。

 <第2部>人生100年時代を生き抜くために

 後半は、若宮さんの知識と経験をもとに「日本のデジタル競争力はたいへん低い」、「とくに高齢者の利用率が低い」といった「超高齢化社会の現状と問題点」についてのコメントがあったが、これがまた堂々たる報告だった。とても全部はお伝え出来ないので、そのエキス、「超高齢社会を生きる高齢者への提言」の部分だけ報告しておこう。
 ①学びなおす。時代は産業革命期→コンピュータ・インターネット時代→AI時代と移ってきている。これまでの考えではついていけない厳しい時代だが、一方でそれは、新しいビジネスチャンスでもある。高齢者の中から新しいビジネスが生まれる可能性もある。そのためには新しい時代に応じた「学びなおし」が必要であり、「ワクワクしながら学びましょう」。若宮さんはChatGPTも駆使しており、AIを学びのために賢く利用する方法なども伝授していただいた。またカメの甲より年の功、年長者の叡智こそAI時代と共存するためのキーワードだとのご託宣だった。
 ②本質を知る。スマホはお金のかかる携帯電話ではなく、「万能電脳小箱」である。手元のデジタル機器の中央司令塔でもある。物事の本質を知り、便利な道具を使うことが大である。
 ③創造的に生きる。若宮さんは表計算ソフトのエクセルを描画ソフトとして使うExcelArtの考案者でもある。ここに掲げたPPファイルのデザインもエクセルを使ったものだが、衣服デザインにも応用している。柔軟な発想で機器を使いこなす見本と言っていい。おととし、台湾のデジタル庁長官、オードリー・タンさんとオンライン対談したことがあるが、そのとき、タンさんがエクセルアートに興味を持ってくれて、「完全にオープンソース化されたデジタルアートの数少ない成功例」と評価してくれたという。「すばらしいアートの開発者なのに、プログラマーだなんて言われて、嫌でしょう」とも言って、若宮さんを喜ばせたとか。
 ④多くの人と交流する。外出が困難なら、オンラインで多くの人と交流し、孤独化を避ける。また現役のときから友の輪を広げる努力をする。若宮さんが理事をつとめる、高齢者の高齢者による高齢者のためのオンライン広場とも言うべき「メロウ倶楽部」を紹介していただいた。会員300人以上、平均年齢74.0歳、90代の人も頑張っており、海外からも参加者がいるという。

 マーちゃん、インターネットの雲に乗る 身長155センチにも満たない若宮さんの小柄な体のどこにこれだけのエネルギーが詰まっているのか。<超高齢社会を生きる>シリーズは『探見』との共催で、20名近い参加者がいたが、全員、大いに恐れ入った次第だった。年間150回もの講演をこなす体力も驚きだが、塾当日、75分間にわたって、何の淀みも息切れもなく、笑みをたたえ、ときにはにかむように話す内容は理路整然としており、精神的な若さにも大いに感心させられた。
 肉体的な「何か健康上の秘訣があるのか」と聞いた人もいたが、「私、睡眠も食事も不規則で、健康とはとても言えない生活をしています」との返事だった。何事にも好奇心を失わず、楽しみながら生きていくことこそが健康の秘訣なのだろう。
 IT社会を生きる杖としての「サイバーリテラシー」を提唱している立場から言えば、hinadanが日本の伝統をゲーム(サイバー空間)に組み込んだ点が興味深かった。Online塾DOORS最高齢のスピーカーでありながら、なおみずみずしい感性を失わない若宮さんに満腔の敬意を表して、少し長い報告になった(^o^)。さらなる活躍をお祈りしたい。(Y)

講座<よりよいIT社会をめざして>

◎第73回(2024.4.19)
<情報通信講釈師による精通者発掘ガイド⑥高橋由紀子さん【樹木を眺め、その幹や葉に触れ、写真を撮っているうちに、それらの木々がお互いに話しあっていることがわかりました。その回路を「空の路地」と名づけています】
 今回、唐澤さんが「精通者」として紹介してくれたのは高橋由紀子さん、テーマは「空の路地」である。高橋さんは物心ついたころから木々と親しく接し、対話してきた。その活動が縁でいろんな雑誌に紹介され、展覧会やワークショップも開くようになった。フランスに出かけたこともある。いまは主宰する「哲学・語学の『ココロエ』教室」で、木から学んだ共生(ともいき)を仲間と共有する日々を過ごしている。

 高橋さんは東京・世田谷で育った。幼いころから木々に囲まれて暮らす「虫愛ずる姫君」ならぬ「木愛ずる少女」だった。木と直に触れ合うために板壁や樹木に紙を当てて、上から鉛筆などでこすって木肌の複雑で美しい形態を写し取る魚拓ならぬ「木拓」が趣味だった(今ではフロッタージュという絵画技法として知られている)。小学校6年の時の担任の先生から、「大事なものは目に見えない」ことを教えられ、地中に伸びた根っこにも関心をもつ。
 カメラで木の写真ばかりを撮っていたが、ある夕、近くの都立松沢病院の雑木林で欅を見上げながら撮った1枚の写真(右)の枝の間に興味を惹かれた。「なんだか道があるみたい」。友人から「木も話している」と聞いて、「木のコミュニケーション回路なんだ」と合点、これを「空の路地」と名づけた。
 高橋さんが撮った多くの写真が縁になり、「空の路地」が雑誌に取り上げられ、講演したり、ワークショップをしたりするようになる。唐澤さんが高橋さんに出会ったのも日比谷公園でのワークショップだったとか。
 彼女が世田谷で主宰している教室には多くの若い家族や友人たちが集うようになり、みんなでフロッタージュを楽しんだり、通訳翻訳もする高橋さんのもとで英語やフランス語を学んでいる。
 木とのコミュニケーションに関心を持っている人はけっこういるらしい。作曲家の神津義行さんは『木と話をしたい』という本を1998年に出版しているし、やはり作曲家の坂本龍一さん(最近亡くなった)は2004年に、森の中で木の生体電位を測定、それを音に変換して主旋律とし、そこに彼が「伴奏」するパフォーマンスをした。
 木とのふれあいは人の心にも影響を与える。フランスで行った「かたち・きもち・いのち展」のイベントでは、フロッタージュをしていた、ふだんは決して口を開かない少年が自分のフロッタージュを見ながら高橋さんに「これは宝島の地図だよ」としゃべって、関係者を驚かせたりもしたらしい。
 京都新聞社主催の「日本人の自然観や精神性を世界に向けて発信する」という写真展およびワークショップでは、「神道の原点は自然崇拝です。草木山川あらゆる自然万物に神が宿り、私たち人間はその恩恵によって生かされています。神道的な自然観というのは、世界に誇るべき日本の宝だと私は思います」という石清水八幡宮の田中恒清宮司の文章にも接した。
 3.11の東日本大震災は高橋さんにも大きな影響を与え、原発事故をどう受け止めるかは「哲学」の問題と考え、教室では哲学についても勉強するようになった。

 高橋さんが紹介してくれたBBC放送制作の番組では、森の木が主として菌類の交換を通じてコミュニケーションしている姿が記されている。このネットワークをインターネットに名ぞらえてWood Wide  Webと呼ぶこともあるらしい。木は根を通じて他の木に栄養分を与えたり、自分が襲われた外敵から他の木を守る菌類を送ったりしているという。高橋さんが直観的に感じた「木が話している」ことが、近年では科学的にも裏付けられつつあるようである。
 木とともに歩んだ人生の豊かさとともに、語り口からうかがわれる高橋さんの快活でしかも穏やかな人柄は、参加者に深い感動を与えたようだった。高橋さんの教室に参加したい人は大歓迎とのこと。ブログ:WATCH&TOUCH「日々の体験學」。

 木々の声に耳を傾ける 森の木が互いにコミュニケーションしていることは科学的に確かめられつつあるとして、木と人間との対話はどうだろうか。これは個人の心性の問題だと思われるが、田中宮司が言っているように、伝統によって育まれた日本人の感性こそ「宝」なのかもしれない。
 私が長年やっている禅密気功の功法の一つに吐納気法というのがある。呼吸に合わせて自然の気を取り入れて体内に流すことにより、内気と外気の自在な交流をめざすもので、大木の幹に向かってその気を取り入れたりもする。これも木との交流である。今回、ゲスト参加した気功仲間の女性は、合宿中に木々と話をした夢のような経験を話してくれた。
 「森の精」とか、「山の神」とか言い、深山幽谷は昔から荘厳なものと感じられてきた。「森林浴」とも言う。私たちもその気になれば、人類よりはるかに「先輩」である樹木とのコミュニケーションを通じて、深い知恵を受け取ることができるかもしれない。木の側からすると、老木ほど能力が強いらしく、都市再開発のために経済的理由だけで古木を伐採することがいかに乱暴か、また後から若い木を植え直せばいいということでもなさそうである。人類がいま直面している気候異変をはじめとする難題を世界の古木はどう見ているだろうかと、あらためて思ったりもする。
 塾の後に唐澤さんから「コロナ禍も落ち着いてきたので、Online塾DOORSもオフ会をして、その最初に高橋さんにワークショップを頼むのはどうだろうか」というメールが来た(Y)

講座<若者に学ぶグローバル人生>

◎第72回(2024.2.29)
 杉本万由さん【教師は基本的にはとても楽しい仕事と考えています。自分の考えのもとにディスカッションできる子どもを育てられるといいなと思っているのだけれど‣‣‣】

 杉本万由さんは現在、東京学芸大学大学院で教師教育学を専攻しながら、東京都の小学校で外国語の非常勤講師をしている。小学校の先生になりたくて東京学芸大学に入学、4年生のときは台湾大学にも留学し、現地の自由な授業風景に接してきた。大学卒業後の2020年、横浜市の教員採用試験に合格、念願の教師になったが、折しもコロナ発生の時期に重なり、異常な新人教師生活を送った。その中でも創意工夫に富む授業をしてきたようだが、教育現場の厳しい環境に突き当たり、もともと大学院進学の思いもあり、3年でいったん教師生活にピリオド。教育現場はいかにあるべきか、悩みつつ前に向かって歩み続ける若い教師の真摯な物語を聞いた。
 杉本さんの3年間の教師生活は以下のようなものだった。

2020年 2年生担当
 コロナ発生を受け2か月の臨時休校、その後の分散登校(2週間)。午前中5時間の詰め込み授業。感染対策のための坑内消毒、体温チェック。学校行事の自粛、実施方法の変更。何が何だかわからないうちに忙しい1年が過ぎた。その中でも、台湾での経験から日本語をしゃべれない中国人の生徒をまかされ、「日本語はしゃべれないけれど、中国語をしゃべれる」という自信を植えつけるために、課外授業として中国語の授業に取り組んだ。中国人生徒に中国語の絵本を読んでもらう試みを通して、日本人生徒の中国人生徒を見る目も変わり、「日本語がわからないダメな子」は「中国語がわかるすごい子」として、3月にはクラスに溶け込めるようになった。
2021年 1年生担当
 夏休み明けからの分散登校(1か月)+オンライン授業の実施。ICTの使い方を自らも勉強。コロナ関係で休んだ児童の家に、タブレットや勉強道具を届け、オンラインで授業ができるようにした。
2022年 3年生担当
 コロナ、アフターコロナの過渡期。

 杉本さんは 教師という仕事=基本的にはとても楽しい仕事と考えている。授業にとらわれない様々なことを教える仕事でもあり、子どもたちや保護者の方、地域の方々などとコミュニケーションを図りながら、共に教育をつくりあげていくやりがいのある仕事だとも思ってきた。
 しかし、3年間の教師生活は厳しく、さまざまなことを考えさせられたという。クラスの出来事と限定しても、
 ①不登校児童への個別支援。②日本語がわからない児童への個別指導。③他クラス、他学年の児童とのトラブル対応。④心のコントロールが難しい児童とのかかわり方。→意向に沿わないと大声で泣き叫ぶため配慮が必要。⑤けがをすることにセンシティブな保護者への対抗→けがしたらすぐ保健室から電話、自宅に謝罪に行ったこともある。親からは怒りの電話が来ることもあった。
 また勤めていた小学校の環境としては、
 ①教師がたりない。1年間で3人が長期休暇をとったので、残っている先生が代わりに職務を行う。図工専科の先生も担任をもち、それでもたりないので管理職も担任になった。5クラスあるのに担任が2人しかいないこともあり、彼女も自分の担当の空き時間に他のクラスにまわったりしたという(右表は文部科学省調べの全国公立学校職員の病気休職教職員数の推移)。
 ②なかなか帰れない。アンケートの入力・集計、各種委員会の準備、事務作業などが山積し、気がついたらいつも18時30分。2時間は残業するのが普通だった。そのあとで明日の授業の準備をする。
 ③行政(教育委員会)からの支持に右往左往。コロナウイルス対応やIC機器対応、プログラミング学習などなど、突然、新しい支持が降ってくる。教師がただの労働者、サービス業者になっている。
 といったふうで、要するに教師のやらなくてはならないことが多すぎるようだ。杉本さんは淡々と話してくれたけれど、この厳しい実態はやはり解決されるべきだろう。
 こういう現状を反映して、教師の成り手がどんどん減っており(左表は公立学校教員採用率の推移)、東京都では倍率1、教員になりたい人はすべて採用される状態だという。これが教師の質の低下に結びつき、ときどき新聞紙面をにぎわすような不届き教師が現れる。ちなみに学芸大学卒業生のうち教員になるのは3割程度という。
 教育をまともに考えれば考えるほど壁にぶちあたるのが現状のようで、その苦悩の中で杉本さんが選んだのが大学院でもう一度、教育を考えるという選択肢だったらしい。若い教師の苦悩が現在の教育環境を象徴しているように思われる。「社会人のみなさんのご意見をぜひ聞かせてほしい」との希望もあり、質疑ではいろんな意見、感想が出された。
 「AIの登場で、教師は教えるよりも、ともに学習する姿勢が大事になる。教師じゃないと教えられないという時代ではない」、「不届きな教師を生む教育環境そのものを変えないとダメではないか」、「文部科学省と教育委員会が上から支持するやり方では問題は解決しない」、「私の地域では高齢者たちがボランティアで補習を行う取り組みを行い、ある程度の成果を上げている。シニアを利用して先生の負担を減らすことを積極的にやればどうか」、「組合の組織率が低く、教師が教育委員会とか保護者から攻撃されたときに守る核のようなものがないのでは」、「何事も現場で解決していくしかない。そういう意味では心ある教師の奮闘に期待したい」、「困難な状況の中でがんばっている話を聞いて身につまされ、またそういう教師を応援したいと思った」などなど。
 現代の学校教育が抱える問題は論じつくされている面もあるが、こうして具体的な話を聞くのは、やはり貴重な体験だった。杉本さんは最後に「教師には現場を変えていかなくてはいけないということすら考える余裕がなくなっている」という感慨をもらした。

 台湾の教育現場の方がはるかに自由 実は冒頭の話は、杉本さんが見聞してきた台湾の教育事情だった。彼女は日本語のしゃべれない中国の子どもたちに日本語を教えるボランティアをしており、そのためには自分がわからないところから始める経験をした方がいいという思いで国立台湾大学に半年間留学、中国語教育、日本語教育の授業風景、現地の小学校見学などをしてきた。台湾大学には日本人留学生も多かったという。
 台湾では高校進学者の80%以上が大学に進学し、塾通いの子どもも多い。見学した台北市の小学校の例では、教員の勤務時間は7:30から17:00まで。18時過ぎには学校からだれもいなくなる。担任が受け持つ授業は15コマ(彼女が教員のときは24~26コマだった)。1クラス20~26人。宿題が多い。教員採用倍率は10倍ほど。なりたくてもなれない人が多く、教員は尊敬される身分だとの社会的受け止め方が強いらしい。教員が保護者対応するようなことはあまりあまりないようだ。
 母国語として奨励されているのは中国語だが、台湾の複雑な政治状況を反映して、台湾独自の台湾語、客家語、原住民諸言語などの維持に向けても教育が行われている。英語教育は小学生3年生から必修で、台北では1年生から教えていた。彼女が見学した授業は英語専科で、習熟度別の授業だった。若い先生がマイクを使いながら授業をしていたが、実に楽しそうだった。台湾の英語教育やコンピュータ教育は、日本より進んでいるように感じたという。
 台湾の世界的半導体企業、TSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company)が熊本に進出して地元は好景気にわいているというが、ここにも台湾の躍進と、後塵を拝している日本の姿がある。日本がここ30年いかに衰退してきたかの一面は教育にも明らかなように思われる(Y)。

講座<超高齢社会を生きる>

第71回(2024.2.6)
 竹信三恵子さん【高齢者がのんびり「隠居」する時代は終わり、いつまでも「労働者」として生きざるを得ない時代になってきた。もはや「逃げ切り」は無理ですよ】

 竹信さんは朝日新聞記者として経済部、シンガポール特派員、労働担当編集委員などを歴任、2011年から和光大学現代人間学部教授。『ルポ雇用劣化不況』(岩波新書)で労働ペンクラブ賞受賞、最近は『女性不況サバイバル』(同、末尾に表紙写真)を出版している。今日のテーマは<高齢者にとっての今と将来~「ご隠居」から「労働者」へ>。現代の「超高齢社会」を鋭い切り口で分析してくれたが、彼女によれば、「かなり深刻な事態なのに、高齢者自身、それをあまり意識していない」のだという。たしかに。なお、今回は森治郎さん主宰の『探見』との共催で行われた。
 冒頭に以下のデータ(令和5年高齢社会白書)が紹介された。

 中央やや右寄りの2020(令和2)年が区切りとなっており、それ以前は実測値、以後は推計値である。右端は約45年後の2070年となっている。折れ線グラフで示されているのが高齢化率(全人口に占める65歳以上の割合)の推移である。棒グラフの比較的広い部分(橙色)が15歳から64歳までのいわゆる「生産年齢人口」①である。その上(緑)が0~14歳(年少人口)②、下方が65~74歳(水色)③、75歳以上(ピンク)④と続く(③④あわせて老年人口)。
 基準年(2020)の構成比を示せば、人口は1億2600万人、高齢化率は29.1%。それぞれの人口構成比は①59.4、②11.6、③13.5、④15.5である。これが最終年になると、人口そのものが8700万人とぐっと減少、高齢化率は38.7%、ほぼ40%となる。年齢別構成比を、表示されている数値で単純に計算すると、①53.3、②9.2、③13.6、④25.1となる。
 このグラフを見ているだけで、日本社会が容易ならざる「超高齢社会」に突き進みつつあるのは明らかだろう。最終年では75歳以上が人口の4分の1を締める。竹信さんが、高齢者は今や「大事にしてくれと言うのはおこがましいほどの多さである」と言うのもむべなるかな、であろう。「60歳定年」という言葉も死語になっているらしい。
 こういう事態を受けて、国は高齢者を働かせるための施策をどんどん打ち出している。
 たとえば、「生涯現役雇用制度導入マニュアル」(厚労省ウエブ)によれば、「生涯現役社会の実現」を目指して、企業に「定年制の廃止」や「定年の引き上げ」、「継続雇用制度の導入」のいずれかの措置を65歳まで講じるように義務づけている。さらに2021年4月1日からは70歳までを対象に、「定年制の廃止」、「定年の引き上げ」など、いつのまにか上から、働く条件が整備されている。
 少なくとも70歳までは本人の意志に関わらず、「働きなさいよ」と言われている。しかし、高齢者が気持ちよく働く労働環境が整備されているかと言うと、そういうことはない。竹信さんはいろんな公的データを引き合いに出しながら、そこから読み取れる高齢者が置かれている困難な状況について丁寧に説明してくれたが、ここではその概略だけを記しておく。

 高齢者は体力も衰えているから比較的楽な環境で働けるかと言うと、そうではない。企業による再雇用ではほとんど同じ労働なのに、がくんと給料は落ちる。これに対して「同一労働同一賃金」の原則のもとに訴訟を起こした例があるが、最高裁で棄却されている。高齢者労働の多くが業務委託契約となっており、労働法の保護は受けられない。労災事故は高齢者、とくに女性の間で高い。労働者として扱われているのに労働組合はないし、既存の労働組合の関心は企業内に限られ、高齢者はその埒外に置かれている。賃金は「不安定雇用だから」、「年金があるから」、「(女性の場合)夫がいるから」などの理由で低く抑えられ、生活保護世帯も増えている、などなど。
 高齢者の就業率は2021年で900万人を突破、就業率は25%、65~69歳の就業率は50%を超えた。高齢者にももちろん裕福な人はいるし、子ども孫に囲まれて悠々自適の生活している人もいるが、問題は高齢者も二極化しており、働かないと生活できない、働いても生活できない、働けない「下流老人」(藤田孝典『下流老人』朝日新書)は、空腹と冬の寒さの二者択一 (イートorヒート)をすら迫られているのだと言う。
 そこで、課題である。竹信さんは上に揚げた諸点を列記してくれた。最後に「他世代、他の階層の状況についての情報収集力と想像力、『逃げ切ろう』と思い始めたら逃げ切れなくなる」とあるのが、この問題の深刻さを象徴しているだろう。

 元気な100歳のめでたさと「下流老人」 このところテレビ番組で元気な100歳のドキュメントが多い。これまでの100歳は達者ではあるが、ほとんど車椅子に乗って、ただ生きているという感じだった。しかし今は違う。中華料理店で自ら調理したり、ミカン園で木に登ったり、つくだ煮屋で売り子をしながら絵や長唄、麻雀などの趣味を楽しんだり、みんな健康で元気なのである。100歳同士の夫婦もいた。自分の足で歩き、自転車に乗り、現役で働き、社交を楽しむ。「100歳」の壁は取り払われつつあるのではないか、元気な100歳の姿を見ながら、そう思ったわけである。
 超高齢社会シリーズでも話題にしたアメリカ映画『マイ・インターン』は、大手企業を勤め上げた老人(と言ってもまだ若い)が一念発起して若者が起業したアパレル企業に「インターン」として再就職、かつて取った杵柄を生かしながら新しい人生を切り開く話だった。これらは超高齢社会の「明」の部分だが、竹信さんの話は、その裏に横たわる「暗」の部分であり、しかもそれはきわめて深刻だった。
 新自由主義の矛先が、いまや搾取すべき対象として高齢者を見据えているということだろう。それに対抗する高齢者は既存組織から離れているだけに孤立している。もっともこれは高齢者ばかりでなく、女性も、年少者も同じだと思われる。いわゆる企業などで働く生産年齢人口を中心に考えるだけでは、さらには男性本位に考えるだけでは、社会の矛盾を解決できない状況であるにも関わらず、既存の政治も、私たちの意識も、まだ古い残滓に取りつかれているということのようだ。
 政府などの統計をつぶさに発掘しながら、そこから問題点を見つけ出す竹信さんの手腕は鮮やかである。(Y)

講座<よりよいIT社会をめざして>

◎第70回(2024.1.24)
<情報通信講釈師による精通者発掘ガイド⑤>【ジョン・レノンの「イマジン」はプレアデスの理想社会に通じる。今後はこれをテーマソングにしようと思います】

 2024年幕開けはすでに恒例となった唐澤豊さんの<情報通信講釈師による精通者発掘ガイドの5回目。唐澤さんの関心は、プレアデスのような理想的な社会を実現するために私たちは何をすべきなのか、あるいは何ができるのかということで、今回は唐澤さん研鑽の途中経過として3つのテーマに沿った報告があった。
 第1はプレアデスを訪問したという上平剛史さんの説を補強するような宇宙人との交流記録がユーチューブにあるとして、2チャンネル掲示板の「茶太郎」さんの話が紹介された。「茶太郎」という人に聞いた話として公開されているもので、公開日時は茶太郎さんが44歳の2014年と少し古い。10歳のころ自宅近くの森で初めて宇宙人に会い、その後、中学卒業までの間に7度ほどあった経験を記している。具体的な話もしており、宇宙人は彼が用意した変装用の服装を着て夜、雪の中をいっしょに歩いたこともあるという。この宇宙人はプレアデスとは違う場所からやってきたらしい。宇宙人との交流話は、それこそ掃いて捨てるほどあるが、唐澤さんによると、この話には真実性も感じられ、上平さんの宇宙人との遭遇説を補強する材料になるのではないかと言う。
 第2は元旦の毎日新聞に載った霊長類学者で京大総長もつとめた総合地球環境学研究所長、山極寿一さんの「平和のヒントは狩猟採集時代」という論考の紹介だった。
 山極さんは冒頭で話の柱として以下をあげている。

 ・都市生活は本当に幸せか
 ・移住者を受け入れる知恵
 ・物の価値をマーケットから取り戻す
 ・食料自給率を高めるには
 ・戦争は人類の本性ではない
 ・シェアとコモンズを基本とする社会
 ・「あいだ」を認める日本の思想
 ・新たなジャポニズムの到来

 ポイントだけ述べると、現代はすべての物の価値がマーケットによって決められているために、大量生産、大量消費、大量廃棄といった無駄を生じている。その悪循環を改善するためには、マーケットが決めている規格と価値を個人に取り戻す必要がある。いま人類が住む舞台は主として都市だが、これからはむしろ都市を離れて地域、農村で生きることが幸せである。それは、都市への集中とは対極にある自由な移動生活であり、狩猟生活の基本であったシェアとコモンズを基本とする社会である。食料自給率を高め、生産者と消費者が信頼関係を結び、環境にやさしく、無駄が生じないような物の作り方をし、シェアリングや贈与を根幹とした経済に転換すべきである。それをインターネットという技術が可能にしている面もある。
 山極さんはゴリラの研究者で30年もアフリカで研究してきた。そういう体験からかつての狩猟文化時代の良さを取り戻すべきだと説いている。日本には「容中律」という「間」を認める思想があって、こっちかあっちしかない欧米や中東の「排中律」に基づいた世界観を見直す契機を含んでいる。また日本アニメが世界で人気を集めているのは現世と違う世界との間を往還するパラレルワールを描いているからで、時空を超えた交流が可能な世界を日本文化がつくってきた。世界の若者たちがその世界に魅力を感じているのを見ると、第2のジャポニズムが到来する予感がする、とも。
 山極さんは日本は平和を愛する国として世界を先導する力があるはずだと述べつつ、最後は「国外の脅威をあおって武力を強化している場合ではない。軍拡競争に明け暮れる世界へ向けて不戦の国・日本が発信しなくてはならない大きな義務である」と結んでいる。
 あまりにお粗末な日本の現状を批判し、理想世界を求める山極さんのビジョンはたしかに、プレアデスの人びとが貨幣経済を排し、思いやりを重んじ、技術を賢く利用している姿とダブるところがある。山極さんの狩猟採集時代への回帰という発想が、唐澤さんが縄文時代の日本人の生活を見直そうとする考えと共鳴したように思われる。
 第3がその話で、唐澤さんの意図は上に掲載した通りである。縄文時代は1万年以上続いたとされ、その後の弥生時代で農耕が始まり、それが定着化、権力の発生へと繋がり、現代文明へと引き継がれるわけだが、弥生時代以後の全時代に比べて、縄文時代ははるかに長い。その感性は今の日本人にも脈々と流れているはずで、唐澤さんは、理想社会実現のヒントを縄文社会研究に求めたいと考えているようだった。もっとも、これは今後のテーマである。

 岐路に立つ文明と縄文社会の見直し 山極さんと同じ京都大学出身の哲学者、梅原猛さんは、早くからこれからは日本(東洋)が世界をリードしていくべきだと説いており、これは山極さんの考えと多くの点で共通するように思われる。とくに晩年に作家の五木寛之さんと対談した『仏の発見』(平凡社、2011)では、こんなことを言っている。「日本の国は、縄文時代の文化の影響が残っていて、それを仏教が変容させて、草木国土悉皆成仏という思想を生み出したと思います。そういう思想は、インド仏教や中国仏教にはないんです。インド仏教だと、衆生の範囲は動物までです。植物は衆生とは言えない。‣‣‣。中国において道教の影響で、天台仏教の中にそれが入ってくるんだけれど、そういう本覚思想は中国仏教の主流にはならない。日本に来てはじめて、そういう思想が仏教の主流になった。それはやっぱり、植物や動物や自然現象にも霊があるという、縄文時代以来の伝統思想が、仏教を変容させたのだと思います」。草木国土(山川草木)悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)というのは、生きとし生けるものすべては平等だという考えで、これは唐澤さんがイメージするプレアデスの世界、あるいは理想の世界に近いようにも思われる。梅原さんは常々、日本文化における縄文時代の位置の大きさとそこでアイヌ人が果たした役割を強調していたが、その成果を得る前に2019年、93歳で世を去った。
 塾の数日後、唐澤さんから以下のメールをいただいた。「誰かがフェイスブックにジョン・レノン&オノ・ヨーコのイマジンのことを、世界で最も歌われている反戦ソングだと書いていました。改めて歌詞を読むと、プレアデス社会のようなことが書かれていると思いました。イマジンを私のテーマソングにしようかと思います」。今後はこの講座の冒頭に「イマジン」を流すのもいいかも(^o^)。(Y)

講座<若者に学ぶグローバル人生>

第69回(2023.12.18)
 鐘希君(ショウキクン)さん【アニメなどのサブカルチャーがリアルな日本にふれるための窓口になっています】

 1999年6月、中国・深圳市で生まれた。深圳外国語学校高校部卒業、清華大学日本語学科に入り、2019年から半年、慶応義塾大学別科に留学した経験がある。現在、清華大学修士課程に在学中、当日は大学会議室から参加していただいた。
 深圳は地理的には香港と接する。1980年に鄧小平の改革開放路線で経済特区に指定され、急速に発達した。彼女によると、ここ30年ぐらいで人口が30万人から2000万人近くに増え、65歳以上の人口がわずかに2%程度という。「若い中国」を象徴する都市である。いまや北京、上海、広州にならぶ中国4大都市となり、高層ビルが林立する姿は東京と変わらない(写真は観光パンフから)。
 清華大学日本語学科に入ってから日本語の勉強を始めたというが、その日本語は流暢そのもの、やや早口に「中国で学んだ日本文学、および中国での現状」について、修士論文並みの「講義」をしてくれた。と言って、机上の知識だけでなく、北京市内の書店を訪ね、出版社に勤務する編集者や日本文学翻訳者にもインタビューするという「足も使った、生きた学問」であり、彼女の実力を思う存分発揮しているように思われた。日本留学の際は神田神保町の古書店街、東京駅前の丸善本店にも足を運んだという。
 話は多岐にわたり、また普通の日本人の知らないような専門知識に裏打ちされているから、参加者は彼女の学生になって、すっかり感心して拝聴する塩梅だった。その中から興味深い話題をいくつか紹介しよう。
 清華大学図書館には夏目漱石、宮本百合子、中野重治の全集をはじめ、法律、社会福祉関係の本などがたくさんあるし(写真)、学校では加藤周一をめぐるシンポジウムや各種フォーラムがいくつも企画されている。書店では村上春樹(『職業としての小説家』など)、東野圭吾(『容疑者Ⅹの献身』など)といった最近作ばかりでなく、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』もある。芥川龍之介や太宰治なども人気で、それぞれ数十点が翻訳されており、川端康成の著作権の時効(中国では死後50年らしい)が切れたことで、『雪国』の翻訳も盛んだとか。フェミニズム関係では、上野千鶴子、伊藤詩織などの名も上がった。
 もっとも若年層ではアニメなどサブカルチャーを通して日本に関心をもつ人が多く、彼女も宮崎駿をよく見るらしい。子どものころ朝夜の食事時には「名探偵コナン」、「ドラえもん」などを見て育った。本に関しては、「一般読者」と言えるような層は中国にはないが、日本もかつての「教養主義」はすでに消えており、中国とあまり変わらないのではないか、おしなべて「ファッションとしての読書」という位置づけがふさわしい、日本のサブカルチャーがリアルな日本にふれるための窓口になっている、などなど。1980年代から始まった中国の海外旅行ブームの影響にも言及があった。彼女自身、来日中、「アジアの新しい風」の人たちに案内されて、「スラムダンク」の聖地、神奈川県鎌倉高校前踏切も見学したそうである。
 最後に専門の加藤周一について、それこそ修士論文レベルの考察があった。彼に限らず、丸山真男など人文科学にも関心が広がっているようだ。加藤周一に関しては、『羊の歌』、『日本文学史序説』、『日本 その心とかたち』、『日本文化における時間と空間』、『20世紀の自画像』など大部の主要著作をほとんど読んでいるようで、とくに加藤の「雑種文化論」に惹かれているとか。「戦争とは、爆撃の危険に本質があるのではなく、思想の自由が日常的に制限される心理的抑圧の経験だ」という言葉が印象深いという。
 話は予定の1時間ぴったりで終わり、後は、参加者からいろんな質問が出て、彼女はにこやかにそれらの質問に答えた。「原発処理水放出に反発する中国」という時局的な問題が日本文化の受容にどう影響を与えるかについても考察してみたといい、結論は「とくに変化は見られなかった。このような反発をしている人がもともと日本の魚を食べない人、日本文学を購入しない人ではないか」と、いかにも学究らしいクールな分析をしていた。もっとも彼女は大学で研究者の道に進むのではなく、一般企業に就職を考えているとか。これもちょっとした驚きだった。

「輝くばかりの才能」が世界を変える? 中国屈指の経済都市が生んだ若い才能である。日本にもそのような才能の持ち主は少なからず存在すると思うが、彼女のようにすこやかにのびのびと才能を生かす教育環境を与えられているだろうか。激しいと言われる中国受験勉強の勝者ではあるが、受験勉強という見すばらしい言葉をはるかに凌駕する勉強ぶり、博学ぶりである。日本から見ると、香港や沿岸政策などで覇権(強権)主義がめだつ習近平体制下にありながら、この自由な教育には、中国という国のふところの深さの一端を見た気がした。
 年長者の多い参加者からは、戦前の日中関係、その後の中国の躍進などに関していろいろな質問があったが、1人が「日本の侵略」ということにふれたとき、彼女は「そういうことでは欧米(イギリス)も同じ」と言った。彼女の中では日中関係は世界史の一断面にすぎないようだ。また彼女は「平和は当たり前と思っている若い人が多い。いまは戦争の時代でなく、経済戦争でがんばる時代である。地域的紛争は起こっているが、私たちは今の環境に感謝しつつ、もっと平和について考えていきたい。それはヒューマニズムの追求である」とも語った。
 彼女は20世紀の終わりに生まれた。「21世紀ではなく、20世紀に生まれたのは残念ですか」と聞いたら、「20世紀に生まれてよかったです」と笑顔で語ってくれたが、20世紀末も含め、21世紀に生まれた世代が社会の中堅になるころ中国も変わり、世界も大きく変わるのではないだろうか。おそらく日中関係も変わるだろう。変わらないとしたら、それこそ日本の教育に問題があるのではないかとも思わされた(Y)

講座<超高齢社会を生きる>

第68回(2023.11.27)
 牟田慎一郎さん【「誘われたら行く」、「頼まれたらやる」のボランティア人生30年。すっかり国際人になりました】

 福岡県小郡市で生まれ育ち、県内の大学電気工学科を卒業した牟田慎一郎さんは、そのまま福岡県に本社を置く九州松下電器に就職した。高度経済成長下の日本で、その戦士として海外約15カ国に出張した牟田さんは、外国のビジネスマンたちがけっして仕事一辺倒ではなく、自らの家族や友人、地域の人たちとの生活を楽しんでいることを見聞し、つくづく考えたらしい。仕事一辺倒の日本人よりも彼らの方がよほど豊かな人生を送っているのではないだろうか。日本社会は豊かでも個人の生活は豊かなのか。それに海外にはなんと個性豊かな人が多いのか、と。
 日本経済がバブル絶頂だった1990年、45歳のとき、会社に在籍したまま、個性と創造性を高める生き方に大転換する決断をし、新しい魂の旗として「創造性開発研究所」を設立した。自宅農家を近代的なものに改築、あわせて所有の水田をつぶして、人びとが交流する場所「クリエイトプラザ(ゲストハウス)」建設をめざす。テニスコート、若者たちの音楽ステージなどを併設した「夢の王国」である。ビジネスマンらしく「計画書」を作成し、家族、友人、知人に示すと、趣旨に賛同する人たちが拠金してくれ、1000万円以上が集まったという。  なるべく多くの人に会うことをモットーとしたが、そのころたまたま新聞記事で「スリランカの子どもたちの教育里親」を募集している団体を知った。英語名が「教育的文化的交流を通じて日本人を改革する」とあるのも牟田さんの関心を誘い、さっそく月2000円を援助する里親になり、3年目にはスリランカを訪れた。現地の子どもたちは、貧しくとも目が輝いており、親や先生、お坊さんを敬う。牟田さんはここでも日本の子どもたちとどちらが幸せなのかと考え込んだという。
 すでに里親生活30年余、9人の里親になったが、初期の子どもたちは結婚し子どももあり、「今では4人の孫もいる」と牟田さんは嬉しそうに笑った。スリランカには毎年出かけた。いったん連絡が途絶えた里子をフェイスブックで探し出すことにも成功、2022年には彼女の結婚式に手製の折り鶴をお祝いに出席した。
 スリランカの里親になったことがきっかけで、福岡に来ているスリランカからの留学生と交流が始まり、縁があって留学生協会、西日本スリランカ奨学金協会などの立ち上げにも参画、交流の輪はスリランカ以外の留学生、それら留学生と交流している日本人へと広がった。スリランカには20回行っているし、その間、大統領に会ったりもした。異文化理解・交流を推進する催しにも誘われ、その代表にも就任した。もともとカメラ、ハモニカなど趣味豊かな牟田さんは、パソコン黎明期にはそれに挑戦、勉強の成果をパソコン解析本として出版、多額の印税も得たという。アジア太平洋こども会議のホームページ作成を手伝ったのがきっかけで、ミッション・プロジェクトの団長に採用され、ミャンマー、パラオなど14カ国を訪問し、牟田さん自身、全アジアに行ったことになるという。その結果が写真のような〝絢爛〟たる肩書である。ここに日本ハビタット協会の記述もあるが、実はこの国連組織のケニアにある本部を訪れたときの話を第55回の当塾で話していただいたことがある。ウクライナから福岡に80人ぐらいの避難者が来て、地元の大学が受け入れを支援した際も協力し、その時ウクライナの応援歌を教わった。別の機会にウクライナの若い女性3人に会ったとき、それをハモニカで演奏すると、みんなが泣きだしたとか。支援ネットワークからも誘いがあって、特別顧問も引き受けている。
  後半、体験を通じて生み出された牟田さんのボランティア感について聞いた。人のために役に立ちたい、社会に貢献したい、自分の能力を高めたい、などボランティア志望者にはいろいろな動機があるけれど、人のために何かしてあげるというのは見返りを期待しているところがある。自分が楽しいからやる、というのが本当だと思う。ボランティアをしたら単位を上げるという大学があるが、愚の骨頂ではないか。
 牟田さん自身が異文化交流で得たものは多くの国の文化を理解する力がつくと同時に、自らの寛容性、包容性が高まったことだという。何より、ストレスがなくなった。コミュニケーションの極意は「ことば」、「好奇心」、「笑顔」だと言い、牟田さんのフェイスブックの友だちは限度ぎりぎりの5000人、その半数が海外の人だという。
 今年になって、バングラデシュの若者からバングラデシュで来年1月に総選挙があり、その国際監視団を募集していると聞いて応募したら、昨日、メールで12月10日までに決めますとのメールが来た。当選する可能性が高いらしい。そうなると、来年早々、バングラデッシュに行くことになりそうだとか。「誘われたら行く」、「頼まれたらやる」の精神で驀進してきた牟田さんのボランティア人生はまことに豊かな実を結んでいる。
 みんな牟田さんの話に聞きほれ、また圧倒されて、「健康にはどう留意しているか」、「活動資金はどう捻出しているか」などという質問も出たが、「好きな時に寝て、夜中に仕事をすることも多いですよ」、「たいした贈り物もしないので、金はほとんどかかりませんよ」と、すでに達人の域に達している回答だった。

 ビバ・ボランティア、あるいはボランティアの王国 高度成長の最盛期にあって、牟田さんは会社のエスカレーターを上るよりも、自分の人生を豊かにすることを選んだ。常人にはなかなかできないことである。話を聞きながら、私はかつて雑誌編集者として「読書特集」を企画、名うての読書家3人の座談会をしたとき、功なり名をとげた財界人だった人が、若いうちに読書の習慣をつけることがその後の人生を豊かにするという話をして、読書の習慣がつく3つのチャンスについて語ったことを思い出した。1つは大病である。昔なら結核などが理想的である。ありあまる時間はたっぷりある。2つは左遷である。どうせなら干されるぐらいが都合がいいかもしれない。そして3つが刑務所に入る、ということだった。なるほど連続射殺犯、永山則夫は刑務所に入って本を読むことを覚え、『無知の涙』を書いた。
 もっともこれは禍を転じて福となす冗談半分の知恵で、牟田さんの場合は、自ら決断したところに値打ちがある。話を聞いていると、あまり辛い経験はなかったようだ。ボランティアの「わらしべ長者」のように、次々といろんな話が舞い込んできて、「誘われたら行く」、「頼まれたらやる」精神でいまもなお忙しく、病気をしている暇はないようである。
 もっと若いときにこの話を聞きたかったと思ったが、たまたま講座<若者に学ぶグローバル人生>のスピーカー候補の若い女性が傍聴してくれており、チャットで「私はまだ人生の半ばですが、さまざまなことにチャレンジする、『誘われたら行く』心構えの大切さを学びました」という感想を書いてくれたのは望外の喜びだった(Y)。 

講座<超高齢社会を生きる>

第67回(2023.10.27)
 伊藤俊洋さん【私たちが住む地球こそがかけがえのない世界です。そこに生存するあらゆる生物をいつくしみ、「すてきな地球人になるための練習」をしましょう】

 80歳を超えてなおかくしゃくたる伊藤俊洋さん(元北里大学副学長、北里環境科学センター名誉顧問)が長年提唱しておられる「宇宙生命哲学―人生は素敵な地球人になるための終わりのない練習」について話を聞いた(伊藤さんは森治郎氏主宰『探見』のメンバーでもあり、今回は『探見』との共同主催である)。

 宇宙生命哲学と聞くと、広大な宇宙に比べると地球はチリのようなものだといった話を思い浮かべがちだが、話はむしろ逆で、宇宙空間に浮かぶ丸ごとの地球を見た人類は12人のアポロ宇宙飛行士だけである。国際宇宙ステーション(ISS)は、地球の表面を舐めるように飛行していて、ISSから見える地球はそのほんの一部分、しかも人類が宇宙へ行くためには、生活のためのライフラインである地球環境をそのままを携帯してゆかざるを得ない。その困難さを真剣に考えた時、地球に見切りをつけて他の惑星に移住するという考えは無謀であり、宇宙旅行時代が来たと浮かれている時ではない。この広い宇宙で、人類が生き延びる場所は地球以外にはない――こういう前提から伊藤さんの宇宙生命哲学は始まるが、短い講義で、長い学問的研鑽の結晶を理解するのは難しい。というわけで、興味深かったエピソードを通してその一端をお伝えすることで勘弁していただくことにしよう。

 地球上の生命の循環図である。大気、大洋、大地に依存し、微生物、植物、動物、人間に至るまで、あらゆる地球上の生命は、分子または原子として循環している。すべての生物は環境から生じ、また環境に返っていく。死んだあとは、微生物により分解され、二酸化炭素と水とミネラルになる。だから死とは、絶望的なことでなく、未来につながる自然の出来事であり、決して怖いことでははない(特別なものに生まれ変わるというようなことはない)。地球上の生物はすべて家族であり、そこには時空を超えた生命の流れがある。
  学問の階層性。伊藤さんは「すべては物理現象として考えることができる」として、学問体系の基盤に物理学、そして化学を置き、その上に生物学、心理学を配し、最上位に「21世紀を生きるための哲学」として宇宙生命哲学を位置づけている。その上の「Ⅹ文明」は、ポストコロナ時代の人類の文明を指すという。
 物理学はここ100年あまり前から量子論が起こり、物質を構成する原子およびその中心にある原子核の研究も進んだが、原子の構造はたとえば左図のように、原子を半分に輪切りにしたものを東京ドーム全体に例えると、原子核は2塁ベースの上においたパチンコ玉くらいの大きさなのだという。その原子核の周りは、超高速で回転する、まるで雲のような電子雲で覆われており、伊藤さんの専門である化学で言えば、化学反応はその電子雲の領域で起こる。そのさらに奥にある原子核を操作することはたいへん難しいということにもなるようだ。
 理論的なことはここまでとして、宇宙生命哲学から導き出される指針は左のようにきわめてわかりやすい。「生命にとってもっとも大切なものは地球環境であることを意識」、「日常生活の中で、仕事、家庭、趣味、社会奉仕活動を大切にする」。伊藤さんはこれを「素敵な地球人になるための終わりのない練習」と呼んでいる。「終わりのない練習」とは試行錯誤大いに結構、ということのようである。
 これは伊藤さんが日々、実践していることでもある。とくに社会奉仕に関しては、伊藤さんは長らく地元で自治会活動を続けているし、自宅近くに設けた「サイエンスカフェ・コスモス(宇宙生命哲学研究所)」などで、地域の人びとや小学生のための「学びの場(地球環境総合学習)」を設けている。毎月1回、1時間程度、自宅周辺のゴミを集めるのを生活習慣としており、国内外問わず、旅行中は、各宿泊先で一度はゴミ拾いを続けておられるとか。家族と行った富士山で「富士山のゴミ」を拾い、その結果を見ながら児童と話しあったこともある。人間だけが自然の循環を壊しているという思いも強いようだ。
 ゴミを通して学ぼうという伊藤さんには、一人の誠実な学究(科学者)の顔の外に、心優しい宗教者の趣も見てとれる。と言うと、あるいはご本人は不本意かもしれないが、地球上の循環図は、日本天台仏教の本覚思想(山川草木悉皆成仏)の考えに近いようにも感じられる。

 当日は、時間の関係で、伊藤さん自身が希望していた議論の時間があまり取れなかったのは残念だったが、それでも「ITなど文明の進化と人類の将来」などについていくつかの質疑があった。「資本主義についてどう考えるか」との質問に関しては「いまの資本主義がうまく行っていないのは、それを支える哲学が不足しているからだと思う」と、本塾で話題になった「貨幣経済からの脱却」という考えとは一線を画する返答だった。
 つまるところ、「宇宙生命哲学とは、地に足の着いた地球第一主義」ということのようである。大学を卒業して以来、身長も体重も体型も全然変わっていないと言う伊藤さんだが、精神の健全こそが健康、そして長寿の秘訣なのだろう。11月19日(日)には、神奈川・相模原市のサイエンスカフェ・コスモスでウクレレと口笛音楽を聴きながら、ボージョレヌーボーを祝うイベントを計画している。

講座<よりよいIT社会をめざして>

第66回(2023.9.27)
<情報通信講釈師による精通者発掘ガイド④>【プレアデスのような「愛と奉仕」の世界を実現するために、私たちには何ができるだろうか】

 猛暑、台風襲来、厳しい残暑などを口実に、ずいぶん長い夏休みになったが、このほどやっと、前回に続いての唐澤さんの<情報通信講釈師シリーズ>で再開した。前回の記録を見てもらうとわかるが、上平剛史『プレアデス星訪問記』をめぐっては、仲間内でかなりの進展があった。
 まずメンバーのKさんが青森にお盆帰省する際に、少し足を延ばして三沢市まで行き、上平さんが実在人物であること、その連絡先などを入手するという大活躍、それを受けて唐澤さんが短期間ではあるがご本人にインタビューすることにも成功した。というわけで、当日はにぎやかな授業となった。
 最初にKさんの突撃取材「上平先生を探す旅」報告があり、ついで唐澤さんが「プレアデス星のような社会は実現可能か」について話した。
 上平さんはその後、『宇宙太子との遭遇』(たま出版)という本も書き、それによると、9歳の秋に宇宙船(小型円盤)に乗った宇宙人に会った。彼らは「宇宙には地球人類だけでなく、他にも知的生命体がいることを教えるために剛史に会いに来た」、「大人になったら地球人類を救済するための本を書いてもらうことになっているが、今日のことは誰にも話すな」などとテレパシー通信で伝えたという。また14歳の5月に近くの山に登り、頂上で「宇宙の神様、私のところに降りて来てください」と叫んだあと昼寝をしていると、いつの間にか宇宙船に乗せられていた。宇宙船の仕組みなどの説明を受け、アインシュタインの理論には問題があり、光速より早く飛ぶことは可能であると言われた。別れ際に見たこともないボトルに入った飲み物をもらった。
 宇宙太子からの最後のメッセージは「愛の奉仕行動を基本とする社会を構築するための心のありかかた:思いやり、助け合い、協力、譲り合い」、「時期が来たら地球人の指針となる『聖書』を書くように上平さんの脳をセットした」というもので、上平さんは「定年退職後、急に宇宙太子が下りてきて、忘れていた過去の体験が次々と思い出され、それを記述した」ことになっている。
 唐澤さんはこの2冊の本のまとめとして、①上平さんは1回だけでなく、何度もプレアデス星人と会っている、②プレアデス星で作られたボトルも持っているということから推測すると、プレアデス星の存在と訪問も確かではないか、③プレアデス星訪問記は新しい社会を構築するためのバイブルで、上平さんはその指導者と位置づけられており、内容が詳細かつ科学的なのは、16歳の時の記憶だけでなく、プレアデス星人からのテレパシー通信によって補足、追加、校正が行われたからではないか、と述べた。
 唐澤さんが何度かの挑戦のあと、上平さんと電話で話せたのは9月下旬で、最初に「全国から問い合わせがあるが、電話、訪問、講演会など、いっさいお断りしている」と言われたが、粘って15分ぐらい話したという。彼は「地球人は強欲で自己中心的なので、何年たってもプレアデス星のようにはならないだろう」と非常に悲観的で、『宇宙との遭遇』に書かれている移行案にも触れられたくない感じだった。唐澤さんが「400年後くらいではどうか」と聞いたら、「それでも難しい」との回答だったという。

 ついで前回に「この話はスウェーデンの異才、スエデンボルグの説と似ている」と指摘してくれたIさんからスエデンボルグ(スエデンボリ)とはどういう人か紹介してもらった。17世紀から18世紀にかけてのスウェーデン人でプロテスタント。若い時は工学(自然科学)関係でずいぶん実績を上げたが、56歳になって突如、天啓を得て、その後は霊界の人となった。『天界と地獄』など多くの著書がある。伊藤さんによると、彼は「人間とは本質的に霊であって、その霊の不滅の性質である愛と知恵が永遠に生きる私たちの人間性を形成し、つくりあげている」と説いた(スエデンボリの解説書から)。「人格高潔、学者としても立派な業績を上げた人で、ゲーテ、エマーソン、ヘレンケラー、バルザックなど多くの著名人にも尊敬されている」とか。「霊」の話など、たしかにプレアデス星人を思わせる。またIさんによると、立花隆『死はこわくない』(文藝春秋)に、立花さんが『死ぬ瞬間』などで有名な精神科医、キューブラ―・ロスにインタビューするくだりがあるが、そこで彼女は「私はこの間プレヤデス星団に行って、プレヤデス星団の人たちに会ってきた」と言っている。立花さんは、これを「怪しい話」と受け取っているが、上平さんの本には「いろんな地球人がプレアデス星を訪れている」と書かれており、たいへん興味深い。
 Iさんの親友の元銀行マンは、スエデンボリの崇拝者で、実業で成功するかたわら『宇宙が味方する経営』、『宇宙が味方する生き方』などの著書もあるという。
 その後は、夏休み中に『プレアデス星訪問記』を買って読んだという3人のメンバーから「本当の話かどうかはちょっと分からないけれど(^o^)、たいへん興味深い内容で、久しぶりに心にヒットしました。」、「今の人類に欠けているところを指摘している。現実はあまりにも暗いニュースが多いけれど、プレアデスのような社会にどうすれば向かっていけるのか、いろいろ考えさせられた」、「現代社会の惨状を浮き彫りにする警世の書だと思う。貨幣経済を突然廃棄するのは難しいとも思うけれど‣‣‣」などの読後感が披露された。『プレアデス星訪問記』は少なくとも5冊が、新本で、あるいは古書で当メンバーによって購読されたわけである。その後はどうすれば日本および世界をプレアデス星のような社会を変えることができるかをめぐって、さまざまな議論が展開された。

 今後も理想社会の実現をめざして研鑽 高度な科学技術のもとで貨幣経済から脱却、理想的な社会を実現したというプレアデス星のような社会を地上にもたらすことはどうすれば可能か。争いのない「愛と奉仕」の社会、賢明な科学技術の利用、ともに実現すればすばらしいと思うけれど、現在の地上の実情からの距離はあまりに遠い。唐澤さんは「400年」という長いレンジを想定したけれど、何年かかっても、遅々とした進行であっても、それに向かって努力できれば、それがすばらしいのではないかというのが大方の感想だった。
 当Online塾DOORSでは、今後も<情報通信講釈師>シリーズを拡大するなど、現代IT社会、さらには超高齢社会を賢く、そして明るく生き抜く知恵をめぐって、多くの「精通者」を招きつつ、研鑽を続けたいと考えています。多くの人の参加をお待ちします。

講座<よりよいIT社会をめざして>

第65回(2023.7.28)
<情報通信講釈師による精通者発掘ガイド③>【宇宙を創造した神の力が我々人間の中にも、さまざまな惑星の知的生命体にも宿っているのではないだろうか】

 地球からはるか444光年彼方の銀河系にプレアデスというすばらしい惑星があるという。プレアデス星人は地球よりはるかに進んだ科学技術をもち、貨幣経済とは無縁の、争いのない、弱いものほど助け、足りないものほど補うという「愛の奉仕活動を基本とする社会」をつくっている。肉体と霊魂(精神)が進化をとげ、思考力でモノを作り出せるから、飲み物や食事も瞬時にできるし、宇宙船はテレポーテーションで広大な宇宙を自由に飛び回っている。輪廻転生、死は新しい生であり、人びとは死ぬことを悲しまない。

 そんな星があるのか、って? 実は私、16歳の時にその星、プレアデスに招待されて、すばらしい実態を見てきました。地球は貨幣経済に縛られているし、科学技術は幼稚、醜い争いが絶えず、いまや地球全体が悲鳴を上げています。一番問題なのは地球人の心の貧しさです。そのことを地球人に自覚させるために私が選ばれ、その実態を見てきました――という本が上平剛史(かみたいつよし)『プレアデス星訪問記』(たま出版、2009)である。
 同書奥付の紹介によると、上平さんは大学で農獣医学と法学を学んだあと地元と同じ東北の三沢市役所で定年まで勤め上げた。どちらかというと平凡な人生を送った方のようだが、地球帰還後も何度もプレアデス人と接触、後年になってあらためて報告書を書くよう促されて本書を書いたのだという。プレアデス星人から地球を救うための知恵を授かり、それを地球人に広めるのが私の使命である、とも。
 唐澤さんのこの日の演題は「AIを恐れることはない。シンギュラリティは来ない」であり、サブタイトルは「しかし地球はこのままでは危ない」というものだった。冒頭で、イーロン・マスクが業界の専門家を集めて、宇宙の本質を理解するためのxAI社を設立したとか、40年越しにジョン・レノンの声がAIによって復活し、新たなビートルズの曲が作られるとか、NECが独自の日本語LLM(Large Language Model、大規模言語モデル)を7月から法人向けに提供を開始したなど、AIをめぐる最新情報が紹介された。
 しかし話の核心は、これらAIの成果も過去に公開されたデータだけに基づいている点で限界があるということにある。以前にも本講座で取り上げた田坂広志『死は存在しない』で述べられていたように、現代科学の最先端はミクロレベルでは、物質の単位を原子核から光子、素粒子へとどんどん細分化し、ついに物質そのものは存在しない、あるのは波動エネルギーだけであるというところに到達した。逆にマクロのレベルでは、真空も無ではなくそこには莫大なエネルギーが秘められており、そもそも宇宙は138億年前、「量子真空」が何らかのゆらぎをおこして突然膨張、大爆発(ビッグバン)を起こして、そこから銀河系も、太陽系も、地球も、そして人類そのものも誕生したと考えられている。物質と精神、ミクロとマクロの境界そのものがあいまいになり、それら先端科学の知見は、一方で古くからの神話、宗教、民俗信仰、心理学、哲学などが言及してきたさまざまな神秘現象とも関係があるとされている。過去、現在、未来の記録がすべて蓄えられているゼロポイントフィールド、あるいはアカシックレコードとよく似た話が、上平さんの訪問記に具体的に描かれているのは驚くべきことのように思われる。
 唐澤さんは「アカシックレコードにアクセスできるスピリチュアルな人、超能力者、占い師、さらにはインスピレーションやひらめきに富んだ天才的科学者、技術者、芸術家、音楽家などは宇宙に存在する過去、現在、未来のあらゆる情報にアクセスしているので、いくらAIが進化しても彼らがもたらす叡智には及ばない。だからコンピュータが人間の知性を上回るようなシンギュラリティは来ないのではないか」と話した。「宇宙を創造した神の力が我々人間の中に宿っている。さまざまな惑星の知的生命体にも」というのが唐澤さんの信念のようである。一方で、「プレアデスのような『自由、平等、友愛を実現した究極の共産主義社会』が地球で成立するのは難しいだろう」との感慨も述べた。
 上平さんは、3日間の旅程でプレアデス星だけでなく、他の知的生命体のいる惑星も見て帰ってきたらしい。ただのSFやファンタジーと違うのは、その叙述が具体的であり、個人が頭で想像したものとはちょっと思えないほど科学的なことである。私たちが学ぶべき多くの知恵がここに示されているのはたしかである。唐澤さんが上平さんを「精通者」に選んだ理由だろう。

 真夏の夜の夢→秋の夜長の長談義 上平さんとはどういう人なのか、ウエブを見てもほとんど情報がないですね。80歳過ぎでもあり、電子情報とは無縁の生活をしているのかも。『プレアデス星訪問記』について論評したり、彼にインタビューしたりしたような記事もありません。上平剛史というのはユダヤ・ペンダサンのようなペンネームじゃないですか。本には写真も載っていますが‣‣‣。複数の合作ということもありますね。上平さんになんとかアクセスしてOnline塾DOORSに出演してもらったらどうでしょうか。私、夏休みに青森に家族旅行するんですが‣‣‣。だったら、三沢あたりでちょっと取材して「訪問記」を聞かせてください。『天界と地獄』などを書いたイマヌエル・スエデンボルグの考えに似ていますね、学生時代にスエデンボルグに心酔している人がいましたよ。天文ファンとして言わせてもらうと、プレアデスというのは日本ではスバル座と呼んでいる星団で1つの星ではないんですが、どの星とかいう明示はありますか。日本、あるいは世界の現状について「プレアデスの方々」が批判していることは大いに納得いくけれど、ではいかにすれば、プレアデスのような社会を地球上に出現させることができますか。貨幣経済からの脱却はどうすれば可能でしょうね。地球の科学技術は幼稚だと言われているようですが、これからどこまで進化できますかね。斎藤幸平は『人新世の「資本論」』で「地球環境の搾取も限界を迎え、資本主義をやめないと地球が滅亡してしまう」と言っています。哲学者の柄谷行人も資本論の読み直し作業を進めていて、いまその本を読んでいるのだけれど、いずれみなさんにも報告したいと思います。私も『プレアデス星訪問記』を読んでみようと思います。私も。私も。当塾は8月は夏休みです。秋から再開し、今日の唐澤さんの続編は9月に行います。夏休みの課題として、その本を読んできてください。スエデンボルグの紹介もお願いします。(Y) 

講座<超高齢社会を生きる>

第64回(2023.7.18)
 村田弘さん【東電原発事故の悲劇を繰り返さないために、「戦い続ける、事実を伝える、政策を変えさせる」を心に刻みながら、原発被害者訴訟に奔走する日々

 村田弘さんは2003年に朝日新聞を定年退社し、これからは自然を相手に地道な人生を送ろうと、故郷の福島県南相馬市に帰郷した。福島原発から17キロの地点である。奥さんの実家の果樹園2000坪の「再生」をめざし、退職金の半分を注ぎ込んで百姓家をリフォーム、広大な敷地に群生していた大木を伐り、桃やリンゴの木を植え、野菜を作った。桃もなり始めた8年後の2011年3月11日、外出中にグラリと来た(写真は震災前、遠方からやってきた仲間と花見を楽しんでいるところ。広い畑に立派な桜が咲いていた)。
 あたりは突然、悲惨な状況に取り囲まれた。急いで家に帰ると、奥さんと飼い猫が広い敷地で呆然としていたという。最初は津波のことだけしか頭になかったが、そのうちラジオで福島原発から放射能が漏れているというので大騒ぎになり、「とにかく避難しろ」という役所の働きかけもあって、わずかなガソリンを支給されて、かつて住み、今は子どもたちが住んでいる横浜へ避難した。混乱の中の逃避行は、敗戦直後の引揚者の苦難を思わせるものだったらしい。 
 村田さんは、12年におよぶ原発被害者の悲惨と怒りを、①人びとの命、健康、日常、ふるさと、自然などを根こそぎ破壊した原発事故の未曽有の被害、②政界、官界、財界、そして学会、メディアなどが総体として事故そのものを葬ろうとしている実態、③矜持をまったく捨て去った最高裁を頂点として司法がほとんど機能しない最近の動きについて、深い怒りを込めながら、しかし静かな口調で話してくれた。

 福島原発事故被害を象徴する3つの数字がある。①災害関連死 2,335人(福島県・復興庁まとめ)、地震・津波による死者は1605人である。②自死(厚労省自殺対策推進室・県外避難者を含む)119人。③甲状腺がん(福島県民健康管理調査検討委員会)345人。
 村田さんは12年の間に横浜市内を3度転居、いまは娘さん夫婦と同居している。2013年、かながわ訴訟原告団長として国・東電を相手取り横浜地裁に集団訴訟を起こして勝訴、現在、東京高裁で審理中である。
 彼の怒りは、被災者は今なお住み慣れた故郷から切り離され、異郷での生活を強いられているのに、国や東電が、東京オリンピックを契機にそれを「消して」しまおうとしていることである。2013年、当時の安倍晋三首相がオリンピック招致にあたって述べた言葉「状況はコントロールされている。Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you, the situation is under control)がその象徴である。
 被害者が最後に頼る司法もまた大いに期待外れである。村田さんが用意してくれた福島原発関連の訴訟の判決の流れは、下表の通りである。

 国や東電の責任を認めたものと認めないものが半々という感じだが、問題は2022年6月17日の最高裁の小法廷(菅野博之裁判長)判決だった。4つの集団訴訟に対するもので、この判決は当時、大きく報道されたのでご存知の方も多いと思うが、「現実の地震・津波は想定よりはるかに大規模で、防潮堤を設置させても事故は防げなかった」という奇妙な理由で「国に賠償責任なし」と判断したのである。 
 2022年7月の東電株主代表訴訟の東京地裁判決では、東電に13兆円の支払命令が出ているし、東電の刑事裁判では2023年1月に東京高裁で無罪判決が出るなど、判断はさまざまに分かれているが、村田さんはこの最高裁判決が、水戸黄門の「印籠」のように後続訴訟に大きな影響を与えていると述べた。これから出る判決がどのようなものになるか、予断を許さない状況でもある。
 同じ悲劇を繰り返さないために、「戦い続ける、事実を伝える、政策を変えさせる」を心に刻みながら、かながわ訴訟の弁論や原発事故被害者団体の会合、住宅追い出し訴訟や被ばく訴訟の支援などに駆けまわり、週の半分をそれらの作業に費やしているという。自然相手の生活から引きはがされ、訴訟のために駆けずり回る後半生は「無念」の一言に尽きるように思われる。

 Zoomに乗らず我が家に直接やってきた 村田弘氏とは朝日新聞の同期である。Online塾DOORSの<超高齢社会を生きる>シリーズでは、理論的な問題ばかりでなく、実際にこの社会を生きている高齢者の現実の姿も取り上げたいと、旧知の彼に話を頼んだのだった。新聞社時代は仲間相集い酒を飲んだり、時に九州の九重山や神奈川の金時山に登ったりした。たしか被災して横浜に舞い戻ってきたとき以来の邂逅である。
 それにしても迂闊! Zoomは知っているということだったので、前提の詰めを怠ったのが敗因だった。彼は自分が話をすることになればいろいろ操作も必要だと考えて、サイバー空間を介さず、現実に1時間もかけて遠出してくれたのだった。話してもらうだけで恐縮していたのに、まことに申し訳ないことをしたと猛省しきりである。
 当日は、朝日時代の共通の友人も顔を出してくれ、厳しい内容はともかく、和気あいあいとした雰囲気でもあった。原発被害者から見ても、マスコミ、とくに朝日の報道は中途半端だということだった。塾がはねた後、久しぶりにビールで再会を祝ったが、これも予想外の楽しいひとときだった。Zoomではこうはいかないですねえ(^o^)。10時半過ぎにお開き、彼は「煙草を吸いながら帰る」と、歩いて鎌倉駅に向かった。なお健脚である。
 彼が持って来てくれた、本人を含む15人の原発被害者証言集、樋口健二編著『フクシマ原発棄民 歴史の証人』(八月書館、2021)を読んだ。当日の内容を、それによって敷衍しておこう。「この国は、つつましく生きる人々を守る意思も仕組みもないのだ。これは事故ではない、災害でもない、れっきとした犯罪だ、と思った」、「住まいの補償も賠償も打ち切られ、追い詰められている被害者が頼る術は、それでもなお、『司法の良心』以外に見当たらない。これが民主主義国家日本の現状なのだ」、「ちょうど僕らが裁判を起こした時に、第2次安倍政権になって、その象徴が2013年9月の〝アンダーコントロール〟発言ですよ! オリンピック招致のためにね。あの時こそ、ほんとうに腹が立ちました。はらわたが煮えくり返るような思いでしたよ」、「いま第2次被害が起きており、まさに進行中なんです。その現われが毎年、絶望して自殺する人や、関連死なんですよ。子どもの甲状腺がんだけでなく、老人の心筋梗塞なんかもだんだん増加しているんですよ。こうした現実にフタをして押さえ込み、無いことにする。こういうのが第2次の被害、というより犯罪だと思うのです。事故を起こしたことが第1次の犯罪だとすれば、第2次の犯罪の方が罪が重いんじゃないでしょうか」。(Y)

講座<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>

第63回(2023.6.29) 
 国連推計によれば、インドは2023年の人口が14億2863万人で、中国の14億2567万人を抜き、世界一の人口国になった(国土は世界第7位、日本の9倍)。インドと中国で世界人口の3分の1以上を占める。2070年には16億9023万人(+18%)となり、これに対して中国は10億8529万人(-24%)に減るという。この統計には香港、マカオは含まれず、当然、台湾も含まれていないわけだから、中国人は依然として超多数ではあるが、インドが世界一の人口国になったのはやはり特筆すべきだろう。
 中国をはじめ近年のアジア諸国の経済的発展も著しいが、インドの現状についてはあまり知られていない。というわけで、<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>シリーズはいささか趣向を変えて、インド滞在12年の吉浦治さんにインドの最新事情を聞いた。
 吉浦さんは幼少期をロンドンで過ごし、大学卒業後、企業の営業、新開発部門で長く海外勤務をしたあと、人材開発部門を経て1999年に退職。その後、人事制度、社員教育、採用などを業務とする会社を起業した。インド・プネ市のITエンジニアリング企業からアドバイザーの人材募集があったが、適当な人材が見つからず、結局、自分が赴任することにしたというめずらしい経歴の持ち主である。その後、インドのいくつかの大学などで日本文化を中心に「国際文化論」を講義し、2019年に帰国した。
 インド人と言えば、アメリカシリコンバレーで活躍するサティア・ナディア(マイクロソフトCEO)、サンダー・ピチャイ(グーグルグループを統括するAlphabet CEO)、パラグ・アグラワル(ツイッター元CEO)などの名前が浮かぶ。なぜ彼らはかくも「優秀」なのか、について吉浦さんは「インドでは早くからインドのシリコンバレーと言われるバンガロールなど技術開発に力を入れてきたのと、IT分野がなお根強く残るカースト制度の枠外に置かれたために、多くの人材が集まった」ためだという。小学校で2けた暗算まで教え込む数学教育やヒンズー語にあわせて英語が公用語である事情も反映しているらしい。
 インド最大の宗教はヒンドゥー教で、独特の文化が育っているが、3大祭りの一つ、デイワリーは光の祭りと言われるだけに、夜空の花火にインド独特の建造物が浮かび上がって美しいとか。インドの貧富の激しさは相変わらずで、マイクロバスの中での教育が行われているなど、古い部分も根強く残っているということだった。

講座<女性が拓いたネット新時代>

第62回(2023.6.13)
 関根千佳さん【日本はUDもITも、ダイバーシティ(多様性)も世界標準から30年遅れとなり、そしてそのことを日本人自身が認識していないという恐ろしい状況です】

 ユニバーサルデザイン(UD:Universal Design)とは、年齢、性別、能力、環境などにかかわらず、できるだけ誰もが使えるよう、街や物、情報やサービスなどを作り出すプロセスのことである。女性、子ども、高齢者、障害のある人、外国人、LGBTQなど、多様な人を合計すると、若い成人男子の方がむしろマイノリティである。であれば、最初から多様な人々が暮らしやすいまち、使いやすいものにするほうが、デザインも美しくコストもかからない。日本では若い男性基準で作られた街や物が、それ以外の人にとっては使いにくいこともあるため、そのバリアを外していくバリアフリー(barrier free)も残念ながらまだ必要だが、この言葉は海外ではほとんど死語だとか。ちなみに、健常者という言葉も海外には存在しないとも。人生100年で考えたとき、常に健康な人など、存在しないからである。
 日本は世界一の高齢国家で、23年には50歳以上が人口の半分となるという試算もある。われわれの全員が将来必ず高齢者になり、人生のどこかで何らかの障害を持つ。そのとき、日本は果たして暮らしやすい社会なのだろうか?、と彼女は言う。
 関根さんは法学部卒で日本IBMにSEで入社した。大型コンピューターの時代で、最初はとにかく苦労した。全くわからなかったからだが、次第に、顧客の社長も新入社員も、ばりばりの営業マンも、みんなコンピューターがわからない、わかりにくいと言っていることに気づき、システムやマニュアルをわかりやすくする仕事に従事するようになった。ユーザビリティやUXという言葉もない時代である。その後、87年に連れ合いの海外赴任についていった彼女は、米国の障害者が普通に働いたり学んだりしており、ITもどんどん使っていることに驚いた。どうやらそれはIBMの製品で、米国と欧州にはアクセシビリティ専門の技術センターもあるようだった。帰国後、IBMが川崎で開催したテクノロジーフェア92の中の「社会と共に」というコーナーを任され、世界各地の研究所が取り組んでいる障害者支援技術や環境配慮型設計を紹介した。点字編集システムやホーキング博士用に開発した視線入力のシステムなどを展示したら大きな反響があった。それがきっかけで社長に直訴し、93年にSNS(Special Needs System)Centerを立ち上げ、ALSなど重度障害者の意思伝達装置やホームページリーダーなどを製品化する。だが次第に、女性の管理職も障害のあるエンジニアも多いIBMの環境が、日本の企業や行政とまったく違うことに気づき、起業を決意した。
 1998年に独立、株式会社ユーディット(情報のユニバーサルデザイン研究所、UD+IT=UDIT)を設立した。折しもSOHOやテレワークが脚光を浴び始めたころでもあり、障害者、ワーキングマザー、介護離職者、高齢者などがすべてオンライン環境で働いている。本社は自宅。社員は週に一回、2時間だけリアルに集まる。多くの企業や行政にUDの製品開発、サービス展開などをコンサルしており、省庁、自治体、メーカー、NPOなどの製品、Webサイト、サービスに対し、ユーザー視点での評価やデザイン改善の相談に応じてきた。
 2012年には同志社大学政策学部に教授として赴任し、会社と家と畑と猫(!)をご主人にまかせて、京都に単身赴任。今度は学問的に、あるいは国際的にユニバーサルデザイン普及に取り組んできた。
 関根さんの話は、小はインスタントラーメンのはがしやすい蓋、自動販売機の使い勝手、薬瓶の文字の表示から、大は一生暮らせる街づくり、家づくりまで多岐にわたり、たいへん面白く、かつ有意義だったが、ここでは2つの話題のみ紹介しておく。
 1つは、電機メーカー、オムロンの知的財産部長で、全盲となったが、「せっかく視覚障害者になったのだから」それを生かす仕事を、と定年まで就労を続け、社内外のユニバーサルデザインに大きく貢献した吉川さんの話。
 もう1つは元滋賀県知事の國吉さんが提唱している「100歳大学」構想である。60から65歳までの間に、日本人の全てが、もう一度義務教育として2年間、大学で学ぶというものだ。20代までの学びは社会で生きるための知識。60代からの学びは、100歳まで生きるための知恵である。

 真っ赤に燃えた豆炭のようにエネルギッシュに走り回り、しかもつねに明るさと微笑みを忘れない関根さんはまさにユニバーサルデザインの権化だが、このユニバーサルデザインに関しても、日本は世界から大きく遅れているという。世界一の長寿国にも関わらず。「日本は駄目だ。あほんだらだ!」と言いつつ、それでも「みんなが声をあげればだんだん良くなるのだから、みんな頑張ろう」と快活に笑う姿は、「権化」と言うより「童女」と言うべきか。質疑ではメンバーから、日本は身体障碍者や老人などの社会的弱者をむしろ「隔離して収容する」という発想がいまだに抜けないのが問題だとの指摘もなされた。
 ユニバーサルデザインについてはUDITのウエブや『「だれでも」社会へ デジタル時代のユニバーサルデザイン』(岩波書店)に詳しい。(注:本報告、ユニバーサルデザインの説明をバリアフリーという考え方から入ったら、その発想の古さを一喝され、冒頭部分は関根さんの大幅な朱を反映したものになりました。「バリアフリー」という言葉自体、海外ではすでに死語であると言われて、大いに納得した次第です。というわけで、この報告はユニバーサルデザインの教科書たりうるものになりました(^o^))。

 超高齢社会日本に未来はあるか 日本はこの30年間、経済的に低成長を続け、国民の賃金も上がらず、世界の先進国から脱落、後を追いかけてきた中国、インド、ベトナム、韓国などからも追い越されつつある。高齢化だけは〝順調〟に進み、いまや世界最先端の「超高齢社会」だが、関根さんの話だと、ユニバーサルデザインの世界でも周回遅れの状況だという。超高齢社会の最先端にいるからこそ、これから進む世界の超高齢化に対応する新たなプロジェクトを起こすのが、日本が世界に貢献する道だと思うが、その分野ですら世界標準から遅れをとっているらしい。
 世界唯一の被爆国でありながら、5月に広島で開かれたGセブンでは核廃絶への広島の思いを裏切り、政治的にすでに陰りが見えるアメリカ一辺倒を改めようともしない。もっと目を広く世界に向けて、日本ができることをやるべき時である。
 その点、「100歳大学」の話はたいへん興味深かった。「健康生きがい開発財団」の構想はかなり具体的に進んでいるらしいけれど、この話を聞きながら、私は「還暦アカデミア」なる構想を夢想した。「鎌倉アカデミア」の前例にならい、どこか東北の秘境温泉近くに古いお寺の境内を借りて、格安の塾を開くのである。参加資格は還暦を迎えた人。「源氏物語」とかシェイクスピアとかいう古典に回帰するのではなく、基本的なIT社会処世術、会社人間から地域人間への軌道修正の仕方、還暦からの幸福論などをテーマとする。温泉、バー、そして図書館付き。これからの世界を救えるだろう仏教を通奏低音にするのがいいのではないか、とも。(Y)

講座<超高齢社会を生きる>

第61回(2023.6.2)
 我孫子和夫さん【アメリカでは、年齢についてのステレオタイプ的な見解(Ageism)に抗して、はつらつと生きている高齢者がけっこう多い】

 我孫子和夫さんは、カリフォルニア州立大学大学院でマスコミュニケーション修士課程を修了し1978年、AP通信社に入社、東京支局で記者職・管理職を経て、東京支局総支配人、北東アジア総支配人を歴任したジャーナリストである。AP在職中には1年間、日本外国特派員協会会長を兼務。その後、東京外国語大学、上智大学、神田外語大学などでジャーナリズム関連の授業を担当し、翻訳書に『ブレーキングニュース:AP通信社報道の歴史』などがある。趣味はテニスで、時おり日本テニス協会公認のベテラン大会に参戦しておられるとか。
 我孫子さんから『探見』主催の森治郎さん経由で以下のエッセイ(要旨)が寄せられたのを機に、『探見』とOnline塾DOORS共催で、日米の高齢者観の違いを聞いた。

 元同僚のアベルソンさんは92歳の誕生日当日には、“For while it may be late in my afternoon, with the sun setting, it is not yet darkness”と「人生の午後」を楽しむメッセージをMLに寄せたという(藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』の「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」を思い出させる)。同じく92歳で、今でもボランティア活動の合間にテニスを楽しんでいるという、もう一人の元同僚は、”How old is too old to play tennis”と応じ、また“I no longer have birthdays enough already”と書いている。
 アメリカにも「年齢についての固定観念やステレオタイプ的な見解によって判断する」Ageismはあり、”Act your age!(年相応に振る舞いなさい) “The outfit is not appreciate for your age”(その服装はあなたの年にふさわしくない)のように日常的にも使われるが、一方でそのような思考にとらわれず、老後を元気に、アグレッシブに生きている人がけっこう多いという。
 年齢差別を意味するAge Discriminationという言葉もあり、雇用に関する年齢制限などに使われるが、米国では定年制は年齢差別となり、年齢を理由に退職させることはできない。しかし、能力などの理由で解雇することはできる。ここが日本とは違うところで、日本では解雇することがこんなであるため、定年制を維持しているように思われる。
 ちなみに米国の高齢化率(65歳以上の人口が総人口に占める割合)は2020年で17%、これが2050年までには22%になると予測されている。高齢化率14%以上が高齢社会、21%以上になると超高齢(化)社会と定義される。日本は2005年にイタリアと同時に超高齢社会入りし、現在の高齢化率は28.9%、世界最先端の超高齢社会である。
 我孫子さんの話の後は、自治会を運営する苦労話とか、会社勤めを終えた男性がその後地域社会に溶け込むのが難しいのは、会社での肩書を振りかざし敬意を強要するからだとか、老後を豊かなものにするためには常に好奇心をもち続ける姿勢が大事だとか、それぞれが日ごろ感じていることを披歴しあった。

 ヨコ社会とタテ社会の違いが超高齢社会にも反映 世界に先駆けて超高齢社会入りした日本で私たちはどう生きていくべきか。このシリーズの第1回(通算49回)で、日本総合研究所の寺島実郎の『ジェロントロジー宣言』を紹介しつつ、ジェロントロジー(Gerontology)を「老年学」ではなく、「高齢化社会工学」と訳すべきであり、日本社会を今後どうするのか、そこでどう生きていくのかを大きな構想力をもって議論していくべきである、と述べた。
 我孫子さんの話でおもしろかったのは、タテ社会の日本とヨコ社会の米国の違いが高齢社会のあり方にも反映していることだった。日本は集団主義、横並び意識が強く、したがって年功序列意識も強く、1年の入社年次だけで先輩後輩の序列ができる(年次序列)。アメリカでは個人主義、個性の主張が大事で、責任の重さによる序列はあるが、年齢による序列はない。社長から平社員までお互いにファーストネームで呼び合う。この社会構造が高齢者の生き方の差となっているのは確かなようだ。
 ここでも映画「マイ・インターン」が話題になったが、たしかに大手企業を定年退職した男性が若い女性が起業したアパレル企業に「インターン」として再就職、そこで同僚や若い社長と対等につきあい、人生の午後を謳歌するということは日本ではなかなか難しい。
 アメリカをはじめとする西欧の多くの高齢者は、嵐に立ち向かうリア王のように、「知的好奇心」や「ユーモアのセンス」を武器に自らの高齢に挑戦しているが、日本の場合、年齢に逆らわず「枯れる」のを良しとする風潮や、赤瀬川源平が「老人力」という言葉を〝発見〟したように、老いを逆手にとってしゃれのめすなど、どこか斜に構えるところもある。一方で、そういう精神風土を悪用するかのように、定年がないのをいいことにいつまでも既得権益にしがみつく政治家などの「老害=老人の不当な権力への居座り」も目に余る。逆に、老人を厄介者にしようとする「老人切り捨て」の風潮も否定できない。
 今後、このシリーズでは超高齢社会でがんばる人びとの話を聞いたり、超高齢社会のさまざまな問題を考えていく予定です。(Y)

講座<女性が拓いたネット新時代>

◎60回(2023.5.17)
 粟飯原理咲さん【事業=「自分がやりたいこと」×「誰かをしあわせにできること」

 IT企業というと、一方に、大資本と多くの人材を投入し世界に君臨している、アメリカのGAFASのような大企業を思い浮かるが、他方で、個人のアイデア一つがビジネスに結びつくインターネット本来の力を生かして、ユニークなサイトを立ち上げ、仲間を集めて、規模はさほど大きくはないが、それなりに自足し、楽しみながら、利用者にも喜ばれる起業をしている人たちも多い。
 粟飯原理咲さんは後者の起業家の先駆けであり、成功者であり、いまもバリバリの現役でもある。「インターネットわくわくレディ」(アイデアは湧く湧く、気持ちはわくわく)、粟飯原理咲さんに20年の体験を聞いた。

 粟飯原さんはインターネット黎明期の1996年に大学を卒業してNTTコミュニケーションズに入社。2000年にリクルートに転職、次世代事業開発室などを経て、ポータルサイト「All About」マーケティングプランナーに。2003年には独立して、「おとりよせネット」、「フ―ディスト」、「朝時間.jp」など、ネット上にユニークなサービスをつぎつぎ立ち上げてきた。アイランド株式会社代表取締役。

 おとりよせネットは特産品とかユニークな料理、お菓子などをインターネットで取り寄せるための情報をふんだんに搭載したサイトで、お店などから自慢の一品を紹介してもらい、それを実際に試したモニターの記事を掲載するしている。年間の利用者数670万人、紹介した商品数7800点、モニター数は4万人近く、メールマガジン会員は7万人以上という人気のサイトである。
 フ―ディスはブログなどのSNSで料理について書いている人をフ―ディストと名づけて、その情報を提供している「日本最大級の料理インフルエンサーサービス」。知る人ぞ知るレシピ本著者、山本ゆりさんなど3万人のインフルエンサーが登録している。 朝時間.jpは朝の暮らし充実に特化した情報満載のサイトである。
 2003年にほとんど1人でおとりよせネットを立ち上げたときは、当時、Wi-Fiを利用できたモスバーガーに入りびたりで作業したというが(オープンしたときはモスバーガーの店員が全員で拍手してくれたとか)、苦節(?)20年、何度も壁にぶち当たりながら、持ち前の「地に足のついたミーハー」精神で乗り切り、いまでは社員30人、業務提携先も含めると100人規模の立派な企業になった。運営サイト発のコンテンツを書籍・ムック・CDなどで発行し、リアルスペースの外苑前アイランドスタジオもつくって、2012年からはキッチンスタジオも開設している。

 最初は単純に自分が「あったらいいな」と思うサイトを立ち上げてきたが、やっているうちに「関わる人に喜んでもらえる」ことがやりがいになり、今では事業=「自分がやりたいこと」×「誰かをしあわせにできること」だと考えるようになったという。食卓をしあわせにしたい、作り手に光をあてたい、地域を元気にしたい、働くやりがいを感じてほしい、などなど。
 アイデアの源泉は、①地に足のついたミーハーでいる(「地に足のついたミーハー」というのが粟飯原さんの自己規定で、いまはやりのChatGPTなど、世の中で起こっていることは何事にも興味をもって実際にやってみて、そこからいろんなアイデアをひねり出す。世の中の動き×自分の興味)、②アイデアわらしべ長者になる(最初から「おとりよせネット」を考えたのではなく、もともとは「食べ歩き」が好きで、そのメールマガジンを作ったら、読者がネットの「お取り寄せ」で盛り上がっていたのがヒントになった。まずひとつ始めると次々にアイデアが生まれてくる)、③アイデアは「ピンチ、焦りが連れてくる」(キッチンスタジオ開設8年目にコロナ禍に会い、高い家賃を払うにも収入がゼロになった月があった。その焦りがユーチューブによる動画配信に結びついた。万事塞翁が馬)の3点に集約できるという。
 そのほか、創る段階で大事なのは、時代の流れと合致する、特定の人の喜ぶ顔が見える、「熱量と想い」があるリーダーと「面白がり」「集中力」がある仲間の存在などなど、粟飯原さんの汗と涙の結晶であるいろんなヒントも披歴していただいた。

 女性が拓いたネット新時代② 粟飯原さんの話を聞きながら、アン・ハサウェイとロバート・デ・ニーロが共演した『マイ・インターン』という映画を思い出した。若い女性、アン・ハサウェイが起業した女性向けファッション通販サイト『About The Fit』に定年を迎えたデ・ニーロが再就職先としてインターンとしてやってくる話だが、粟飯原さんのオフィスも、映画とよく似た明るい雰囲気ではないだろうか。
 当日は前回、話していただいた田澤由利さん、次回にお話しいただく関根千佳さんも顔を見せてくれ、どこか同窓会的な懐かしい回になった。田澤さんは、「粟飯原さんも私もいろいろ苦労しているけれど、それは楽しいからで、上場するといった規模の大きさを求めてはいない。女性の起業の場合、そういう傾向が強いように思う」と話してくれたが、関根さんが間髪をいれず、「ロングテールね」と、これも懐かしい言葉で応じてくれた。
 ロングテールは恐竜の長い尻尾で、体の線をグラフ状に描くと、背中の部分のように大きな売り上げは期待できないが、商品を幅広くそろえたり、顧客を広い対象から求めて、それなりの売り上げを確保することを意味する。ネットビジネスの1つの特徴である。ロングテールと女性は相性がいい、ということかもしれない。
 ところで、関根さんによると「『マイ・インターン』は60歳以上の男性必見」だそうである。わかる気もしますね。関根さんの話は6月13日に予定している。(Y)

講座<よりよいIT社会をめざして>

◎第59回(2023.5.8)
<情報通信講釈師による精通者発掘ガイド②>【コロナ騒動をめぐる1つの仮説は、「新種ウイルスはすべて生物兵器として開発された」というものである】

 5月8日から国のコロナ対策はレベルが「5類感染症」になり、ゴールデンウイークにはマスクなしの姿も目立つようになった。2020年初頭にクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」での集団感染が発生して以来3年余、日本ばかりでなく世界中がコロナに振り回されてきたが、アメリカではウイルス起源をめぐる議論が始まった今年3月ごろから、COVID-19とmRNAワクチンに関連する話題がSNS上で排除されなくなるなど、世界中でウイルス起源やコロナワクチをめぐる議論が活発になってきた。ワクチンがかえって有害であるとの情報は<情報通信講釈師による精通者発掘ガイド①>をご覧いただきたいが、では、日本人はどれだけの人がワクチンを打ってきたのだろうか。
 厚労省のデータをもとにしたNHKの「新型コロナと感染症・医療情報」によると、5月9日までの国内感染者数は累計3380万3572人で、死亡者は7万4694人となっている。2021年から接種が始まったコロナワクチンの接種状況は表の通りである。1回目は80%を超える接種率で、すでに5度目まで接種が続いている。そして、4月28日の第93回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会のデータによると、2023年3月12日までの「ワクチン接種後の死亡例」として報告された件数は、ファイザー社ワクチン、1829件、モデルナ社ワクチン、224件となっている。そして、「死亡事例の報告のうち、ワクチンとの因果関係が否定できないとされものは1件」、「現時点において、ワクチン接種によるベネフィットがリスクを上回ると考えられ、ワクチンの接種体制に影響を与える重大な懸念は認められず、引き続き国内外の情報を収集しつつ、新型コロナワクチンの接種を継続していくこととしてよい」としている。
 しかし2000人以上がワクチン接種後に亡くなっている訳で、この結論には強い異論が出ている。隠された死者は遙かに多いのではないかという推測もある。最初からワクチンを敬遠して接種しなかった人も2割ほどいるわけだが、唐澤さん本人もワクチンを打たなかったという。

 というわけで、今回は唐澤さんがなぜワクチンを打たないと決めたかという理由と、その結論に到達するのに有益だった情報収集方法について話していただいた。唐澤さんは家族が薬漬け医療の被害を受けた経験もあり、薬物使用や医療情報に強い関心をもってきたが、インターネット上には早くからコロナワクチンを危険視する声があったという。
 たとえば、2021年1月28日の「朝まで生テレビ」で上昌広医師が「このワクチンは高齢者に打つと一定の方が亡くなると思います」と発言していた。また、内海聡『ワクチン不要論』(三五館シンシャ発行、フォレスト出版販売)がコロナ以前の2018年に出ており、ここでは以下の点などが指摘されていた。

・向精神薬、ワクチン、抗がん剤はすべて効かないどころか、有害である。
・科学的な根拠やデータは検査方法により、いくらでも捏造、操作ができる。
・ワクチンには水銀、アルミニウムなどの化学薬品、野生のウイルスなどが含まれている。
・ワクチンが歴史的に感染症を防いできたというワクチンマニア(推奨者、御用学者)の発言は嘘。実際にはインフラ整備による環境改善と栄養状態改善による。
・ 人工的に作られたウイルスに、途中経路を飛ばして感染したかのように見せかける遺伝子ワクチンは不完全な抗体だけが作られ、むしろ感染症にかかりやすくする危険性すらある。

 またファイザーやモデルナなどの製薬会社のウェブには副作用などの記述も開示されており、現在は治験期間であるというエクスキューズもあり、被害を受けた人が訴訟を起こしても勝訴するのは難しいという。接種時に個人の判断でワクチン接種を受ける旨の文書に署名させられるようにもなっている。
 唐澤さんが日常的に参照しているウェブやメルマガなどの情報収集ノウハウは、下記の「唐澤流精通者発掘ガイド」を参照していただくとして、今回のコロナ騒動をめぐる唐澤さんの洞察はきわめてシビアなものだった。

①世界経済フォーラム(ダボス会議)の設立者、スイスの経済学者、クラウス・シュワブは世界の人口を管理可能な10億人のレベルまで減少させる「人口削減論」を唱えており、この考えが世界の支配層に根強く浸透している。
②1980年以降に出現したすべての新種ウイルスは生物兵器として開発されたものである。2012年、米軍DARPAはmRNAワクチンを生物兵器として開発する計画を打ち出した。2016年、モデルナは新種ウイルスの設計図を完成し、特許を取得。アメリカ国立衛生研究所(NIH)が圧力をかけてモデルナ特許の共同保持者となり、ファイザーにもライセンスした。時期は不明だが、NIHは中国武漢研究所やウクライナのウイルス研究所に開発を下請けに出した。
③2023年3月、米議会で「ウイルス起源法」が成立した。3月21日にバイデン大統領が署名したので、中国武漢研究所からの漏洩説などコロナおよびワクチンをめぐる機密情報が180日以内に公開されると見られる。

 結論として、唐澤さんは「SARS-Cov2ウイルスやmRNAワクチン(遺伝子ワクチン)はディープ・ステート(国際金融機関を中心に世界を影で支配する権力機構)によって仕掛けられた生物兵器であり、世界中の市民は今、これらの兵器と闘っている戦争状態であると認識すべきである」と述べた。「この認識がないと、次々と新しい生物兵器が仕かけられ、人口減少が進むのではないか」とも。
 なかなかに恐ろしい話だが、人類は原子と遺伝子という2つの核の操作に踏み込んでいる。その最先端科学技術が私たち市民の日々の生活まで否応なく襲いつつあることを思い知らされる話だった。この日の講義は、前回のタイトル【あふれる情報に流されず、適格な答えを引き出すには努力が必要だが、才覚さえあれば、正しい答えは引き出せる】の実践例だったと言っていいだろう。

 唐澤流精通者発掘ガイド 最も多く利用するのはツイッター、フェイスブック、ユーチューブなどのSNSで、ユニークな意見を明確に書いている人がいたら「フォロー」ボタンをポチッとして読み、メルマガを発行している人であれば、申し込むことも。また、コメントを書き込むことができるものであれば、自分の考えを書いたり、他の人のコメントを読んだりすることで、その道の精通者を発見することもあります。
 そして、新聞やテレビではなく「スマートニュース」というスマホ向けの各社のニュースのまとめサイトが項目別に整理されているため、ざっと斜め読みして、気になるニュースがあったら、要約文を読み、詳しく全部読みたい場合は、そのニュースの配信元のサイトで、原文を読むといったことをしています。そうすることで、自分が知らなかった人の発信情報を偶然目にすることも出来ます。これは偶然というよりは、共時性が起きるのだろうと思い、その時の直感を大事にして辿っていくことで、その道の精通者を発見することに繋がると考えています。(K

講座<よりよいIT社会をめざして>

◎第58回(2023.4.26)
 城所岩生さん【インターネットという技術革新に乗り遅れたことが日本経済の停滞を招いており、その原因の一つが著作権法である】

 もう20年も前に日本でインターネットをめぐって1つの事件があった。プログラムの名をとってWinny事件と呼ばれている。ピア・ツー・ピア(peer-to-peer、P2Pと表記されることが多い)というパソコンや端末を直接接続してデータのやり取りをする方式で開発され、一般に公開されたこのプログラム(ファイル交換ソフト)を使って多くの楽曲が著作権者に無断で流通しているのは著作権法違反だとして、2003年に楽曲をアップした店員2人が逮捕され、続いて翌年、プログラムの開発者、金子勇さん(当時、東大大学院特任助手、写真)も幇助罪で逮捕された。包丁を使って殺人が行われたからと、包丁業者も取り調べられるのはおかしい、と当初から警察・検察の捜査には強い異論があったが、京都地裁はこれを有罪と認め、その後、大阪高裁で逆転無罪、2011年、最高裁でも無罪が確定した。

 NTTに勤務し、アメリカ社副社長も務めた城所岩生さんは米国弁護士の資格を持ち、日本の大学法学部で教壇にも立ってきた。最近『国破れて著作権法あり 誰がWinnyと日本の未来を葬ったのか』(みらい新書)という本を出したが、折からWinny事件の弁護人として活躍した壇俊光弁護士の『Winny  天才プログラマー金子勇との7年半』(インプレスR&D)をもとにした映画も公開されている。城所さんにWinny事件の経過とその問題点を話してもらった。
 城所さんの考えはその書名、およびまえがきの「2012年4月、幕張メッセで金子勇氏の講演を聴いた私は、質問の冒頭で、『金子さんは日本人に生まれて不幸だったかもしれない。なぜなら欧米版ウィニーを開発した北欧の技術者は、金子さんのような後ろ向きの裁判に7年半も空費させられることなく、その後、無料インターネット電話のスカイプを開発して、億万長者になったからです』と述べた」と書いていることに明らかである。金子さんは無罪確定後1年半で、41歳の短い生涯を閉じている。 
 日本の著作権法は著作権者の権利を守ることを重視しているが、アメリカでは早くから「フェアユース」<利用目的が公正(フェア)であれば、著作権者の許可がなくても著作物を利用できる。フェアかどうかは「利用目的」「利用される著作物の市場に与える影響(市場を奪わないか)などから総合的に判断する>という法理が確立し、自由に情報を流通させるインターネット本来の長所を生かす形で運営されてきた。この態度の差が、日本社会というより日本の経済発展に大きな影響を与えたというのが城所さんの意見である。「情報共有にもとづくインターネットは、他人の情報を利用する際に原則として許諾を必要とするアナログ時代の著作権法では、その特質が十分生かせないおそれが出てくる」(本書、あとがき)。
 たとえば「世界における企業時価総額ランキング」の1989年(平成1年)と2018年(平成30年)を比較すると、かつて金融業を中心にトップ10に7社も入っていた日本企業は2018年には0となった。一方で米IT企業のGAFAMが進出しており、平成年間における日本経済の衰退を象徴する指標である。
 城所さんは日本の著作権問題に関する今後の提言として、フェアユース導入のほか以下の3つを上げている。
  ①第三者意見募集制度の導入
  ②審議会構成員は中立委員だけに絞る
  ③取り調べに弁護士の立ち合いを義務付ける
 ちなみに2022年現在の文化審議会著作権分科会の委員27人の構成は、大学教授6、弁護士・弁理士2、マスコミ2、権利者団体15、利用者団体2で、権利者団体が圧倒的に多い。金子さんは検察の捜査に対してきわめてナイーブで、それが審理にマイナスに働いた点もあるらしく、③は大事だと思われる。なおWinnyは、このプログラムを悪用したウイルス(暴露ウイルス)によって、官公庁、企業、個人のパソコンから重要な、あるいは秘密の情報が次々に流出したことでも大きな話題になった。
 当日はネットワーク障害で一時、城所さんとの通信が途絶えるトラブルがあったが、その間も、私たちに身近な話題だけに、新聞記事と著作権、美術作品の著作権許諾の実態など、議論は大いに盛り上がった。すでに映画を見た人からは、金子さんを演じた東出昌大は好演しているという報告もあった(^o^)。

 インターネットと法のせめぎあい 私はインターネット黎明期の1995年にインターネット情報誌『DOORS』を創刊した経緯があり、インターネットと社会のあり方には深い関心を寄せてきたが、残念ながら日本人とインターネットとの相性はきわめて悪い。それを利用しようとする側(行政や企業、一般ユーザー)はインターネットを便利な道具、あるいは金儲けの手段として使おうとするばかりで、インターネットがもつ創造的破壊というか、情報を自由に流通させるプラスの面、社会的インパクトに積極的に対応してこなかった。
 法はもともと保守的で秩序維持に傾き、技術の進歩にむしろ逆行する傾向がある。アメリカでフェアユースの考え方が確定していく背景には、インターネットのもつ潜在的可能性を生かすために法体系そのものをアップデートしていく姿勢が見られるが、日本における法は、欧米モデルを導入してもっぱらその解釈を基本としてきた伝統もあり、インターネット時代においてそのほころびが目立つ。その矛盾は情報法としての著作権法に凝縮していると言ってもいいだろう。
 当塾でも取り上げたChatGPT(54回、2.13)は、その後大きな社会的問題を投げかけているが、従来の著作権の考え方をも揺るがしている。(Y)

新講座<女性が拓いたネット新時代>

◎57回(2023.4.5)
 田澤由利さん【これがバーチャルオフィス:テレワークはコロナ以前からあったし、これからいよいよ重要になってくると思っています】
 
 学生時代に叔父からシャープのパソコンをもらい、コンピュータにすっかり取りつかれた田澤さんは、アルバイトの職を求めて東京・青山にあった小さなオフィス「アスキー」に飛び込んだ。配属されたのがマイクロソフトFE(Far East)本部という従業員数人の部署だった。ときどきよれよれシャツでぼろぼろジーンズの外国の若者が顔を出していたが、それがビル・ゲイツ氏だった。今をときめくマイクロソフトは西和彦氏の縁でアスキーの一角から日本での産声を上げたのだが、それほどに田澤さんとコンピュータの縁は長く、深い。
 大学卒業後は地元が奈良ということもあり、シャープに就職、その後他の会社の人と結婚して、ご主人の異動に伴い仙台へ移動した。シャープの配慮で自らも仙台の営業所で働くことができたが、その後出産、ついにシャープを退社するもやむなしの事態となった。しかし、なんとか子育てもしながら仕事を続けたいという思いが強く、パソコンライターとしての仕事を思いつき、さっそく実行した。その間、奈良、岡山、名古屋と転勤するご主人について3人の娘さんを育てながら、かなりのパソコンガイドブックをものしている。そして、ご主人の転勤が奈良からはるかに遠い北海道・北見になった。さすがに北海道ではパソコンライターも無理かと思ったが、ここでも運命を果敢に切り開くフロンティア精神に火がついて、インターネットの普及でSOHO(Small Office, Home Office)が脚光を浴び始めた時流にも乗り、彼女は北見の子育てライターとして活躍するSOHOの星になった。北見の生活は自然環境も子育ての環境としても申し分なく、ついにはご主人が会社をやめて北見に定住、田澤さんといっしょに会社を経営することになった。以上、田澤由利前半の半生の一席である。

 そのときから彼女の夢は「インターネット上にふつうの会社をつくる」ことで、1998年にそのための会社、「ワイズスタッフ」を設立した。「子育てしながら仕事をしたい」、「夫の転勤で仕事をやめて家にいるのがつらい」といった女性が次々に登録して会社は150人のスタッフを擁するようになった。彼女は「仕事を安心して任せられる会社」、「インターネット上にある普通の会社」をめざし、従業員が安心して働けるだけでなく、得意先にも安心して仕事を任せてもらえるようなまさに「普通の会社」づくりをめざし、マネジメントにも力を入れてきた。
 そして2008年、柔軟な働き方を社会に広めるために、「テレワークマネジメント」を設立。東京にオフィスを置き、企業などへのテレワーク導入支援や、国や自治体のテレワーク普及事業などを推進している。国の会議にも委員やアドバイサーとして数多く参加するいまや「テレワークの星」、いや「女王」かな。
 さて、そのバーチャルオフィスだが、彼女がプレゼンテーションしてくれたオフィス(写真)はたしかにすばらしかった。会議室、作業室、応接室、集中作業室などいろんな部屋があり、東京オフィス、北海道オフィス、奈良オフィスなどが同居、それぞれの従業員が仕事に励んでいるが、たとえば社長の田澤さんが東京オフィスを訪ねて、声をかけるとそれぞれの従業員がカメラをオンにして、そこで打ち合わせもできる。勤務先は東京、奈良、北見と離れていても、まるで一カ所にいるような親近感も感じられる。これが田澤さんのめざすテレワークである。
 コロナ禍で一時脚光を浴びたテレワークだが、コロナがおさまるにつれてまた会社勤務に復活する動きも出ているが、田澤さんのめざすテレワークはやむを得ず緊急避難的に行うものではない。インターネットを利用して新しい会社をつくりあげることである。そのためにはマネジメント、生産性向上、従業員の暮らしの向上など、いろんなことに目配りが必要だが、もともとコミュニケーションやチームワークを重んじる日本だからこそテレワークの可能性は大きいと田澤さんは信じている。これが田澤さん後半の半生、20年の記録であり、最終章の幕はいよいよこれから開くのであろう。
 また田澤さんのプレゼンテーションはパワーポイントを画面共有して話すだけでなく、ご本人がその背景の中に入り込んで教師が黒板を指し示しながら話をする臨場感あふれるもので、なるほどこれはいいと、我がOnline塾DOORSでも実践を目指すことにした。
 彼女は奈良、東京、北海道と全国を飛び回っているので、テレワーク会議では自分がいまどこにいるのかがわかるように、それぞれの場所を背景に変えて話しているのだという。「人間臭いネットワーク」を追い求めている田澤さんの気持ちのよく表れたプレゼンテーションだった。

 女性が拓いたネット新時代 実は私は20年前の2004年、『女性がひらくネット新時代』(岩波書店)という本を書いた。インターネット黎明期にネットと女性は相性がいいのではないのかという直観のもとに当時活躍していた女性起業家を訪ねたものである。その7人の1人が田澤さんだった。当時、田澤さんは本文にふれたように「SOHOの星」とメディアで盛んに取り上げられていたが、当時から彼女の夢が「インターネット上のバーチャルオフィス」、まさに「テレワーク」だったわけである。
 当時は北見に職住近接のオフィスがあったが、いまは閉鎖、すべてネットワーク上に移っている。その構造図が先に紹介したものだが、三次元でこそないけれど、考え方はまさにメタバース的で、彼女の先見の明を示している。
 なお、この新講座<女性が拓いたネット新時代>では同書で取り上げた他の方にも順次ご登場願い、ネットワークの20年の実績やその間の社会の変化、女性の活躍などについて話を聞く予定です。(Y)

講座<よりよいIT社会をめざして>

◎第56回(2023.3.22)
<情報通信講釈師による精通者発掘ガイド①>【あふれる情報に流されず、適格な答えを引き出すには努力が必要だが、才覚さえあれば、正しい答えは引き出せる】

 この授業は<よりよいIT社会をめざして>の一環として、「情報リテラシーの差が明暗を分ける」2つの例、新型コロナ騒動とウクライナ戦争への対応について、情報通信講釈師の唐澤豊さんの話を聞いた。その内容はさまざまな情報が錯綜する現代社会にあって、マスメディアの記事や一般に流布している情報だけで判断していると、生死を分けるような事態にもなりかねないことへの警鐘だった。たとえば新型コロナ騒動にしても、多くの人がワクチンを接種したけれど、インターネット上の情報を丁寧に見ていくと、そこにはワクチン接種直後に副作用で死亡した例のみならず、ワクチンそのものが人間本来の免疫力を阻害する有害なものであることが欧米の専門家などに指摘されていた。
 たまたま同日、国会の参議院予算委員会でれいわ新選組の山本太郎代表が「ワクチンと死亡の因果関係を審査する機関の予算の多くが審査される側から提供されている」事実を指摘しつつ「製薬会社の顔色をうかがうんじゃなくて、解剖まで行った医師の評価を尊重することが重要ではないか」などと厚労省の姿勢を厳しく追及していたが、唐澤さんが調べた情報によれば、ワクチンそのものが人体に長期的な害毒をもたらす可能性があるらしい。
 ワクチンを接種した人にとってはショッキングな内容で、①新型コロナが人工によってつくられたものであることはほぼ明らかになっている(モデルナ社が特許をとった人工ウイルスが中国の武漢研究所から漏れた可能性が強い)、②ワクチンの実用化にはふつうは10年近い試験期間が必要なのに、コロナワクチンは1カ月程度という短期間の試験期間しかなかった、③ワクチンはいろんな障害をもたらす恐れがあるが、人体のRNAを書き換えるため、長期的には免疫不全症候群(エイズ)と同じような副作用をもたらす可能性がある(写真はその警告)。④ワクチンの製造元、米ファイザー社の科学計画ディレクターをつとめる若い研究者への「覆面インタビュー」によると、ファイザー社は事前にコロナの変異株を作り、それに対応するワクチンを開発、さらなる金儲けを画策している。またワクチンの規制当局は、天下り先のファイザー社には甘い対応しかしていない、といったもので、とくに④は第一線の技術者のモラルの崩壊をもうかがわせるものだった。
 ウクライナ戦争では、西側主張は「ロシア悪、ウクライナ善」という立場に立っているけれど、ロシアを侵攻に駆り立てたアメリカを中心とする西側陣営にこそ問題があるとの情報も、ネット上では比較的容易に探し出すことができる。ことほどさように、現代では情報があふれているけれど、その情報から信頼に足るものを選び出すのはいよいよ難しくなっている。それらの情報の中には、ためにする有害情報もあるし、陰謀史観を彷彿させるものもある。何を信じるかは最終的には個人一人ひとりの責任で判断するしかないが、偏った情報だけに囲まれているのが危険であることは間違いない。
 情報リテラシーがいよいよ重要になってくるわけで、閉塾後、唐澤さんと話し合って、<よりよいIT社会をめざして>の分科会として、<情報通信講釈師による精通者発掘ガイド>シリーズを隔月ぐらいのペースで開くことにした。唐澤さんに話してもらうほかに、その道の専門家(情報精通者・匠)を探し出して、我々がふだん接触することの少ない情報について案内してもらい、視野を広げていければと考えている。その趣旨のもとに本日の講義を繰り上げてその第1回とし、5月8日に改めて議論することにした。

 Online塾DOORSも5月で3周年を迎えます。それを機によりおもしろく、かつ有意義なコミュニケーションの場にしたいと考えています。より多くの人の参加を歓迎します。

ショック・ドクトリン 紀伊国屋文左衛門が江戸で品薄になったミカンを紀州から荒海を航海して運び巨利を得た話は有名である。江戸の大火が原因だとも、嵐で航路が途絶えていたとも言われるが、いずれにしろ災難を奇禍として大尽になったわけである。戦前には戦争を好機に新聞が部数を飛躍的に伸ばすなど、災害や戦争といった不幸は常にビジネスと結びついてきた。
 カナダ生まれのジャーナリスト、ナオミ・キャンベルは2007年、『ショック・ドクトリンTHE  SHOCK  DOCTLINE   The Rise  of  Disaster Capitalism 』いう本を書き、戦争、恐慌、巨大災害などの人類の不幸(惨事)を自らの「利益」ととらえ、それを「餌食」として増殖する新自由主義(惨事便乗型資本主義)を告発した。これはかつてそうであったような、人間の知恵と冒険の物語というより、巨大技術を動員した人類崩壊の道へとつながりかねない。
 彼女は2005年にアメリカ南部を襲った大ハリケーン、カトリーナの被災地を訪れた話から筆を起こしている。テントには避難民や病人があふれていたが、それを尻目にニューオーリンズ選出の下院議員や不動産業者たちは「ハリケーンのおかげで低所得者用公営住宅がきれいさっぱり一掃できた。これぞ神の御業だ」、「このまっさらな状態は、またとないチャンスだ」などと語っていた。これが「惨事便乗型資本主義」の正体である。
 今回のファイザー技術者の話は、この惨事便乗型資本主義を彷彿とさせる。製薬会社の利益のために私たちはワクチンを打たされて、その被害は見えない形で子孫にも影響するとなると、これは恐るべきことである。人間の命が「餌食」になっている。
 ウクライナ問題をアメリカ兵器産業が好機ととらえているのも間違いなく、彼らにとっては戦争続行こそがメリットである。そんなウクライナを電撃訪問し、ゼレンスキー大統領に広島名産の「必勝祈願しゃもじ」を贈ったわが国首相のふるまいをどう考えるべきだろうか。本講座は、情報社会における自衛のための教室にもなると思う。(Y)

講座<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>

第55回(2023.3.1)
 牟田慎一郎さん【ボランティア活動の一環として、ケニアの国連ハビタット本部などを訪れた】

 福岡県に国連ハビタット福岡本部がある。ハビタットは都市化と居住の問題に取り組む国際連合の機関で、「ハビタット」とはラテン語で「居住」を意味する。世界中のひとたちが安心して快適に暮らせる「まちづくり」を推進しており、ケニアのナイロビに本部がある。
 福岡本部は九州唯一の国連機関で、アジア太平洋35か国以上の国々を活動範囲におさめており、牟田慎一郎さんはその協力団体、日本ハビタット協会の理事および福岡支部長、さらには福岡本部と市民の橋渡し役、ハビタット福岡市民の会代表として、活動支援や広報を中心に活動してきた。
 第53回の岩城義之さんのアフリカ報告に呼応して、2013年にケニアを訪れたときの話をしてくれることになり、当日は岩城さんにも参加していただき、アフリカ話に花が咲いた。
 ナイロビのハビタット本部も加えた特別ツアーに、ボランティア仲間など10人が参加した。広大な大地を一直線に伸びる道路を大型ジープに乗って疾駆、ナイロビ周辺の都市や大自然、人びとの暮らしや習俗などを探訪してきた。ケニアの広大な夕陽、ケニアとタンザニアを移動するヌーの大移動など、めずらしい経験が丁寧な記録として整理されており、たいへん楽しいひとときだった。ヌーの大移動を実際に見る機会はめったにないらしい。ナイロビのハビタット本部には3800人が働いており、活動の一環として進められていた一大スラムの居住計画も見学してきたという。
 牟田さんはアジア太平洋こども会議のボランティアもしており、子どもたちを連れて、2001年から2015年にかけて14か国を訪問、牟田さん自身は40か国以上を訪問しているという。
 電気技術者として会社勤めをしていたバブルの絶頂期に、本当の幸せとは心の豊かさだということに気づき、さまざまなボランティア活動に取り組みながら、多くの人に会ってきたという。これぞ<超高齢社会を生きる>理想のスタイルだと、追ってこちらの講座でも話してもらうことになった。

講座<よりよいIT社会をめざして>

第54回(2023.2.13)
  唐澤豊さん 【最近話題のChatGPTは何がすごいのか。急成長するAIに踊らされずに生き抜く覚悟が改めて必要になってきた】

 インターネット黎明期にはその加速するスピードに関して、インターネットの1年は実世界の7年にあたるとして、ドッグイヤーということが言われた。いまやマウスイヤーとさえ言われるほどのコンピュータの発達である(一説によると、ネズミは人間の18倍の速度で成長する)。唐澤さんにメタバースや量子空間に遍在するというゼロポイントフィールド仮説について聞いたばかりだが、昨年暮れ、彼から「緊急事態発生」とのメールをいただいた。
 11月に公開したばかりのAI(人工知能)サービス、ChatGPT(チャットジーピーティー)をめぐって、グーグルのサンダー・ピチャイCEOがコード・レッド(緊急事態)を宣言、即座に経営方針を変更したというニュースを受けてのことだった。
 ChatGPTは、アメリカの人工知能の研究開発を行う非営利団体、OpenAIが開発したチャットサービスで、そこで質問をすると、まるで人間が書いたような自然な文章で回答してくれる。公開以後、瞬く間に1億人のレギュラーユーザーを獲得、「スタンフォード大学の学生レポートの17%がChatGPTを使って書かれている」、「某学術雑誌がChatGPなどのAIを著者として認めないとの声明を出した」、「マイクロソフトは自己の検索エンジンばかりかWordなどのアプリケーションソフトにもChatGPTを組み込むことを決めた」などという話題が世界を駆け巡った。 上の写真は、ある人が「ChatGPTはどんな質問ができますか」と質問したら、答えは「受け付けられる質問」を列記したものだったという例。たとえば、これまで調べものをする人の多くがグーグルの検索エンジンに、たとえば「学問とは何か」といったキーワードを打ち込み、表示される関連サイトを読みながら考えをまとめていたわけである(書籍など他の文献を参照する人も多いだろうが)。この検索、編集の作業をChatGPTがリアルタイムで行い、即座に英語の質問になら英語で、日本語の質問なら日本語で答えてくれる。唐澤さんの実証によれば、その回答は優等生的で誹謗中傷などは行わず、どちらかというと最大公約数的になりがちだが、それでもそれなりの答えを一瞬で出してくる。学界に提出できるレベルの論文を書いたり、実働するプログラム、読後感想文、イベント企画、歌詞までつくったりするらしい。同サービスはとりあえず無料で公開されている。
 グーグルはChatGPTがグーグルの検索エンジンに取って代わるかもしれないという懸念を抱き、自らもBardという同じような対話型AIを投入することを2月に発表している。「人々が、Chat GPTに物事を尋ねるようになれば、誰もGoogle検索エンジンなど使いはしない。そうなれば、Googleのビジネスモデルは、危機的な状況を迎える」と考えたわけである。OpenAIにマイクロソフトが資金提供していることも対抗心を駆り立てたらしい。
 ここ両日、朝日新聞や日経新聞などもChatGPTをめぐるIT企業の動向や、現段階のAIの不完全さを指摘する記事を掲載するなど、ChatGPTは突然、時代の寵児になった感がある。
 今後の動向はたしかに注目されるし、IT社会にすっかりのめり込み、インターネット上の情報を継ぎ合わせるだけで考えているような錯覚に陥っていた人々には打撃を与える恐れもある。AIに仕事を奪われるという心配もたしかに存在する。ChatGPTは検索エンジンをフル稼働しながらインターネット上のデータから回答を引き出してくるわけで、蓄積されるデータが膨大なものになれば、また新たな展開があるかもしれない。逆に、インターネット上に存在しない人間本来の思考の価値が高まるということも言えそうである。
 コンピュータの性能は、2045年には人間の頭脳を上回る(シンギュラリティ=技術特異点)と説くレイ・カーツワイルのような未来学者(コンピュータ科学者)もいるが、「情報通信講釈師」を名乗る唐澤さんは「2050年ぐらいまではコンピュータの知能が人間を上回ることにはならないのではないか」と語った。彼の結論は「我々は人間にしかできない脳力を磨き、人工知能を使いこなせば良い」ということである。ちなみに経産省が未来人材会議に諮問してまとめ、2022年5月に発表した「未来人材ビジョン」では、2050年に必要になる人間の能力について、以前(2015年)と対比させつつ、上図のように表示している。
 授業では、これからの時代の人間の生き方、有効な教育の方向、倫理のあり方など、活発な意見交換が行われた。

講座<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>

第53回(2023.1.20)
 岩城義之さん【アフリカは貧しいけれど、子どもたちの笑顔は底抜けに明るい。日本の若者よ、アフリカとインドに向って羽ばたこう】

 2023年初頭を飾る<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>第3回は、世界を駆けめぐる通訳というか探検家というか、アグレッシブな人生の謳歌者、岩城義之さんにアフリカ最新事情を聞いた。
 岩城さんは九州の高校を卒業した30年ほど前、世界をもっと知りたいという思いから留学制度のある大学を選び、そこから1年ほどカナダのバンクーバーに留学した。クリスマス休暇をとってバックパッカーとしてイギリス、スペイン、モロッコを回ったが、先進国の風物よりも、ジブラルタル海峡をわたってモロッコに行った時のインパクトが忘れられなかったという。その後もウズベクスタン、ラオス、インドネシア、フィリピンなどのアジア諸国や東欧を〝漫遊〟していたが、アフリカにしばらく定住してみたいとの思いが強まり、英語教師の職を辞してJICAの海外青年協力隊に応募、4年間をアフリカのニジェールで過ごした。経済的に貧しいにも関わらず笑顔が絶えない子どもたちの元気に惹かれ、これまでにアフリカ15か国を回ってきた(世界110か国を訪問)。 
 当日は「アフリカに想いを馳せよう」というキャッチのもとに楽しいアフリカ入門講座となった。
 最初にいくつかクイズがあった。①アフリカには何か国あるか、②面積は日本の何倍か、③人口1億人を超える国はどこか、④アフリカ全体の中心年齢(もっとも層の厚い年齢、平均年齢に近い)はいくつか、⑤アフリカの出生率は?、⑥識字率は?
 日本の中心年齢は48、出生率は1.34である。参加メンバーの正解率は必ずしも高くなかったが、正解を末尾に記載しておく。
 話は豊富な写真のもとに、アフリカの自然、民族、経済、暮らしなど多方面にわたった。アフリカと言うと、貧困、民族紛争、感染症、貧富の差など暗い話題が多いが、アフリカがいま急速に発展しつつあるのはたしかなようだ。
 ケニアの新幹線やキャッシュレス制度、ナイジェリアや南アフリカ共和国の近代都市群などなど。ケニアのキャッシュレス制度M-PESAはほぼ100%の実施で、物乞いの人たちも坐った前に自分のID番号を表示して、ケータイ経由で施しを受けているのだとか。ナイジェリア、ケニアなどで特徴的だが、発展すればするほど格差がひどくなる。資源のある国は豊かだが、その資源が民族紛争につながったりもしているらしい。
 ケータイはほとんど中国製で、ついで韓国製、日本のものは皆無だという。かつての電子立国の影はみじんもない。中国のアフリカへの進出は聞きしに勝るものだった。
 中国は相手国の支配層の喜ぶように、すべての材料を自国から取り寄せて立派な学校を建てるけれど、いったん古くなると、だれも修理できない。それに比べると、日本の学校は地味だけれど、現地人を雇用し、現地の材料を使って作るから、規模はいかにも小さいけれど、修復も可能で地元の評判はいいともいう。これをもう少し拡大するといいように思われる。岩城さんは「こういう実績を起業に結びつけて、ビジネスの興隆に結びつけるような援助の仕方があるのではないか」と模索を続けているという。
 そのためにも、日本の若者たちがもっともっと世界に、そしてインドやアフリカに進出してほしい、というのが岩城さんの願いである。「狭い日本で登校拒否したり、進路に悩んだりするよりも、思い切って世界に羽ばたいてほしい」と。「アジアの新しい風」に「アフリカの新しい風」という部門を追加するといいかもしれない。クイズの答え<①54か国、②80倍、③ナイジェリア(3億)、エチオピア(1.15憶)、エジプト(1億)、④19歳、⑤4.5人(ニジェールは6.8人)、⑥35%>。

講座<よりよいIT社会をめざして>

第52回(2022.12.15)
  唐澤豊さん 【コンピュータ上に壮大な第2宇宙を構築するのなら、はるかに広がる現実の宇宙のあり方も含めて考えながら、事業計画を立てる必要がある】

 メタバース講義3回目は、メタバースとして第2の宇宙をつくりあげるためには、前提として、まず現実世界の宇宙について知っておくべきだという考えのもとに、唐澤さんの深淵なる宇宙論を聞いた。
 最新量子力学による宇宙の成り立ちの解明、138憶年前のビッグバンとその後、およびそれ以前の宇宙、過去から未来に及ぶすべての記録が蓄えられているという宇宙のゼロポイントフィールド、それによく似た神秘学説のアカシックコード、物質およびエネルギーの究極の姿をめぐる超弦理論などなど、科学、哲学、宗教におよぶさまざまな知見が紹介され、まことに目くるめく授業だった。
 唐澤さんの思いは、メタバースとは現実世界と仮想空間、さらにはそれをミックスした大きなテーマを扱うものであり、ちょっとしたアイデアをもとに個々の企業がバラバラに取り組むにはあまりに大きな対象である。人類はこれを新たな歴史的挑戦、あるいは応戦すべき課題として受け止め、世界レベルで真剣に取り組むべきである、ということだった。唐澤さんのコンピュータに対する期待の表明でもあったように思われる。
 参加者には唐澤さんの話にいたく共鳴した人もいたが、高度な内容に唖然とした人もいた。仏教の知恵として紹介された般若心経をめぐっては、各自の体験も含めて大いに盛り上がった。
 当日は今年最後の授業でもあり、終了後は簡単な忘年会に移り、雑談しながらOnline塾DOORSの今後についても意見交換しようと思っていたが、唐澤さんの広大な話に比べると、Online塾DOORSの今後などずいぶん些末なことのように思われ、そちらの話題は新年に持ち越した(^o^)。それはともかく、Online塾DOORSは2023年も続けます。1月下旬に初講義の予定。多くの方々のご参加をお待ちします。
 唐澤さんの話に登場した興味深い書物を3冊紹介しておきます。お正月の読書にどうぞ。

 

 

 

マシュー・ボール『ザ・メタバース』(飛鳥新社)、メタバースに興味を持つ人は必読。田坂広志『死は存在しない』(光文社新書)、量子力学最前線。佐々木閑・大栗博司『真理の探究』(幻冬舎新書)、仏教学者と科学者の対話。

講座<若者に学ぶグローバル人生>

第51回(2022.12.5)
 ベトナム出身で現在、鹿児島の専門学校、赤塚学園で職員として、教師として活躍するプティニュ・マイさん。ハノイ近くのハイズォンで高校を卒業、ハノイ日本語学校で日本語を学んだあと、2011年に来日、日本経済大学経営学部を卒業し、そのまま福岡や石川の日本企業で働き、2022年から赤塚学園に就職した。
 赤塚学園は看護、医療事務、美容、デザインなどの専門学校だが(下写真)、3代目の経営者、赤塚隆平さんになってからグローバルビジネス科も設置し、現在、海外からの留学生も含む300人が学んでいる。
 マイさんは本塾第41回で<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>として話を聞いた田中旬一さんに紹介していただいたのだが、実は赤塚学園は田中さんの日本ITビジネスカレッジの提携校でもある。
 当日は田中さんや赤塚さんも参加してくださった。赤塚さんは「鹿児島から一番近い大都市は東京ではなくソウル、北海道とハノイは同じ距離です。だから<東南アジアの中の鹿児島>という位置づけで生徒募集もしています」と話していた。実際、赤塚学園はスリランカ、ベトナムなどから多くの留学生を迎えている。田中さん自体、地方から世界を撃つというか、ローカルにしてグローバルな教育理念を掲げているが、マイさんその人も地方で学び、そのまま地方で就職するという、中央指向の風潮とは対極にある生き方をしており、ここでも日本とアジアの新しい共生が始まる希望を感じる。
 赤塚さんは、マイさんは能力、人格ともに出色、得難い人材だと激賞していた。たしかに、当日は諸事情で参加者が少なかったが、マイさんから逆にいろいろ質問されるのをきっかけに和やかな会になった。

講座<よりよいIT社会をめざして>

第50回(2022.11.15)
 唐澤豊さん 【Web3.0、AI、ブロックチェーン、DAO、ディープフェイク‣‣‣、急展開するデジタル技術の夢の向こうにメタバースがある】

 メタバース講義2回目は、それを実現させるためのさまざまな技術についての説明だった。そしてわかったのは、インターネットはさらなる新次元を迎えている(サイバー空間は三次元化し、しかも分散型ネットワークに変わる)という事実だった。メタバースが近い将来に実現するかどうかはともかく、そこに投入される技術の革新性は、いま世界を支配しているGAFA (Google、Amazon、Facebook、Apple。Microsoftを加えてGAFAMとも呼ぶ)の時代を終わらせる可能性も秘めているようである。
 メタバースという言葉自体、2021年にフェイスブックのマーク・ザッカ―バーグが社名を「メタ」と変えて、この分野に進出すると発表して以来、かなりの人の知るところとなったが、前回の講義でも明らかなように、それではメタバースは何なのか、ということになると、さまざまな見方が乱立し、VRを使ったSNSをめざしたり、仮想空間を利用して新たなビジネスを始めようとしたり、三次元CGの延長上に新たなゲームを構築しようとしたり、まさに同床異夢の状態である。唐澤さんが「現段階でメタバースはまだ存在していない」と言ったのはそういう状態を示しているようだ。
 にもかかわらずインターネットの最新技術が向かおうとしている先に「メタバース」があることはたしかであり、それが私たちの生活をも大きく変えることも間違いない。Online塾DOORSが<よりよいIT社会をめざして>という講義でメタバースを取り上げた理由である。
 メタバースを構成する技術およびその問題点として唐澤さんは「最新のネットワーク技術動向」「Web3.0」「DAO(ダオ)」「 AI」「VR(仮想現実感)」「AR(増強現実感)」「ブロックチェーンとNFT(非代替性トークン)」「立体表示装置」「最新のHMD(ヘッドマウントディスプレイ)」「感覚共有」「ディープフェイク技術」「法的課題」など、きわめて広範囲にわたって丁寧に説明してくれたが、ここにその全体を紹介するのは無理なのでその一部を簡単に列記しておく。

ウエブ3.0】2000年代初頭までのインターネット黎明期のウエブ構造がWeb1.0である。HTMLで書いた静的な情報の一覧が主で、常時インターネット接続はまだ。端末はパソコンが主流だった。2000年代から現在までがWeb2.0である。通信回線速度と安定性が向上し、端末としてスマートフォンも登場、後に主流ともなった。SNSなどで情報交換が盛んになり、人びとの生活は便利になる反面、個人情報がGAFAなど一部の巨大テクノロジー企業に集中するようになる。2014年にイーサリアムの共同創設者であるキャビン・ウッド氏が提唱したのがWeb3.0である。GAFA支配などの問題点を解決するために開発が進められているのがブロックチェーン技術を活用した非中央集権型のウエブ構造である。仮想通貨のビットコインはこの技術を使って作られている。3.0はまだ実用化されていない。
DAO(ダオ)】新しい「分散型自立組織」、中央管理者が存在しない組織のこととで、新しいコミュニティが誕生する可能性もある。希望者はだれでもプロジェクトに参加できる点が大きな特徴で、プロジェクト内の取引はすべてブロックチェーンに記録されるために、不正行為のリスクも少ない。プロジェクトの貢献度に応じて参加者にトークンの配分がある。ビットコインもDAO化している組織の一つ。
AI】 AIに関して常に議論となってきたのは人間を超えるかということ。意識、意思を持つかということに関連しては、現代のところ文章は書けるが感動を与える小説は苦戦中というところらしい。美術では、文章とモード(〇〇ふうというタッチ)の選択で作品が創造できる「Dream」アプリがある(写真)。グーグルのプロジェクトLaMDAのプロモーションも紹介された。
ディープフェイク技術】人工知能にもとづく人物画像合成の技術のことで、有名人のポルノビデオまたはリベンジポルノの偽造のためや虚偽報道や悪意のあるでっち上げにも使われる恐れがある。指紋・虹彩・顔などによる声帯認証システムも簡単にすり抜けることができ、大きな社会問題になる可能性もある。
法的課題】法は新しい技術についていけないので、卑近な例で言えば、 AIが美空ひばりの声でいろんな歌を歌うようになった時の著作権はどうなるか、といったような様々な問題が予想される。

 ほかにもゴーグル、ホログラフィー、コンタクトレンズなど、それこそ日進月歩で小型化、高性能化しているインターフェースなども紹介された。いろんな技術が個別、あるいは相互に連携しながら発展しつつあり、それがいずれはメタバースとして収斂していくようである。いまはまだ混沌とした状態だが、それらの技術がこれからの人類に大きな影響を与えることは間違いないようだ。ゲーム大国としてデータの蓄積や技術的ノウハウのある日本が活躍する余地もありそうである。
 なお、当日はメンバーの藤岡福資郎氏らが福岡を拠点に行っているDX(デジタル・トランスフォーメーション)セミナーの受講生6人もゲストとして参加した。
 第3回は12月15日(木)、「私の考える宇宙」(仮題)として神、宗教、輪廻転生などについての唐澤さんの考え方を披露してもらったあと、ディスカッションをする予定。今年最後の授業なので、簡単な忘年会もかねて。

 いずれはメタバースへの集団移住が始まる? IT社会を生きる知恵(基本素養として)サイバーリテラシーを提唱してすでに20年以上になる。サイバーリテラシーではIT社会を現実世界とサイバー空間の相互交流する社会ととらえて、インターネット黎明期以来の両者の関係をリンクのように図示しているが、新たな図を追加すべき時が来たかもしれない。それは図のように現実世界の楕円の上にほとんど重なるようにサイバー空間がかぶさっている。このサイバー空間は三次元であり、おそらくこの空間そのものがメタバースという新しい宇宙になるだろう。現実世界の我々はメタバースに適宜アクセスしてゲームやコミュニケーションやビジネスを楽しむことができるが、ほとんどの時間をサイバー空間のみで過ごす人も出てきそうである。
 唐澤さんに聞いたビデオ動画を見ていたら、ある人が「メタバースに希望が持たれているのは『現実世界はクソだな』と思っている人が多いからだと思う。メタバースでは自分で理想の世界をつくり、理想の姿に変身し、誰とでも意見交換できる」と言っていた。メタバース的な世界が広がるにつれて、人々は新たな宇宙(『地球2.0』というタイトルの解説書もあった)に飛躍していく。これまでも書物や漫画で、アニメで、そしてゲームでそういう傾向はあったけれど、これからはより多くの人がやすやすとメタバースに集団移住していくことも起こるのではないか。このとき現実世界はどう変容するだろうか。それこそ廃墟のようになるかもしれない。現代世界の政治の混乱、若い人たちの政治への無関心とも深いところでリンクしているようにも思われる(Y)

 メタバース実用化はHMDを使う3Dゲーム市場から? 「私が考えるメタバース」第2回の「メタバースの要素技術」を終えて、参加者の皆さんからの質問は、どういう分野で使われるのか?こういう分野はどうか?といったことが多かったのですが、マルチメディア事業での業界としての失敗や、情報通信関係の起業での私の失敗から言えることは、最初に狙うべき市場は確実に需要が見込まれる市場か、大きな需要が見込まれる市場の見込み客の中で、価格が多少高くても飛びついてくれるアーリー・アダプターという人たちを狙うことかと思います。
 その意味からすると、最初は一般消費者にはちょっと高額で手が出せないと思われるHMD(ヘッド・マウント・ディスプレイ)を使う3Dゲーム市場ではないかと思います。この分野では既に2500万台以上も売れているHMDがあることは第1回でも紹介しましたし、メタもそうした製品を発表しています。
 フェイスブックがメタと改名してこれからはメタバースだと発表した当初から、色々と揶揄されていましたが、株主からは、もっと早くリターンがある他の分野に投資しろ!と総スカン状態でメタの株価は半分以下に落ちており、ザッカーバーグは窮地に陥っている感じですね。そこでメタは会議アプリのTeamsとかXBOXゲームとかを持つマイクロソフトと手を組むことにしたということですが、市場の反応は両社の期待程ではないようです。
 一方、グーグルとアップルはメタバースの分野では蚊帳の外ではないかという見方をしている情報通信業界関係者もいます。そんな中、グーグルのAIは専門家と短編小説を書くところまで来ているようですし、グーグル・アースの情報を活用すれば、世界地図を3次元CGにすることは割と簡単にできると思われます。
 アップルもHMDやARグラスといったハードウェア分野からメタバースに算入していますが、アプリやコンテンツ分野では目立った動きは余り見えていないことや、メタバースのシステム、アプリ、コンテンツを開発するにはWindows-PCを使わないとアップルのMacでは使い物にならないので、メタバース分野ではどうかな?という意見が強くなって来ている感じです。
 日本の過去の家電業界の例で言えば、ソニーが先駆けてアーリー・アダプター市場を開拓して、市場が見えて来たら、満を持してパナソニックが参入してマス・マーケットを獲得する、というパターンがありました。
 メタバース市場では、メタがソニーの感じですが、グーグルやアップルは機が熟すのを待っていて、満を持して参入するパナソニックのようになるかも知れないと私は思い始めています。まあ、ゲーム業界では、パナソニックも参入して、そそくさと撤退したのに対し、ソニーは今でも生き残っていますから、状況は逆転していますけどね。
 それくらい、新規市場開拓は難しいので、メタバース市場が情報通信業界で主流となるのかどうかは、まだ判りません。
 そんな中、日本の情報通信市場はどうかというと、まだDXに取り組む必要があるという状況ですから、可能性があるのは、かなりいい線を行っているゲーム業界と、iモードで携帯電話を情報端末へと進化させ、スマートフォン市場への露払い役を果たしたドコモがNTTグループ全社を牽引して、メタバース市場を開拓できるかどうかでしょう。
 なお、第2回の追加情報として、以下のYouTubeも参考になると思いますので、時間のある方はご覧下さい。
1.【SNSとメタバース】Zoomによる打ち合わせ革命とMetaLifeのバーチャルオフィス革命; これ は、デジタル化が進む中でのオリラジ中田の実体験とメタバースの将来について語っているので、DX推進の方々には興味深いかなと思います。
2.【西野と学ぶメタバース】エンタメの未来はどうなる?3つに分類される定義と最新知識:現在、どういう人たちが、どういう考えでメタバースに関わっているか?ということが、これを観て頂くと良く分かると思います。夫々の業界によって定義がバラバラということです。また、第2回の中でも少しコメントしましたが、これを観ると、意外と日本の企業が成功する可能性があるかな?と思います。
3.【西野と学ぶメタバース】メタバース業界に今から参入するならまずは何をすべきか?:メタバースのコンテンツやアプリを創る人はMacではなく、高性能グラフィック機能を搭載したWindowsでないといけない、というのがこの中に出て来る話ですが、私にとっても、ちょっと意外でした。音声・画像・動画系のコンテンツを制作する人はMacを使うというのが日本の常識のように思っていましたから、Macファンにはちょっとショックでしょうね。(K)

講座<超高齢社会を生きる>

第49回(2022.10.30)
 難波美慧(張慧)さん 【中国の高齢対策の鍵はデジタル技術の活用と社区という住民組織の活躍です】

 中国西部の青海省で高校時代まで過ごし、大学は北京第二外国語大学で日本語を専攻。その後来日し桜美林大学大学院で老年学(ジェオントロジー)を学んだ。修士論文は「中国都市部高齢者における社会奉仕活動の規程要因」。日本企業で働きながら日本人と結婚し子どもが2人、滞日すでに18年である。
 日本は平成の30年間(1989~2019)で、中国の7~8倍もあったGDPが3分の1に減るという国力低下、経済衰退を経験、一方で中国は大躍進を遂げた。両国の浮沈を肌身で感じながら日本社会を観察してきたわけである。青海省や学生時代の思い出もさることながら、大学院で学んだ老年学を振り返りながらの日本と中国の違い、そこでの高齢者の暮らしぶりなどの話はたいへん興味深かった。
 当日は「アジアの新しい風」のみなさんや同じ桜美林大学で老年学を学んだ介護の専門家も参加、楽しい2時間となった。

 中国の高齢化対策で興味深かったのはスマートホンを中心とするIT技術の活用と末端住民組織の「社区」制度である。
 中国ではデジタル化が進み、宅配や家事代行サービスなどを手軽に利用できる環境が整っているという。生鮮食品や日用品も短期間で宅配されるし、配車サービスでタクシーも簡単に呼べる。家政婦や家の中のさまざまな物品の修理や自分の代わりに行列に並んでもらうような「便利屋」的なサービスも数多く提供されており、高齢者はごく普通にそういう生活を楽しんでいるらしい。
 そればかりか、体温、脈拍などの健康データもネットワークを使って医療機関と共有することも行われている。難波さんは「日本に比べてプライバシーに関するリテラシーが遅れているけれど、それがいい要因にもなっている」と笑いながらコメントしていた。
 もう一つは「社区」と呼ばれる住民組織の役割である。官僚機構の末端で、日本の町内会のような行政末端機構ではあるけれど、もっと公的な要素が強く、決定にはある程度の強制力を伴うらしい。この組織が地域社会をまとめており、難波さんの知り合いの若い女性もそこで働いているとか。社区は建物の構造としても一定のまとまりをもっており、コロナ禍で中国が行った地域のロックダウンはこの社区があればこそ、むしろコロナ禍でその力が立証されたとも言えるようだ。
 日本のような年金制度や老人医療組織はまだ完備していないようだが、安いコストでいかに有効な高齢化対策を進めるかに知恵を絞っている。中国政府の高齢化政策は「9073」と呼ばれ、90%は自宅で過ごす、7%は地域コミュニティ、3%は施設で過ごのを当面の目安にしているという。親や祖父母の面倒を子どもや孫が見るという伝統的な家族観とともに、この社区が地域の高齢者ケアに大きな役割を果たしている。

 日本では中国というと、とかく習近平体制の独裁強化、威圧的外交といった面が強調されがちだけれど、内政的にはけっこう安定した政治が行われているようで、参加者からは「中国の官僚制は何もしない日本のそれにくらべるとずいぶん立派ではないか」、「中国が豊かな国になってくれることが世界平和にとってもいいことだと思う」などの意見が表明された。難波さんのはつらつとした態度には、発展しつつある中国の「輝き」が反映しているようだった。

 ジェロントロジーは「高齢化社会工学」 中国の65歳以上の高齢者率は2021年で14.2%らしいが、日本の場合、2022年で30%に近い。世界の最先端を走る「超高齢社会」である。桜美林大学は早くから「老年学」の講座を用意しており、難波さんはそこで学んだわけである。
 日本総合研究所の寺島実郎は『ジェロントロジー宣言 「知の再武装」で100歳人生を生き抜く』(NHK出版新書、2018)で、ジェロントロジー(Gerontology)を「老年学」ではなく、「高齢化社会工学」と訳すべきだと言っている。日本社会を今後どうするのか、そこでどう生きていくのか、その想像力、社会の構想力がいま必要なのだとして、「人間社会総体に及ぶ全体知としてのジェロントロジーの議論をすべきである」と述べている。もっともな意見だと思う。
 2022年の調査では、総人口は1億2,322万3,561人で、13年連続で減少。年齢階級別に年少人口(0~14歳)、生産年齢人口(15~64歳)、老年人口(65歳以上)の3区分でみると、年少人口と生産年齢人口はほぼ毎年減少、老年人口だけが毎年増加し、2015年から年少人口の2倍以上となった。
 今の日本では「企業に就職した新卒者のうち3割が3年で転職」し、「公的年金に企業年金を組み合わせて人生を設計してみても、経済的に安定した状態で退職後の第二の人生を送ることは到底、期待できない」。高齢者にとっても、働き盛りの中高年にとっても、100歳までの長い人生が待っている若者にとっても、超高齢社会は真剣に考えるべき大問題である。寺島氏は「異次元の高齢化」に対応するためには改めての「知の再武装」が必要だと力説している。
 というわけで、我がOnline塾DOORSでも、難波さんの話をきっかけに<超高齢社会を生きる>シリーズを始めることにした。みなさんの積極的な参加を期待したい(Y)

講座<よりよいIT社会をめざして>

第48回(2022.10.12)
 唐澤豊さん 【メタバースとは複数のワールドが複雑に絡み合った三次元空間で、現段階ではまだ実現していない】

 写真は渋谷の繁華街を再現したメタバース(コンピュータ上の三次元仮想空間)の1つのモデルである。109ビルの1区画を3000万円ぐらいで買い取り、ここで衣料品の商売をする。世界中から1日に何億人ものユーザーがアクセスし、そこで3次元で展示された商品を見たり、試着したりして買ってくれれば、現実の109ビル内のショップより儲かるだろうから、店舗費用に数億円もかかる現実のショップ経営よりも安上がりである。
 これが近ごろはやりのメタバース(Metaverse= Meta Universe)のわかりやすい姿である。参加者は当面、コンピュータアプリを使って自分の分身を作って参加する。フェイスブックのCEO、マーク・ザッカ―バーグが昨年、社名をメタと変えて、メタバース事業に全面参加すると宣言し、そのプロモーションビデオも公開したことで、多くの人の関心を集めた。
 今はまだゲームやビジネス用途中心にいろんな計画が打ち出されている段階だが、潜在的な可能性はたいへん大きい。グーグル・アースやポケモンGOなどもメタバースの原初形態、あるいはその事前段階と言えるようである。
 このメタバースについてメンバーの唐澤豊さんに聞いた。
 唐澤さんは大学で半導体工学を学び、東京エレクトロンからインテルを経て数社の外資系ICTベンチャー企業の子会社立ち上げにも携わってきた情報通信分野の専門家である。授業では、唐澤さん自身がインテル時代に試みた先駆的プロジェクトやフェイスブックのメタバースプロモーションビデオ、さらにはメタバースに関する専門家の見方などを、YouTubeの録画番組などをふんだんに使いながら話していただいたから、メタ―バースの全容を理解するにはたいへん面白く、しかも相当に濃い内容になった。
 第1回は情報通信の歴史から始まり、メタバースの定義など総論的な話を聞いたが、次回以降はメタバースを成り立たせているAIやブロックチェーン、ウェブ3.0などの技術の説明やメタ―バースがめざしている社会について聞いたり、メンバー同士で話し合ったりする予定である。

 唐澤さんによれば、メタバースは「現実世界または架空の環境を電子的に三次元表現したもので、実在の人物やプログラム(ボットまたはデーモン)が配置された」構造になっているものを言い、その専門的な定義としては「私たちの夢と希望によって実現される心の構造であり、協創幻覚(コラボレイティブ・イリュージョンである」(ウイリアム・バーンズ)ということになるらしい。いろんな三次元空間が複雑に組み合わさったもので、単一の巨大な仮想空間ではなく、中央にゲートウェイ・サーバーを備え、広範囲に分散されたシステム、つまりは「複数のワールド」へのアプローチが必要だという。
 これだと、2003年ぐらいに評判になったセカンドライフはまだ単一の世界に過ぎず、厳密にはメタバースとは言えないということだった。
 難しい話を懇切丁寧に説明してくれた話はたいへん有意義だった。メンバーの理解はなお不十分な段階だとは言え、「医療や福祉分野では利用価値があるのではないか」、「変身こそ人間の本来的な欲望であり、メタバースの試みはたいへんおもしろいと思う」、「メタバースの作られ方によっては、新たな混乱が生じるのではないか」など即物的な反応が多かった。これからみんなで勉強していきたい。
 メタバースが現実のものになるためには、AI、感覚共有、ブロックチェーンといった技術上の問題や、課金方法、著作権、肖像権、アバターのなりすまし防止など解決すべき課題も多岐にわたる。唐澤さんは「各種技術が解決され、分散型自立組織と既存組織の間で仕様や課金・利用規約等のコンセンサスが成立しないと、3Dゴーグルを使った一部マニア向けのゲーム・チャット・エンターテインメントのサービスで終わり、ビジネスと日常生活で万人が使うサービスとはならないのではないか」との予測を述べた。また現在のハードウェアとソフトウエアの多くは完全なメタバースシステムの創作が可能な段階にあるが、関連する大多数の企業はプログラムを他社に拡張できないようにしているといった現実的な壁もあるようだ。

 現実空間とサイバー空間の間を交流する技術 インターネット上に成立したデジタルな「サイバー空間」と、私たちが住む「現実世界」が相互交流するのがデジタル情報社会であり、だからこそサイバー空間と現実世界のほどよい共存をはかる必要がある。サイバー空間との交流はインタラクティブなことが特徴で、私たちは、一方ではサイバー空間そのものと、他方ではサイバー空間を通じて結ばれた人間同士で、多様な交流を続けていく。
 サイバー空間と現実空間の接点をどのように見つけるかは、これからの研究やビジネスの大きな関心になるだろう。ゲームはその最たるものだが、それ以外に、両者を結ぼうというさまざまな試みがある。
 バーチャル・リアリティ(人工現実感、VR=Virtual Reality)というのは、コンピュータの中に現実そっくりの仮想世界をつくり、頭にかぶるメガネ(HMD=Head Mounted Display)や電極を埋め込んだ手袋やスーツなど、いろんな道具を身につけて、時空を越えたコンピュータ世界に「没入」する技術である。サイバー空間と現実世界に橋をかける技術は、一般にミックスト・リアリティ(MR=Mixed Reality、複合現実感)と呼ばれている。
 現実世界を電子的に補強、増強する技術をオーグメンテッド・リアリティ(増強現実あるいは拡張現実、AR=Augmented Reality)という。シースルーHMDをかけると、現実世界を見ながら、メガネ上に電子的に生成された仮想物を重ね合わすことができる。たとえば展望台でこのメガネをかけると、山や川、ビルなどの光景に重なったかたちで、それらの名前を見られるわけである。まだ空き地のままのビル建設現場に立つと、その場にまさに完成したビルがだぶって見える。
 ARの逆がオーグメンテッド・バーチャリティ(AV=Augmented Virtuality)で、人工的に作られた仮想世界に現実世界の生のデータを取り込もうとする発想だ。コンピュータ・グラフィックスで作り上げた街並みに現実のビルの写真をはめ込み、よりリアルに見せるといった工夫でもある。ARとAVの境界はあいまいで、その比率はさまざまである。AR+AV=MRである。
 建物や橋、川、道路、公園、街路樹、街灯などを、建築、土木、造園といった分野ごとに別々にデザインするのではなく、その全体を自然のなかで総合的にとらえようとする環境デザインの世界では、バーチャルな都市空間の中を自由に歩きまわりながら景観を考えてゆくリアルタイム・シミュレーション(景観シミュレーション)が実用化されている。(以上、矢野直明『情報文化論ノート』知泉書館、2010)から。    
 この記述からもう10年以上もたっているが、今回、話題にしたメタバースがこの延長上にあることは確かであり、理解の手助けのために紹介した。唐澤さんによると、現在さまざまに試行錯誤されているメタバースはまだ単一の空間にすぎず、現実世界のように重層的に入り乱れた空間を自由に行き来するには至っていない。しかしいずれはそういう世界がやってくるのではないか、というのが唐澤さんの予想だった。
 <よりよいIT社会をめざして>では、現実世界とサイバー空間がいよいよ複雑に絡むようになってくるIT社会の現実を理解するとともに、そこで豊かで快適な生活を営むために必要な課題について考えていきたいと思っている(Y)

 メタバースはこんな世界 メタバースってどんな世界なんだろう?と思われている方も多いかも知れないので、少し例を上げてみたい。
 今、日本の現実社会で、おとぎの国と言えば、ディズニーランドとユニバーサルスタジオだろうか?こどもたちにとってはサンリオピューロランドもそうかも知れない。そして来月から開園となるジブリパークもそうなると思われる。これらを1日で全部回るのは現実的にはかなり難しい。しかし、これらが相互にリンクされた本物のメタバース空間に構築されれば、1日に全部回るとか、3か所回ってから、もう一度行きたいところに入園するとかができるようになる。
 また、シッピングの好きな人は、東京だったら、新宿、渋谷、池袋、銀座などを1日で回ることは現実的ではないが、小田急、三越伊勢丹、東急、西武、高島屋、松屋などもリンクされたメタバース空間に店舗を構築すれば、ショッピングのハシゴをすることは簡単にできるようになる。
 芸術の秋だが、美術館や画廊巡りも結構時間がかかり、足も疲れる。博物館に行きたがるこどもも多いと思うが、かなり広いから歩き疲れて、1日に何か所も行けないし、興味のないところでも歩かないと、次の展示に行けない。こうした場合もリンクされたメタバース空間であれば、興味のあるところだけ見ることができるようになる。パリの中心地には多くの美術館があり、ルーブルだけでも、ゆっくり全部観るとなると数日はかかるが、メタバースの世界では好きな画家の絵だけを見て回ることができる。
 即ち、椅子に座った状態で瞬間移動(ワープ)して色々な体験ができるようになるのがメタバースの世界と言える。そうなると、歩いたり運動したりする機会が減って、健康には良くない、と言う意見も出て来るだろうが、散歩アプリと連携して1日の目標歩数を設定しておけば、移動の間は足踏みをしないと移動できないようになり、問題無いだろう。
 ゲームは既に三次元化されているものも多いので、本格的なメタバースになるのは、一番早いだろう。カラオケのメタバース化は結構大変な作業なので、最初は三次元のカラオケボックスの中に、二次元の画面があり、三次元のアバターの姿で歌う、といったことから始まるのかと思う。
 都市の再開発のプロジェクトの場合、今迄は完成後のジオラマやビデオを制作し、関係者や市民からフィードバックをもらっているが、それこそ仮想空間の話なので、誰でも完成後を想像することは難しい。しかし、三次元空間をメタバースで構築し、市民に体験して貰えば、色々な意見が出て来る可能性は高く、より良い都市計画になると思われる。
 以上、メタバースが実現された社会を想像する一助になればと思う(K)

講座<若者に学ぶグローバル人生>

第47回(2022.9.27)
ネパールのスペディ・ナビンさん。2013年にトリブワン大学経営学部を卒業、同年に日本に留学、日本語学校や福岡工業大学短期大学部ビジネス情報学科などで学び、2019年10月からアジアマーケテインググループに就職、現在は日本ITビジネスカレッジで、外国人労働者および留学生受け入れ関連業務に従事している。
 日本ITビジネスカレッジは第40回授業、<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>で登壇していただいた田中旬一さんが地元の瀬戸内市でローカルとグローバルの接点として立ち上げたベンチャー企業で、いま中国、ベトナム、フィリピン、ネパールなどから50人近い留学生が国際ビジネス学科(IT、外国語)、介護福祉学科などで学んでおり、来春には日本語学科新設も予定している。ナビンさんはそこで働いているわけである。一時は150人もいた留学生がコロナ禍で減っているが、2年後にはまた150人規模に復活したいと言う。
 ネパールは世界最高峰のエベレストを擁する中国とインドに挟まれた山国で、面積は北海道の2倍弱、人口3000万人。産業はほとんどが農業で、435万人が海外に出ており、日本在住者が9万人いるという。ネパールの月収は平均2万円、日本で学ぶためにはざっと140万円を準備する必要があるとかで、ナビンさんは親戚や銀行などから金を駆り集めて日本にやってきた。新聞配達などのアルバイトをしながら苦学してきたらしいが、常に笑顔を絶やさず、前を向いて頑張っている姿はたいへんさわやかで、国自体の若さを感じさせられた。いずれはネパールと日本の架け橋として、故郷で起業することをめざしている。

アジアの若者たちの期待に応えられているか ナビンさんはなぜ日本に惹かれたか、それは①トヨタ、パナソニック、ソニー、ホンダ、ヤマハなどのブランド、② 平和な国、③給与が高い、④ 技術が最高レベル、といったイメージが日本にあったからだという。
 これを聞いて私は、それらのイメージがすでに残像になりつつあることを面はゆく思った。よく言われることだが、日本が平成を迎えた1989年のころ、日本のGDPは世界の16%を占めていたが、平成が終わる2019年には6%に落ちている。日本経済が低迷する中で中国、ベトナムを始めとするアジアの国々の躍進はすばらしかった。
 たまたま27日は安倍元首相の国葬の日だったが、安倍政権の8年余において日本の国力は著しく低下し、アベノミクスにより経済力はもとより、働く人々のモラルの点でも、復活の兆しも見えないほど破壊されつくした。しかもアジアと共存するという視点はほとんどなく、アメリカ追随一辺倒に走り、武器を大量に買い付け、「平和な国」のイメージも大きく損なわれている。
 講座<若者に学ぶグローバル人生>では、もっぱらアジアの留学生や元留学生から話を聞いているが、そのたびにスピーカーたちの明るく前向きな姿勢や故国や世界のために尽くしたいという熱気に感心させられる。日本はこういうアジアの若者たちに報いることができているのかと考えると、大いに忸怩たる思いもする。本講座が日本を再生させることを考えるきっかけぐらいになってほしいと願っている(Y)。

講座<気になることを聞く>

第46回(2022.9.10)
 笹原宏之さん デジタル時代の漢字について考える日々 
 1965年東京都生まれ。早稲田大学文学部・同大学院で中国文学・漢字学を研究。国立国語研究所研究官などを経て、2007年から早稲田大学社会科学学術院教授。漢字の字体問題、日本で生まれた国字研究、漢字と社会の関係など、漢字を広い視野から深く研究、その著作 や発言は文部科学省やJISの漢字規範の制定にも大きな影響を与えている。『日本の漢字』(岩波新書、2006)、『謎の漢字』(中公新書、2017)などの著書がある。この講義は『探見』の会との共催で行われた。
 パソコンやスマートフォンの変換機能のせいで、漢字は読めるし、変換で打ち出すこともできるが、自分では書けない人も増えてきた。すっかりワープロ辞書に頼りっぱなしの現状だが、「ダサ」、「エグ」などの短絡表記、さらには絵文字で会話する若者たちは、明らかに手書きで漢字を習ってきた世代とは違う感性を育んでいる。そういう状況下で漢字の専門家たちは現在の漢字をどう扱い、それをどう後世に残すか、日々格闘しているようだ。
 授業では、ときどき漢字を実際に書いてみる試験が課せられ、改めて漢字離れの現状を痛感した人も多かったと思うが、憂鬱の「鬱」は、読めれば書けなくてもいい、とされているようだ。当用漢字、常用漢字、改定常用漢字、表外漢字と基準も時とともに変遷しており、その言葉をどう書くのか、あるいはどの漢字をワープロで打ち出すか、デジタル時代の漢字研究もなかなかに大変なようだった。
 話の中では、「漢字は書けないと文章の理解力が低下する」、「打ち言葉は、読み手への配慮が弱まる」、「思考に労力のかかる論理性よりも直感が優先される」といった傾向にも言及があった。もっとも、作家の梶井基次郎は「檸檬」という字をきちんと書けなかったらしいが‣‣‣。

新講座<よりよいIT社会をめざして>

第45回(2022.9.5)
 土屋大洋さん 【サイバー戦争のターゲットは、データセンターと私たちの頭の中である】 
 国際政治学者で慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授。同大総合政策学部学部長を経て2021年8月から慶應義塾常任理事(副学長)。インターネット上のサイバー空間が国際安全保障環境に対して及ぼす影響などの研究で知られる。『サイバー・テロ 日米vs.中国』(文藝春秋、2012)、『暴露の世紀――国家を揺るがすサイバーテロリズム』(KADOKAWA、2016)、『サイバーグレートゲーム――政治・経済・技術とデータをめぐる地政学』(千倉書房、2020)などの著書がある。
 私たちはインターネット元年の1995年からでもすでに30年近く、サイバースペース(サイバー空間)とともに生きている。インターネットは社会そのものをドラスティックに変えたが、国防の点でもサイバー空間は宇宙に次ぐ第5の領域となり、米ロ中の大国ばかりでなく、群小国、テロリスト、ハッカーまで参戦する最先端戦場になった。本Online塾DOORSでも、IT社会の最先端事情を学ぶために新たな講座として「よりよきIT社会を生きるために」を始め、その第1回に専門の研究ばかりでなく大学の常務理事としても超多忙な土屋先生にあえてお願いして、話を聞いた(担当/城所岩生)。
 テーマは「サイバースペースで繰り広げられる大国間のグレートゲーム」、120年前、帝政ロシアと大英帝国の間で「グレートゲーム」と呼ばれる諜報戦が繰り広げられたが、今、そのゲームは、現実世界だけでなく、サイバースペースでも展開されており、サイバーセキュリティが各国の安全保障政策で重要性を増している。ホットな話題を私たちの身近な事象と関連させながらやさしく解説していただいた。
 左図は世界を取り巻く陸上、海底の通信ケーブル図である。米軍は陸・海・空・宇宙に続いてサイバー軍を重要な統合軍に編成している。サイバースペースはどこにあるのだろうか。サイバー戦争の戦場は前4者とは性格が違い、世界中に広がっているとも言えるが、土屋さんによれば、それは「通信機器+通信チャンネル+記憶装置」である。たしかに。
 記憶装置というのは、各地に分散されているデータセンターである。ウクライナに侵攻したロシアはまっさきにウクライナのデータセンターを叩いたが、ウクライナはそれ以前に国外にデータを退避していた。
 サイバー戦争のグレートゲームはどこで戦われるか。データセンターへの攻撃、通信回線の破壊は引き続き大きな目標になるだろうが、今後大きな比重を占めるのが、個人の頭の中(「認知スペース」)だという。最先端技術が個人の頭の中をかき回し、その変容を迫るわけである。フェイクニュースはその一例でしかない。イスラエルの歴史家、ユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス』で提起した問題が私たちのすぐ近くまで迫っているということらしい。詳しいことは先生の著書をご覧ください(^o^)。

 個人もセキュリティへの関心を高めることが大事 卑近な例で言えば、私たちはグーグルのGmailを使い、フェイスブックやユーチューブ、あるいは各種のゲームなどに興じているが、そのデータはほとんど米IT企業のサーバーに蓄積されている。これについて土屋さんは「アメリカ企業のデータはアメリカ政府がいつでも見られるように法制度上認められている。日本政府が見せてくれと言えば見せてくれるだろうが、アメリカ政府のようにはいかないでしょうね」、「Gmailを使うこと自体、いつでも見られるというリスクがあると覚悟している必要があります。通信相手のことも含めて」と言っていた。いつも感じることだが、セキュリティ専門家たちは通信機器の利用や自分のデータ管理にきわめて慎重だが、一般の私たちはただ便利だからというので、グーグルなり、フェイスブックなり、アメリカIT企業の軍門に平気で、あるいはやむを得ず下ってしまっている。日本政府も怪しい。こんなことではまずいのではないかと、新講座開設の冒頭で大いに考えさせられた(Y)

講座<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>

第44回(2022.7.29)
 ファンヴァントゥアンさん 日本とベトナムのエンジニアリングの架け橋をめざす

 2005年ホーチミン工科大学電気電子学部を卒業し3年間アメリカに滞在した後、2008年に来日、8年間日立グループ会社にエンジニアとして勤務した。その後帰国し、2015年にハノイ市でITソリューション企業、VHECを創立しCEOに。3人でスタートした会社も現在はVHECだけで118名、グループや協力パートナーを含めると300名を擁する企業に成長した(担当/藤岡)。
 幹部のベトナム人はハノイ工科大学、ダナン工科大学、茨城大学、名古屋工科大学などを卒業し、いずれも4年から9年、日本で実際に働いた経験のある技術者ばかりである。ヴァンさん自体、日本でいろんなことを学んだ経験のもとに、これからはベトナムの発展に貢献するとともに、日本とベトナムのエンジニアリングの架け橋となることをめざしている。


 VHECのほかにも、20年にニャチャン市に人工知能(ADAI)研究所やDX支援会社を創立するなど、いくつものベンチャー企業を立ち上げ、地方創生とグローバル人材開発などの事業にも乗り出している。得意分野の制御システム開発やAIを使ったユニークな研究(下写真はコロナ禍でのマスク着用の有無を検出する実験プログラム)の実情も話してくれた。
 彼によれば、ベトナムのIT企業は国の支援もあって伸び盛りで、毎年大学から5万人の人材が供給される。現人員の90%強が20代、30代の若者で、女性が4割を占める。「私が大学を出たころはまだIT企業も少なかった。日本語の先生に日本で勉強して帰国後に起業するのがいい」と勧められた。私たちの世代はベトナムIT事業の先頭を走っている」、「最初はオフショア(委託業務)を受注する企業が多かったが、自前の開発をするところも増えてきた。今のベトナムは50年ほど前の日本の状態。ここで発展させなければ、いずれベトナムも高齢化の波にのまれてしまう」。ベトナムは若い国であり、ヴァンさんの未来も明るく輝いているようである。
 日本の若者は怠ける組と頑張る組に二分されるそうである。若者はもっと外国に出るべきだというのが助言で、実際、頑張る人は海外にもよく出かけているという。日本滞在中は大企業の年配の人たちに多くを教わった経験からか、「日本とベトナムとは親和性は高い」とも話してくれた。

 高度経済成長の熱気をベトナムで見た 「君たちは日本の高度経済成長というものを知らんだろうが、ベトナムに行くとそれを体験できるよ」と、2年半前に年配の政治家から言われて、ベトナム視察旅行に行くことになり、ホーチミン市とハノイ市のIT企業を巡った。慶応義塾大学および立命館大学の学生とベトナム人留学生が4人で立ち上げたRIKKEI社は、わずか10年で従業員数1500人を擁するIT企業に成長し、オフショア開発だけでなくAIによる国会の同時字幕を付け聴覚障害者をサポートするサービスを開発していた。ベトナム語は、日本語同様に方言などがあり、簡単には音声から文字に起こすことは難しいため、AIによる判断がポイントになるということだった。彼らの自立しようとする熱気と実行力には驚かされた。自動運転ロボットのZMP社は、東京工業大学出身のドン社長が日本とベトナムの懸け橋になるという決意のもと開発に一途に取り組んでいた。
 ベトナムについては、正直に言うと、ベトナム戦争の悲惨な映像しか知らなかったのだが、行ってみて大いに驚いた。ホーチミン市には国内最高層、81階のランドマーク81(写真)を初めとして高層ビルが林立し、交通手段はバイクだが、人々の表情は活気に満ちていた。繁華街に行くと、昔ながらの市場もあり、時代が交錯し変化していく姿を体感できた。なるほどこれが「高度成長の活気なのか」と私は思った。日本でも高度成長期には給与も上がり、変化が目まぐるしく、仕事は忙しかったが活気があって楽しかった、という話をよく聞かされていた。
 実はその旅行でヴァンさんにも会ったのである。彼は颯爽としてオフィスを案内してくれた。そこで私はまた驚いた。ハノイ工科大学など日本でいえば東京大学と同じ国内トップ大学出身の技術者が熱心に開発に取り組んでいた。すでに日本の技術力を追い抜いてしまった中国や、発展目覚ましいインドとともに、ベトナムの将来は大いに期待できそうである。
 この<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>シリーズは、IT起業家たちを中心に躍進するアジア経済最新事情を紹介することをめざしている。まったく、日本もうかうかしてはいられません。本塾で紹介するにふさわしい方をご存じの方はinfo@cyber-literacy.comまでお知らせください。どうぞよろしく(藤岡福資郎)。

講座<気になることを聞く>

第43回(2022.7.16)
 阿部裕行さん 【地方自治体の首長でも、何をしたいのかという明確な意思、住民の命を守ろうとする決意、国と本気で戦う覚悟、そして日々勉強さえすれば、できることはいっぱいあります】

 東京都多摩市長。日本新聞協会事務局次長から、2010 年に、民主・共産・社民・生活者ネットワークの推薦で立候補し当選、次期14 年からは政党の推薦を受けずに無所属で立ち、今春4選を果たした。「健康」と「幸福」を兼ねそなえた「多摩市健幸都市宣言」、「多摩市非核平和都市宣言」、「多摩市気候非常事態宣言」など、独創的な地域づくりや平和・脱原発への取り組みで知られる。森治郎さん主催の<『探見』の会>との共催2回目です。
 どこの自治体も同じだが、コロナ禍ではずいぶん苦労したらしい。とくに多摩市には都直轄の保健所しかなく、PCR検査など患者情報が個人情報保護法のネックで市と共有できないなど、最初はいろんな制約があったが、それを粘り強い国への働きかけ(「多摩一揆」などと言われたらしい)で丁寧にほぐしつつ、都内でワクチン接種率1位という実績に結びつけた。
 「市にも国から派遣されたり、逆に国にこちらから派遣したりと、人的交流がありますが、どんな人に来ていただくかによって大きく変わります。私はその人選にも積極的にかかわり、コロナが起こる前から医師、福祉関係者、市職員がツーカーで話し合える環境を作っていました。これが大いに効果を発揮しました。市職員の採用、昇給などの人事にも必ず立ち会っています。首長は議会や国、職員にまかせておけばつとまるお飾りみたいなものだという人がいますが、それは違います。何をしたいのかという明確な意思、市民の命を守るのだという決意、国と本気に闘う覚悟があり、よく勉強して、日々の仕事をこつこつと積み重ねていけば、いろんな制約があるとはいえ、やれることはいっぱいあります。市長は365日、休むいとまはありません」。
 数々の実績を誇る阿部さんに言わせれば「為せば成る」ということらしいが、住民の立場から言うと、どういう首長を選ぶかという心がけが大いに重要だということでもあるらしい。

第42 回(2022.7.13)
 西尾浩美さん 【軍事クーデターから1年半、ミャンマーの人たちは弾圧にめげず「いずれ私たちは勝つ」と強い決意を固めています】

熊本生まれ、横浜育ち。母親の影響で早くからボランティア活動に親しむ。教師になろうと入学した大学の文学部史学科時代、夏休みを利用して東南アジアをバックパーカーとして旅行したこともあって、途上国での医療活動に従事しようと翻心、看護学科に学士入学して看護師となった。NGO職員としてミャンマーに出かけて、2021年2月1日の軍事クーデターに遭遇した。
 本塾ではクーデター直後の2月10日と5月8日に「ミャンマーの軍事クーデターで苦悩する日本在住の若者たち」の話を聞いたことがあり、今回はミャンマー問題としては3度目の授業となる。西尾さんは自分の直接見聞したクーデターの様子やそれに抵抗する人びとの動きを生々しく報告してくれた。
 昨日(2022.7.12)までの犠牲者は2077人、逮捕者は1万4549人、いまだにスーチーさんをはじめ1万1483人が拘束されている。軍政下の圧政は苛烈と言っていいようだが、その中で市民的不服従運動(CDM)、亡命政府(NUG)などを中心に抵抗も続いている。国境周辺の少数民族の武装勢力と組んで若者たちが武装して戦っているのは報道されている通りである。
 彼らの抵抗が報われる日はいつになるのか。西尾さんは「軍政が定着するのか、市民が民主主義を取り戻すのか、しばらくは対立状態が続くと思うが、人びとは『闘うしかない』という強い意志を固めている。それは悲壮な思いというよりも、『絶対に勝つ』というとても前向きなものです」と話していた。知人たちは彼女に「僕たちはクーデターで一度死にました。だから死ぬのはもう怖くない」、「死ぬのは怖い。でも希望のない未来を生きるのは、もっと怖い」と決意を語ったという。彼女は半年ほど前に日本に戻り、いまは医療支援のためのカンパ活動をしている。
 日本は国会でも軍事クーデターを非難する決議をしているが、ミャンマー支援の実情はきわめておそまつな実情らしい。クーデター後も防衛大学は軍からの留学生を受け入れるなど、むしろ軍事政権を支援しているような傾向も見られるという。

医療支援へのご協力をお願いします「僕たちは、絶対に暴力を使わない」。ミャンマー人の友達からそんな言葉を聞いたのは、軍事クーデターの翌日でした。「もし暴力的に抵抗をすれば、軍は『国の治安を守るため』という口実で、武力で鎮圧にかかる。今まで僕らは、そうやって何度も弾圧されてきたんだ」
 2015年まで半世紀もの間、軍事政権が続いたミャンマー。人々は、ストライキや抗議デモ、不買運動など、あらゆる平和的な方法で抵抗を続けました。しかし丸腰の国民たちを、ミャンマー軍は虐殺。活動家だけでなく、医療者や子どもたちまでもが殺されました。
 市民たちは、武力での反撃に舵を切りました。今も、ふつうの大学生だった若者たちが、慣れない銃を手に、40万兵力と言われるミャンマー軍とゲリラ戦を戦っています。(2022年4月のTBS『報道特集』が、非常にリアルな状況を伝えています。ぜひご覧ください)
 私はミャンマーで保健医療の仕事をしていました。しかしクーデター後、保健医療システムは崩壊。軍による弾圧で重傷を負っても、新型コロナが重症化しても、医療を受けられない人が続出しました。また現在はゲリラ戦で傷ついた若者や、村を焼かれジャングルなどで暮らす国内避難民たちが、緊急医療を必要としています。
 そうした人々の命をひとつでも多く救うため、以下のサイトで寄付を募っています。クーデター後1年半が過ぎて人々の関心も薄れ、支援も先細りになっています。しかしミャンマーでは今も緊急事態が続いています。ぜひリンク先の内容を読んでいただき、ご支援いただければ大変ありがたいです。よろしくお願いいたします。【がんばれミャンマー!医療支援】 (西尾浩美)

新講座<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>

第41回(2022.6.29)
  田中旬一さん 地方創生事業をグローバルに展開、将来はリベラルアーツ大学院大学設立をめざす

 岡山県瀬戸内市出身、両親の放任教育の恩恵を存分に堪能、好きなことに全力で挑戦、16歳からはアルバイトに精出しかなりの額を稼いでいたとか。学校の成績はほぼ最下位だったが、貯めた金でヨーロッパ各地を旅行、世界のおもしろさを知った。九州大学法学部にはセンター試験ではなく英語の論文試験で合格、その論文「民主主義について」では、旅で知り合ったオーストリアの政治学の教授から聞いた「西洋と東洋の民主主義の違い」という話を思い出しながら書いたのだという(担当/藤岡福資郎)。
 受験教育に毒された昨今の学生とはまるで違う破天荒な経歴だが、その異色ぶりそのままに卒業後は、2012年のアジアマーケティング株式会社を皮切りに、2017年には学校法人せとうちを設立、さらに日本ITビジネスカレッジ、アジア人材サービス開発会社、外国人キャリア教育研究所、日本ITシステム株式会社、株式会社BlockChainなどを次々に設立、多くの事業に乗り出している。代表取締役、理事長、CEOなど多くの肩書を持つが、まだ40代前半である。現在の事業内容は下図の通り。そのバイタリティあふれる話を聞いた参加者たちは日本にもすばらしい人材が生まれつつあることを実感、今後の活動への熱いエールも飛んだ。

 事業の基本精神は「地方創生」と「グローバル」。たとえば日本ITビジネスカレッジは、「岡山県で人材育成を通じて次世代の 100 年を創る 」をキーワードに、県内の廃校を借りて校舎とし、アジア各地からすでに130人の生徒を集めている。カリキュラムはIT、観光、介護などだが、ユニークなのが「注文式教育」という方針。「企業から求人需要をヒアリングし、求人票の内容に沿って授業カリキュラムを作成する」、「企業と提携して授業を展開し、インターンシップも実施」するなど、企業との提携を強めている。近く日本語教育部門も開設する。いまは実務教育本位だが、田中さんの構想はそれに止まらず、2030年以降は多様な価値観が求められる時代を生き抜くためのリベラルアーツ(理系、文系の垣根を超えた一般教養科目)を教える大学院大学を設立する計画だという。日本ITシステムやブロックチェーンなどIT関連会社も運営しており、これらの会社は卒業生の受け皿企業ともなりそうである。田中さんは全国各地に広がるいろんな地方創生事業とも連携を深め、地元に根ざししながら、同時にグローバルに展開するという。まさに発展途上である(右写真は瀬戸内海船上でのブロックチェーンの面接風景)。

 新講座<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>は、日本やアジア各国のベンチャー企業関係者を取り上げる予定です。ご期待ください。

講座<気になることを聞く>

第40 回(2022.6.12)
 升永英俊さん【日本は、国民主権国家ではない。日本は、国会議員主権国家である。現在の国会議員は国会の活動の正統性を欠く】②

 同講義2回目は前回(5.19)に引き続き、升永弁護士が取り組んできた「1人1票」運動について話を聞いた。彼が人口比例選挙の重要性に気づいたのは45年ほど前の1978年、コロンビア大学ロースクール(法科大学院)に留学したときだという。日本の衆院選では公示から投票日まで、最短で12日間しかないが、米大統領選の選挙運動はとてつもなく長い。そのことについて米国人の級友は「大統領選は、選挙という形式をとっているが、実は共和党支持者の国民と民主党支持者の国民の間の戦争である。南北戦争では国民が南と北に分かれて戦い50万人を超す死者が出た。これに懲りて米国民は、政治の意見の争いは、選挙で解決することにした。大統領選で過半数の得票を得たグループが大統領を選び、向う4年間、行政権を独占する。だから、予備選を含めると2年半超もの長期間、国民は次の大統領選で過半数を得票すべく草の根で議論をし、選挙運動をやっている」と語った。升永さんはこの時初めて「選挙が民主主義国家の心臓だ」と知り、そして感動した。
 その経験のもとに、彼は1人1票選挙の実現に取り組んできた。その経緯は、前回報告に寄稿していただいた通りである。何度かの最高裁判決を受けて1票の格差は徐々に縮まりつつあるが、与党たる自民党は憲法改正草案において、その差をかえって広げることをねらっている。「これを許したら1人1票制度は、とくに参議院において絶望的になるだろう」と彼は話した。それを防ぐためにはどうすればいいのか。その思いはメンバーに事前に配布された文書の最後のくだりに込められている。

人口比例選挙を支持される方は、今回の参院選だけは、憲法改正が絡む特別な選挙と考えて、自民党に対する1回限りの批判票として、立憲民主党、共産党、社民党、れいわ(但し、人口比例選挙を支持している。)のいずれかに、投票して頂きたいと私は願っています。私は、相対的に当選者数が多いと見込まれる立憲民主党又は野党統一候補に投票します。

 7月参院選を前にした時期でもあり、升永さんの熱弁に呼応するかのようにいろんな意見表明や質疑が繰り広げられ、講義はいつもの時間を大幅にオーバー、10時半過ぎまで続いた。今回の参院選の重要さに鑑み、もっと議論する場を持ちたいとの意見も出た。

民主主義的選挙のリテラシー 「選挙は国会の多数を獲得するための国民の戦争である」というのが升永さんの考えである。そのことがよくわかっているのが自民党で、多数を獲得するためにあらゆる努力をし、そして成功している。それに対して野党はどうか。国民はどうか。投票率が低いのは戦線離脱で論外としても(それは与党を有利にもしている)、選挙でどのような代表を国会に送り込むのか。そのための戦術は何なのか。まず大事なのは具体的候補者よりもその人が所属する政党であり、もっと言えば、野党候補の中でも、政党の違いを超えて、その選挙区で当選可能性の高い野党候補をこそ選ぶべきである、というのが升永さんの考えだと思われる。そもそもこれは、学校でも教えるべき民主主義的選挙に関する一つのリテラシーではないだろうか。そのためにも大事なことが、国民が選挙に平等に参加できるための前提、「国民の過半数が国会議員の過半数を選ぶ」選挙制度「人口比例選挙」の確立ということになるだろう(Y)。

講座<若者に学ぶグローバル人生>

第39回(2022.5.30)
インドネシアのサムスル・マアリフ(Sasul Maarif)さん。2013年、パジャララン大学日本語学科卒、南山大学日本語別科や大阪大学大学院文化研究科博士課程で学び、現在、パジャジャラン大学日本語学科非常勤講師。
 日本のポップカルチャーがきっかけで日本に興味を持ち、小学生では「聖闘士星矢」、「ドラゴンボール」、中学時代は「るろうに剣心」のファンだった。「日本の文化で育ったと言っても過言ではない」、さらには「日本は夢の国」だと言ってくれる、ありがたい日本ファン。現在、母校で日本語を教えている経験から、いまアジアの若者たちが日本語を学ぶ理由、日本語学科の卒業生の進路などについて話していただいた。

日本語を学ぶ人は多いが来日者は少ない その時示された日本語学習者の数でインドネシアが世界第2位 であるとのデータが興味を引いた。その一部をグラフにしたもので見ると、数の多さが際立つ。インドネシアの人口は世界第4位ではあるけれど‣‣‣。
 ところで第21回講義でも紹介した下図によると、日本滞在の外国人数は中国、韓国、ベトナム、フィリピンの順で、留学生でも中国、ベトナム、ネパール、韓国となっている。
 インドネシアで日本語を学んだ人の半数は現地の日系企業に就職しているという。なぜ日本に来ないか。その理由はイスラム教にある。インドネシアは世界最大のイスラム教国であり、人口の9割がイスラム教徒である。食べ物の制限(ハラール)もあるし、1日5回のお祈り、ラマダーンの断食など厳しい戒律があり、生活環境の違いが来日を思いとどまらせているらしい。サムスルさんは「祈りの場所を用意していただけると、インドネシアからの雇用もスムーズにいくのでは」と話していた(Y)。

Slack内に若者グローバルネットワーク開設 本塾は開設2周年を期して<Online塾DOORS(略称OnDOORS)>と改称しましたが、これを機にメンバーやスピーカーの交流用に開設しているslack内に「若者グローバルネットワーク」のチャンネルを設けました。これまで話していただいたアジア、アフリカ各地からの留学生、あるいは元留学生、さらには海外で活躍する日本人の数もすでに20人を超えています。スピーカー同士の相互交流を図るとともに、新たな仲間を求めてのチャンネル開設です。
 世話役を第33回に登場した中国出身の大森静さんにお願いしました。今後は本slackだけの加入も認め、あわせて新たなスピーカー発掘にもなれば、と思っています(参加希望者は事務局info@cyber-literacy.comまで。サムスル先生にもいろいろご協力いただけるようになりました。
大森静です。中国から日本に来て、いまは日本人と結婚、福岡市に住み、4歳の子どもがいます。九州大学研究室で働いています。よろしくお願いします。楽しい場にできるように頑張ります(^o^)。
 英語に興味がある日本の学生と日本語をより学びたい外国人のランゲージエクスチェンジの場になればいいと考えています。
 日本にいる外国人のキャリアデザイン、学習情報、食べる情報、法律の情報、言葉の情報、定住の情報、子育て支援情報、医療情報、婚活情報、資源のリサイクル情報など、いろんなことを話し合える場になればと思っています。
 異なる意見も理解してあげる、理解できないことは寛容してあげるという謙虚の気持ちで付き合いましょう。お互い尊重して気持ち良いお話をしましょう。意見の争いがあればその場で議論してその場で終わり、後に残さないようにしてください。自分が欲しくないことを人に渡さないこと。
 友だちも紹介してください。自分が好きなことを他人といっしょに喜びたい方、人のお役立ちたい方、人とwinとwinの考えをお持ちの方、人に寛容な心をお持ちの方、日本の社会にいいことを与えたい方、留学生の方にいいことを与えたい方、日本にいる外国人にいいことを与えたい方を私たちは歓迎します。

講座<気になることを聞く>

第38 回(2022.5.19)
 升永英俊さん【日本は、国民主権国家ではない。日本は、国会議員主権国家である。現在の国会議員は国会の活動の正統性を欠く】

1942年生まれ。弁護士(第一東京弁護士会)・弁理士。米国のコロンビア特別区及びニューヨーク州弁護士。TMI総合法律事務所シニアパートナー。元東京永和法律事務所代表兼東京永和特許事務所顧問。東京大学法学部卒業、後に東京大学工学部も卒業。
 升永弁護士は選挙における「1人1票」実現運動に精力的に取り組んできた。次期衆院選をめぐって「10増10減」の折衝も始まる予定だが、民主主義の基本である選挙における「1人1票」がなぜ守られていないのかを聞いた(担当/藤岡福資郎)。
 以下、骨子を当日示された図に沿って報告する。

<1>日本は国会議員主権国家であることの3つの論点

<2>国民主権国家と国会議員主権国家の違い(国民主権国家でないために、国民の少数が選んだ国会議員の多数が内閣総理大臣を選出し法を議決しているという矛盾)

<3>米国ペンシルバニア州では最大投票区と最小投票区の差は1人。2012年参院選の差は903,451人であるとの例示

 この授業は新生Online塾DOORS(略称OnDOORS)の旗揚げ講義として行われ、メンバー以外にも広く声をかけ、法律専門家の方にも何人か参加していただた。升永弁護士は長年の運動の意味とその成果について丁寧に、かつ熱っぽく語り、参加者からは「我々の根源的な問題がここにもあったか!と反省しきりで拝聴しておりました。『国会議員主権国家』は正鵠を射た表現ですね。民主主義が、何によって立つものであるのか、にダイレクトに目を向けさせてくれます」、「一票の格差についての裁判は耳にしていましたが、いままで真剣に考えたことがなく、今日は非常に勉強になりました。中国との比較で、かの国はまったく民意を問わない党幹部の選出に関して、日本は公平な選挙で代表を選ぶ民主国家であると信じて疑っていませんでしたが、今日のお話を聞いて国会議員選挙に正当性がないことに気づかされました。この年になって、お恥ずかしい限りです」という〝目から鱗〟的な感謝の言葉が寄せられた。
 新生Online塾DOORS旗揚げ講義にふさわしいばかりか、近づく参院選を前に、選挙民の自覚を促すためにも恰好の話だった。かりそめの「主権者」を〝不正〟に選んでいる、あるいは選ぶことすら放棄している憲法上の(本来の)「主権者」よ目覚めよ!
 次回は6月12日(日)午後8時からです。視聴希望者は当欄コメント欄やinfo@cyber-literacy.comまで。なおOnline塾DOORSでは新しい参加メンバーを募集しています。<Online塾DOORSへの招待>をご覧いただいた上で、希望者は上記へお申し出ください。各自を真綿のように閉じ込めている扉(DOOORS)をこじ開けて広い世界へ!

韓国の大統領選挙との違い 講義を聞いてくれた九州大学工学研究院の小林泰三先生が「『一人一票=完全人口比例』が間接民主主義を成立させる絶対条件であることは、比例を勉強する小学生でも理解できる平明な理屈です」と感想を述べてくれたのは大いに我が意を得た思いがした。
 たとえば2022年3月の韓国大統領選(1人1票選挙)と日本の1票の格差2倍の衆院選選挙の違いを考えてみよう。

 両氏の間の得票差は0.73%(=48.56%-47.83%)であった。即ち0.37%(≒0.73% × 0.5)の僅差で、尹(ユン)氏が大統領に当選し、政権交代した。投票率は、77.1%。日本の非人口比例選挙の2021年衆院選の投票率55.9%と比べて高いのは、韓国大統領選挙が人口比例選挙であることと関係していると推察される。衆院選(小選挙区)では、1票の格差は、1:2.1倍であり、全人口の47.0%が全衆議院議員465人の過半数(50.1% 233人)を選出している。
 議院内閣制であっても、人口比例選挙(=1人1票選挙)であれば、主権を有する全国民の50%超(過半数)が、国会議員を通じて行政の長(内閣総理大臣)を選出することになるので、主権を有する全国民の過半数(50%超)の意見が行政の長を決定する。 
 そして選挙により成立した政権与党(単独与党、連立与党の双方があり得る)の次回選挙までの政治が過半数の国民に不人気であれば、主権を有する国民の過半数は次回選挙で野党に政権を交代させることが出来る。したがって、次回選挙までの与党(連立与党も含む)の国政運営は国民の過半数に不人気であることが許されない。おのずから与党の国政運営は緊張を伴ってなされることになる。これが、人口比例選挙の唯一かつ肝心要の長所である。
 このことは、2021年4月現在で、日本の1人当りGDP(購買力平価換算/IMF)が韓国に劣っていることとも無関係ではないと私は思っているが、これについては私見を記すにとどめる。 1人1票訴訟の経過にふれておくと、

①わたしどもは、2009年に衆議院選挙違憲訴訟を全国で提訴した。2009年から今日まで、国政選挙毎に全国の14高裁で提訴し、累計で120個の高裁判決と8個の最高裁大法廷判決を獲得した。
②8個の最高裁大法廷判決の結果、2022年の本国会で10増10減の衆院選選挙区割り法が成立すると予測されるようになった。
③2009年の衆院選では、全人口の46%が全衆院議員の過半数を選出していた。
④同8個の最高裁大法廷判決の結果、10増10減の選挙区割りにより、全人口の48%が全衆議院議員の50.1%を選出することになる。
⑤これにより、日本も人口比例選挙(即ち、全人口の50.1%が全衆議院議員の50.1%を選出する選挙)まで、全人口の2%(=50.1%-48%)の差まで肉薄する。

 すなわち、人口比例選挙まで(国会議員主権国家を脱して、国民主権国家に変わるまで)もう一息のところまで来たということである。(升永英俊)